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2022-09

20世紀の鉄道写真(26)--1985年(昭和60年)の写真その3・小旅行や近場の話題

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 20世紀の鉄道写真,1985年の3回目はこの年に行った小旅行や,自宅の近所で撮ったバスの写真をお送りします。僕はこの年は会社員生活2年目で,モーレツ社員という訳ではありませんが,休みをとることは少なかったです。仕事は会社に4台しかなかったコンピュータの運用担当でした。この頃の大型汎用コンピュータの保守作業は利用者がお休みの土曜休日が書き入れ時で,休日出勤をすると振替の休日がもらえるのが嬉しかったです。既にアップ済の正月の北海道旅行,夏休みの山陰・山陽旅行のほかにもちょこちょこと出掛けていました。

 職場では2月に部をあげてのスキー合宿があり,スキーをしない僕も飲み会・麻雀要員として参加です。同僚は貸切りバスですが,僕は自腹で列車で戸狩までを往復しました。

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1.長野電鉄には元東急5000の赤ガエルが大量にいました @湯田中 1985.2.11

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2.湯田中駅 1985.2.11
1927年(昭和2年)築のこの駅舎は2003年(平成15年)の駅舎改築時にも取り壊されず,「楓の館」という山ノ内町の交流・展示施設として残っているそうです。

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3.このときの乗車券。スキースケート往復割引きっぷのタイトルで多少の割引きがあったと思います。きっぷのコレクションはたくさんありますが,硬券で券番1は少ないです(これ1枚?)。

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4.このときの急行券。急行くずれのグリーン車は普通列車部分のBグリーン料金は免除のルール(興味があるかたはこちらの7.参照)ですが,窓口氏はそれを知らず押し問答になり,結局規定どおりの値段できっぷは売ってくれましたが,激昂のあまり行き先の「長野」が「長野原」になっています。ある面,貴重な発券ミス券ですが,もう時効でしょう。

 東海道新幹線は窓が狭くなったり,座席が改良されたりのモデルチェンジはありましたが,開業以来の0系が老朽置換えの更新車も含めて増備されていました。この年の3月にフルモデルチェンジをした一部2階建ての100系が開発されました。バス旅かなにかで通りかかったら,大井の運転所の一番端に置かれていたので,写真を撮ってきました。

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5.100系9000番台車。試作の1本はライトのキツネ目の角度が僅かに大きかった 1985.日時不詳 @東京第2運転所

 次の2枚は桜の時期の中央線のお堀端で,この景色は基本的には今も変わらないです。飯田橋駅の近くには貨物専用の飯田町駅があり,トビ色のワムを繋いだ紙輸送の貨物列車が走っていました。また,カナリア色(黄色)の中央線は101系で,この頃は残り少ない101系だったと思います。

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6.桜咲くお堀端を行く101系電車 @飯田橋~市ヶ谷 1985.3月~4月

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7.中央線を行く紙輸送貨物。EF65P+ワム @飯田橋~市ヶ谷 1985.3月~4月

 5月の連休は南東北地方に行っています。只見線から入り会津滝ノ原(現・会津高原尾瀬口)まで行きましたが,帰りは郡山に戻ったか,バスで鬼怒川方面に抜けたか定かでありません。

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8.只見線は冬季の排雪運転に備え普通列車でもキハ58が多かったです @会津川口(?)1985.4.27

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9.ふらりと降りた新鶴で 1985.4.27

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10.磐梯山を背に快速「ばんだい」。この写真を気に入り大伸ばしして長く部屋に掛けていました @関戸~川桁 1985.4.28

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11.磐越西線の貨物列車。ED77の重連で牽くのは2軸車2,3両 @関戸 1985.4.28

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12.磐越西線の客車列車。ED77+マニ50+50系。晩年の50系化後の姿です @関戸 1985.4.28

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13.中山宿を行く快速「ばんだい」。スイッチバックのホームから本線を見る 1985.4.28

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14.湯野上(現・湯野上温泉)はホームの桜がきれいです 1985.4.28

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15.多分同じ列車と思いますが上はポジ,こちらはネガで撮影です 1985.4.28

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16.このときのきっぷ。福島・会津磐梯ミニ周遊券は安くて使い勝手のよいきっぷでした

 この年はつくばで科学万博が開催され,たしか振休の日に見学に行きました。展示で心に残っているものは殆どないですが,JALがHSSTとのタイトルでリニアモーターカーにお客さんを乗せていました。リニアモーターカーというとJR東海が建設を進める超高速新幹線を想起しがちですが,空港内でターミナル間の旅客移動に使われる装置(Automated People Mover,APM)だって,リニアモーターで駆動すればリニアモータカーです。

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17.HSST by JAL。@'85つくば科学万博。写りの悪い写真で申し訳ありません 1985.5.16

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18.HSSTの乗車券

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19.このときのきっぷ。恵比寿から常備券の往復きっぷがありました

 夏休みは山陰・山陽のほかに従弟が甲子園に出場したので,大垣夜行で応援に行きました。当時は大垣区の165系使用で,夏休みともなればご覧のとおりの大混雑です。これでは翌日がもたないので,沼津で降りて,駅のベンチで新聞をかけて寝ました。また,今でも後期の増備車が残っている伊豆急のリゾート21が運転を開始したのもこの年で,青春18きっぷで伊東,下田まで行っています。

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20.超満員の大垣夜行 1985.8

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21.登場して間もない伊豆急のリゾート21 @伊豆急下田(?) 1985.8

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22.伊豆急の「新型電車完成記念乗車券」えらく硬いネーミングですが材質もアルミ板製

 この年,1985年の9月30日には東北新幹線の騒音被害の見返りの通勤新線として埼京線(線路名称としては東北本線の別線)が開業しました。この日は月曜日でしたが会社が終わった後に初乗りに行ったようです。きっぷはありましたが,今時のようなコンデジもなく,写真は全くありません。

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23.埼京線開業記念フリーきっぷ

 この年のきっぷの中から,面白そうなものを4つばかり選んでみました。新鶴は9.の写真を撮りに降りたときに買ったものです。2番目と3番目は金額式の硬券ですが,2番目は280円と金額が大書きされたもの,3番目は地図式です。1,000円ともなると地図上のあちこちに行けるようになり,さっぱり分かりません。版を作るのも難しそうで,好きな種類のきっぷでしたが,必要があって買ったものしかないのでコレクションにも数はありません。最後の湯野上は桜の写真以来この駅が気に入り,何度も訪れています。

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24.1985年のきっぷから

 秋には体育の日の飛び石連休を使って会津線や桧枝岐を訪れています。このときはきっぷマニアの極みで「一般周遊券」を作ってもらいました。往路は東武鉄道鬼怒川線から入り,今の野岩鉄道のルートの会津西街道をバスで下り,桧枝岐(ひのえまた)村を旅行しました。滝ノ原と桧枝岐の間には中山峠がありますがここで見た紅葉は還暦の今をもってしても生涯で一番きれいな紅葉でした。なお,中山峠は2015年に新しい中山トンネルが開通し,ルートが付け変わったので今でもその景色が見られるかは分かりません。

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25.往きは東武経由で鬼怒川を目指す。どこで見たのか5700系です。恐ろしく時代がかった電車です 場所不詳 1985.10.10

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26.乗換えのジャンクションに集う会津バス 1985.10.10

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27.湯野上を発車する会津線列車 1985.10.11(?)

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28.第三大川橋梁を行く会津線列車。この橋は大川ダム建設に伴う付け替えで1980年に架け替えられたもので耐候性鋼材を鉄道橋梁として初採用の由 @湯野上~上三寄 1985.10.11(?)

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29.第四大川橋梁を行く会津線列車。この辺りは目覚ガ淵と呼ばれる景勝地でいくつかの高い鉄橋で淵を越えてゆきます @湯野上~弥五島 1985.10.11(?)

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30.このときのきっぷ 一般周遊券のうち国鉄の乗車券部分

 最後にこの年に撮ったバスの写真から幾枚かを上げます。1985年は都営バスの表記でいうとP代に相当しますが,なぜか2年前のM代の写真が多いです。1983年の時に書けばよかったですが,この年はバスメーカー各社のモデルチェンジが重なり,画期的な年だったようです。

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31.都営バス都01系統「グリーンシャトル」のB-M210(渋谷)。前年1984年の3月31日から都営バスに都市新バスの路線が設定され,嚆矢の渋谷~六本木~新橋の都01系統用に三菱の新車33台が揃えられました @渋谷駅 1985年日時不詳

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32.都営バス銀71系統のD-G480(杉並)。1979年のG代は白に水色帯最後の年です。また,銀71系統は1988年から都03系統に変わってしまいました @晴海ふ頭 1985年日時不詳

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33.都営バス海02系統のS-M272(深川)。いすゞ-富士重工のバスもM代からスケルトン車体になり,深川ではM271~が最初でした。また,海02はこの年の7月に開業した路線です @フェリー埠頭南ターミナル 1985年日時不詳

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34.都営バス東98系統のM-N423(目黒)。この年2月入籍のN代の日野ブルーリボン。確か日野ブルーリボンもM代からこのスケルトンタイプになったと思います。ちなみにもう一つのバス車体メーカ,川重車体のキュービックバスもM代からです。適切な写真がなくすみません @目黒通り 1985年日時不詳

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35.東急バス黒02系統のM688。都バスの都市新バスに刺激されたか東急も目黒通り系統の黒01~03にこの三菱車を大量21台を投入,バスロケーションシステムも運用されました @目黒駅前 日時不詳
(2022.7.3記)
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20世紀の鉄道写真(25)--1985年(昭和60年)の写真その2・夏休み山陰・山陽旅行

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 20世紀の鉄道写真,今日は1985年(昭和60年)の夏休みに行った山陰・山陽旅行の写真をアップします。この頃僕は,2年前に国鉄線全線完乗を果たし,私鉄の乗りつぶしと国鉄バス路線の乗車に精力を傾けていました。一方,会社は造船所で,夏の最も暑い時期の7月31日と8月1日を挟む週は1週間まるまるお休みです。長い夏休みを使って,山陰と山陽の私鉄巡りの旅です。今回も旅行中のスナップばかりで,枚数ばかり多いですがお付合いください。

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1.「出雲3号」 @東京 1985.7.26
夏休みの前日は会社の納会があり,一杯飲んでから東京駅直行です。この頃の「出雲」は24系25形個室ロネ付で浜田ゆきの正統派1号と,14系の出雲市ゆきの亜流?の3号があり,山陰本線東部から攻めるので3号利用です。

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2.山陰本線の客車列車 場所不詳 1985.7.27(以下,特記あるまで同じ)
山陰本線にはまだスハ43,オハ46などの雑型客車が残っており,これらに乗るのもこの旅行の大きな目的です。僕らの仲間内では雑型客車を青茶と呼び親しんでいました。

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3.山陰本線の客車どうしの交換 場所不詳
右側の客車は12系で臨時の急行か普通列車か分かりませんが,涼しそうで羨ましいです。

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4.山陰本線の海水浴臨 場所不詳(佐津?)

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5.DD51重連の牽く山陰本線の客車列車 場所不詳

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6.餘部鉄橋を行く181系「あさしお」
架け替え前の餘部鉄橋を行く181系DCの「あさしお」です。今日のとびらの写真も同じときに撮ったものでです。

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7.181系「あさしお」 場所不詳
181系DCの特急ですが8両くらい繋いでいます。駅はよく分かりませんが,規模から倉吉あたりでしょうか。

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8.一畑電鉄松江温泉駅 1985.7.28(以下,特記あるまで同じ)
翌日は一畑電鉄乗りつぶしの旅です。これも建替え前の松江温泉駅です。

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9.一畑電鉄で売っていた古レール利用の金床
古レールを厚さ1cm弱に切ったスライスレールは鉄道関係の記念品やグッズによく見ますが,15cm~30cmに切って,金床として売るのはここでしか見たことがありません。旅行が始まったばかりで荷物になるので買わなかったのですが,残念なことをしました。今なら宅配便で送ることもできますが,当時はそんなことは考えませんでした。

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10.一畑電鉄は旧西武車が多かった 場所不詳
旧西武551系のデハ90系(左)と旧西武451系のデハ80系が並んでいます。Wikipedia日本版によれば,デハ90系は1985年3月の一畑入線で,来たばかりの最新鋭?です。

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11.一畑電鉄の旧型電車ときっぷ @川跡
これは多分,川跡でしょう。真ん中の新鋭191の両側には一畑オリジナルの旧型電車が並びます。奥は21の車号が見えますが,手前はさっぱり分かりません。

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12.出雲市構内風景
煉瓦積みの機関庫がいい感じだったの写真を撮りました。14系の「出雲」が昼寝しているので,出雲市でしょう。

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13.DD51+50系客車 場所不詳
この頃は雑型客車の末期で,一部の列車には50系客車が投入されていました。後ろの海と日御碕半島の感じから田儀駅でしょうか。

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14.こちらも煉瓦積み機関庫+DD51 場所不詳
2両のDD51が煉瓦積みの機関庫前で休む風景ですが,浜田でしょうか。この頃までは,蒸機時代からの古い機関庫が各地で現役で使われていて,よい雰囲気を出していました。

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15.山陰本線西部の普通列車 @江崎
ここは駅名標があるので江崎です。山陰本線のローカル列車ですが真ん中にはキハ30系が挟まってちぐはぐな編成です。

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16.東萩~小郡(現・新山口)間の「はぎ」号 @東萩 1985.7.29(以下,特記あるまで同じ)
国鉄バス防長線の「はぎ」号は当時はバス指定券の要る座席定員制でした。見ただけで乗っていませんが,1985年導入の最新の三菱エアロ(644-5型)です。

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17.東萩~防府間の普通便 @東萩
こちらは富士重工のペコちゃんの普通便のいすゞ車(531-7型)です。防長線の周防方は防府が起点でしたが,新幹線接続のため小郡発着便が増え,現在は新山口発着だけになっています。

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18.岩益線のローカルバス 場所不詳
こちらは鉄道の岩日線(現・錦川鉄道)のルートに並行して岩国~益田間を結んでいた岩益線のバスです。富士重工5Eのバスは当時としてはかなり新しい車だったはずです。

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19.岩益線の出合橋~錦町のローカルバス @錦町近く 1985.7.29
岩日線(現・錦川鉄道)は元々,岩国と日原(にっぱら)を結ぶつもりのネーミングで,陽陰連絡鉄道の一つであり,先行して国鉄バスの路線が開設されていました。元々,岩日線を名乗っていましたが,鉄道開通時に岩益線に改められました。

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20.岩日線の気動車 場所不詳(錦町?)と錦町駅の入場券
こちらは鉄道の岩日線の気動車です。現在,錦町駅には錦川鉄道の車両基地が設けられていますが,当時は棒線の終端駅で,随分趣が異なります。

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21.西岩国駅。左下はホーム側
西岩国は1929年(昭和4年)の岩徳線一部開業のときからの建物です。今(2022年)でもこの駅舎は現役ですが,岩国市の所有になりNPOが管理していて,駅業務は一時は無人化されましたが今は簡易委託になっているそうです。

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22.国鉄バス大島線 安下庄駅 1985.7.30(以下,特記あるまで同じ)
山陽本線の柳井の近くの大島(正式名は屋代島)にも国鉄バスの路線が通っていて,大島線といいました。この日は大島を国鉄バスで巡ります。

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23.大島線の中型バス(334型)
大島線では三菱の中型バス(334型)が主力のようです。真夏の瀬戸内ですが窓は全開。非冷房です。

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24.大島大橋を行く国鉄バス
(周防)大島と本土の間は全長1,020mの大島大橋が架かり,列車からもよく見えるので,1度渡ってみたいと思っていました。

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25.大島大橋の袂を行く山陽本線の列車
こちらは橋の上から見た山陽本線の列車です。両端のクハは転換クロスシートの新車の3000番台ですが,中間は湘南色の在来車です。

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26.大嶺駅風景 1985.7.31(以下,特記あるまで同じ)
この頃,山口県徳山市(現・周南市)に母の友人の家が住んでいて,ここを根城にしてあちこちに出歩きました。この日は美祢線のヒゲの大嶺を訪ねます。

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27.大嶺で折り返しを待つ気動車
大嶺は南大嶺から1駅だけヒゲになっていた所で,1日数本の気動車が通っていました。ホームの段差が大きく,職員のお手製のステップが何とものどかな雰囲気です。

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28.広島電鉄の電車。宮島線の3000形と単車の700形 1985.8.2
1日おいて,8月2日からは瀬戸内の私鉄に乗りながら帰途の旅です。8月2日は広島電鉄(広電)を巡ります。3000形は西鉄北九州市内線からの譲渡車,700形は広電の自社発注で712はこの年1985年の導入のようです。

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29.広島電鉄市内線の単行電車 1985.8.2
この350形も広電の自社発注車で1958年(昭和33年)の導入です。ちなみに上の2つ,この写真の350形とも今日(2022年)現在も稼働中だそうです。

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30.広島電鉄の一日乗車券
一日乗車券には,動く交通博物館のタイトルで稼働中の電車の写真がついていています。

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31.水島臨海鉄道の気動車と乗車券
水島臨海鉄道は地味な私鉄ですが,しっかり立ち寄って,三菱自工前までを往復します。気動車は元国鉄キハ10のキハ35形。きっぷが無傷のまま残っているのは,水島臨海は当時もおおらかで使用済券をくれた?運賃が安いので全線分のきっぷを記念に買った?どちらか分かりません。

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31.下津井電鉄の電車 1985.8.3(以下,全て同じ)
8月2日は倉敷に泊り,翌3日は下津井電鉄訪問です。下津井電鉄は瀬戸大橋の袂をナローゲージの電車がコトコト走る,おとぎの国のような鉄道です。瀬戸大橋開通後も頑張って走っていましたが,地方私鉄の旅客減には抗えず,1990年末に廃線になりました。

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32.下津井電鉄の1日乗車券
下津井電鉄の1日乗車券は珍しい円型のきっぷです。

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33.同和鉱業片上鉄道線柵原風景
この日の最後は同和鉱業片上鉄道線を訪ねます。山側の終点の柵原は津山から15kmくらいですが,バスの便も少なく,大人しく往復します。いかにも鉱業所という感じの佇まいです。

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34.同和鉱業キハ303
いかにも古そうな機械式の気動車で元・国鉄キハ41000,キハ04です。戦前の1932年(昭和7年)製のガソリンカーを戦後にディーゼルエンジンに換装したもので,1952年(昭和27年)に同和に来ました。

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35.同和鉱業キハ801
こちらは日車標準タイプの2扉ディーゼルカーでキハ801です。同じ同和鉱業の秋田の小坂鉄道線からやってきた気動車です。

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36.このときの周遊券
国鉄~JRの周遊券はオーダーメイドのことぶき(新婚旅行用で歓送用入場券付),一般と,レディメイドのワイド(末期にはニューワイドも),ミニのほかにルート周遊券がありました。ルート周遊券はとても一般的な周遊ルートを順番に巡るもので,旅行に必要な乗車券や社線の船車券がセットになったものです。僕は使う機会がなく,このとき1回,ルート802「長門路,宮島」を使っただけです。元々,ワイド周遊券に「山陰」はありましたが「山陽」はなく,このルート周遊券の長門路の部分が山口県内の国鉄・バスのほか岩国市営と防長交通のバスが自由乗降でき,今回の旅行にはちょうどよかったのです。なお,7月27日の青春18きっぷも残っており,青茶乗車と餘部鉄橋訪問のため,ルート逆行と復乗分に使ったようです。(2022.5.5記)

20世紀の鉄道写真(24)--1985年(昭和60年)の写真その1・正月北海道旅行

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 20世紀の鉄道写真,今日は1985年(昭和60年)の正月に行った北海道旅行の写真をアップします。冬の北海道旅行は思い出(思い入れ?)も多く,少々文章が多めですがお付合いください。僕はこの年,サラリーマン1年生で,年末は会社のカレンダーどおり12月28日(金)まで勤務,仕事始めはカレンダーの並びがよく1月7日(月)でしたが,この間に7泊8日の北海道旅行に行きました。

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1.出発は特急「ふるさと」 1984.12.29

 出発は583系使用の臨時の「ふるさと」です。当時の行程表によれば列車番号が9021Mなので多分特急,上野発10:44,青森着19:38のスジで東北新幹線開業後の東北本線を白昼堂々と走っていました。

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2.青函連絡船船長サインカード

 北海道へは青森発19:50の青函連絡船9便です。この頃,連絡船の案内窓口にお願いすると記念に船長サインカードをもらえました。9便は函館発の夜行列車に接続し,貧乏旅行には便利ですが,一般には中途半端な時間で比較的空いていたと思います。

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3.石勝線楓駅 1984.12.30

 石勝線開業前の夕張線登川支線には楓,登川の2駅がありました。石勝線開業と同時に登川支線は廃止になりましたが,楓駅は多少場所が変わり石勝線に引継がれました。この楓駅(3代目)も2004年3月のダイヤ改正で旅客営業を廃止し,信号場になっています。

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4.三菱大夕張鉄道の貨物列車 @南大夕張 1984.12.30

 三菱石炭鉱業大夕張鉄道線はこの当時は夕張線に接続する清水沢~南大夕張間7.6kmが残っていて,ディーゼル機関車が時代がかった客車を牽いてコトコト走っていました。大夕張鉄道のダイヤは車両基地がある南大夕張がベースで,とても乗りづらかったです。南大夕張駅近くの南部という停留所からバスで清水沢に戻ってきました。

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5.三菱大夕張鉄道の客車内のストーブ 1984.12.30

 大夕張鉄道線のディーゼル機関車にはSGなどはなく,客車の暖房はだるまストーブでした。この鉄道の旅客営業は鉱山会社の福利厚生のようなもので,運賃はとても安かったです。別の機会ですが同行の友人は調子に乗って回数券を買うほどの値段でした。

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6.急行「大雪6号」。この頃は14系寝台+座席車の編成で運転 @札幌 1985.1.2(きっぷは12.30発のもの)

 この日はこの後,「おおぞら」で池田に出て,池北線を下り,置戸から留辺蕊の間をバスで繋いで,網走へ下りました。前夜の「すずらん59号」に続き,「大雪6号」に泊まり,夜行2連泊の強行軍でした。きっぷが駒込駅発行ですが,この当時,駒込は山手線内では数少ないマルス端末未導入駅で,わざわざ硬券の寝台券を買いに行ったものです。

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7.急行「狩勝1号」 @新得 1985.1.2

 大晦日は夜行の「大雪6号」で札幌に到着後,「狩勝1号」で釧路まで一気に下りました。「狩勝1号」は札幌(7:05)から釧路(13:42)まで滝川経由で6時間37分かかっていました。

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8.狩勝峠を行く「おおぞら」 @新得~トマム 1984.12.31
 
 順番が前後しますが狩勝峠で交換した「おおぞら」です。この当時は183系は未だ新鋭でした。新狩勝トンネルの東口から新得駅までの間には新狩勝,広内,西新得と3つの信号場があり,そのどこかです。先日も狩勝峠を列車で越えましたが,この辺の大自然の景色は40年経っても変わりません。

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9.釧網本線の普通列車と塘路発のきっぷ @塘路 1984.12.31

 釧路到着後は釧網本線の普通列車で網走まで下り--この列車も4時間16分の長丁場--,更に少し上って北見に泊まり,年越しは北見の東急インでした。大晦日の宵の釧網本線はガラガラで,ちょっとしたことから車掌さんと話が弾み,最後部の乗務員室で過ごさせていただきました。鈍行には珍しく,白いダブルの制服で「おおぞら」に乗っていそうな車掌長だったと記憶します。

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10.渚滑線を行くキハ40と北見滝ノ上駅の入場券 @北見滝ノ上 1985.1.1

 1985年元旦は渚滑線訪問です。当時は国鉄再建法が成立し,赤字ローカル線が続々廃止される直前の時期です。渚滑線は盲腸線のため廃止が早く,この年1985年3月末で廃止になりました。北見滝ノ上駅の入場券は1985年の元旦発行で券番1985!わが家の家宝です。

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11.網走~函館を走っていた「おおとり」 1985.1.1

 183系の増備が進められ,キハ82は少数派となっていましたが,「おおとり」は網走~函館(室蘭本線経由)をロングランしていました。北見~上川間2時間26分の間に食堂車に行って,ニシンの焼き魚定食を食べました。撮影場所不詳ですが,駅の雰囲気は遠軽でしょうか。

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12.道北バス「オホーツク」号 @滝上 1985.1.1

 この当時,都市間バスというジャンルのバスが走り始め,旭川~紋別間の「オホーツク」号はその嚆矢に近い路線だったと思います。車両は観光タイプの日野スケルトンバスを使用していました。北見から北見滝ノ上への移動は上川からバスで浮島峠を越えて北見滝ノ上(バス停は滝上)に入りました。

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13.急行「大雪6号」。この旅行では2回この列車に泊まった @札幌 1985.1.2

 渚滑線に乗った後は,名寄本線を開盛まで上り,湧網線経由で網走に出て,この旅行2回目の「大雪6号」です。就職して小金を持つようになり,2泊ともハネ利用です。

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14.万字線万字炭山駅風景 1985.1.2

 明くる1月2日はここもこの年の3月末限りだった万字線を訪れました。万字線は万字炭山からの運炭路線でしたが,途中に上志文スキー場があったり,雪深いローカル線然とした雰囲気で好きな路線でした。そんなこともあり,周遊券を持っていたのに全線分のきっぷを買っています。

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15.北海道のローカル線風景 1985.1

 記録ではこの後またまた釧路に下り,根室や中標津を巡ったことになっています。いささかお疲れモードだったのか,あまり写真が残っていません。少ない写真の中から,いかにも北海道のローカル線らしい写真があったので,これを選びました。この旅行中に撮ったものは違いないですが,どこの駅でしょうか。

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16.函館本線をゆくキハ82の特急「北海」 @大沼(?) 1985.1.4

 1月4日には道南に戻り,大沼あたりで写真を撮った後,離道しました。上の写真ととびらの写真は同じ列車で,駒ケ岳の感じから大沼あたりで撮ったもののようです。

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17.奥羽本線の普通列車 @大沢 1985.1.5

 この年の正月休みは長かったので,内地(本州のことを北海道の人はそう呼んだ)に戻った後は奥羽本線に寄って,大好きだった板谷峠で写真を撮りました。その中からの1枚で,大沢駅風景です。まだ50系客車が投入される前で,重連の赤い電気機関車が雑型客車4,5両を牽いています。この後も雪の板谷峠は何度も行っていますが,この年は雪が多かったようです。

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18.ED78+12系の急行列車 @関根(?) 1985.1.5

 正月の多客期の臨時の「ざおう」ではないでしょうか。少々ブレ気味で残念な1枚ですが,お赦しください。

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19.このときの車内券

 赤岩,板谷,峠,大沢は奥羽本線の4駅連続スイッチバックでしたが,あちこち巡って,最後は赤岩から帰ったようです。赤岩には鉱山があって積込みのための設備もありましたが,今は駅が廃止になってしまいました。

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20.東北本線の普通列車 @福島(?) 1985.1.5

 福島に戻れば東北本線もED75が牽く青茶(スハ43などの雑型客車)が健在です。写真の列車は10両も繋いでいて,身軽な2両または4両の電車が走る今では考えられない長大編成です。

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21.郡山に並ぶED77とED75の牽く客車列車 1985.1.5

 上の客車列車で東北本線を上り,郡山に着けば,磐越西線の50系客車と並びます。磐越西線には既に50系が投入されていました。

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22.このときの周遊券

 この年から学割の「学41」はなくなりましたが,相変わらず冬季割引き2割引きは有効で,北海道内の特急自由席フリー20日間に急行で都区内往復がついて28,000円でした。また,就職しても下車印集めは健在で,滞在日数の割には多くの下車印をもらいました。(2022.3.19記)

20世紀の鉄道写真(23)--1984年(昭和59年)の写真その3・小旅行や近場の話題

 20世紀の鉄道写真,1984年の3回目はこの年に行った小旅行や,自宅の近所で撮ったバスの写真をお送りします。僕はこの年の春に大学を卒業し,輸送用機器メーカーに就職しました。卒業前に行った各旅行と夏休みの東北旅行は21と22でアップ済なので,今回はそれらの残りで少々小粒な話題が多いですがお付き合いください。

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1.箱根登山鉄道モハ3 1984.3
大学の部活動の卒業合宿で行った箱根の途中で撮った箱根登山の電車です。115は翌年の1985年に廃車になりました。

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2.埼玉新交通ニューシャトルと丸山駅の時刻表 1984.2頃
東北・上越新幹線の沿線見返りとして建設されたニューシャトルの開業は1983年12月22日でしたが,1984年に乗りに行きました。たまたま結節点の丸山駅の時刻表の写真を撮りましたが,これらの掲示類は手書きで制作されていました。

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3.埼玉新交通ニューシャトルの開業記念乗車証(1983年)
沿線の住民に配布された試乗記念証と乗車券のセット。宮原付近に住んでいた友人からもらったものと思います。

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4.相模線西寒川 1984.2
1984年3月31日限りで廃止になった相模線寒川支線の西寒川です。この日は湘南でも雪が降っていました。

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5.小湊鉄道の気動車 1984.3.28
就職を間近に控えた3月下旬に鉄道研究会の友人と千葉・茨城方面の私鉄に乗りに出かけました。3月下旬だというのに雪が降っています。車号が読み取れませんが,小湊の気動車は日車標準タイプといわれる気動車が今も残っており驚きです。

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6.銚子電鉄の電車 1984.3.38
小湊鉄道に続いて乗ったのは銚子電鉄です。荒涼としたキャベツ畑の中を走る雰囲気は今も昔も変わりません。

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7.鹿島鉄道の気動車 1984.3.29
翌29日は鹿島鉄道に乗っていますが,この春休みは遊び過ぎで,ここで熱を出してダウン,筑波鉄道や茨城交通は諦めて家に帰りました。人生60年近くになりますが,旅行を中止して帰ったのはこの時が最初で最後です。

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8.上毛電鉄の電車 1984.4.28
4月に就職し,最初のゴールデンウィークは工場実習の寮を起点に群馬の私鉄を日帰りで訪ねました。上毛電鉄は今は元京王井の頭線の3000系に形式統一されていますが,この頃は時代がかった味のある電車が多数走っていました。

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9.上毛電鉄の電車をもう一つと西桐生駅 1984.4.28
これは西桐生で撮った上毛電鉄の電車です。西桐生の駅舎は40年近く経った今も変わっていません。

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10.上毛電鉄の荷物電車デハ101 1984.4.28
上毛電鉄の荷物電車デハ101は1928年(昭和3年)の創業時からの電車で,なんと今でもイベント用として残っているのは驚きです。下のきっぷは帰りのきっぷで,東武の業平橋で途中下車するのに大変苦労しました。僕の規則趣味にも大きな影響を残したきっぷです。

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11.東京都港湾局専用線の貨物列車 1984.5頃
越中島貨物駅から豊洲石炭埠頭,晴海埠頭へは東京都港湾局の専用線があり,1日数往復の貨物列車が走っていました。ここは今,芝浦工大のキャンパスがあるあたりで,豊洲石炭埠頭へ行く深川線から晴海線を分岐する0キロポストが建っています。

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12.豊洲の造船所前を行く都営バス 1894.5頃
ここは最近,発展著しい豊洲地区,今,IHI本社ビルが建っているあたりです。上の晴海埠頭へゆく専用線が晴海通りと交差していて,大きな踏切がありました。

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13.東京駅18系統新佃島ゆき 1984.4
東京駅18系統はこの年の4月29日から有明テニスの森ゆきになったので,新佃島ゆきの最後を撮ったものです。富士重工3Eのペコちゃんバスですが,レジが1700チョッキリでお気に入りの1台でした。

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14.東急の環七バス @駒沢営業所 1984.2.15
今,環七バスといえば王子78系統王子駅~新宿駅西口線ですが,1984年までは新宿駅西口から大森駅(操車場)までの新宿91系統もありました。この路線は都営/東急の共同運行でしたが,1984年に系統が分割され北側の新宿駅西口~野沢銀座が都営バス,南側の新代田駅~大森駅が東急の単独運行になりました。上は移行前日に旧の宿91と新の森91が並んだ珍しい風景です。東急の3Eには運転室屋根上に超特大のルーバーがついていました。

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15.東急バス駒沢営業所風景 1984.2.15
上で宿91系統の分割について書きましたが,今まさに新代田駅~新宿駅西口を消しているところです。

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16.東急バス東京駅82系統 @東京駅八重洲口 1984.2.15
この日は東急バスの路線網に大鉈(なた)が振るわれた日で,東急バスが都心に乗り入れていた東京駅82系統もこの日限りでした。バスは当時としては新鋭の富士重工5Eです。

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17.都営バス東京駅82系統 @等々力 1984.2.15
東京駅82系統ですがこちらは都営バス便です。

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18.等々力操車場風景 1984.2.15
この日まで等々力~東京駅間には渋谷・玉川通り・新橋経由の東京駅82系統と目黒・目黒通り・祝田通り経由東京駅98系統の2系統が走っていました。僕は後者のバスで柿の木坂~三田を通っていたので,懐かしいバスたちです。

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19.東急バス東京駅98系統 @慶応大学東門 1984.2
通学でお世話になった98系統のほうのバスです。東京駅98系統は2013年に都営バスが撤退し,今でも東急単独で都心へ乗り入れる珍しい系統です。この年は雪が多く東京都心でも5cm以上積もっているようです。

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20.東急バス渋谷22系統 @経堂 1984.2.15
最後にもう1枚,東急バスの名物路線を載せます。渋谷~経堂駅間の渋谷22系統は狭隘な商店街を走るので中型の日野レインボーで運転していましたが,商店街に来ると先導員がバリケードを外し,人払いをしながら運行していました。
(2022.1.2記)

20世紀の鉄道写真(22)--1984年(昭和59年)の写真/夏休み北東北旅行(三陸鉄道開業など)

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 20世紀の鉄道写真,22回からは就職後の写真になります。1984(昭和59)年,僕は就職しましたが,会社は製造業で夏と正月には長い連休があり,引続き鉄道旅行を楽しむことができました。一方,学生時代の友人とは休みを合わせることが難しくなり,一人旅が増えます。また,父は会社が繁多で長い休みはとれず,旅行好きの母を伴っての旅行も随分しました。母と一緒の旅行では列車に乗りっぱなしという訳にはゆきませんが,適宜観光地を訪れる機会も増えます。また,駅構内で少しの間写真を撮りにゆくときに荷物の番を頼んだり,夕食は当地のご馳走を食べたりなど,便利な点もありました。今回あげる北東北の旅行も母と一緒の旅行です。

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釜石線の急行「陸中3号」 1984.7.29

 1984(昭和59)年,国鉄の赤字ローカル線の廃止が盛んに議論されていた頃ですが,明るい話題として岩手県の盲腸ローカル線3線が未開通区間も開業のうえ第3セクターの三陸鉄道に転換されました。国鉄線全線完乗を果たしていた僕としては,世が世なら国鉄線の延伸だったはずのこれらの線は乗らねばなりません。という訳で,この年の夏休みの旅行は,三陸鉄道に決まりでした。

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三陸鉄道南リアス線の列車 1984.7.29

 出発は(1984年)7月29日,東北新幹線「やまびこ」です。当時,新花巻駅はなく,釜石線の急行「陸中」は北上乗換えです。釜石線の陸中大橋では行違いのための停車で,長く止まります。キハ58系の写真が残っていますが,真夏なのに窓は全開,東北地区には非冷房や冷房準備のキハ58系が多数残っていました。陸中大橋はオメガループで有名な駅ですが,交換した列車を入れて写真が撮れる,ゆったりした時間が流れています。

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岩手開発鉄道の食パン気動車,左は岩手開発鉄道のきっぷ @盛 1984.7.29

 釜石から盛は待望の新線,初乗り区間ですが,あまり印象に残っていません。鉄道公団製のモグラ鉄道でトンネルばかり,景色はロクに見えなかった印象でした。開業に合せて新調した気動車は非冷房,うだるような暑さでも長大トンネルのなかは気温が一定で,とても涼しかったのが思い出です。

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岩手開発鉄道の終点岩手石橋で 1984.7.29

 盛に着けば次は岩手開発鉄道に乗ります。岩手開発鉄道は現在は大船渡(長岩)鉱山で産出する石灰石をセメント工場のある赤崎へ運び出す貨物専業の鉄道ですが,1992年3月末までは旅客営業もしていました。たしか列車は1日4,5本しかなく,終点の岩手石橋を基点としているので恐ろしく乗りづらいダイヤでした。気動車は食パン顔の小ぶりなつくり,終点の岩手石橋はスイッチバックしてホームに入る,面白い私鉄でした。また,経営の主体は貨物なので,旅客運賃はとても安かったです。

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陸前高田駅前で 1984.7.30

 この頃僕は,地方私鉄と共に国鉄バスの路線巡りに励んでいて,この時は陸前高田から遠野への遠野線に乗りました。国道340号線を通って陸前高田~世田米~上有住~遠野を結ぶ路線で,陸前高田~世田米間は今は岩手県交通になっているようです。バスに隠れてよく見えませんが,陸前高田の駅舎はBRTになった今の陸前高田駅もその面影を残しています。

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遠野駅 1984.7.30

 遠野は遠野物語で有名な民話の町ですが,博物館などを見学し,前日と同じ「陸中3号」で宮古に下ります。この日も陸中大橋で釜石線のオメガループを行く列車の写真を撮ります。下の写真は今日のとびらの写真と似ていますが,駅員さんの恰好が違うので,別のタイミングです。

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釜石線陸中大橋のオメガループを行く列車 1984.7.30

 急行「陸中」は釜石線の北上~釜石間の急行だったと記憶しますが,三陸鉄道開業に伴い臨時の「リアス号」として山田線に乗入れて宮古まで直通です。まだ陽もあるので,三陸鉄道北リアス線の旧宮古線区間だけ乗って,この日は田老泊まりです。

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臨時急行「リアス号」 @釜石 1984.7.30

 翌31日は待望の三陸鉄道北リアス線乗車を果たし,普代で折返して田野畑に戻り,国鉄バスで北山崎灯台や龍泉洞を巡ります。この界隈には鉄道開業前の交通を確保する目的の国鉄バス路線が張り巡らされていましたが,JRバスで今も残っているのは新幹線駅との接続をはかる平庭高原線,早坂高原線,二戸~久慈だけです。

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田野畑駅前の時計台前で 1984.7.31

 下は途中で見かけた陸中十文字ゆきの国鉄バスですが,局番531-4073から1984年導入の新車です。ピカピカの新車ですが,方向幕は小さい従来サイズ,非冷房という国鉄仕様です。

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国鉄バスの新車。いすゞ-富士重工の531型 @小本駅? 1984.7.31

 前日の遠野は36度,この日も暑い日でしたが,夏でも涼しい龍泉洞を見学し,早坂高原線のバスで盛岡に出ます。早坂高原線は岩手県交通と共同運行で,この便は県交便です。

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早坂高原線の岩手県交通のバス。こちらは川崎のボデー 1984.7.31

 盛岡で1泊し,3日がかりで三陸を巡ったので,今度は東北本線の西側,十和田湖方面を巡ります。国鉄バス十和田南線には東北新幹線と接続する盛岡直通便が何便かあり,このバスに乗ります。

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盛岡~十和田湖(休屋)間の高速バス 1984.8.1

 十和田南駅~十和田湖休屋~十和田湖子ノ口~八甲田山~青森駅の十和田南北線は観光路線で,この当時は座席定員制で運行していました。それでも当日券は発車の随分前に行かないととれないような大盛況でした。また,この十和田南北線の観光輸送は夏の時期だけなので,国鉄バスでは新車を先ずこの路線に投入し,秋になったら本来の配属地に転属させるなどということもあったそうです。

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十和田南営業所風景 1984.8.1

 この日は十和田湖や奥入瀬渓流などを観光し,蔦温泉に泊まります。蔦温泉は八甲田十和田ゴールドラインのなかの一軒宿で,中学の修学旅行や高校の研修旅行で昼ご飯を食べ,一度,泊まりたいと思っていたのです。翌2日は蔦温泉を10:08のバスで出て,青森到着後は弘前に出て弘南鉄道の2線に乗る計画をたてていました。ところがこの日は青森でねぶた祭りで,八甲田山から青森への国道が大渋滞,バスは1時間くらいのべた遅れです。

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国鉄バス十和田湖駅 1984.8.1

 夜のねぶた巡行まで時間があるので,八戸近くの陸奥市川まで客車鈍行で往復して時間をつぶします。この頃の東北本線北部は基本的にED75牽引の雑型客車で,往復約4時間の客車鈍行の旅を楽しみます。

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東北本線233レ @陸奥市川 1984.8.2

 野辺地では防雪林を背に南部縦貫鉄道のレールバスが見えます。記録によれば,この日は陸奥市川を往復しただけで,南部縦貫に乗る時間はありません。

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南部縦貫鉄道のレールバス @野辺地 1984.8.2

 青森に戻れば,東北・夏の4大祭りの一つのねぶた祭りを見物します。ねぶたはこの6年前にも見ていますが,4大祭りに相応しい勇壮かつ盛大なお祭りで,また機会があれば見に行きたいと思います。

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ねぶた祭 1984.8.2

 ねぶたを見て駅前に戻れば,懐かしい青森駅の表玄関風景です。中学校の修学旅行以来,何度も見てきた風景ですが,最近建替え工事も竣工したそうなので,景色も変わったことでしょう。

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青森駅夜景 1984.8.2

 翌3日は平泉で中尊寺を見学しながら,帰京です。平泉をはさむ盛岡~平泉,平泉~一ノ関もしっかり客車鈍行利用です。平泉では東北本線の列車の写真撮りもしたいところですが,今回は同行者がいるので,大人しく中尊寺,毛越寺を見学します。

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このときのきっぷ。東北周遊券ですが下車印もなくきれい

 5泊6日の旅行から写真を選択しましたが,こうしてみると第3セクターや私鉄とバスばかりです。今後しばらくはこのような写真が多くなりますが,引続き30~40年前の鉄道スナップをお楽しみください。(2021.9.12記)

関連記事:最近の三陸海岸,陸前高田,釜石線の記事(2019.7.13訪問)

20世紀の鉄道写真(21)--1984年(昭和59年)の写真/春休み卒業旅行

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 20世紀の鉄道写真,この21回からは1984年の写真をお届けします。この年,僕は大学を卒業,さる製造業の会社に就職しました。この頃,日本経済は戦後の高度成長とバブル経済の端境の安定成長期で,大学の卒業ともなれば,親の脛かじり,自分でアルバイトで貯めたお金で海外へ卒業旅行に行く同級生が多かったです。そんななか天邪鬼(あまのじゃく)の僕は,まだ国内にも行ったことのない魅力的な場所があると,2月から3月は精力的に旅行しまくりました。
 
 2月中旬には青春18きっぷを使って近畿地方の私鉄に乗りに行っています。なぜそんな所に行ったのか思い出せないのですが,既に当時の国鉄線は全線乗っていたので私鉄を攻めたかったのと,加悦鉄道の廃止の噂でも聞いたのかもしれません。加悦鉄道は宮津線の丹後山田(現・京都丹後鉄道宮豊線の与謝野)駅から南方向へ5.7kmの小私鉄でした。地元産のちりめん輸送がルーツですが,大江鉱山のニッケル鉱輸送で栄え,日本冶金グループの会社(社章も日本冶金と同じ)でした。その他,近畿から中国を巡る4日の旅でした。

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1.加悦鉄道キハ51 1984.2.21
加悦鉄道はこの時既に鉄道輸送の終末期で日中はバス便が多く走っていました。終点加悦はSL広場のタイトルで多数の車両を展示していました。この気動車も日本の初期の気動車のひとつです。

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2.加悦鉄道2号機関車 1984.2.21
加悦鉄道創業期の蒸気機関車のようです。1873(明治6)年,イギリスのRobert Stephenson社製で,官営鉄道の大阪~神戸間で使用され,簸上鉄道(ひかみ,現JR木次線)を経て,1926(大正15)年に加悦鉄道入りしたそうです。2005年には国指定重要文化財の指定も受けています。

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3.SL広場の保存車たち 1984.2.21,右下は加悦駅の入場券
左のラッセルはキ165の車号が読取れ,国鉄福知山局にいた車両のようです。右のSLは1261号ですが,真ん中は読めません。加悦駅の入場券は見学料込みで300円の値付けでした。加悦鉄道終業後も加悦SL広場として営業していましたが,残念なことに2020年3月末で閉園してしまいました。ここにもコロナ禍の影響があるようです。加悦SL広場閉園後,展示車両たちはゆかりの土地への里帰り譲渡が決まったものも多いですが,譲渡先が決まらないものも1/3くらいあるようです。

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4.加悦鉄道キハ08-3 1984.2.21
旧国鉄の客車改造気動車の1両の譲渡を受け,加悦鉄道で活躍していました。食パン顔の車両好きには嬉しい1両です。

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5.加悦駅 1984.2.21
加悦駅の駅舎は1926年(大正15年)築で雪の街にあったモダンな建物でした。今は町の中心部に移築され,加悦鉄道資料館として残っています。

 加悦鉄道の翌日は中国山地の中央部が一度は乗っていますが夜行明けでよく覚えていなかったので,そのあたりの復習に行きました。また,木次線と三江線にも乗ったようですが,写真はあまり残っていません。帰りは,代行バス好きだったので福塩線の代行バスに乗り,上りの夜行鈍行「山陰」に泊まった後,近江鉄道や近鉄を巡ったようです。

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6.福塩線の列車代行バス @河佐? 1984.2.23
後ろに河佐峡の広告塔があるので河佐駅でしょうか。ここは広島県ですが,島根ナンバーのバスが応援に来ていました。

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7.中国バス呉ヶ峠(くれがたお)車庫 1984.2.23
バスの方向幕からは「東城」(芸備線)や「上下」(福塩線)が読取れますが,この2駅間を結ぶ路線があり,途中は帝釈峡の景色がきれいでした。

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8.近江鉄道505 場所不詳 1984.2.24
このモハ505は1981年に旧型車の機器,台車を利用して,自社で車体を新製した車両でこの当時では新鋭でした。

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9.近鉄伊賀線5001 @伊賀上野? 1984.2.24
近鉄もローカル線ではこんなシル・ヘッダー付の電車が走っていました。この伊賀線も下の養老線も今は近鉄から切り離されて,今は伊賀鉄道,養老鉄道です。

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10.近鉄養老線6575 @西大垣 1984.2.24
こちらは養老線の電車。元の名古屋線用特急車を3扉セミクロスシート化改造した電車だそうです。

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11.この時の青春18きっぷ。
1984年当時は1日券4枚,2日券1枚の構成で6日間使えて10,000円でした。

 2月末には高校の鉄道研究会の同期5人で南東北の温泉にも行きました。といっても「乗り鉄」仲間なので,日中線,会津線,只見線を訪れています。

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12.この日の会津地方は大雪でした 1984.2.27
どこの駅で撮ったものか分かりませんが,この日は吹雪であちこちで列車が運休になっていました

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13.雪の中をED77牽引の客車列車がやってきた 1984.2.27

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14.只見線のキハ58。雰囲気は会津川口ですが正確なところは分かりません 1984.2.27

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15.雪だるま状態で上野へ上る165系の急行「佐渡6号」 @大宮 1984.2.27
このとき既に上越新幹線は開業していましたが,「佐渡」は165系の急行のまま残っていました。

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16.この時のきっぷ。福島・会津磐梯ミニ周遊券
ミニ周遊券は自由乗降エリアが小さい均一乗車券で,こんな旅行には重宝しました。一般にミニ周遊券と案内されていましたが,券面タイトルにはミニの字はありません。右は日中線のきっぷ。周遊券で行けましたが記念のために買ったもので,こんな近距離でも常備券がなく手作りなのはお客さんが少ない証左です。

 3月になってからは3月5日の夜行の「八甲田」で発って,メインイベントの北東北,北海道旅行です。東北地方の中小私鉄と,北海道には私鉄は少ないので,それまでに行った中で再度訪れたいと思ったところを中心に巡りました。

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17.最初に行ったのは五能線 @鯵ヶ沢 1984.3.6

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18.同和鉱業小坂駅の保存車 1984.3.6
この保存車両は小坂駅が小坂レールパークなった今も残っているようです。小坂レールパークは「あけぼの」などに運用されていた寝台車を購入したり,盛っているようなので訪れてみたいです。

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19.同和鉱業小坂鉄道線の気動車 @小坂 1984.3.6
同和鉱業は大館から小坂と花岡の鉱山へ2本の鉄道を延ばしていて,記録によれば,このときに両方乗ったようです。

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20.花輪線十和田南駅風景 1984.3.6
十和田南駅は十和田湖への南の玄関口として盛っていました。左のキハ58は「急行」表示なので「よねしろ」のようです。

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21.南部縦貫鉄道七戸駅風景 1984.3.8
3月7日は十和田湖を訪れ,翌3月8日は南部縦貫鉄道と十和田観光電鉄に乗りました。両線の終点の七戸~十和田市は国道4号線を通るバス便がありましたが,当時は時刻表の情報がなく苦労して乗ったと思います。

 周遊券(当時は自由乗降区間内は特急自由席が使えるようになっていた)なので「はつかり」,「たざわ」,「鳥海」,「白鳥」を乗継いで三沢から盛岡,秋田を一回りし,青函連絡船の夜行便で北海道入りです。北海道では記録によれば,根室~ノサップ岬,根室標津,三菱大夕張鉄道,富内線日高町などを巡ったようですが写真がありません。この頃はサブカメラとしてCanonのハーフサイズのデミも使っていましたが,ハーフだからといってネガをなくしたか,写真を撮るとその画像が独り歩きしてその場所のイメージになってしまうので,脳みそに焼き付けるんだと生意気なことを言って,写真を撮るのを控えたかです。どちらにしても今となっては,残念なことです。

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22.国鉄バス日勝本線のバス 幌満あたりか 1984.3.12
襟裳岬を巡る国道336号線は岩壁の切り立った海岸に道路を作ったので,お金を敷き詰めるくらいの建設費だったことから黄金道路と呼ばれていました。日高耶馬渓の近く,幌満という停留所でした。今では日に2,3便ですが,当時はバスを捨てて写真を撮る気になる程度の本数が走っていました。

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23.日高本線東町駅で 1984.3.12
日高本線は太平洋の海岸線に沿って海の車窓がきれいでした。災害には弱く,2015年の高波で不通になったまま,2021年3月末で鵡川以南が廃止されてしまいました。

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24.日高本線の急行「えりも」 @本桐 1984.3.12
通票閉塞区間では運転士が2人乗務し,走ったままタブレットを授受していました。

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25.興浜南線栄丘での1枚 1984.3.13
流氷の浮かぶ水平線から登る曙光。今もって生涯で最高の車窓と思っていますが絶景でした。既に全線乗ったことがある線区なので,栄丘という海岸の小さな駅に降りました。

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26.青函連絡船の着岸風景 @青森桟橋? 1984.3.13
青函連絡船はタグボートの力を借りて着岸していました。車両甲板のレールを陸上側の桟橋のレールに合わせるのは,高い操船技術が要ったようでした。たとえ冬場で寒くても,連絡船末期はこれを見るのも楽しみでした。

 北海道から内地に戻れば,また東北旅行の続きです。卒業旅行でお金もあったのか寝台特急利用で「はくつる」に乗り,翌朝は郡山からスタートです。仙台の北と南ですが,栗原電鉄と福島交通を訪れました。

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27.東北本線の普通列車 1984.3.14
記録によれば郡山から仙台は527レに乗ったようです。郡山~仙台通し運転,所要2時間55分でした。そしてびっくりするのがその編成で,赤い50系客車が少なくとも10両つながっています。

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28.栗原電鉄の終点細倉駅 1984.3.14
真昼間の12:30過ぎだというのにえらく静かな雰囲気です。

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29.栗原電鉄の電車,M151 @細倉? 1984.3.14
ここも鉛,亜鉛,硫化鉄を産出する鉱山と共に歩んだ私鉄です。当時は意識していませんでしたが,この春は加悦,小坂・花岡,大夕張,細倉と鉱山巡りになっていました。ちなみに自分の父は非鉄金属を扱う商社マンだったので,同和鉱業などの社名は割と親近感がありました。

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30.栗原電鉄の貨物列車 撮影場所不詳 1984.3.14
この頃はまだ細倉鉱山が操業していて,こんな貨物も走っていました。

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31.福島交通飯坂線の電車,5114 1984.3.14
西武の赤電塗装をしていますが,福島交通の自社発注車です。この頃は中小の私鉄でも自社発注の電車を運用していて,それらを見るのも私鉄乗りつぶしの楽しみでした。今は地方の中小私鉄は自社発注車を発注できる体力もなく,大手私鉄の中古の運用が主体,また売るのが上手な事業者,譲受け側から見て使い勝手のよい車両は限られ,どこに行っても同じような電車が多いです。

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32.この時のきっぷ。千葉発の東北周遊券と青森発の北海道周遊券。東京発の東北周遊券の有効期間は10日間でしたが,千葉発は数百円の違いで14日間有効なので,きっぷを買いに千葉まで行きました。また,青森発の北海道周遊券なんていう商品もあり,冬季割引+学生割引でずいぶん安く買えました。(2021.7.11記)

20世紀の鉄道写真(20)--1983年(昭和58年)の写真--関連のきっぷ添え

 20世紀の鉄道写真,前3回は1983年(昭和58年)3月の四国,北海道,九州の旅行の写真をお届けしたので,この年の残りの写真です。僕はこの年,大学4年生で就職活動に忙しく,3月の3つ以外は大きな旅行はできなかったようです。今回は写真のほうは駄作ばかりなので,関連のきっぷを引っぱり出して添えました。ご笑覧ください。

 この年の正月,国鉄は「新幹線・新春初旅フリーきっぷ」という名で東海道・山陽新幹線1日乗り放題(11,000円)のきっぷを売りました。このきっぷを使って,九州に日帰りの旅行をしてきました。行ったところは福岡近郊区間の一回りですが,140円旅行では悪かろうと,わざわざ経路を指定してきっぷを買いました。

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1.場所が分かりません(雰囲気は直方駅のよう)が,1色塗りのキハ35から急行型,真ん中にはキハ66,67とすごい編成です 1983.1.2

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2.「新幹線・新春初旅フリーきっぷ」

 4月7日,烏山駅で国鉄全線完乗を達成しました。このブログの写真は原則,顔出しなしですが,これは特例,他に適切な写真がなかったのです。

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3.烏山で友人と全線完乗を祝う。右下はその時のきっぷですが,渋谷で途中下車するために山手線内でない大井町発にしています 1983.4.7

 その他4月には青梅線, 五日市線方面に小旅行に行っています。

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4.青梅線には以前のED16に代わりEF64牽引の石灰石列車が走っていました @奥多摩? 1983.4.23

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5.新宿直通の行楽臨時列車,特別快速「みたけ」 @青梅 1983.4.24

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6.このときのきっぷ。昔の改札鋏は駅ごとに形(鋏痕)を変えていた

 高校の鉄道研究会の新入部員歓迎会はこの年の5月末で廃止になった東武妻沼線でした。OB参加の帰りは熊谷から秩父鉄道などを回って帰ってきました。

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7.妻沼駅の構内風景。まもなく廃止といっても,葬式鉄などはおらず至って平穏 1983.5.1

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8.高崎線で見かけた荷物列車。クモユ,クモニが一体何両繋がっているのでしょう 1983.5.1

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9.秩父鉄道の旧型電車。このときでも相当なオールドタイマー 1983.5.1

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10.東武東上線から直通の「みつみね」号。平日は1往復,土休日はもう少し多く走っていました 1983.5.1

 夏休みも高校の鉄道研究会の合宿に合流し,北陸に行っています。往きは上越線の海水浴臨「くじらなみ」利用,帰りはその年開業したばかりの中央本線塩嶺ルートの初乗りをしてきました。また,国鉄線完乗を果たしているので,短絡線の乗車にも力を注ぎました。

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11.今の「むさしの」号の始祖にあたる府中本町~大宮間の新幹線アクセス列車。西浦和~与野のの短絡線を走る 1983.7.28
 
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12.急行「つくばね」。間々田~小田林間に短絡線があり,小山を通らず大宮方面から結城方面に直通していた 1983.7.28

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13.上越線の海水浴臨「くじらなみ」。長距離の快速列車のBグリーンは乗り得はこの頃からやっていました @鯨波 1983.7.29

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14.京福電鉄(現・えちぜん鉄道)の電車。場所不詳 1983.7.31

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15.こちらは福井鉄道の電車 @武生新? 1983.7

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16.塩嶺トンネル開業直後の岡谷駅 1983.8.1

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17.長野電鉄須坂駅?の賑わい。東急5000系青ガエル改めの赤ガエルと自社発注のOSカー 1983.8.3

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18.「あずさ」もルート変更で所要時間が短縮されました @信濃境のよう 1983.8.1

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19.この時の周遊券と青春18きっぷ
(2021.2.14記)

20世紀の鉄道写真(19)--1983年(昭和58年)3月の九州旅行のスナップ

 20世紀の鉄道写真,今日は1983年(昭和58年)3月の九州旅行の写真をお届けします。僕はこの年,大学4年生で,5月の国鉄線全線完乗を前に春休みに四国,北海道,九州を精力的に旅行しました。九州は既に全線完乗していましたが,筑肥線の唐津市内の新ルート開業,福岡市営地下鉄との相互乗入れ開始のための訪問です。この時の往路は青春18きっぷで大垣夜行~ひたすら西下~寝台付き鈍行「ながさき」,復路も「ながさき」と「山陰」に連泊(もちろん座席車)という強行軍でした。青春18きっぷ利用の自由度を活かし,徳山,長崎の知人宅を泊まり歩いて,いろいろな所へ足を延ばしています。

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1.この日から運用を始めた103系1500番台車。103系のメカですがお顔は105系と同じ @西唐津 1983.3.22(下3枚も同じ)

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2.虹の松原で。景色がきれいかと思って降りたけど,写真はいまいちでした

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3.この日開業の和多田駅。「落成」という言い方が面白いです

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4.こちらは地下鉄の1000系。ワンマン運転も準備され,国鉄の103系が見劣りして見えました @姪浜

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5.筑肥線電化開業の記念入場券

 山口県の徳山市(現・周南市)に知人がいて,西日本の旅行ではいつも根城に使わせていただいていました。この旅も主目的の筑肥線の後は山口県でゆっくりしています。

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6.帰りに寄った美祢線。キユニやDD51+ホッパ車が健在でした @南大嶺 1983.3.22(下3枚も同じ)

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7.美祢線のヒゲの大嶺駅。低いホームに手製のステップが嬉しかったです

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8.大嶺駅の駅舎表側。山間のひっそりとした雰囲気がよかったです

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9.美祢線の石灰石列車。美祢線はこんな列車が頻繁に走っていました

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10.山陽本線でちょっと鉄ちゃんです。EF66が2軸の貨物を引いています @福川~防府あたり 1983.3.23頃(下2枚も同じ)

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11.115系3000番台が広島シティ電車としてデビューしたのはこの半年前の1982.11.15です

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12.一部の編成はクハのみ3000番台で冷房準備車,中間は丸ベンチの111系でした

 徳山でゆっくりした後は九州に戻って鹿児島交通を訪れています。この時すでに廃止説が囁かれていましたが,この年の6月の豪雨で一部区間が不通になり,復旧されることなく1984年3月に廃止されました。行っておいてよかったです。

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13.国鉄キハ07とよく似ているが1952年自社発注のキハ100形 @枕崎 1983.3.28(下3枚も同じ)

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14.南国情緒たっぷりの枕崎駅前の様子

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15.枕崎駅の構内。南国情緒というよりは時代がかった雰囲気でした

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16.構内には廃車になったSLがそのまま置いてありました

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17.この旅行の帰りにはSL「やまぐち」号にも乗っています 1983.3.31

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18.記録によれば米原(6:48)から富山(11:45)は339Mという1本の長距離鈍行でした 1983.4.1

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19.富山からはEF81牽引の客車列車で糸魚川へ。この機関車はのちにトワイライト塗色になりました 1983.4.1

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20.このときの青春18きっぷです。夜行列車から乗車の場合は車掌さんが使用日を手書きしていました
(2020.5.5記)

20世紀の鉄道写真(18)--1983年(昭和58年)2~3月の北海道旅行スナップ

 20世紀の鉄道写真,今日は1983年(昭和58年)2~3月の北海道旅行の写真をお届けします。僕はこの年,大学4年生で,5月の国鉄線全線完乗を前に春休みに四国,北海道,九州を精力的に旅行してしました。その2の北海道では,2年前の1981年3月に開業した石勝線に乗りに行きました。往復は往きに東北新幹線,帰りに上越新幹線の初乗りもしています。また,せっかくの北海道旅行,思い出深いあちこちの路線も再訪してきました。
 
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1.新幹線リレー号 @上野 1983.2.28。前年の1982年に開業した東北新幹線は大宮暫定開業で,上野~大宮間は185系の新幹線リレー号が繋いでいました。リレー号の185系ですが,白い車体に斜めストライプの踊り子号塗装は保守に手間がかかると組合がゴネたせいで,緑の帯だけの冴えない塗装でした

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2.南部縦貫鉄道のレールバス @野辺地 1983.2.28。このときは乗ったか,写真だけか憶えが定かでありません

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3.この頃は新鋭だった183系で運転の「おおぞら」 @追分 1983.3.1。この頃は函館~釧路通し運転の列車もあり,千歳空港(現・南千歳)~札幌間を小1時間かけて往復する,なんとも悠長な時代でした

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4.釧網本線の混合列車641レ 1983.3.2。さすがに1983年当時でも混合列車は珍しかったです

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5.国鉄バス厚岸線 @厚岸自動車営業所 1983.3.2。厚岸線は標茶~厚岸間をショートカットするバス路線でした

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6.こちらは根室本線末端の客車列車 @厚岸か 1983.3.2。機関車次位のオユ10-2500は本州から航送されてきた郵便車のようです

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7.これも根室本線の客車列車ですが釧路以西のようで,荷物車を多数つないだ堂々の編成 1983.3.3

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8.広尾線愛国駅 1983.3.3。列車が幾本もないので,ここで降りるのは少し度胸が要ります。この頃は列車の交換はなかったようですが,まだ委託の駅員さんのいる駅でした

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9.富内線の終点の日高町駅 1983.3.4。富内線は鵡川に沿って遡り始めますが,富内で直角に曲がって峠を越え,振内以東は沙流川に沿って日高町に通じていました。なぜか僕は富内線が好きで日高町にも何度も足を運んでいますが,廃止は早く1986年でした。

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10.興浜南線の終点の雄武駅で 1983.3.5。シリーズその7でも似たような写真を載せていますが,この年は気動車がキハ40になっていました

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11.名寄本線のどこかだと思います 1983.3.5。キハ40の最初の1ロットは他と異なり窓配置が整っているのが特徴です

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12.後ろのとんがった山がきれいです。渚滑線の北見滝ノ上?,それとも名寄本線の一の橋?どこでしょう 1983.3.5

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13.名寄本線一の橋で 1983.3.5。駅名標があるのでこれは確かです

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14.深名線で 1983.3.5。蕗の台と隣の白樺は雪が深いため冬季は休業していました。多数あるキハ22の1番にあたりました

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15.帰りに寄った津軽鉄道のストーブ列車。この頃は電車改造の客車でした @五所川原 1983.3.6

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16.津軽鉄道に続き五能線も乗っています。五能線の客車列車はオハユニ61つきで6両も繋いでいました 1983.3.6

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17.深浦での1コマ。宅配便などなく手小荷物を駅員さんがリヤカーで運んでいました 1983.3.6

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18.東能代から乗った「いなほ」は北海道から渡ってきた1500番台車でした @東能代 1983.3.6

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19.この時の周遊券。学生割引き(2割)+冬季割引き(2割)で随分安かったです

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20.東北・上越新幹線初乗り時の特急券。一筋縄ではゆかないきっぷばかりです。おまけ:周遊券の経路からはみ出した五能線は連絡船発行の出札補充券
(2020.5.5記,2021.2.14きっぷ画像追加)

20世紀の鉄道写真(17)--1983年(昭和58年)2月の四国旅行スナップ

 20世紀の鉄道写真,今日は1983年(昭和58年)2月の四国旅行の写真をお届けします。僕はこの年,大学4年生で,5月の国鉄線全線完乗を前に春休みに四国,北海道,九州を精力的に旅行しました。四国の国鉄線は高校生の時に阿波池田より北東側の1/4,前年に廃止になった仁堀航路に行っただけで未踏の地でした。この旅行で残りを一気に片付け,全島の国鉄線を完乗しました。

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1.往路の名古屋までは東名高速線を利用。748型は下の14.の641型より窓1つ長い国鉄専用形式でした 1983.2.11

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2.この頃の四国の急行列車は愛称の丸いマークを掲げて走っていました。急行「うわじま」 1983.2.12

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3.予讃本線の貨物列車です。セキ1両にワム4両の身軽な解結列車をDE10が牽いていました @伊予石城 1983.2.12

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4.伊予吉田駅で見かけた手小荷物の発送案内。国鉄時代でもこんな遊び心はありました 1983.2.12

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5.ヘッドマーク付急行,こちらは土讃本線の「あしずり」 @中村 1983.2.12

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6.中村の駅前風景ですが,このキャブオーバー型のバスは相当な年代物 1983.2.12

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7.この時期,第1世代のディーゼル機関車DF50がまだ走っていました 1983.2.13

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8.阿波池田で折返しを待つ徳島本線の急行「よしの川」。ローカルなホームに発車案内が妙に立派です 1983.2.13

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9.土讃本線には高松~高知間に雑型客車の長距離鈍行(226レ)が走っていました。SGの湯気に惚れ惚れです。 1983.2.13

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10.四国島内の特急は181系の天下。「南風」 @箸蔵 1983.2.13

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11.スイッチバックの駅で急行と交換です。駅の様子から坪尻のよう 1983.2.13

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12.牟岐線の終点海部駅の近くには長さ44mの短いトンネルがあります。最近の写真を見るとトンネルの上に木が茂っているようです 1983.2.14

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13.中田(ちゅうでん)からは和歌山へのフェリーが出る小松島港に向けて小松島線が延びていました @小松島港(臨) 1983.2.14

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14.松山高知急行線の国鉄バス。「なんごく号」の愛称がつき定員制で運転されていました @引地橋 1983.2.15

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15.高松で見かけた荷物列車。キユ,キニで編成されていますが,真ん中はキハ20のようです 1983.2.16

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16.帰りは宇高航路の急行便,ホバークラフトに乗りました 1983.2.16

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17.このときの周遊券です。東名高速線のほか片道だけ関西汽船の小豆島航路(小豆島での途中下船も可)も使えました
(2020.5.5記)

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