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2021-05

20世紀の鉄道写真(19)--1983年(昭和58年)3月の九州旅行のスナップ

 20世紀の鉄道写真,今日は1983年(昭和58年)3月の九州旅行の写真をお届けします。僕はこの年,大学4年生で,5月の国鉄線全線完乗を前に春休みに四国,北海道,九州を精力的に旅行しました。九州は既に全線完乗していましたが,筑肥線の唐津市内の新ルート開業,福岡市営地下鉄との相互乗入れ開始のための訪問です。この時の往路は青春18きっぷで大垣夜行~ひたすら西下~寝台付き鈍行「ながさき」,復路も「ながさき」と「山陰」に連泊(もちろん座席車)という強行軍でした。青春18きっぷ利用の自由度を活かし,徳山,長崎の知人宅を泊まり歩いて,いろいろな所へ足を延ばしています。

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1.この日から運用を始めた103系1500番台車。103系のメカですがお顔は105系と同じ @西唐津 1983.3.22(下3枚も同じ)

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2.虹の松原で。景色がきれいかと思って降りたけど,写真はいまいちでした

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3.この日開業の和多田駅。「落成」という言い方が面白いです

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4.こちらは地下鉄の1000系。ワンマン運転も準備され,国鉄の103系が見劣りして見えました @姪浜

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5.筑肥線電化開業の記念入場券

 山口県の徳山市(現・周南市)に知人がいて,西日本の旅行ではいつも根城に使わせていただいていました。この旅も主目的の筑肥線の後は山口県でゆっくりしています。

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6.帰りに寄った美祢線。キユニやDD51+ホッパ車が健在でした @南大嶺 1983.3.22(下3枚も同じ)

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7.美祢線のヒゲの大嶺駅。低いホームに手製のステップが嬉しかったです

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8.大嶺駅の駅舎表側。山間のひっそりとした雰囲気がよかったです

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9.美祢線の石灰石列車。美祢線はこんな列車が頻繁に走っていました

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10.山陽本線でちょっと鉄ちゃんです。EF66が2軸の貨物を引いています @福川~防府あたり 1983.3.23頃(下2枚も同じ)

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11.115系3000番台が広島シティ電車としてデビューしたのはこの半年前の1982.11.15です

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12.一部の編成はクハのみ3000番台で冷房準備車,中間は丸ベンチの111系でした

 徳山でゆっくりした後は九州に戻って鹿児島交通を訪れています。この時すでに廃止説が囁かれていましたが,この年の6月の豪雨で一部区間が不通になり,復旧されることなく1984年3月に廃止されました。行っておいてよかったです。

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13.国鉄キハ07とよく似ているが1952年自社発注のキハ100形 @枕崎 1983.3.28(下3枚も同じ)

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14.南国情緒たっぷりの枕崎駅前の様子

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15.枕崎駅の構内。南国情緒というよりは時代がかった雰囲気でした

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16.構内には廃車になったSLがそのまま置いてありました

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17.この旅行の帰りにはSL「やまぐち」号にも乗っています 1983.3.31

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18.記録によれば米原(6:48)から富山(11:45)は339Mという1本の長距離鈍行でした 1983.4.1

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19.富山からはEF81牽引の客車列車で糸魚川へ。この機関車はのちにトワイライト塗色になりました 1983.4.1

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20.このときの青春18きっぷです。夜行列車から乗車の場合は車掌さんが使用日を手書きしていました
(2020.5.5記)
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20世紀の鉄道写真(18)--1983年(昭和58年)2~3月の北海道旅行スナップ

 20世紀の鉄道写真,今日は1983年(昭和58年)2~3月の北海道旅行の写真をお届けします。僕はこの年,大学4年生で,5月の国鉄線全線完乗を前に春休みに四国,北海道,九州を精力的に旅行してしました。その2の北海道では,2年前の1981年3月に開業した石勝線に乗りに行きました。往復は往きに東北新幹線,帰りに上越新幹線の初乗りもしています。また,せっかくの北海道旅行,思い出深いあちこちの路線も再訪してきました。
 
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1.新幹線リレー号 @上野 1983.2.28。前年の1982年に開業した東北新幹線は大宮暫定開業で,上野~大宮間は185系の新幹線リレー号が繋いでいました。リレー号の185系ですが,白い車体に斜めストライプの踊り子号塗装は保守に手間がかかると組合がゴネたせいで,緑の帯だけの冴えない塗装でした

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2.南部縦貫鉄道のレールバス @野辺地 1983.2.28。このときは乗ったか,写真だけか憶えが定かでありません

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3.この頃は新鋭だった183系で運転の「おおぞら」 @追分 1983.3.1。この頃は函館~釧路通し運転の列車もあり,千歳空港(現・南千歳)~札幌間を小1時間かけて往復する,なんとも悠長な時代でした

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4.釧網本線の混合列車641レ 1983.3.2。さすがに1983年当時でも混合列車は珍しかったです

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5.国鉄バス厚岸線 @厚岸自動車営業所 1983.3.2。厚岸線は標茶~厚岸間をショートカットするバス路線でした

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6.こちらは根室本線末端の客車列車 @厚岸か 1983.3.2。機関車次位のオユ10-2500は本州から航送されてきた郵便車のようです

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7.これも根室本線の客車列車ですが釧路以西のようで,荷物車を多数つないだ堂々の編成 1983.3.3

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8.広尾線愛国駅 1983.3.3。列車が幾本もないので,ここで降りるのは少し度胸が要ります。この頃は列車の交換はなかったようですが,まだ委託の駅員さんのいる駅でした

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9.富内線の終点の日高町駅 1983.3.4。富内線は鵡川に沿って遡り始めますが,富内で直角に曲がって峠を越え,振内以東は沙流川に沿って日高町に通じていました。なぜか僕は富内線が好きで日高町にも何度も足を運んでいますが,廃止は早く1986年でした。

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10.興浜南線の終点の雄武駅で 1983.3.5。シリーズその7でも似たような写真を載せていますが,この年は気動車がキハ40になっていました

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11.名寄本線のどこかだと思います 1983.3.5。キハ40の最初の1ロットは他と異なり窓配置が整っているのが特徴です

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12.後ろのとんがった山がきれいです。渚滑線の北見滝ノ上?,それとも名寄本線の一の橋?どこでしょう 1983.3.5

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13.名寄本線一の橋で 1983.3.5。駅名標があるのでこれは確かです

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14.深名線で 1983.3.5。蕗の台と隣の白樺は雪が深いため冬季は休業していました。多数あるキハ22の1番にあたりました

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15.帰りに寄った津軽鉄道のストーブ列車。この頃は電車改造の客車でした @五所川原 1983.3.6

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16.津軽鉄道に続き五能線も乗っています。五能線の客車列車はオハユニ61つきで6両も繋いでいました 1983.3.6

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17.深浦での1コマ。宅配便などなく手小荷物を駅員さんがリヤカーで運んでいました 1983.3.6

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18.東能代から乗った「いなほ」は北海道から渡ってきた1500番台車でした @東能代 1983.3.6

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19.この時の周遊券。学生割引き(2割)+冬季割引き(2割)で随分安かったです

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20.東北・上越新幹線初乗り時の特急券。一筋縄ではゆかないきっぷばかりです。おまけ:周遊券の経路からはみ出した五能線は連絡船発行の出札補充券
(2020.5.5記,2021.2.14きっぷ画像追加)

20世紀の鉄道写真(17)--1983年(昭和58年)2月の四国旅行スナップ

 20世紀の鉄道写真,今日は1983年(昭和58年)2月の四国旅行の写真をお届けします。僕はこの年,大学4年生で,5月の国鉄線全線完乗を前に春休みに四国,北海道,九州を精力的に旅行しました。四国の国鉄線は高校生の時に阿波池田より北東側の1/4,前年に廃止になった仁堀航路に行っただけで未踏の地でした。この旅行で残りを一気に片付け,全島の国鉄線を完乗しました。

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1.往路の名古屋までは東名高速線を利用。748型は下の14.の641型より窓1つ長い国鉄専用形式でした 1983.2.11

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2.この頃の四国の急行列車は愛称の丸いマークを掲げて走っていました。急行「うわじま」 1983.2.12

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3.予讃本線の貨物列車です。セキ1両にワム4両の身軽な解結列車をDE10が牽いていました @伊予石城 1983.2.12

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4.伊予吉田駅で見かけた手小荷物の発送案内。国鉄時代でもこんな遊び心はありました 1983.2.12

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5.ヘッドマーク付急行,こちらは土讃本線の「あしずり」 @中村 1983.2.12

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6.中村の駅前風景ですが,このキャブオーバー型のバスは相当な年代物 1983.2.12

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7.この時期,第1世代のディーゼル機関車DF50がまだ走っていました 1983.2.13

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8.阿波池田で折返しを待つ徳島本線の急行「よしの川」。ローカルなホームに発車案内が妙に立派です 1983.2.13

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9.土讃本線には高松~高知間に雑型客車の長距離鈍行(226レ)が走っていました。SGの湯気に惚れ惚れです。 1983.2.13

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10.四国島内の特急は181系の天下。「南風」 @箸蔵 1983.2.13

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11.スイッチバックの駅で急行と交換です。駅の様子から坪尻のよう 1983.2.13

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12.牟岐線の終点海部駅の近くには長さ44mの短いトンネルがあります。最近の写真を見るとトンネルの上に木が茂っているようです 1983.2.14

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13.中田(ちゅうでん)からは和歌山へのフェリーが出る小松島港に向けて小松島線が延びていました @小松島港(臨) 1983.2.14

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14.松山高知急行線の国鉄バス。「なんごく号」の愛称がつき定員制で運転されていました @引地橋 1983.2.15

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15.高松で見かけた荷物列車。キユ,キニで編成されていますが,真ん中はキハ20のようです 1983.2.16

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16.帰りは宇高航路の急行便,ホバークラフトに乗りました 1983.2.16

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17.このときの周遊券です。東名高速線のほか片道だけ関西汽船の小豆島航路(小豆島での途中下船も可)も使えました
(2020.5.5記)

20世紀の鉄道写真(16)--1982~1983(昭和57~58)年のバスなど

 20世紀の鉄道写真といいながら,今日は1982~1983(昭和57~58)年のバスの写真を中心にお送りします。この頃,僕は大学3~4年生,東横線の学芸大学駅の近くに住み,港区三田のキャンパスに通っていました。天邪鬼(あまのじゃく)の僕は電車は使わず,目黒通りを上る東京駅98系統のバスで通学していました。そんなこともあり,かなり偏った内容ですがお付き合いください。

 先ずは通学でお世話になった東京駅98,田町87など三田界隈ほかで撮ったバス達です。

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1.渋谷営業所B-H178の田87系統 1982.5

 この前年のG代から都営バスに冷房車(当時は冷暖房車といっていた)の導入が始まりました。ちなみに都営バスの局番は最初の1桁が営業所,ハイフンに続き2桁目が導入年代を示しHは1980年度を表します。

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2.渋谷営業所B-G460の茶81系統 @渋谷駅 1982.5

 こちらは冷房車初年のG代ですが,渋谷に入った7台のうち462と463の2台が冷房車でした。この2台は冷房車ながら方向幕は従来の狭窓タイプの稀少車でした。この頃,都バスは原則として新車は7台ずつ導入と決まっていて,うち2台が冷房車の配分は各営業所とも同じでした。

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3.渋谷営業所B-H210の田87系統 1983.11

 最初のH178と同じ三菱車ですがこの日は合衆国大統領の来日を歓迎して星条旗と日の丸を掲出していました。

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4.渋谷営業所B-L705の田87系統 1983.11

 上のH210と同じ形式と思いますが,1981年度導入のK代の途中から白と黄緑の塗り分けに変わりました。黄色に赤帯の鈴木都知事カラーは,冷房車なのに暑そうだと思われたのか長続きしませんでした。

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5.渋谷営業所B-H210の田87系統 1983.5頃

 3.と同じバスですが白黒です。交差点で信号待ちするお嬢さんがすてきだな~と思って,暫く勉強机に飾っていました。

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6.東京タワーをバックに三田通りを行く 1983.5頃

 5.の近くの歩道橋から撮ったものですが,東京タワーをバックにした景色は今もあまり変わりません。三田通りが拡幅され,多少ビルが建て込んではいますが。

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7.東急目黒営業所のバスの東98系統 1983.11

 こちらは通学でお世話になった東急バスの東98系統です。今でもこの系統は東急の路線として残っていますが,当時は都営バスと東急が半々でした。この頃は,東82(東京駅八重洲口~渋谷駅~等々力),東90(東京駅八重洲口~品川駅~丸子橋)などもありましたが,今でも山手線の内側を走る民営バスの東98は貴重な存在です。

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8.新宿営業所C-K320の田70系統 1983.5頃

 上の7枚とほぼ同じ場所で撮ったものですが,こちらは新宿営業所のいすゞ車です。クセのない整った形をしていると思っていました。ところで,バスの写真はこのように扉のある側から撮るのを公式側というそうですが,僕はドアのない非公式側からの写真を好んで撮ります。

 次の2点は都営バスの,車両より路線の方に重点をおいた写真です。

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9.杉並営業所のD-K434の宿91系統 1982.11

 撮った場所が分かりませんが宿91系統は環7通りを新高円寺から大森まで延々と走った長大路線でした。今でも王78系統が生き残っているの対し,こちらは世田谷野沢,野沢交番と短縮されたり,ちょっと延びたりして,今は新代田駅止まり,それより南の区間は東急バスの森91系統になってしまいました。

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10.品川営業所のA-X492の海01系統 1983.1

 この当時の海01系統は品川駅東口~門前仲町の運転で,高速湾岸線の海底トンネルを通過する旅客だけ10円の運賃加算がありました。今の海01系統は門前仲町~東京テレポート駅間ですが,わざわざレインボーブリッジ経由で回送して,品川営業所が担当する便も多数あります。品川駅東口(港南口)の駅舎ですがバラックのような小屋で,バスの後ろに隠れています。品川駅港南口もここ30年で大きく変わった駅前の1つです。このX代のバスの窓は上段はHゴム固定で下段のみ開閉可能,バス窓と呼ばれていましたが,昔話です。

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11.青戸営業所のZ-H175の上37系統 1982.12.26

 1982年末,都バスの路線の幾つかが整理され,この上37系統も都心側末端の上野松坂屋~須田町間が短縮されました。左の写真はその最終日に須田町で撮ったものです。

 次の3点は旅先で撮った国鉄バスです。当時の国鉄バスは,高速バスから鉄道では黒字化が到底見込めない閑散路線まで,全国津々浦々を走っていました。

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12.国鉄バス東名高速線 1983.2

 1983年2月四国旅行の時は名古屋までを高速バスで下りました。この当時のワイド周遊券は東名高速線や関西本線が使え,経路選択の幅が広かったです。バスの旅は新幹線に乗れない貧乏旅行によい変化をつけてくれました。写真のバスは国鉄専用形式で,市中では見ないバスでした

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13.国鉄バス松山高知急行線 1983.2

 四国の県都連絡の松山~高知間は「なんごく」号という定員制のバスが走っていました。写真は久万高原近くで撮ったものと思います。今でもこの県都連絡路線は高速道路川之江経由で2時間55分で結んでいて,随分遠回りをしますが所要時間は当時の3時間56分より1時間短いです。

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14.国鉄バス厚岸線 @厚岸営業所 1983.3

 こちらは北海道の厚岸線です。釧網本線の標茶から太田を通って厚岸を結ぶほか,厚岸駅より海側の国泰寺までの路線でした。なんでこんな所にバス路線が?と思うような所ですが,Wikipediaによればかつて植民軌道があったり,鉄道敷設の計画があることから,沿線自治体が誘致したそうです。

 次の3点は旅行などで見かけたバスたちです。16(左),17は三菱のバスで,趣味者からはブルドッグと呼ばれていたそうですが,僕の好みで,あちこちでこの形式のバスの写真を撮っていました。

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15.トヨタ製の山形交通バス 1982.8

 山形交通のバスですが1982年当時としても相当,時代がかったバスでした。そもそも,日野自動車がトヨタグループになって久しく,東京界隈ではトヨタ製のバスなど見たことがありませんでした。「温泉」と書かずに逆さクラゲのマークなのがいいですね。

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16.渋66系統(渋谷駅~阿佐ヶ谷駅)の都営,京王のバス 1983.1

 阿佐ヶ谷駅でたまたま見かけた光景ですが,都営バスは杉並営業所にたった2台しかなかったG代の冷房車,京王バスは高速バス運用に駆り出されることもあるワンロマ車です。

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17.成田空港ターミナルと京成成田空港駅を結ぶバス 1983.11頃

 現在の空港直下の成田空港駅はまだ開業しておらず,京成の成田空港駅は連絡バス--確か所要15分程度でした--で結んでいました。こちらも三菱のブルドッグですが非冷房,代わりに運転席上に軸流換気装置,客室上にファンデリアが4つもあり賑やかです。

 最後の4枚は当時沿線に住んでいた東急線の懐かしい写真です。

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18.青ガエルこと5000系 @多摩川園 1982.1

 5000系は少し前までは東横線でも6連で走っていましたが,大型車の増備に伴い目蒲線に転属し,オリジナルの3連で運用されていました。

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19.目蒲線を走る3450形 @多摩川園 1982.1

 目蒲線,池上線にはまだ吊掛駆動車も残っていて,旧型国電好きの人は盛んに追いかけていました。東急の車両は手が入れられて,ライトを腰部2灯に改造したものや,シルヘッダーなしのすっきりした車体になったもの(2両目のサハ)など,いろいろなバリエーションがありました。

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20.東横線では少数派だった8500系 @都立大学? 1982.1

 今でも現役の車両が見られる8500系です。当時は新玉川線~田園都市線に集中的に投入され,東横線で運用される編成はごく少数でした。食パン顔の電車が好きだったので追いかけたくても,なかなか当たることがなく難儀しました。

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21.田園調布駅の駅舎 1982.1

 最後は田園調布駅の駅舎です。今は地下化され,駅舎はモニュメントとして保存されているそうですが,現役時代の写真です。

 最初にもお断りしたとおり今日はかなり偏っていますが,古い写真を20枚ばかりアップしました。今後もときどきネガをスキャンしては載せてゆきますので,お楽しみに。(2019.10.12記)

20世紀の鉄道写真(15)--1982年(昭和57年)5~12月の旅行

 今日は20世紀の鉄道写真,1982年の写真の後半をお届けします。前回も書きましたが,この年,僕は大学3年生で,東北・上越新幹線が大宮からの暫定開業をした年でもあります。また,国鉄全線完乗まで残り僅かで,苦労しながら乗り残し線区を拾っています。学校の長い休みを使った長い旅行は少なく,1週間未満の短い旅行に多く出かけました。

 最初の2枚は東京近郊で撮った写真です。

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1.不発弾処理に伴う京浜東北線東十条~赤羽間運休の案内 1982.5.9
 既に戦後37年が経っていましたが,まだこんなこともあった時代でした。

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2.EF65PF牽引の貨物列車 @撮影場所不詳 1982.5.9
 たまたまこの日に見かけた貨物列車だと思います。場所はさっぱり分かりませんが2軸貨車を連ねて東京都内を白昼堂々と走っていました。

 この年の青春18きっぷは券の構成も使用期間も今と違っていて,5月にも使えたので5月中旬に2日券を使って1泊2日で仁堀航路に行ってきました。仁堀航路とは本州側は呉線の仁方と四国側は予讃本線の堀江を結んでいた国鉄の航路です。当時は朝夕1便ずつだったと記憶しますが,なかなか用事がある所でもなく乗り残しになっていたのでした。

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3.仁堀航路瀬戸丸 仁方桟橋 1982.5.15
 大垣夜行で出発し,夕方便の連絡船に乗った後,予讃本線を東進,観音寺でステーションホテル(駅の待合室で夜明しする)という強行軍でした。記録では観音寺に0:46~5:09の間居たことになっていますが,当時は夜行の「うわじま」もあり,駅を締切ることもありませんでした。

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4.亀山駅前風景 1982.5.16
 電化開業の祝賀ムードですが調べると電化開業は翌5月17日のようでした。

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5.DD51の牽く関西本線の普通列車 1982.5.16
 資料がなく調べられませんが,関西本線の雑型客車はこの日が最後だったのかもしれません。

 夏休みはゼミの合宿が尾瀬であり,そのまま南東北での高校の鉄道研究会の合宿に参加しました。

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6.上越線の特急「とき」 @石打? 1982.7.28頃
 尾瀬から南東北は今なら桧枝岐へハイキングをしたいところですが,この時は沼田に戻って小出経由で福島入りしました。たまたま抜かれた「とき」ですが,その年の11月に上越新幹線が開業したので,最後の夏です。

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7.只見線会津川口駅 1982.7.28頃
 去年の7月にも会津川口に行きましたが,緑豊かな山と滔々と流れる川の雰囲気は変わっていません。

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8.東北本線の普通列車 撮影場所不詳 1982.7.29頃
 この頃の東北本線は雑型客車の天下でしたが,座席車より郵便・荷物車のほうが多そうな編成です。確か41レと荷物列車の列車番号を名乗って,おまけ程度に普通車を連結した列車も走っていました。

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9.奥羽本線の臨時の「つばさ51号」 @福島 1982.7.30頃
 夏の多客期に走る「つばさ51号」は14系座席車で運転される数少ない特急でした。福島では板谷峠専用機のEF71にバトンタッチです。

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10.新地に停車する常磐線列車 1982.7.30頃
 特急退避でしょうか,暑そうな夏のホームです。間合い使用か,急行「ときわ」の末端の普通列車か分かりませんが,冷房の効いた453系は最高でした。

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11.この時のきっぷ。この年2回目の南東北ワイド周遊券です。

 このほか夏休みには8月下旬に中国地方に旅行しています。山口県徳山市(現・周南市)に母の友人が住んでいて,毎年ここを根城に西日本の旅行をしていました。

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12.可部線三段峡駅(ホーム側) 1982.8.28
 可部線三段峡です。ここは2003年11月末限りで廃止になってしまいました。

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13.可部線三段峡駅(駅前側) 1982.8.28
 三段峡の駅前にはC11-189がでんと置いてありました。この機関車は今は広島中心部(府中町)のショッピングセンター内にあるそうです。

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14.芸備線の気動車列車 三次? 1982.8.29
 国鉄にまだ荷物輸送が残っていて,キユニが連結されています。

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15.福塩線の105系電車 撮影場所不詳 1982.8.30
 福塩線も旧型国電の活躍する路線でしたが,前年の1981年に105系が投入され新性能化されました。

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16.山陽本線和田岬支線の列車。左下はオハ64の車内 @兵庫? 1982.8.30
 和田岬は兵庫から1駅だけの支線ですが,本来貨物用のDD13とオハ64という専用形式の客車を連ねた列車でした。オハ64は工場の通勤輸送専用のため,座席は10人分程度,両駅のホームのある側だけ扉が増設されたキョーレツな車両でした。

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17.豊橋に顔を出す飯田線のクモユニ81ほかの旧型国電 @豊橋 1982.9.1
 飯田線の119系投入が1982~83年度だそうなので,この年は飯田線の旧型国電も置換え間近かです。豊橋駅で暫く過ごして,旧型国電の写真を撮りました。

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18.80系クハ85 @豊橋 1982.9.1
 食パン顔をしたクハ85は好きな電車の一つでした。この車両は300番台の全金車で側面もきれいです。

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19.名古屋地区に進出した117系 @豊橋 1982.9.1
 関西の新快速用と思っていた117系が名古屋地区にも投入され,この年から運用を始めました。

 この年の秋には長崎出身の友人に誘われ,長崎のくんち祭り観光に出掛けました。目的が観光なので,この時は市内でもゆっくりしました。

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20.門司港~長崎間の普通列車「ながさき」 1982.10.8頃
 この当時,愛称付きの普通列車は寝台車連結の「からまつ」,「はやたま」,「山陰」,「ながさき」の4列車でした。

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21.長崎電軌201 @築町(現・新地中華街)あたりか 1982.10.8頃

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22.長崎電軌2002 @松山町(現・平和公園) 1982.10.8頃
 長崎電軌はこの8月に大規模な停留所名の改訂を行ったようです。

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23.長崎本線のローカル列車 @浦上 1982.10.8頃
 急行「出島」の写真のつもりで準備しましたが,当時「出島」はグリーン車組込みの編成だったので,モノクラス3両はローカル列車でしょう。

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24.このときのきっぷ。九州には全九州版の九州ワイドと三角線・豊肥本線以北のみの九州北ワイドの2つのワイド周遊券がありました。旅行の内容からは長崎・佐世保ミニ周遊券でもよかったはずですが,ワイド周遊券の全種類を目指して高いワイド周遊券を用意しました。
(2019.4.13記)

20世紀の鉄道写真(14)--1982年(昭和57年)1~4月の旅行

 今日は久々に20世紀の鉄道写真で,1982年の写真をお届けします。この年,東北・上越新幹線が大宮からの暫定開業をしました。僕は大学3年生,国鉄全線完乗まで残り僅かで苦労しながら乗り残し線区を拾っています。

 この年の正月は4年連続になる南東北周遊券エリアへの旅行ですが,北関東の各線を拾って水郡線から東北入りしました。

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1.真岡線真岡で 1981.12.31
 とりとめないスナップですがキハ20系の気動車,2軸貨車がふつうに走っている昭和のローカル線風景です。

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2.常磐線の客車列車 @水戸 1981.12.31
 常磐線上野口にも赤電の合間を縫って青茶(雑型客車)の長距離列車が走っていました。牽引機はなんとEF81-81,今の大スターの下積み時代です。

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3.丸森線のキハ40 @槻木 1982.1.1
 キハ40の2連ですが,前の車と後ろの車で窓割りが違います。手前の初期車のほうが整っていて,僕は好きでした。

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4.夕暮れの丸森駅 1982.1.1
 今は阿武隈急行になっていますが,当時は盲腸線で本数も少なく,なかなか行きづらい所でした。

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5.会津線湯野上駅 1982.1.2
 こちらは会津線湯野上駅(現:会津鉄道湯野上温泉駅)ですが,とても風情のある駅舎でした。

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6.急行「いなわしろ」 @湯野上 1982.1.2
 当時でも少なくなっていた2色塗装のキハ20単行の急行です。タブレット除けがついているのは限定運用だったのでしょうか。

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7.このときの周遊券
 南東北周遊券は水郡線経由が使えました。確か,東北全体の周遊券は使えなかったと思います。

 2月下旬は学校の春休みで,北陸地方の各線を乗りつぶしに行きました。2/20の写真が1枚も選ばれていませんが,夜行の「越前」で着いて,城端線,氷見線,越美北線に乗って「きたぐに」に泊まるという強行軍で,写真どころではなかったようです。

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8.吾妻線大前で 1982.2.19
 大前は何もない所ですが,今年行ったときとあまり変わらないです。

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9.能登線蛸島駅 1982.2.21
 この当時,七尾線には金沢3:49→輪島7:16という行商(朝市)列車が走っていて,急行「きたぐに」からこの列車に乗りました。蛸島着は10:31と記録にはありますが,眠くて記憶はありません。最後尾にはキニが付いているようです。

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10.急行「能登路」 撮影場所不詳 1982.2.21
 こちらは急行「能登路」ですが,ヘッドマーク付で運転していました。

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11.急行「立山」 撮影場所不詳 1982.2.21
 電車の急行ですが,これもヘッドマーク付です。金沢局は意外とヘッドマーク好きだったのですね。

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12.富山港線の電車 撮影場所不詳 1982.2.21
 富山港線では旧型国電が京浜東北線と同じ水色一色に塗られて走っていました。

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13.高山本線の急行「たかやま」 1982.2.23
 富山の知人宅でゆっくりした後は高山本線経由で北陸から抜けます。神通川の景色がきれいでした。

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14.越美南線北濃駅 1982.2.23
 雪はほとんどなくなっていますが,駅舎前には雪だるまが。国鉄時代でもこんな遊び心はありました。

 北陸から名古屋に出た後は,今度はそのまま南紀方面を攻略です。

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15.関西本線か紀勢本線の客車列車 撮影場所不詳 1982.2.24
 すぐ横をスマートな近鉄特急が走るなか,国鉄は時代がかった雑型客車がまだ健在でした。

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16.伊勢奥津駅風景 1982.2.24
 山里にたたずむ伊勢奥津駅と思います。ここに行ったのはこの一度限り。また行ってみたいところの一つです。

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17.近鉄伊賀線の電車 @丸山? 1982.2.25
 近鉄も伊賀線(現:伊賀鉄道)のようなローカル線では旧型国電のようなシルヘッダー付の電車が走っていました。

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18.伊勢線のキハ35の車内 1982.2.25
 伊勢線(現:伊勢鉄道)は夕方の下校時間帯なのに誰も乗っていなくて,見事な空気輸送でした。

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19.寝台つき普通列車「はやたま」 @新宮? 1982.2.25
 当時4本あったオハネ12を連結した夜行普通列車の一つ「はやたま」です。乗ったのはもちろん座席車でした。

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20.阪和線の103系 @浅香? 1982.2.26
 阪和線の103系ですが,まだ非冷房です。この日と翌27日は,鳳,片町線,桜井線,和歌山線などを大阪近郊の各線を制覇しました。

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21.南紀を走る特急たち 撮影場所・日時不詳
 この頃はまだ381系の「くろしお」が新鋭の部類でした。

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22.このときの周遊券。名古屋発の南近畿なんて商品もあったのですね。

1982年,今でも「乗り鉄」の強い味方の「青春18きっぷ」が初めて売り出されました。1日券3枚のほかに2日券が1枚付いて8,000円で,名前も「青春18のびのびきっぷ」でした。また,駅係員に相談くださいとの趣旨で,旅行者はワッペンを付けて旅行してくださいとの案内でした。僕は春休みに家族--といっても父と母--と小海線を巡る日帰り旅行に行きました。

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23.1982年,発売初年の「青春18のびのびきっぷ」

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24.小淵沢で 1982.4.4
 例によって普通電車は非冷房(冷房準備車)です。後ろの南アルプスは今も昔も変わりません。

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25.碓井峠を雑型客車でくだる @軽井沢~横川 1982.4.4
 高崎線~信越本線には郵便・荷物輸送の都合からか1日1往復の客車列車が設定されていました。EF63×2+EF62牽引の客車列車です。
(2018.10.13記)

20世紀の鉄道写真(13)--1981年(昭和56年)夏休み九州旅行

 1981年のその3は夏休みに行った九州旅行の時の写真をお届けします。この年も往きも帰りも寄り道をして,こつこつと国鉄全線乗りつぶしに向け足跡を残しています。

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1.当時,東京~宮崎間特急だった「富士」 @大分(?) 1981.9.7 この年は「富士」で九州入りです。大学生活もおちついてきてアルバイトの給料も入り,ちょっとの贅沢です。

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2.宮原線のディーゼルカー @肥後小国 1981.9.8 このときは阿蘇からバスで大観峰を越えて小国に入りました。写真がないのが残念ですが,大観峰の眺めは素晴らしかったです。

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3.鹿児島交通のディーゼルカー @伊集院(?) 1981.9.9 鹿児島交通には国鉄のキハ04のような形をしたディーゼルカーが残っていました。

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4.こちらは西鹿児島まで行っていた「はやぶさ」 場所不詳 1981.9.9

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5.薩摩大口駅いっときの賑わい 1981.9.9 山野線(水俣~栗野),宮之城線(川内~薩摩大口)の2線は夜行明けで眠かったせいもあり,あまり覚えがありません。

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6.薩摩大口風景 1981.9.9 山野線のほうにはループ線があったくらいしか印象がなく,宮之城線は1987年,山野線は1988年に廃止されてしまいました。

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7.3世代のディーゼルカーをつないだローカル列車,矢部線(?) 1981.9.10 この頃の九州では,お客さんも今よりはだいぶ多く,単行の列車は少なかったです。

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8.特急「有明」に連結されていたビデオカー 1981.9.10 高速バスに対抗し,設備の優位性を活かし「有明」ではビデオを上映していました。

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9.特急「有明」 @鳥栖(?) 1981.9.10 まだまだ485系全盛の時代です。

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10.島鉄の気動車 撮影場所不詳 1981.9.10 キハ26タイプながら,冷房付,台車はエアサスです。前面のヒゲが誇らしげな気動車でした。 

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11.リニア実験線 1981.9.15 日向市~都農間には日豊本線に並行してリニアの実験線がありました。

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12.高千穂線 @高千穂(?) 1981.9.15 盲腸ローカル線は往復するのが面倒なので,間をバスで継いだ区間もありました。

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13.宮崎交通バス @高千穂 1981.9.15 アメフトの防具のようなフロントマスクが特徴的な宮崎交通のバス。この時でもかなり年代物でした。

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14.高森線 @高森 1981.9.15 こちらは高森線。南阿蘇鉄道として廃止は免れましたが,地震で被災して現在は一部区間が不通です。

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15.勢ぞろいしたDD51 @厚狭(?) 1981.9.18 この頃,美祢線は大嶺地区~宇部・小野田地区間のセメント列車が多数走っていて,厚狭には機関区もありました。

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16.大嶺駅風景 1981.9.18 ホームの礎石に12と15チェーンの数字が刻まれていたことから,12マイル15チェーンの終着駅をうりにしていました。昔ながらの低いホームにお手製のステップの心遣いが嬉しい。

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17.仙崎駅風景 1981.9.18 こちらは多分,仙崎駅。秋の雨にけぶる寂しい雰囲気です。

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18.この時の周遊券 例によって下車印だらけです。それに隠れてしまっていますが,値段が19,800円から23,700円に変更になっており,20%近い値上げです。

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19.この時の周遊券(裏面) A券の裏には「大府駅分岐 9/6 946Dレチ」の証明が。往きに武豊線に乗った際の大府まで使用済の証明ですが,律義な車掌さんでした。B券の裏の手は,手荷物発送の証印です。乗車券を持っていると,その区間については旅客の手荷物として小荷物より割安な値段で荷物を送ることができました。

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20.このときの「はみだし」分の乗車券とそのルート。なるべく一筆書きルートとしています。ワイド周遊券はほぼ全種類使ったことがありますが,北近畿地方はこのきっぷで行ってしまったので,北近畿ワイド周遊券だけは1回も使ったことがありません。(2017.12.3記)

20世紀の鉄道写真(12)--1981年(昭和56年)甲州,信州旅行

 1981年,この年,僕は大学2年生でしたが,5月の連休は甲州,夏休みには信州に旅行に行っています。当時は旧型国電--101系電車よりも前の釣掛け駆動の電車--の末期でした。冷房がないので暑く,板バネ台車でガタガタ揺れて,モーター音もうるさく,こんな電車のどこが良いのか!と思っていましたが,鉄道研究会の仲間の一部は血眼になって追いかけていました。今となっては,もっと乗っておけば,写真を撮っておけばよかったと思います。

 まずは,5月の連休にとくに鉄道趣味という訳ではない友人と山梨県各地を巡った時の写真です。

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1.富士急行線,河口湖(?)で。左の富士急行カラーの電車は相当なオールドタイマー,165系の急行「かわぐち」も定期で乗り入れていました 1981.5.4

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2.身延線のアコモ改善車。当時の国鉄財政では身延線の旧型国電の更新に新製車を投入することができず,72系の足回りに113系の車体を載せたモハ62,クハ66が活躍していました 場所不詳 1981.5.2

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3.クハ47を先頭にした身延線の旧型国電 場所不詳 1981.5.2

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4.クモハユニ44を先頭にした身延線の旧型国電。クモハユニとはすごい合造車ですね 場所不詳 1981.5.2

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5.クハ47を先頭にした身延線の旧型国電 東花輪(?) 1981.5.2

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6.京王高速バスのターミナルで。3色の高速車に混じってワンロマ車(ワンマンバスの車体に観光タイプの座席として,多客期には高速バスに使われていた)もいます 場所不詳 1981.5.4

 夏休みは高校の鉄道研究会の信州合宿に参加しましたが,へんなルートで信州入りしています。この旅行の時は記録がなく,撮影日がさっぱり分からず推測です。

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7.DE11重連が牽く足尾線の貨物列車 @神戸 1981.7.25

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8.架線下を行く急行「赤倉」。数えられないくらい長編成のキハ58ですが非冷房車も混じっています。先頭は冷房付ですが,電源がなく稼働していません 場所,日時不詳

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9.EF81+雑型客車の北陸本線の普通列車 @糸魚川(?) 1981.7.25

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10.大糸線の旧型国電も最後で「さようならゲタ電号」が走りました 1981.7.26

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11.この時の記念券。このての臨時列車の記念券はよくありますが,車歴が出ているのは珍しいです。また,その車歴も錚々たるもの,日本の高度成長期を背負ってきた感じです

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12.クモニ+クモユ+115系。ほれぼれするような普通列車の編成です @屋代(?) 1981.7.27

 信州の国鉄線は大体乗っていたので,この旅行では長野電鉄を重点的に巡りました。

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13.長野電鉄へは東急の「あおがえる」こと5000系が大量に転出して,旧型車を置き換えていました @須坂 1981.7.27

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14.須坂の車両基地には長野電鉄由来の機関車や電車がきれいに保存されていました。ED502 @須坂 1981.7.27

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15.長野電鉄のOSカー。地方私鉄ながら自社発注で20m4扉の意欲作 @須坂 1981.7.27

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16.長野電鉄の特急車2000系。製造初年昭和32年なので当時既に20年選手でしたが,湘南顔ながらも丸みを持ったスタイルは新鮮でした @須坂 1981.7.27

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17.河東線(後の屋代線,2012年廃止)には昭和20年代製の単車が走っていました 場所不詳 1981.7.27

 信州合宿の帰りは飯田線です。上諏訪から豊橋への午前の便は今でもあまり変わらず544Mとして走っていますが,この列車に乗り通して帰ってきました。

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18.クハ47を先頭にした飯田線の旧型国電 @辰野 1981.7.28

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19.クハユニ56を先頭にした飯田線の旧型国電 場所不詳 1981.7.28

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20.クハ55を先頭にした飯田線の旧型国電 @豊橋 1981.7.28

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21.飯田線の80系全金車。戦前製の旧型国電と比べると80系は洗練されたスタイル?豊橋駅では旅客案内のため発車時刻を書いたヘッドマークのような行き先板を掲げていました @豊橋 1981.7.28

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22.この時の周遊券
(2017.11.11記)

20世紀の鉄道写真(11)--1981年(昭和56年)の写真

 20世紀の鉄道写真,その11は1981年(昭和56年)の写真からお届けします。
 この年のお正月は南東北地方に出かけましたが,3年連続での同時期同方面の旅行なので,気に入ったところだけを訪れました。

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1.ED78+EF71の重連の貨物列車です 場所不詳 1980.12.31

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2.全区間架線下を走っていたキハ58系の急行「おが」か「ざおう」です。先頭はパノラミックウィンドウの1500番台ですが,非冷房 場所不詳 1980.12.31

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3.機関車交換を終え,発車を待つ「おが4号」。EF71+14系座席車は当時も今もお気に入りです @山形 1981.1.1

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4.特急「みちのく」。上野~青森を常磐線経由で結んでいました。当時,常磐線は69条の経路特定区間でもありました @仙台 1981.1.1

 今では国鉄世代と珍重される185系電車ですが,この年,1981年の登場です。東京口の153系電車が置換えになるので,駅撮りではありますが,鉄ちゃんしに行きました。また,この時,鶴見線も訪ねました。

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5.置換えまじかのオレンジ仮面こと153系電車 @新子安(?) 1981.2

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6.新設の「踊り子」に統合され,「あまぎ」の愛称も消滅です @新子安(?) 1981.2

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7.こちらは新鋭185系 @新子安(?) 1981.2

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8.ダイヤ改正までの間,暫定的に急行「伊豆」としても走りました 場所不詳 1981.8.2

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9.当時としても相当のオールドタイマーで人気だった鶴見線大川支線のクモハ12 @武蔵白石 1981.2

 春休みは今年も東北地方です。この旅行のときはわざわざ名古屋に出て,名古屋発の周遊券を使いました。この頃になると国鉄線全線完乗も視野に入り,強引なルートも時々ありました。

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10.東北のローカル線。記憶が定かでありませんが,盛線(現・三陸鉄道南リアス線)吉浜ではないかと思います。1両目はキハユニ26,2両目はキロ25格下げのキハ26-400です 1981.3.23

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11.盛駅風景。岩手開発鉄道の食パン気動車が見えます @盛 1981.3.23

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12.国鉄バス陸中海岸線。いすゞのシャーシに日野系のボデーを装荷した国鉄バスにしかないタイプ @黒崎灯台 1981.3.24

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13.国鉄バス十和田南線。「とわだこ号」は高速バスタイプの車両で運用されていました @十和田南駅 1981.3.31

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14.只見線のローカル列車 @会津宮下 1981.4.1

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15.只見線のローカル列車。風景の感じは今も変わりません @只見(?) 1981.4.1 

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16.飯山線のローカル列車。当時はまだキハ26が少数残っていて,これが来るとがっかりしました。4月というのに雪がかなりあります。十日町あたりでしょうか 1981.4.1

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17.ヨ4000。チョッキリの番号で喜んで写真を撮りましたが,横軽間の限定運用の車掌車とは後で知りました @軽井沢(?) 1981.4.1

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18.EF63。この機関車の特徴はびっしり並んだジャンパ栓受ですね。そういえばアンテナ取付前です @軽井沢(?) 1981.4.1

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19.EF62。こちらは信越線専用C+C機のEF62。峠のシェルパEF63に隠れて地味な機関車でした @軽井沢(?) 1981.4.1

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20.この時の周遊券

 秋には房総各線の乗りつぶしに出かけました。房総地区は使えるワイド周遊券がなく,行きづらい所でしたが,この年は水戸鉄道管理局から「ミニチャレンジ房総半島フリー乗車券」なる企画きっぷが発売され,これを使いました。

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21.成田空港のジェット燃料輸送のパイプラインが未整備で,成田線には多数のタンカー列車が走っていました 撮影場所不詳 1981.11.19

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22.鹿島神宮~北鹿島(現・鹿島サッカースタジアム)間は国鉄鹿島線ですが,鹿島臨海鉄道の列車しか走っていませんでした。仕方がないので歩いて行ったところ,警察官に職務質問されたり,難攻不落の地でした。両社の分界点で 1981.11.19

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23.上総亀山で。小湊鉄道と木原線の気動車 1981.11.20

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24.急行「内房」。房総地区は183系の特急ネットワークができていましたが,少数の両国,新宿始発の急行がヘッドマークをつけて走っていました 撮影場所 1981.11.21

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25.1982S。翌年の年賀状用に写真を撮りに行ったところ,登場して間もない1500番台でやってきました @大船 1981.12

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26.ミニチャレンジ房総半島フリー乗車券
(2017.10.14記)

20世紀の鉄道写真(10)--1980年(昭和55年)の夏休み九州旅行

 20世紀の鉄道写真その10は1980年の夏休みに行った九州旅行のときの写真をお送りします。
 出発は当時は347Mを名乗っていた大垣夜行,大阪からは14系使用の夜行急行「雲仙・西海」です。夜に大阪に着けばよいので,太多線に乗りに行ったり,関西本線を通ったりで時間をつぶしました。この頃のワイド周遊券はおおよそ順路とはいえませんが,関西本線経由も可能でした。

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1.登場直後のキハ40を楽しむ 1980.9.8
 今でこそ国鉄の生き残りとして珍重されるキハ40ですが,当時はまだ新車の部類でした。キハ53との連結の様子で運転台の高さの違いがよく分かります。下は酷暑のせいでオーバーヒートしてしまったのか,検修の人が集まっています。

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2.急行「ゆのか」 @小倉 1980.9.9
 交直流急行型の475系は好きな電車の一統,さて何回乗れるでしょうか。この時は写真を撮っただけでした。

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3.急行「日田」 @小倉 1980.9.9
 新鋭のキハ66,67は両開きデッキなしながら転換クロスシート装備,急行色で,「日田」と「はんだ」に使用されていました。暑い時期で冷房車なのに窓が開いているのはどうしてでしょう。

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4.室木線 @室木 1980.9.9
 この頃の筑豊地区のローカル列車はほとんどが気動車でしたが室木線はDE10牽引の客車列車でした。

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5.肥薩線の混合列車 右上:@吉松,左下:@人吉 1980.9.10
 肥薩線の白眉の矢岳越えはDD51牽引の混合列車,客車はオハユニ61なので,お客さんの乗れるのは半両でした。

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6.真幸駅点描 1980.9.10
 肥薩線矢岳越えのまん中に位置する真幸。ホームの砂利の箒目が名物の駅でした。人が降りないということかもしれません。

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7.国鉄バス日肥線 @村所 1980.9.10
 国鉄バスは鉄道敷設法上の計画路線を鉄道に先んじてバスで開業した区間が多数ありましたが,この日肥線もその一つです。日向と肥後の頭文字をとった壮大な名前でしたが,マイクロバスみたいないすゞ-北村製の131型というバスが走っていました。

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8.日南線の代行バス 撮影場所不詳 1980.9.12
 宮崎に着いたところで台風が来て,丸1日足止めになりました。翌日は日南線が不通になってバス代行だというので,代行バスに乗りに行きました。

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9.特急「富士」 @国分(?) 1980.9.12
 当時「富士」は日豊本線経由で西鹿児島まで行っていて,最長特急,日豊本線南部では陽も傾いたころに走っていました。ヘッドマークもありませんでした。碍子の影が邪魔ですね。

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10.日田彦山線の石灰石列車 撮影場所不詳 1980.9.13
 北九州では運炭列車のほか石灰石を運ぶ貨物列車も多数運転されていました。先頭のDD51は1001号機です。下の写真は石灰ヤマの香春岳ですが,身を削りながら地域の産業を担っている風情が痛々しかったと記憶します。

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11.長崎の電車 @松山町 1980.9.14
 大学の友人が長崎出身だったので,長崎ではゆっくりして市内観光などもしました。

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12.「日南」くずれの普通列車 @門石(信) 1980.9.16
 急行「かいもん」,「日南」は20系ハネ+12系の豪華編成で,九州旅行では愛用の列車でした。「日南」の宮崎以南は寝台車を開放し,スユニ+12系3連の身軽な編成で朝の通学輸送を担っていました。

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13.「日南」くずれの普通列車,乗客の連絡にあたる車掌氏 @門石(信) 1980.9.16
 この日は青井岳駅でレールの折損があったとかで,門石(信)に3時間50分も止まりました。携帯電話などない時代なので,旅客の急用は車掌~鉄道電話~局の司令員経由で伝言です。ホームのない信号所ですが,車外に降りて写真を撮ったりでき,随分のんびりした時代でした。

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14.筑豊本線(冷水峠越え)の客車列車 撮影場所不詳 1980.9.17
 筑豊本線西端の冷水峠は比較的遅くまで客車列車が残っていた区間ですが,この当時は新鋭の50系で運用されていました。暑い夏でも冷水トンネル内は涼しかったです。

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15.西鉄太宰府線の電車 @大宰府(?) 1980.9.17
 僕は既に大学生でしたが,なぜか学問の神様,大宰府にお参りに行きました。帰りに乗った電車は,国鉄のクモハ52のような流線型の年季の入った電車でした。

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16.ED73 撮影場所不詳 1980.9.17
 九州の電気機関車はED76がかなり多くなっていましたが,1世代前のED72,ED73も少数残っていました。この2形式のハト胸といわれた先頭形状が気に入っていました。

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17.ED75-300 @博多(?) 1980.9.17
 ED75は基本的に東北のヌシの形式ですが,11両だけ60Hz版が製作され九州でも貨物列車を主体に運用されていました。

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18.近郊型電車の新旧並び @博多(?) 1980.9.17
 左は新製配置されたばかりの415系で,隣の電車が映るほどピカピカです。右は低い運転台の421系初期車で,この頃は山陽本線の小郡(現・新山口)まで足を延ばしていました。

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19.宇部線,小野田線の旧型電車 撮影場所不詳 1980.9.17
 茶色くてカラフルでないし,暑いし,当時は旧型国電には興味ありませんでしたが,宇部線,小野田線にはクモハ41などの雑多な形式の電車が残っていました。もっとたくさん写真を撮っておけばよかったです。

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20.山陽本線の荷物列車 @周防富田 1980.9.19
 EF58の老朽化とSGの必要から山陽本線の荷物列車にはEF61が充当されるようになりました。EF61が安定しなかったため,EF58の補機をつけて走っていた時期もありました。下枠交差のPS22に巨大なヒサシ,この58(ゴハチ)も相当なゲテモノ機です。

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21.この時の周遊券のB券
 九州内全線20日間乗り放題が東京からの往復込みで19,800円でした。また,写真を載せた日肥線など国鉄バスの全線フリー乗車も魅力でした。
(2017.7.9記)

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