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2023-09

20世紀の鉄道写真(30)--1986年(昭和61年)の写真その4・1986年その他の旅行など

 20世紀の鉄道写真,30回目の今日は1986年(昭和61年)の写真のうち正月や夏休みなどの大きな連休以外で出掛けたときの写真と,夏休みの四国の前後の写真などをお届けします。この年,僕は入社3年目でしたが,汎用大型コンピュータのシステム担当という休日出勤が多い仕事で,代休も多く,小さな旅行もちょこちょこ出かけました。旅行の目的は主に国鉄バスと地方の中小の私鉄でした。

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1.東北本線のローカル運用に就く455系と715系電車 @福島(?) 1986.2.7

 2月には金曜日を休んで南東北に雪を見に出かけました。1986年は雪が多かった年で,その日は東京でも雪でした。「まつしま」などで活躍していた急行型の455系がローカル列車になっていました。また,国鉄財政が逼迫するなかローカル輸送の改善は喫緊の課題で,寝台特急の583系を改造した715系も走っていました。

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2.EF71+50系 @山形(?) 1986.2.7

 奥羽本線福島~米沢の板谷峠が好きで,このときもしっかり乗っています。新幹線開業直前は2,3両の身軽な編成でしたが,この頃は5両も繋がっていました。

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3.455系3連×3ユニットの常磐線のローカル列車 @原ノ町(?) 1986.2.7

 常磐線でも急行型の451,453系がローカル列車で走っていましたが,この列車は9両編成です。3枚とも福島,山形,原ノ町とは書きましたが,駅の雰囲気からあてずっぽうで書いていて定かではありません。

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4.このときのきっぷ

 東京都区内発東京都区内ゆきの一筆書ききっぷです。新橋の烏森口は比較的遅い時期まで手売りの窓口が残っていて,こんなきっぷが欲しいときに活用していました。

 その3で上げた四国旅行の前後では本州内で国鉄バスに乗りました。出発は東京~大阪間を夜行で走っていた「銀河」です。会社の納会で1杯飲んで寝台に行けば,相席のおじさんから更にもう1本ビールをもらったりで,やっぱり「銀河」のお客さんは違うと思いました。

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5.急行「銀河」 @京都 1986.7.26

 山陰本線嵯峨~馬堀間の線路付替え開業は1989年3月で,このときは保津峡に沿った非電化の旧線でした。下のDD51の牽く50系は少なくも8両編成で,山陰本線と限らず幹線には妙に長い客車列車が走っていました。

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6.DD51の牽く山陰本線のローカル列車 @花園 1986.7.26

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7.同じくDD51の牽く山陰本線のローカル列車ですが,ここは保津峡 1986.7.26

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8.同じ場所ですがこちらはキハ58系の急行 @保津峡 1986.7.26

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9.これもそんなに場所は変わらないと思いますが反対側の山から撮ったもの。キハ181系「あさしお」 1986.7.26

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10.篠山線,園篠(えんじょう)線の国鉄バス 撮影場所不詳 1986.7.26

 富士重工のボデーを載せていますが534型なのでシャーシは三菱。

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11.篠山線,園篠(えんじょう)線の国鉄バス 撮影場所不詳 1986.7.26

 こちらは534-6型なので1986年の新車。国鉄バスは長らく方向幕の大型化をしませんでしたが,エアロのこのタイプから大型になったようです。

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12.このときのきっぷ。国鉄のバス区間と鉄道区間を通しで発券した鉄自連絡乗車券

 バスで篠山口に出た後は福知山線で尼崎に抜けたようです。福知山線の宝塚~三田間の新線切替えが1986年8月1日なので,その5日前です。もう忘れてしまいましたが,新線に切替わる前に乗っておこうという気はなく,たまたまだったと思います。

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13.福知山線のローカル列車。客車は12系 撮影場所不詳 1986.7.26

 この頃,山陰と東北地区には50系に混じって12系のローカル格下げ車があり,夏場はこの車両が来るとほっとしたものでした。

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14.キハ181系の特急「まつかぜ」 撮影場所不詳 1986.7.26

 「まつかぜ」は博多~大阪を山陰本線~福知山線経由で結ぶ超長距離特急でしたが,前年の1985年のダイヤ改正で米子で系統分割になり,この当時は米子~大阪間の運転でした。

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15.山陽本線のローカル列車。シールドビームの小さいライトですが非冷房の115系です 大畠~神代 1986.7.31

 四国旅行の帰りは,松山から柳井へフェリーで渡り,徳山(現・周南市)の知人宅でゆっくりしました。その途中,フェリーを降りた柳井港から大畠まで写真を撮りに行ったようです。陽も傾いて,湘南色が鮮やかと思えば,貨物列車は日陰ですが,悪しからず。

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16.山陽本線の貨物列車。EF65一般+コンテナ 大畠~神代 1986.7.31

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17.国鉄バス室積線のバス @室積 1986.8

 徳山を根城に光の近くの室積に海水浴に行きました。室積駅は比較的大きな自動車線駅で車庫も併設していました。ここは三菱系の営業所で形はそれぞれですがみな三菱車です。

 8月末には青春18きっぷで中小私鉄2社と国鉄バスに乗りに信州に行きました。

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18.169系使用の快速「天竜」 撮影場所不詳 1986.8.30

 飯田線の快速は「天竜」,「かもしか」,「みすず」と愛称が変わりましたが新幹線の発生品の回転クロスシート装備の169系で快適でした(1986年の時点で改造されていたかは不明です)。

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19.松本電鉄の電車 @新島々(?) 1986.8.30

 松本電鉄(現・アルピコ交通)はこの当時は自社発注の電車が走っていました。島々駅は1985年で廃止になっているので,ここは新島々でしょうか。

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20.姨捨駅で。三大車窓は今も昔も変わらない 1986.8.30

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21.丸窓電車ですが後ろに元・東急5000のトレーラーをぶら下げています @上田原 1986.8.30

 丸窓電車は上田交通の名物で,この当時は現役で走っていました。いかにも上田平らしい景色ですが,場所はとんと思い出せません。

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22.こちらはそのトレーラを先頭にした姿 @上田原 1986.8.30

 東急5000系は湘南顔のアオガエルですが,このクハは改造車のためお世辞にも恰好いいとはいえません。運転士さんからすると広くて明るそうではあります。

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23.車庫に休む丸窓電車 @上田原 1986.8.30

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24.上田原の車両基地風景 1986.8.30

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25.鹿沢菅平線~志賀草津高原線直通の上田~草津温泉間の国鉄バス @上田駅 1986.8.30

 上田からは菅平,鳥居峠を越えて群馬県の万座・鹿沢口へ抜ける国鉄バスが走っていました。バスは吾妻線を横切り草津温泉まで直通で,観光バスタイプの641型が使われていました。

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26.鹿沢菅平線のローカルバス。トップドアでも531型 @大前駅近く 1986.8.30

 記憶は不鮮明ですが,上のバスの写真は嬬恋村役場前なので,草津温泉ゆきのバスは大前で捨てて吾妻線の列車で帰ったものと思われます。

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27.吾妻線風景 @大前 1986.8.30

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28.このときのきっぷ

 青春18きっぷですが1986年までは周遊券の常備券サイズより1回り小さい,あまり見ない判型のサイズでした。夜行の鈍行がない今では昔話ですが,夜行列車で日を跨いだときは車掌さんに日付を記入してもらうルールでした。(2023.6.3記)

 21.~24.の上田交通の写真は全て上田原のようです。古い資料が出てきて上田原に約2時間滞在したことが分かりました。また,1986年10月1日に上田交通の1500V昇圧と上田原から下之郷への車庫の移転が行われました。このタイミングで丸窓電車も運転を終了したので,廃止直前の訪問だったようです。(2023.8.11一部修正,追記)
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20世紀の鉄道写真(29)--1986年(昭和61年)の写真その3・夏休みに四国の国鉄バスと私鉄めぐり

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 20世紀の鉄道写真,今日は1986年その3として夏休みに行った四国旅行の写真をお届けします。この年3月3日予讃本線内子ルート向井原~内子間と新谷~伊予大洲間が開業しました。国鉄完乗のタイトルがかかっているので,新線は乗りに行かなければなりません。四国に行ったついでに四国の山間部に張り巡らされた国鉄バス,高松,松山,高知周辺の各私鉄にも乗ってきました。国鉄バスは支線になると路線もよく分からず,本数も少ないので,到底,完乗はできません。私鉄はなるべくたくさん乗るつもりでも「完乗」にこだわっていた訳でないので,今となってはどこが既乗で,どこが未乗か分からず,困っているところです。また,往き帰りは本州内でも寄り道しているのですが,記事のバランスから次回のその4に回します。

 7月27日,四国の初めは高松周辺で高松琴平電鉄(ことでん)を楽しみます。記録によれば志度線に乗った後は国鉄の列車で造田に行き,長尾まで約2.3kmを歩いたようです。盲腸線を往復するのは大嫌いですが,そんなことしたっけなと思います。

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1.元京急230形の30形 @高松築港 1986.7.27

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2.元京急600形の1000形 @高松築港 1986.7.27

 琴電はゲージが同じこともあって昔から京急の中古を好んで使っています。僕は只今沿線住民なので元京急電車は懐かしく,4年前には京急電車OBを訪ねる旅にも行っています。そろそろ京急1500形も引退の時期なので,ひそかに高松での活躍を期待しています。

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3.国鉄バス西讃線は新しいキュービックの331-4型で @琴平駅 1986.7.27

 琴電で琴平に出た後は,国鉄バス西讃線に乗ります。西讃線は琴平から観音寺をショートカットする路線でこの2駅間を41分で結びます。観音寺から伊予三島を列車で繋ぎ,伊予三島からはまた山のほうへ,今度は阿波池田へ国鉄バス川池線に乗ります。途中,新瀬川と上分にも寄っています。

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4.国鉄バス川池線の支線の新瀬川で 1986.7.27

 この頃の写真は今のようなGPSの位置情報などないので,これどこ?これいつ?がさっぱり分からないことがあります。この山の中の風景は気に入ったのですがどこだかさっぱり分かりません。Google MapのStreet Viewと1時間くらい格闘して,新瀬川と突き止めました。これだけピッタリの映像にぶつかると嬉しくビンゴ!と言いたくなります。

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5.今(2021年)の新瀬川。Google Street View 2023.4.8閲覧

 この日の晩は夜遅くに高松に戻り,0:43発の「うわじま1号」に泊ります。急行型気動車ではキハ65が好きで,この車両を選んで寝ましたが,騒音がひどくキハ28のほうがよかったかもしれません。下は急行「うわじま」ですが,昼間のうちに撮ったものです。

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6.急行「うわじま」 撮影場所不詳 1986.7.27

 明くる7月28日は宇和島から伊予大洲まで国鉄バス南予線に乗り,伊予大洲から松山は今回の旅行の目的の予讃本線内子ルートの乗車です。国鉄バスの写真は,乗換えの節点の伊予日吉と坂石ですが,肝心の内子線のほうは夜行明けで記憶も写真もありません。そういえば今回の写真は国鉄バスと私鉄ばかりで国鉄の列車の写真が少ないですが悪しからずです。

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7.国鉄バス南予線伊予日吉駅。駅の隣の事務所にはJNRマーク 1986.7.28

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8.国鉄バス南予線坂石 1986.7.28

 松山からは国鉄バス松山高知急行線に乗り,御三戸(みみど)で乗換え石鎚山の麓の面河(おもご)に泊まります。松山高知急行線は愛媛と高知の県都を国道33号線経由で結ぶ幹線で,座席定員制の「なんごく」号が1日13往復も走っていました。今はこの間をJR四国バスの「なんごくエクスプレス」号が川之江経由で結んでいます。当時の国道33号線経由は約120kmを3時間43分かけて結んでいましたが,今の高速道路経由は距離は約155kmに延びましたが2時間34分の運転です。この日は元々,石鎚土小屋までバスで往復を計画しましたが,寝不足でもあるので,面河で降りて川遊びをして早々に宿におさまります。

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9.松山高知急行線は座席定員制の「なんごく」号が走る @御三戸 1986.7.29

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10.こちらも同じバスです。白地につばめマーク大書きにJNRマークのデザインは短期間のはず 撮影場所不詳(@御三戸と伊野駅の間の休憩地なので引地橋か) 1986.7.29

 明くる7月29日は引続き松山高知急行線で高知(伊野)へ出て,土佐電鉄訪問です。伊野から御免までをするっと抜けてしまい,高知市内中心部や十字に交わる桟橋線は端折り,途中,乗換えのために降りた知寄町で下の写真を撮ったようです。土佐電の最後は御免町でエンドチェンジ中に撮ったものです。電停の名前は御免町ですが,行き先表示は「ごめん」で,街のなかを謝りながら走っているみたいです。

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11.土佐電の市内電車600形。追いかけですみません @知寄町あたり 1986.7.29

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12.土佐電の市内電車200形。こちらは正面です @知寄町あたり 1986.7.29

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13.土佐電の市内電車1000形 @御免町 1986.7.29

 御免からは列車で土佐山田へ移動し,国鉄バス大栃線を訪ねます。大栃線は土佐山田から四ツ足峠を越えて徳島県阿南へ延びる国道195号線を東進しますが,路線は高知県内にとどまります。途中の蕨野までは鉄道敷設法別表一覧の四国の部の最後108号にもあがっている由緒正しい鉄道先行開業路線です。というのは記事を書きながら調べたことですが,今は,やなせたかしさんの出身地でアンパンマンミュージアムへのアクセスで有名なところです。

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14.御免~土佐山田間チョイ乗りの244D。国鉄時代の広域転配で新潟から来た車両で,エアサスのDT44を履いています @土佐山田 1986.7.29

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15.大栃線美良布駅,国鉄自動車線の駅はきっぷも売っていた 1986.7.29

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16.大栃線大栃駅,こちらも同駅発のきっぷ 1986.7.30

 この日の晩は高知の山の中の猪野沢温泉--温泉といっても沸かし湯--に泊まり,翌7月30日朝,土佐山田に戻ります。土佐山田からは金比羅参りをしたり,瀬戸大橋線開業前の宇多津に寄ったりしながら,松山泊りです。下の写真は上の続きで,国鉄バス大栃線のバス他です。18.の231型は国鉄バス末期はここ土佐山田営業所にしか配置がなかった希少車で,カラー写真はインターネットでも数枚しか上がっていないレアな一品だそうです。

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17.大栃からほど近い岩改ゆきは前年の1985年導入のキュービックの331-5型 @大栃 1986.7.29

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18.永野に行くバスはボディー長7~8.4mの2型の231型 @永野 1986.7.29

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19.こちらも231型ですが場所は影のよう 1986.7.29

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20.こちらは物部川の対岸の県道217号線を走る香北町営バス 1986.7.30

 四国最後の7月31日は伊予鉄の1日乗車券を買い,松山市内を精力的に回ります。先ずは郊外電車を3枚です。伊予鉄はバス,電車とも車両を大切に使う会社のようで,他社では見なくなったような古い車両がたくさん残っています。

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21.伊予鉄モハ124。元小田急1900,1949年(昭和24年)製 @高浜線? 1986.7.31

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22.伊予鉄モハ112.元西武150,1928年(昭和3年)製 @古町 1986.7.31

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23.伊予鉄モハ825,元京王2010,1962年(昭和37年)製。まだ冷房車が珍しかった @古町 1986.7.31

 続いては松山市内線の電車と国鉄バスです。道後温泉と市役所前のお城の景色はどちらも市内きってのランドマークということもあり40年近く経った今でもそんなに変わっていません。直下の24.はこの日の1日乗車券です。写真の市内線の電車はどちらも自社発注車で比較的経営状態がよかったことの証左です。

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24.伊予鉄の1日乗車券

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25.伊予鉄64。1960年(昭和35年)製 @道後温泉 1986.7.31

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26.伊予鉄66。1962年(昭和37年)製 @市役所前 1986.7.31

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27.松山市内中心部を行く国鉄バス松山高知急行線のローカル便 @市役所前 1986.7.31

 この日は午後まで松山を楽しんだ後,三津浜港から柳井ゆきのフェリーで本州に戻ります。このブログで何度も登場していますが,山口県の徳山に親しい知人がいるので夏休みの終わりは山口でゆっくりです。最後にこの時の周遊券をつけておきます。国鉄末期,航空との競争に白旗をあげた国鉄は,北海道,四国,九州にアクセスに空路も選べるニューワイド周遊券を発売しました。この旅行は復路が松山~柳井航路ですがこれにも対応しています。もう1枚は同行の母が使ったものですが,こちらはふつうのワイド周遊券です。ワイド周遊券では往路か復路に小豆島経由の関西汽船を利用でき,そのための券片も綴込まれていました。なお,こちらのB券は無理して持帰らず,大人しく回収されてしまいました。(2023.4.8記)

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28.このときの周遊券。四国ニューワイド。おまけ:宇高航路のグリーン券

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29.このときの周遊券。四国ワイドとその関西汽船航路券引換票

20世紀の鉄道写真(28)--1986年(昭和61年)の写真その2・5月連休に国鉄バスと紀州の私鉄めぐり

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 20世紀の鉄道写真,今日は1986年のその2としてゴールデンウィークに行った南近畿旅行の写真をお届けします。南近畿ワイド周遊券を使って国鉄バスと和歌山の零細な私鉄3社の乗りつぶしが目的です。

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1.このときの行程表。グリーン券はおまけです

 今回は写真が少ないので行程表をつけておきます。この様式は基本的には高校生のときから今も変えていません。旅行に行った際,いちいち時刻表を出して次に乗る列車を確認するのが面倒で,車掌さんが持つ案内用の時刻表を模して作り始めたものです。持ってみると意外と便利なうえ,旅行後に記録になるのが大きなメリットです。仕事が忙しくて旅行の準備に時間をかけられなかった一時期を除き,45年分くらいの行程表が残っていて,それこそひと財産です。

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2.亀草線のバス。いすゞのシャーシに日野系のボディを装架したバスは国鉄特有の組合せ @亀山駅 1986.5.1

 旅行の出発は1986年4月30日の大垣夜行,グリーン車利用です。少し前に東海道徒歩きの記事(その時の記事はこちら)で触れましたが,東海道,国道1号線は名古屋から先,鉄道でいえば関西本線のルートで亀山に出て,鈴鹿峠を越えて近江鉄道の水口経由,草津に出ていました。鉄道が通らなかった東海道に国鉄が亀草線としてバスを運行していました。水口からは国鉄バス近城線で信楽,加茂と乗継いで奈良に出ました。その後は大阪に出て,南海で和歌山に移動し泊りです。

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3.334-3型は今日のとびらの1枚と同じMK116でも新しい箱型ボディーを載せる 信楽駅? 1986.5.1

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4.644型エアロバス2台。手前は1984年導入の644-4型,奥も似た形だが塗色は随分違う 信楽駅? 1986.5.1

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5.信楽駅前風景。三菱の中型バス334型が並ぶ 1986.5.1

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6.夕方に奈良駅に着く 1986.5.1

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7.信楽付近で信楽線の列車を撮影 1986.5.1

 旅行2日目は和歌山県内の零細私鉄3線,北から野上電鉄(日方~登山口),有田鉄道(藤並~金谷口),紀州鉄道(御坊~日高川)を巡りました。どこも写真が少ないですが,悪しからず。僕は自称晴れ男で,旅先で雨で困ることは少ないのですが,この旅行の最中はずっと天気が悪く,露出不足の写真が多いです。3社足しても約20kmという零細私鉄で,どれも当時で見ても時代がかった車両たちです。野上は電化されていますがヒューゲル集電の古典電車です。有田の気動車は国鉄キハ58似ですが両運転台は国鉄にはなく,国鉄乗入れ急行を運転していた富士急行から買ったものです。紀州鉄道も写真の3両が当時の在籍車でいずれも中古です。なお,鉄道輸送は副業で本業は不動産開発やリゾート事業の紀州鉄道は今でも頑張っていますが,他の2社は野上が1994年3月末,有田が2002年12月末で鉄道事業を廃止しています。

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8.野上電鉄,日方駅,連絡口ホーム 1986.5.2

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9.野上電鉄の電車 @登山口駅 1986.5.2

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10.有田鉄道の気動車,キハ58003 撮影場所不詳(藤波駅?) 1986.5.2

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11.紀州鉄道の気動車1003と603 撮影場所不詳 1986.5.2

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12.こちらは紀州鉄道604 撮影場所不詳(日高川?) 1986.5.2

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13.和歌山~和歌山市間のチョン行は103系に105系のお顔を付けた改造105系 @和歌山 1986.5.2 

 旅行3日目はまた国鉄バスの旅で熊野線,五新線を乗り歩きました。五新線は今は奈良側が大和八木発着となって奈良交通の運行する日本一長い路線バスになっていますが,国鉄は昭和50年代半ばに奈良県内を撤退して十津川温泉までだったようです。どちらも自由乗降バスの掲示が出ていますが,この頃が最初ではなかったかと思います。

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14.国鉄バス熊野線のバス。334型。334-9000番というキリのよい数字 撮影場所不詳 1986.5.3

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15.国鉄バス熊野線のバス。こちらは新しいいすゞキュービックの331型 撮影場所不詳 1986.5.3

 旅行4日目の最終日は新宮(10:00)から亀山(16:07)まで122レという長距離鈍行を楽しみました。今でも新宮~亀山の長距離鈍行は1本残っていますが,4時間10分の運転でだいぶ速くなっています。以下は旅行中に撮った紀勢本線の列車です。どれも撮影場所は分かりません。

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16.南紀の海岸を行く381系「くろしお」 1986.5.4

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17.阪和色の113系とキハ82の「南紀」が離合 1986.5.4

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18.多分これが122レでしょう。DD51+50系 1986.5.4

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19.上下の客車と「南紀」が離合する1日1度の賑わい 1986.5.4

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20.このときの南近畿ワイド周遊券

 今回は若干小ぶりな記事ですがお赦しください。次回(8旬先なので5月12日)は夏休みの四国旅行をお届けします。(2023.1.9記)

20世紀の鉄道写真(27)--1986年(昭和61年)の写真その1・正月北陸旅行

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 20世紀の鉄道写真,今日は1986年のその1として正月休みに行った北陸旅行の写真をお届けします。この頃,僕は社会人2年生で会社にも慣れ,国鉄線は全線完乗していたので地方のローカル私鉄と国鉄バスの乗りつぶしに精を出していました。余談ですが,私鉄,公営交通の全線完乗は今もって達成できておらず,まさしくライフワークになっています。北陸周遊券の自由周遊区間は糸魚川までですが,青春18きっぷも併用し,信越線から北陸を目指し,上田交通や新潟交通にも足を伸ばしています。また,北陸には細かい私鉄路線が点在し,それらをつなぐため北陸本線を行ったり来たりの行程でした。

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1.信越本線の特急「あさま」 @御代田 1985.12.29
 記録によれば御代田で1時間40分の時間を作って写真を撮ったようです。この頃は犬走りを歩いてもお咎めはなく,線路内公衆立入りで列車が止まることもありませんでした。御代田は委託駅ですが入場券を売っていました。

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2.上田交通の丸窓電車 @別所温泉 1985.12.29
 上田交通名物の丸窓電車です。この頃は東急のアオガエルが入り始めていて,後ろにクハを従えています。

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3.朝の上田駅風景 1985.12.30
 駅の感じから上田駅ではないかと思います。115系と165系の離合です。301Mは信州1号でしょう。

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4.クモユ141を従えた信越本線の鈍行列車 @関山 1985.12.30
 撮影場所はさっぱり分かりませんが,長野~直江津のどこかです。雪が結構あるので妙高高原とか黒姫あたりでしょうか。と書いていたのですが,ここは関山とサイト訪問者のかたにおしえていただきました。

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5.直江津駅前風景 1985.12.30
 直江津駅前のいかや旅館は風情ある建物で思わず写真を撮りました。今は新築されてホテルセンチュリーイカヤとなっているようです。

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6.新潟交通の電車 @白山前 1985.12.30
 新潟交通は燕から白山前を1時間ちょっとをかけて結んでいました(1999年4月廃止)。この日は上越線で長駆,高崎まで戻り,夜行の急行「能登」に泊ったようです。

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7.北陸鉄道石川総線の電車 @加賀一の宮 1985.12.31
 明くる大晦日は既に一部区間がバス代行になっていた北陸鉄道石川総線と京福電鉄(現・えちぜん鉄道)を巡りました。

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8.北陸鉄道鶴来~白山下間の代行バスと白山下駅の駅名標
 この時はかろうじて加賀一の宮まで列車が入っていたようですが,1987年にはバス代行の区間が廃止になりました。

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9.越前大野を発車する越美北線の列車 1985.12.31
 妙にしっかりしたホーム上屋ですが,この上屋は今も健在のようです。盲腸線の往復は避ける指向はこの頃からのもので,勝山へは越前大野からバスで入りました。1974年までは京福が京福大野まで乗り入れていたので,この路線はある面,転換バスです。

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10.越前大野の駅前風景と名物国鉄そば 1985.12.31
 昼の陽を受けて越美国境の山々がきれいです。駅前には何が名物なのか国鉄そばというお店がありました。

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11.京福電鉄の電車 @勝山 1985.12.31
 この2101形は1934~43年製の南海1201形の下回りに阪神5231形の車体を載せたものだそうです。この頃の中小私鉄はこの程度の改造は自前でやる技術を持っていたし,電車の構造も単純でした。

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12.国鉄バス金津三国線 @芦原温泉駅(?) 1985.12.31
 いすゞジャーニーKの331-5型は1985年導入の新車です。この日は芦原温泉から富山まで1本の鈍行で移動し,富山泊でした。
 
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13.富山地鉄の電車 @岩峅寺 1986.1.1
 1986年の元旦は富山地鉄立山線でスタートです。この14710形は1968年に名鉄3800系を譲受けたものです。

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14.富山駅に並ぶ富山地鉄14760形 1986.1.1
 14760形は1979年に創立50周年を迎える富山地鉄が自社発注した電車で,ローレル賞も受賞しました。富山地鉄の電車は先頭3桁がモーター出力を表す独特な付番で,1980年代に5桁は珍しかったです。

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15.加越能鉄道の電車 @越ノ潟 1986.1.1
 今はスマートなLRTが走る万葉線ですが,当時は加越能鉄道を名乗る市内電車でした。加賀,越前,能登をとったものと思いますが,随分壮大な名前です。

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16.北陸鉄道浅野川線の電車 @内灘(?) 1986.1.1
 越ノ潟を渡船で渡って富山に戻った後は金沢に出て,北陸鉄道浅野川線に乗りました。浅野川線は今でも鉄道が残り,金沢は地下化され,電車はメトロ01系を導入するなどいろいろ変わっているので,再訪したいです。

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17.北陸鉄道小松駅 1986.1.2
 元旦の晩は金沢~能登(上り)~糸魚川~きたぐに(上り)~小松~きたぐに(下り)~富山という夜行ギザギザ乗車で夜明かしし,富山地鉄宇奈月線に乗ったようですが,寝不足のため写真が残っていません。

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18.北陸鉄道小松線の電車 @鵜川遊泉寺 1986.1.2
 昼前には富山に戻り,小松に出て,北陸鉄道小松線に乗りました。小松線はこの年の5月末限りで廃止になっています。
 
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19.419系電車 場所不詳 1986.1.2
 南東北,北陸,九州では寝台特急の581/583系を改造した電車がローカル輸送に使われていました。中間車から改造されたクモハ418は強烈な印象でした。基本的に食パン顔の電車は好きですが,こればかりはなんともです。

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20.高岡近郊の駅で 場所不詳 1986.1.2
 午後は氷見線を雨晴まで往復後,城端から名金線のバスで越中五箇山を越えて,白川郷泊りです。写真は雨晴~高岡~城端のどこかですが定かでありません。高岡地区にはなぜか通勤タイプのキハ30が入っていました。

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21.鳩ケ谷で(多分) 1986.1.3
 明くる1月3日は鳩ケ谷から国鉄バス名金線とその支線を楽しみます。前夜からの雪で合掌造りの村はきれいに雪化粧です。

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22.荻町合掌集落で。そのときのきっぷ 1986.1.3
 この当時は少なくも鳩ケ谷までは名古屋からの直通バスが走り,名金線(名古屋と金沢を結ぶ意)の面影をとどめていました。国鉄バスは駅によっては列車と同じようなきっぷ--それも2日間有効--を売っていました。

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23.荻町合掌集落で。合掌造りの家々 1986.1.3
 午前中は荻町合掌集落でバスをおとし,合掌造りの村を楽しみました。今は世界遺産になって一大観光地になりましたが,当時は三賀日中では雪も深く外から眺めるだけ,森閑とした静寂に包まれていたと記憶します。

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24.特急の札を掲げて快走する名金線の国鉄バス 1986.1.3
 どこで撮ったものか分かりませんが,名古屋ゆきの特急バスです。富士重工のペコちゃんがスパイクタイヤを履いて雪道を快走していました。

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25.新鋭5Eボディーを載せた名金線のバス 1986.1.3
 こちらは新しい5Eボディーを載せた531(いすゞ)/538(日産)型です。朝,見たバスが美濃白鳥まで行って帰ってきたようです。行程表をたどると牧戸駅の近くではないかと思われます。牧戸から高山へ出た後は,特急「ひだ」と新幹線を乗継いで帰京しました。

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26.このときのきっぷ
 周遊券はなぜか千葉発を用意しました。都区内発は有効期間が7日だったから千葉発としたのだと思いますが,旅行は6日で完結しているのでナゾです。また,新潟に行ったりの行程分は青春18きっぷも併用です。(2022.10.10記)

20世紀の鉄道写真(26)--1985年(昭和60年)の写真その3・小旅行や近場の話題

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 20世紀の鉄道写真,1985年の3回目はこの年に行った小旅行や,自宅の近所で撮ったバスの写真をお送りします。僕はこの年は会社員生活2年目で,モーレツ社員という訳ではありませんが,休みをとることは少なかったです。仕事は会社に4台しかなかったコンピュータの運用担当でした。この頃の大型汎用コンピュータの保守作業は利用者がお休みの土曜休日が書き入れ時で,休日出勤をすると振替の休日がもらえるのが嬉しかったです。既にアップ済の正月の北海道旅行,夏休みの山陰・山陽旅行のほかにもちょこちょこと出掛けていました。

 職場では2月に部をあげてのスキー合宿があり,スキーをしない僕も飲み会・麻雀要員として参加です。同僚は貸切りバスですが,僕は自腹で列車で戸狩までを往復しました。

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1.長野電鉄には元東急5000の赤ガエルが大量にいました @湯田中 1985.2.11

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2.湯田中駅 1985.2.11
1927年(昭和2年)築のこの駅舎は2003年(平成15年)の駅舎改築時にも取り壊されず,「楓の館」という山ノ内町の交流・展示施設として残っているそうです。

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3.このときの乗車券。スキースケート往復割引きっぷのタイトルで多少の割引きがあったと思います。きっぷのコレクションはたくさんありますが,硬券で券番1は少ないです(これ1枚?)。

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4.このときの急行券。急行くずれのグリーン車は普通列車部分のBグリーン料金は免除のルール(興味があるかたはこちらの7.参照)ですが,窓口氏はそれを知らず押し問答になり,結局規定どおりの値段できっぷは売ってくれましたが,激昂のあまり行き先の「長野」が「長野原」になっています。ある面,貴重な発券ミス券ですが,もう時効でしょう。

 東海道新幹線は窓が狭くなったり,座席が改良されたりのモデルチェンジはありましたが,開業以来の0系が老朽置換えの更新車も含めて増備されていました。この年の3月にフルモデルチェンジをした一部2階建ての100系が開発されました。バス旅かなにかで通りかかったら,大井の運転所の一番端に置かれていたので,写真を撮ってきました。

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5.100系9000番台車。試作の1本はライトのキツネ目の角度が僅かに大きかった 1985.日時不詳 @東京第2運転所

 次の2枚は桜の時期の中央線のお堀端で,この景色は基本的には今も変わらないです。飯田橋駅の近くには貨物専用の飯田町駅があり,トビ色のワムを繋いだ紙輸送の貨物列車が走っていました。また,カナリア色(黄色)の中央線は101系で,この頃は残り少ない101系だったと思います。

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6.桜咲くお堀端を行く101系電車 @飯田橋~市ヶ谷 1985.3月~4月

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7.中央線を行く紙輸送貨物。EF65P+ワム @飯田橋~市ヶ谷 1985.3月~4月

 5月の連休は南東北地方に行っています。只見線から入り会津滝ノ原(現・会津高原尾瀬口)まで行きましたが,帰りは郡山に戻ったか,バスで鬼怒川方面に抜けたか定かでありません。

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8.只見線は冬季の排雪運転に備え普通列車でもキハ58が多かったです @会津川口(?)1985.4.27

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9.ふらりと降りた新鶴で 1985.4.27

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10.磐梯山を背に快速「ばんだい」。この写真を気に入り大伸ばしして長く部屋に掛けていました @関戸~川桁 1985.4.28

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11.磐越西線の貨物列車。ED77の重連で牽くのは2軸車2,3両 @関戸 1985.4.28

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12.磐越西線の客車列車。ED77+マニ50+50系。晩年の50系化後の姿です @関戸 1985.4.28

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13.中山宿を行く快速「ばんだい」。スイッチバックのホームから本線を見る 1985.4.28

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14.湯野上(現・湯野上温泉)はホームの桜がきれいです 1985.4.28

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15.多分同じ列車と思いますが上はポジ,こちらはネガで撮影です 1985.4.28

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16.このときのきっぷ。福島・会津磐梯ミニ周遊券は安くて使い勝手のよいきっぷでした

 この年はつくばで科学万博が開催され,たしか振休の日に見学に行きました。展示で心に残っているものは殆どないですが,JALがHSSTとのタイトルでリニアモーターカーにお客さんを乗せていました。リニアモーターカーというとJR東海が建設を進める超高速新幹線を想起しがちですが,空港内でターミナル間の旅客移動に使われる装置(Automated People Mover,APM)だって,リニアモーターで駆動すればリニアモータカーです。

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17.HSST by JAL。@'85つくば科学万博。写りの悪い写真で申し訳ありません 1985.5.16

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18.HSSTの乗車券

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19.このときのきっぷ。恵比寿から常備券の往復きっぷがありました

 夏休みは山陰・山陽のほかに従弟が甲子園に出場したので,大垣夜行で応援に行きました。当時は大垣区の165系使用で,夏休みともなればご覧のとおりの大混雑です。これでは翌日がもたないので,沼津で降りて,駅のベンチで新聞をかけて寝ました。また,今でも後期の増備車が残っている伊豆急のリゾート21が運転を開始したのもこの年で,青春18きっぷで伊東,下田まで行っています。

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20.超満員の大垣夜行 1985.8

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21.登場して間もない伊豆急のリゾート21 @伊豆急下田(?) 1985.8

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22.伊豆急の「新型電車完成記念乗車券」えらく硬いネーミングですが材質もアルミ板製

 この年,1985年の9月30日には東北新幹線の騒音被害の見返りの通勤新線として埼京線(線路名称としては東北本線の別線)が開業しました。この日は月曜日でしたが会社が終わった後に初乗りに行ったようです。きっぷはありましたが,今時のようなコンデジもなく,写真は全くありません。

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23.埼京線開業記念フリーきっぷ

 この年のきっぷの中から,面白そうなものを4つばかり選んでみました。新鶴は9.の写真を撮りに降りたときに買ったものです。2番目と3番目は金額式の硬券ですが,2番目は280円と金額が大書きされたもの,3番目は地図式です。1,000円ともなると地図上のあちこちに行けるようになり,さっぱり分かりません。版を作るのも難しそうで,好きな種類のきっぷでしたが,必要があって買ったものしかないのでコレクションにも数はありません。最後の湯野上は桜の写真以来この駅が気に入り,何度も訪れています。

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24.1985年のきっぷから

 秋には体育の日の飛び石連休を使って会津線や桧枝岐を訪れています。このときはきっぷマニアの極みで「一般周遊券」を作ってもらいました。往路は東武鉄道鬼怒川線から入り,今の野岩鉄道のルートの会津西街道をバスで下り,桧枝岐(ひのえまた)村を旅行しました。滝ノ原と桧枝岐の間には中山峠がありますがここで見た紅葉は還暦の今をもってしても生涯で一番きれいな紅葉でした。なお,中山峠は2015年に新しい中山トンネルが開通し,ルートが付け変わったので今でもその景色が見られるかは分かりません。

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25.往きは東武経由で鬼怒川を目指す。どこで見たのか5700系です。恐ろしく時代がかった電車です 場所不詳 1985.10.10

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26.乗換えのジャンクションに集う会津バス 1985.10.10

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27.湯野上を発車する会津線列車 1985.10.11(?)

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28.第三大川橋梁を行く会津線列車。この橋は大川ダム建設に伴う付け替えで1980年に架け替えられたもので耐候性鋼材を鉄道橋梁として初採用の由 @湯野上~上三寄 1985.10.11(?)

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29.第四大川橋梁を行く会津線列車。この辺りは目覚ガ淵と呼ばれる景勝地でいくつかの高い鉄橋で淵を越えてゆきます @湯野上~弥五島 1985.10.11(?)

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30.このときのきっぷ 一般周遊券のうち国鉄の乗車券部分

 最後にこの年に撮ったバスの写真から幾枚かを上げます。1985年は都営バスの表記でいうとP代に相当しますが,なぜか2年前のM代の写真が多いです。1983年の時に書けばよかったですが,この年はバスメーカー各社のモデルチェンジが重なり,画期的な年だったようです。

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31.都営バス都01系統「グリーンシャトル」のB-M210(渋谷)。前年1984年の3月31日から都営バスに都市新バスの路線が設定され,嚆矢の渋谷~六本木~新橋の都01系統用に三菱の新車33台が揃えられました @渋谷駅 1985年日時不詳

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32.都営バス銀71系統のD-G480(杉並)。1979年のG代は白に水色帯最後の年です。また,銀71系統は1988年から都03系統に変わってしまいました @晴海ふ頭 1985年日時不詳

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33.都営バス海02系統のS-M272(深川)。いすゞ-富士重工のバスもM代からスケルトン車体になり,深川ではM271~が最初でした。また,海02はこの年の7月に開業した路線です @フェリー埠頭南ターミナル 1985年日時不詳

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34.都営バス東98系統のM-N423(目黒)。この年2月入籍のN代の日野ブルーリボン。確か日野ブルーリボンもM代からこのスケルトンタイプになったと思います。ちなみにもう一つのバス車体メーカ,川重車体のキュービックバスもM代からです。適切な写真がなくすみません @目黒通り 1985年日時不詳

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35.東急バス黒02系統のM688。都バスの都市新バスに刺激されたか東急も目黒通り系統の黒01~03にこの三菱車を大量21台を投入,バスロケーションシステムも運用されました @目黒駅前 日時不詳
(2022.7.3記)

20世紀の鉄道写真(25)--1985年(昭和60年)の写真その2・夏休み山陰・山陽旅行

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 20世紀の鉄道写真,今日は1985年(昭和60年)の夏休みに行った山陰・山陽旅行の写真をアップします。この頃僕は,2年前に国鉄線全線完乗を果たし,私鉄の乗りつぶしと国鉄バス路線の乗車に精力を傾けていました。一方,会社は造船所で,夏の最も暑い時期の7月31日と8月1日を挟む週は1週間まるまるお休みです。長い夏休みを使って,山陰と山陽の私鉄巡りの旅です。今回も旅行中のスナップばかりで,枚数ばかり多いですがお付合いください。

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1.「出雲3号」 @東京 1985.7.26
夏休みの前日は会社の納会があり,一杯飲んでから東京駅直行です。この頃の「出雲」は24系25形個室ロネ付で浜田ゆきの正統派1号と,14系の出雲市ゆきの亜流?の3号があり,山陰本線東部から攻めるので3号利用です。

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2.山陰本線の客車列車 場所不詳 1985.7.27(以下,特記あるまで同じ)
山陰本線にはまだスハ43,オハ46などの雑型客車が残っており,これらに乗るのもこの旅行の大きな目的です。僕らの仲間内では雑型客車を青茶と呼び親しんでいました。

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3.山陰本線の客車どうしの交換 場所不詳
右側の客車は12系で臨時の急行か普通列車か分かりませんが,涼しそうで羨ましいです。

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4.山陰本線の海水浴臨 場所不詳(佐津?)

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5.DD51重連の牽く山陰本線の客車列車 場所不詳

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6.餘部鉄橋を行く181系「あさしお」
架け替え前の餘部鉄橋を行く181系DCの「あさしお」です。今日のとびらの写真も同じときに撮ったものでです。

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7.181系「あさしお」 場所不詳
181系DCの特急ですが8両くらい繋いでいます。駅はよく分かりませんが,規模から倉吉あたりでしょうか。

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8.一畑電鉄松江温泉駅 1985.7.28(以下,特記あるまで同じ)
翌日は一畑電鉄乗りつぶしの旅です。これも建替え前の松江温泉駅です。

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9.一畑電鉄で売っていた古レール利用の金床
古レールを厚さ1cm弱に切ったスライスレールは鉄道関係の記念品やグッズによく見ますが,15cm~30cmに切って,金床として売るのはここでしか見たことがありません。旅行が始まったばかりで荷物になるので買わなかったのですが,残念なことをしました。今なら宅配便で送ることもできますが,当時はそんなことは考えませんでした。

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10.一畑電鉄は旧西武車が多かった 場所不詳
旧西武551系のデハ90系(左)と旧西武451系のデハ80系が並んでいます。Wikipedia日本版によれば,デハ90系は1985年3月の一畑入線で,来たばかりの最新鋭?です。

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11.一畑電鉄の旧型電車ときっぷ @川跡
これは多分,川跡でしょう。真ん中の新鋭191の両側には一畑オリジナルの旧型電車が並びます。奥は21の車号が見えますが,手前はさっぱり分かりません。

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12.出雲市構内風景
煉瓦積みの機関庫がいい感じだったの写真を撮りました。14系の「出雲」が昼寝しているので,出雲市でしょう。

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13.DD51+50系客車 場所不詳
この頃は雑型客車の末期で,一部の列車には50系客車が投入されていました。後ろの海と日御碕半島の感じから田儀駅でしょうか。

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14.こちらも煉瓦積み機関庫+DD51 場所不詳
2両のDD51が煉瓦積みの機関庫前で休む風景ですが,浜田でしょうか。この頃までは,蒸機時代からの古い機関庫が各地で現役で使われていて,よい雰囲気を出していました。

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15.山陰本線西部の普通列車 @江崎
ここは駅名標があるので江崎です。山陰本線のローカル列車ですが真ん中にはキハ30系が挟まってちぐはぐな編成です。

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16.東萩~小郡(現・新山口)間の「はぎ」号 @東萩 1985.7.29(以下,特記あるまで同じ)
国鉄バス防長線の「はぎ」号は当時はバス指定券の要る座席定員制でした。見ただけで乗っていませんが,1985年導入の最新の三菱エアロ(644-5型)です。

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17.東萩~防府間の普通便 @東萩
こちらは富士重工のペコちゃんの普通便のいすゞ車(531-7型)です。防長線の周防方は防府が起点でしたが,新幹線接続のため小郡発着便が増え,現在は新山口発着だけになっています。

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18.岩益線のローカルバス 場所不詳
こちらは鉄道の岩日線(現・錦川鉄道)のルートに並行して岩国~益田間を結んでいた岩益線のバスです。富士重工5Eのバスは当時としてはかなり新しい車だったはずです。

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19.岩益線の出合橋~錦町のローカルバス @錦町近く 1985.7.29
岩日線(現・錦川鉄道)は元々,岩国と日原(にっぱら)を結ぶつもりのネーミングで,陽陰連絡鉄道の一つであり,先行して国鉄バスの路線が開設されていました。元々,岩日線を名乗っていましたが,鉄道開通時に岩益線に改められました。

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20.岩日線の気動車 場所不詳(錦町?)と錦町駅の入場券
こちらは鉄道の岩日線の気動車です。現在,錦町駅には錦川鉄道の車両基地が設けられていますが,当時は棒線の終端駅で,随分趣が異なります。

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21.西岩国駅。左下はホーム側
西岩国は1929年(昭和4年)の岩徳線一部開業のときからの建物です。今(2022年)でもこの駅舎は現役ですが,岩国市の所有になりNPOが管理していて,駅業務は一時は無人化されましたが今は簡易委託になっているそうです。

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22.国鉄バス大島線 安下庄駅 1985.7.30(以下,特記あるまで同じ)
山陽本線の柳井の近くの大島(正式名は屋代島)にも国鉄バスの路線が通っていて,大島線といいました。この日は大島を国鉄バスで巡ります。

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23.大島線の中型バス(334型)
大島線では三菱の中型バス(334型)が主力のようです。真夏の瀬戸内ですが窓は全開。非冷房です。

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24.大島大橋を行く国鉄バス
(周防)大島と本土の間は全長1,020mの大島大橋が架かり,列車からもよく見えるので,1度渡ってみたいと思っていました。

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25.大島大橋の袂を行く山陽本線の列車
こちらは橋の上から見た山陽本線の列車です。両端のクハは転換クロスシートの新車の3000番台ですが,中間は湘南色の在来車です。

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26.大嶺駅風景 1985.7.31(以下,特記あるまで同じ)
この頃,山口県徳山市(現・周南市)に母の友人の家が住んでいて,ここを根城にしてあちこちに出歩きました。この日は美祢線のヒゲの大嶺を訪ねます。

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27.大嶺で折り返しを待つ気動車
大嶺は南大嶺から1駅だけヒゲになっていた所で,1日数本の気動車が通っていました。ホームの段差が大きく,職員のお手製のステップが何とものどかな雰囲気です。

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28.広島電鉄の電車。宮島線の3000形と単車の700形 1985.8.2
1日おいて,8月2日からは瀬戸内の私鉄に乗りながら帰途の旅です。8月2日は広島電鉄(広電)を巡ります。3000形は西鉄北九州市内線からの譲渡車,700形は広電の自社発注で712はこの年1985年の導入のようです。

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29.広島電鉄市内線の単行電車 1985.8.2
この350形も広電の自社発注車で1958年(昭和33年)の導入です。ちなみに上の2つ,この写真の350形とも今日(2022年)現在も稼働中だそうです。

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30.広島電鉄の一日乗車券
一日乗車券には,動く交通博物館のタイトルで稼働中の電車の写真がついていています。

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31.水島臨海鉄道の気動車と乗車券
水島臨海鉄道は地味な私鉄ですが,しっかり立ち寄って,三菱自工前までを往復します。気動車は元国鉄キハ10のキハ35形。きっぷが無傷のまま残っているのは,水島臨海は当時もおおらかで使用済券をくれた?運賃が安いので全線分のきっぷを記念に買った?どちらか分かりません。

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31.下津井電鉄の電車 1985.8.3(以下,全て同じ)
8月2日は倉敷に泊り,翌3日は下津井電鉄訪問です。下津井電鉄は瀬戸大橋の袂をナローゲージの電車がコトコト走る,おとぎの国のような鉄道です。瀬戸大橋開通後も頑張って走っていましたが,地方私鉄の旅客減には抗えず,1990年末に廃線になりました。

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32.下津井電鉄の1日乗車券
下津井電鉄の1日乗車券は珍しい円型のきっぷです。

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33.同和鉱業片上鉄道線柵原風景
この日の最後は同和鉱業片上鉄道線を訪ねます。山側の終点の柵原は津山から15kmくらいですが,バスの便も少なく,大人しく往復します。いかにも鉱業所という感じの佇まいです。

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34.同和鉱業キハ303
いかにも古そうな機械式の気動車で元・国鉄キハ41000,キハ04です。戦前の1932年(昭和7年)製のガソリンカーを戦後にディーゼルエンジンに換装したもので,1952年(昭和27年)に同和に来ました。

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35.同和鉱業キハ801
こちらは日車標準タイプの2扉ディーゼルカーでキハ801です。同じ同和鉱業の秋田の小坂鉄道線からやってきた気動車です。

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36.このときの周遊券
国鉄~JRの周遊券はオーダーメイドのことぶき(新婚旅行用で歓送用入場券付),一般と,レディメイドのワイド(末期にはニューワイドも),ミニのほかにルート周遊券がありました。ルート周遊券はとても一般的な周遊ルートを順番に巡るもので,旅行に必要な乗車券や社線の船車券がセットになったものです。僕は使う機会がなく,このとき1回,ルート802「長門路,宮島」を使っただけです。元々,ワイド周遊券に「山陰」はありましたが「山陽」はなく,このルート周遊券の長門路の部分が山口県内の国鉄・バスのほか岩国市営と防長交通のバスが自由乗降でき,今回の旅行にはちょうどよかったのです。なお,7月27日の青春18きっぷも残っており,青茶乗車と餘部鉄橋訪問のため,ルート逆行と復乗分に使ったようです。(2022.5.5記)

20世紀の鉄道写真(24)--1985年(昭和60年)の写真その1・正月北海道旅行

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 20世紀の鉄道写真,今日は1985年(昭和60年)の正月に行った北海道旅行の写真をアップします。冬の北海道旅行は思い出(思い入れ?)も多く,少々文章が多めですがお付合いください。僕はこの年,サラリーマン1年生で,年末は会社のカレンダーどおり12月28日(金)まで勤務,仕事始めはカレンダーの並びがよく1月7日(月)でしたが,この間に7泊8日の北海道旅行に行きました。

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1.出発は特急「ふるさと」 1984.12.29

 出発は583系使用の臨時の「ふるさと」です。当時の行程表によれば列車番号が9021Mなので多分特急,上野発10:44,青森着19:38のスジで東北新幹線開業後の東北本線を白昼堂々と走っていました。

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2.青函連絡船船長サインカード

 北海道へは青森発19:50の青函連絡船9便です。この頃,連絡船の案内窓口にお願いすると記念に船長サインカードをもらえました。9便は函館発の夜行列車に接続し,貧乏旅行には便利ですが,一般には中途半端な時間で比較的空いていたと思います。

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3.石勝線楓駅 1984.12.30

 石勝線開業前の夕張線登川支線には楓,登川の2駅がありました。石勝線開業と同時に登川支線は廃止になりましたが,楓駅は多少場所が変わり石勝線に引継がれました。この楓駅(3代目)も2004年3月のダイヤ改正で旅客営業を廃止し,信号場になっています。

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4.三菱大夕張鉄道の貨物列車 @南大夕張 1984.12.30

 三菱石炭鉱業大夕張鉄道線はこの当時は夕張線に接続する清水沢~南大夕張間7.6kmが残っていて,ディーゼル機関車が時代がかった客車を牽いてコトコト走っていました。大夕張鉄道のダイヤは車両基地がある南大夕張がベースで,とても乗りづらかったです。南大夕張駅近くの南部という停留所からバスで清水沢に戻ってきました。

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5.三菱大夕張鉄道の客車内のストーブ 1984.12.30

 大夕張鉄道線のディーゼル機関車にはSGなどはなく,客車の暖房はだるまストーブでした。この鉄道の旅客営業は鉱山会社の福利厚生のようなもので,運賃はとても安かったです。別の機会ですが同行の友人は調子に乗って回数券を買うほどの値段でした。

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6.急行「大雪6号」。この頃は14系寝台+座席車の編成で運転 @札幌 1985.1.2(きっぷは12.30発のもの)

 この日はこの後,「おおぞら」で池田に出て,池北線を下り,置戸から留辺蕊の間をバスで繋いで,網走へ下りました。前夜の「すずらん59号」に続き,「大雪6号」に泊まり,夜行2連泊の強行軍でした。きっぷが駒込駅発行ですが,この当時,駒込は山手線内では数少ないマルス端末未導入駅で,わざわざ硬券の寝台券を買いに行ったものです。

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7.急行「狩勝1号」 @新得 1985.1.2

 大晦日は夜行の「大雪6号」で札幌に到着後,「狩勝1号」で釧路まで一気に下りました。「狩勝1号」は札幌(7:05)から釧路(13:42)まで滝川経由で6時間37分かかっていました。

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8.狩勝峠を行く「おおぞら」 @新得~トマム 1984.12.31
 
 順番が前後しますが狩勝峠で交換した「おおぞら」です。この当時は183系は未だ新鋭でした。新狩勝トンネルの東口から新得駅までの間には新狩勝,広内,西新得と3つの信号場があり,そのどこかです。先日も狩勝峠を列車で越えましたが,この辺の大自然の景色は40年経っても変わりません。

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9.釧網本線の普通列車と塘路発のきっぷ @塘路 1984.12.31

 釧路到着後は釧網本線の普通列車で網走まで下り--この列車も4時間16分の長丁場--,更に少し上って北見に泊まり,年越しは北見の東急インでした。大晦日の宵の釧網本線はガラガラで,ちょっとしたことから車掌さんと話が弾み,最後部の乗務員室で過ごさせていただきました。鈍行には珍しく,白いダブルの制服で「おおぞら」に乗っていそうな車掌長だったと記憶します。

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10.渚滑線を行くキハ40と北見滝ノ上駅の入場券 @北見滝ノ上 1985.1.1

 1985年元旦は渚滑線訪問です。当時は国鉄再建法が成立し,赤字ローカル線が続々廃止される直前の時期です。渚滑線は盲腸線のため廃止が早く,この年1985年3月末で廃止になりました。北見滝ノ上駅の入場券は1985年の元旦発行で券番1985!わが家の家宝です。

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11.網走~函館を走っていた「おおとり」 1985.1.1

 183系の増備が進められ,キハ82は少数派となっていましたが,「おおとり」は網走~函館(室蘭本線経由)をロングランしていました。北見~上川間2時間26分の間に食堂車に行って,ニシンの焼き魚定食を食べました。撮影場所不詳ですが,駅の雰囲気は遠軽でしょうか。

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12.道北バス「オホーツク」号 @滝上 1985.1.1

 この当時,都市間バスというジャンルのバスが走り始め,旭川~紋別間の「オホーツク」号はその嚆矢に近い路線だったと思います。車両は観光タイプの日野スケルトンバスを使用していました。北見から北見滝ノ上への移動は上川からバスで浮島峠を越えて北見滝ノ上(バス停は滝上)に入りました。

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13.急行「大雪6号」。この旅行では2回この列車に泊まった @札幌 1985.1.2

 渚滑線に乗った後は,名寄本線を開盛まで上り,湧網線経由で網走に出て,この旅行2回目の「大雪6号」です。就職して小金を持つようになり,2泊ともハネ利用です。

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14.万字線万字炭山駅風景 1985.1.2

 明くる1月2日はここもこの年の3月末限りだった万字線を訪れました。万字線は万字炭山からの運炭路線でしたが,途中に上志文スキー場があったり,雪深いローカル線然とした雰囲気で好きな路線でした。そんなこともあり,周遊券を持っていたのに全線分のきっぷを買っています。

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15.北海道のローカル線風景 1985.1

 記録ではこの後またまた釧路に下り,根室や中標津を巡ったことになっています。いささかお疲れモードだったのか,あまり写真が残っていません。少ない写真の中から,いかにも北海道のローカル線らしい写真があったので,これを選びました。この旅行中に撮ったものは違いないですが,どこの駅でしょうか。

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16.函館本線をゆくキハ82の特急「北海」 @大沼(?) 1985.1.4

 1月4日には道南に戻り,大沼あたりで写真を撮った後,離道しました。上の写真ととびらの写真は同じ列車で,駒ケ岳の感じから大沼あたりで撮ったもののようです。

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17.奥羽本線の普通列車 @大沢 1985.1.5

 この年の正月休みは長かったので,内地(本州のことを北海道の人はそう呼んだ)に戻った後は奥羽本線に寄って,大好きだった板谷峠で写真を撮りました。その中からの1枚で,大沢駅風景です。まだ50系客車が投入される前で,重連の赤い電気機関車が雑型客車4,5両を牽いています。この後も雪の板谷峠は何度も行っていますが,この年は雪が多かったようです。

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18.ED78+12系の急行列車 @関根(?) 1985.1.5

 正月の多客期の臨時の「ざおう」ではないでしょうか。少々ブレ気味で残念な1枚ですが,お赦しください。

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19.このときの車内券

 赤岩,板谷,峠,大沢は奥羽本線の4駅連続スイッチバックでしたが,あちこち巡って,最後は赤岩から帰ったようです。赤岩には鉱山があって積込みのための設備もありましたが,今は駅が廃止になってしまいました。

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20.東北本線の普通列車 @福島(?) 1985.1.5

 福島に戻れば東北本線もED75が牽く青茶(スハ43などの雑型客車)が健在です。写真の列車は10両も繋いでいて,身軽な2両または4両の電車が走る今では考えられない長大編成です。

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21.郡山に並ぶED77とED75の牽く客車列車 1985.1.5

 上の客車列車で東北本線を上り,郡山に着けば,磐越西線の50系客車と並びます。磐越西線には既に50系が投入されていました。

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22.このときの周遊券

 この年から学割の「学41」はなくなりましたが,相変わらず冬季割引き2割引きは有効で,北海道内の特急自由席フリー20日間に急行で都区内往復がついて28,000円でした。また,就職しても下車印集めは健在で,滞在日数の割には多くの下車印をもらいました。(2022.3.19記)

20世紀の鉄道写真(23)--1984年(昭和59年)の写真その3・小旅行や近場の話題

 20世紀の鉄道写真,1984年の3回目はこの年に行った小旅行や,自宅の近所で撮ったバスの写真をお送りします。僕はこの年の春に大学を卒業し,輸送用機器メーカーに就職しました。卒業前に行った各旅行と夏休みの東北旅行は21と22でアップ済なので,今回はそれらの残りで少々小粒な話題が多いですがお付き合いください。

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1.箱根登山鉄道モハ3 1984.3
大学の部活動の卒業合宿で行った箱根の途中で撮った箱根登山の電車です。115は翌年の1985年に廃車になりました。

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2.埼玉新交通ニューシャトルと丸山駅の時刻表 1984.2頃
東北・上越新幹線の沿線見返りとして建設されたニューシャトルの開業は1983年12月22日でしたが,1984年に乗りに行きました。たまたま結節点の丸山駅の時刻表の写真を撮りましたが,これらの掲示類は手書きで制作されていました。

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3.埼玉新交通ニューシャトルの開業記念乗車証(1983年)
沿線の住民に配布された試乗記念証と乗車券のセット。宮原付近に住んでいた友人からもらったものと思います。

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4.相模線西寒川 1984.2
1984年3月31日限りで廃止になった相模線寒川支線の西寒川です。この日は湘南でも雪が降っていました。

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5.小湊鉄道の気動車 1984.3.28
就職を間近に控えた3月下旬に鉄道研究会の友人と千葉・茨城方面の私鉄に乗りに出かけました。3月下旬だというのに雪が降っています。車号が読み取れませんが,小湊の気動車は日車標準タイプといわれる気動車が今も残っており驚きです。

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6.銚子電鉄の電車 1984.3.38
小湊鉄道に続いて乗ったのは銚子電鉄です。荒涼としたキャベツ畑の中を走る雰囲気は今も昔も変わりません。

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7.鹿島鉄道の気動車 1984.3.29
翌29日は鹿島鉄道に乗っていますが,この春休みは遊び過ぎで,ここで熱を出してダウン,筑波鉄道や茨城交通は諦めて家に帰りました。人生60年近くになりますが,旅行を中止して帰ったのはこの時が最初で最後です。

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8.上毛電鉄の電車 1984.4.28
4月に就職し,最初のゴールデンウィークは工場実習の寮を起点に群馬の私鉄を日帰りで訪ねました。上毛電鉄は今は元京王井の頭線の3000系に形式統一されていますが,この頃は時代がかった味のある電車が多数走っていました。

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9.上毛電鉄の電車をもう一つと西桐生駅 1984.4.28
これは西桐生で撮った上毛電鉄の電車です。西桐生の駅舎は40年近く経った今も変わっていません。

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10.上毛電鉄の荷物電車デハ101 1984.4.28
上毛電鉄の荷物電車デハ101は1928年(昭和3年)の創業時からの電車で,なんと今でもイベント用として残っているのは驚きです。下のきっぷは帰りのきっぷで,東武の業平橋で途中下車するのに大変苦労しました。僕の規則趣味にも大きな影響を残したきっぷです。

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11.東京都港湾局専用線の貨物列車 1984.5頃
越中島貨物駅から豊洲石炭埠頭,晴海埠頭へは東京都港湾局の専用線があり,1日数往復の貨物列車が走っていました。ここは今,芝浦工大のキャンパスがあるあたりで,豊洲石炭埠頭へ行く深川線から晴海線を分岐する0キロポストが建っています。

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12.豊洲の造船所前を行く都営バス 1894.5頃
ここは最近,発展著しい豊洲地区,今,IHI本社ビルが建っているあたりです。上の晴海埠頭へゆく専用線が晴海通りと交差していて,大きな踏切がありました。

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13.東京駅18系統新佃島ゆき 1984.4
東京駅18系統はこの年の4月29日から有明テニスの森ゆきになったので,新佃島ゆきの最後を撮ったものです。富士重工3Eのペコちゃんバスですが,レジが1700チョッキリでお気に入りの1台でした。

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14.東急の環七バス @駒沢営業所 1984.2.15
今,環七バスといえば王子78系統王子駅~新宿駅西口線ですが,1984年までは新宿駅西口から大森駅(操車場)までの新宿91系統もありました。この路線は都営/東急の共同運行でしたが,1984年に系統が分割され北側の新宿駅西口~野沢銀座が都営バス,南側の新代田駅~大森駅が東急の単独運行になりました。上は移行前日に旧の宿91と新の森91が並んだ珍しい風景です。東急の3Eには運転室屋根上に超特大のルーバーがついていました。

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15.東急バス駒沢営業所風景 1984.2.15
上で宿91系統の分割について書きましたが,今まさに新代田駅~新宿駅西口を消しているところです。

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16.東急バス東京駅82系統 @東京駅八重洲口 1984.2.15
この日は東急バスの路線網に大鉈(なた)が振るわれた日で,東急バスが都心に乗り入れていた東京駅82系統もこの日限りでした。バスは当時としては新鋭の富士重工5Eです。

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17.都営バス東京駅82系統 @等々力 1984.2.15
東京駅82系統ですがこちらは都営バス便です。

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18.等々力操車場風景 1984.2.15
この日まで等々力~東京駅間には渋谷・玉川通り・新橋経由の東京駅82系統と目黒・目黒通り・祝田通り経由東京駅98系統の2系統が走っていました。僕は後者のバスで柿の木坂~三田を通っていたので,懐かしいバスたちです。

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19.東急バス東京駅98系統 @慶応大学東門 1984.2
通学でお世話になった98系統のほうのバスです。東京駅98系統は2013年に都営バスが撤退し,今でも東急単独で都心へ乗り入れる珍しい系統です。この年は雪が多く東京都心でも5cm以上積もっているようです。

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20.東急バス渋谷22系統 @経堂 1984.2.15
最後にもう1枚,東急バスの名物路線を載せます。渋谷~経堂駅間の渋谷22系統は狭隘な商店街を走るので中型の日野レインボーで運転していましたが,商店街に来ると先導員がバリケードを外し,人払いをしながら運行していました。
(2022.1.2記)

20世紀の鉄道写真(22)--1984年(昭和59年)の写真/夏休み北東北旅行(三陸鉄道開業など)

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 20世紀の鉄道写真,22回からは就職後の写真になります。1984(昭和59)年,僕は就職しましたが,会社は製造業で夏と正月には長い連休があり,引続き鉄道旅行を楽しむことができました。一方,学生時代の友人とは休みを合わせることが難しくなり,一人旅が増えます。また,父は会社が繁多で長い休みはとれず,旅行好きの母を伴っての旅行も随分しました。母と一緒の旅行では列車に乗りっぱなしという訳にはゆきませんが,適宜観光地を訪れる機会も増えます。また,駅構内で少しの間写真を撮りにゆくときに荷物の番を頼んだり,夕食は当地のご馳走を食べたりなど,便利な点もありました。今回あげる北東北の旅行も母と一緒の旅行です。

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釜石線の急行「陸中3号」 1984.7.29

 1984(昭和59)年,国鉄の赤字ローカル線の廃止が盛んに議論されていた頃ですが,明るい話題として岩手県の盲腸ローカル線3線が未開通区間も開業のうえ第3セクターの三陸鉄道に転換されました。国鉄線全線完乗を果たしていた僕としては,世が世なら国鉄線の延伸だったはずのこれらの線は乗らねばなりません。という訳で,この年の夏休みの旅行は,三陸鉄道に決まりでした。

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三陸鉄道南リアス線の列車 1984.7.29

 出発は(1984年)7月29日,東北新幹線「やまびこ」です。当時,新花巻駅はなく,釜石線の急行「陸中」は北上乗換えです。釜石線の陸中大橋では行違いのための停車で,長く止まります。キハ58系の写真が残っていますが,真夏なのに窓は全開,東北地区には非冷房や冷房準備のキハ58系が多数残っていました。陸中大橋はオメガループで有名な駅ですが,交換した列車を入れて写真が撮れる,ゆったりした時間が流れています。

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岩手開発鉄道の食パン気動車,左は岩手開発鉄道のきっぷ @盛 1984.7.29

 釜石から盛は待望の新線,初乗り区間ですが,あまり印象に残っていません。鉄道公団製のモグラ鉄道でトンネルばかり,景色はロクに見えなかった印象でした。開業に合せて新調した気動車は非冷房,うだるような暑さでも長大トンネルのなかは気温が一定で,とても涼しかったのが思い出です。

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岩手開発鉄道の終点岩手石橋で 1984.7.29

 盛に着けば次は岩手開発鉄道に乗ります。岩手開発鉄道は現在は大船渡(長岩)鉱山で産出する石灰石をセメント工場のある赤崎へ運び出す貨物専業の鉄道ですが,1992年3月末までは旅客営業もしていました。たしか列車は1日4,5本しかなく,終点の岩手石橋を基点としているので恐ろしく乗りづらいダイヤでした。気動車は食パン顔の小ぶりなつくり,終点の岩手石橋はスイッチバックしてホームに入る,面白い私鉄でした。また,経営の主体は貨物なので,旅客運賃はとても安かったです。

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陸前高田駅前で 1984.7.30

 この頃僕は,地方私鉄と共に国鉄バスの路線巡りに励んでいて,この時は陸前高田から遠野への遠野線に乗りました。国道340号線を通って陸前高田~世田米~上有住~遠野を結ぶ路線で,陸前高田~世田米間は今は岩手県交通になっているようです。バスに隠れてよく見えませんが,陸前高田の駅舎はBRTになった今の陸前高田駅もその面影を残しています。

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遠野駅 1984.7.30

 遠野は遠野物語で有名な民話の町ですが,博物館などを見学し,前日と同じ「陸中3号」で宮古に下ります。この日も陸中大橋で釜石線のオメガループを行く列車の写真を撮ります。下の写真は今日のとびらの写真と似ていますが,駅員さんの恰好が違うので,別のタイミングです。

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釜石線陸中大橋のオメガループを行く列車 1984.7.30

 急行「陸中」は釜石線の北上~釜石間の急行だったと記憶しますが,三陸鉄道開業に伴い臨時の「リアス号」として山田線に乗入れて宮古まで直通です。まだ陽もあるので,三陸鉄道北リアス線の旧宮古線区間だけ乗って,この日は田老泊まりです。

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臨時急行「リアス号」 @釜石 1984.7.30

 翌31日は待望の三陸鉄道北リアス線乗車を果たし,普代で折返して田野畑に戻り,国鉄バスで北山崎灯台や龍泉洞を巡ります。この界隈には鉄道開業前の交通を確保する目的の国鉄バス路線が張り巡らされていましたが,JRバスで今も残っているのは新幹線駅との接続をはかる平庭高原線,早坂高原線,二戸~久慈だけです。

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田野畑駅前の時計台前で 1984.7.31

 下は途中で見かけた陸中十文字ゆきの国鉄バスですが,局番531-4073から1984年導入の新車です。ピカピカの新車ですが,方向幕は小さい従来サイズ,非冷房という国鉄仕様です。

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国鉄バスの新車。いすゞ-富士重工の531型 @小本駅? 1984.7.31

 前日の遠野は36度,この日も暑い日でしたが,夏でも涼しい龍泉洞を見学し,早坂高原線のバスで盛岡に出ます。早坂高原線は岩手県交通と共同運行で,この便は県交便です。

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早坂高原線の岩手県交通のバス。こちらは川崎のボデー 1984.7.31

 盛岡で1泊し,3日がかりで三陸を巡ったので,今度は東北本線の西側,十和田湖方面を巡ります。国鉄バス十和田南線には東北新幹線と接続する盛岡直通便が何便かあり,このバスに乗ります。

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盛岡~十和田湖(休屋)間の高速バス 1984.8.1

 十和田南駅~十和田湖休屋~十和田湖子ノ口~八甲田山~青森駅の十和田南北線は観光路線で,この当時は座席定員制で運行していました。それでも当日券は発車の随分前に行かないととれないような大盛況でした。また,この十和田南北線の観光輸送は夏の時期だけなので,国鉄バスでは新車を先ずこの路線に投入し,秋になったら本来の配属地に転属させるなどということもあったそうです。

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十和田南営業所風景 1984.8.1

 この日は十和田湖や奥入瀬渓流などを観光し,蔦温泉に泊まります。蔦温泉は八甲田十和田ゴールドラインのなかの一軒宿で,中学の修学旅行や高校の研修旅行で昼ご飯を食べ,一度,泊まりたいと思っていたのです。翌2日は蔦温泉を10:08のバスで出て,青森到着後は弘前に出て弘南鉄道の2線に乗る計画をたてていました。ところがこの日は青森でねぶた祭りで,八甲田山から青森への国道が大渋滞,バスは1時間くらいのべた遅れです。

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国鉄バス十和田湖駅 1984.8.1

 夜のねぶた巡行まで時間があるので,八戸近くの陸奥市川まで客車鈍行で往復して時間をつぶします。この頃の東北本線北部は基本的にED75牽引の雑型客車で,往復約4時間の客車鈍行の旅を楽しみます。

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東北本線233レ @陸奥市川 1984.8.2

 野辺地では防雪林を背に南部縦貫鉄道のレールバスが見えます。記録によれば,この日は陸奥市川を往復しただけで,南部縦貫に乗る時間はありません。

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南部縦貫鉄道のレールバス @野辺地 1984.8.2

 青森に戻れば,東北・夏の4大祭りの一つのねぶた祭りを見物します。ねぶたはこの6年前にも見ていますが,4大祭りに相応しい勇壮かつ盛大なお祭りで,また機会があれば見に行きたいと思います。

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ねぶた祭 1984.8.2

 ねぶたを見て駅前に戻れば,懐かしい青森駅の表玄関風景です。中学校の修学旅行以来,何度も見てきた風景ですが,最近建替え工事も竣工したそうなので,景色も変わったことでしょう。

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青森駅夜景 1984.8.2

 翌3日は平泉で中尊寺を見学しながら,帰京です。平泉をはさむ盛岡~平泉,平泉~一ノ関もしっかり客車鈍行利用です。平泉では東北本線の列車の写真撮りもしたいところですが,今回は同行者がいるので,大人しく中尊寺,毛越寺を見学します。

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このときのきっぷ。東北周遊券ですが下車印もなくきれい

 5泊6日の旅行から写真を選択しましたが,こうしてみると第3セクターや私鉄とバスばかりです。今後しばらくはこのような写真が多くなりますが,引続き30~40年前の鉄道スナップをお楽しみください。(2021.9.12記)

関連記事:最近の三陸海岸,陸前高田,釜石線の記事(2019.7.13訪問)

20世紀の鉄道写真(21)--1984年(昭和59年)の写真/春休み卒業旅行

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 20世紀の鉄道写真,この21回からは1984年の写真をお届けします。この年,僕は大学を卒業,さる製造業の会社に就職しました。この頃,日本経済は戦後の高度成長とバブル経済の端境の安定成長期で,大学の卒業ともなれば,親の脛かじり,自分でアルバイトで貯めたお金で海外へ卒業旅行に行く同級生が多かったです。そんななか天邪鬼(あまのじゃく)の僕は,まだ国内にも行ったことのない魅力的な場所があると,2月から3月は精力的に旅行しまくりました。
 
 2月中旬には青春18きっぷを使って近畿地方の私鉄に乗りに行っています。なぜそんな所に行ったのか思い出せないのですが,既に当時の国鉄線は全線乗っていたので私鉄を攻めたかったのと,加悦鉄道の廃止の噂でも聞いたのかもしれません。加悦鉄道は宮津線の丹後山田(現・京都丹後鉄道宮豊線の与謝野)駅から南方向へ5.7kmの小私鉄でした。地元産のちりめん輸送がルーツですが,大江鉱山のニッケル鉱輸送で栄え,日本冶金グループの会社(社章も日本冶金と同じ)でした。その他,近畿から中国を巡る4日の旅でした。

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1.加悦鉄道キハ51 1984.2.21
加悦鉄道はこの時既に鉄道輸送の終末期で日中はバス便が多く走っていました。終点加悦はSL広場のタイトルで多数の車両を展示していました。この気動車も日本の初期の気動車のひとつです。

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2.加悦鉄道2号機関車 1984.2.21
加悦鉄道創業期の蒸気機関車のようです。1873(明治6)年,イギリスのRobert Stephenson社製で,官営鉄道の大阪~神戸間で使用され,簸上鉄道(ひかみ,現JR木次線)を経て,1926(大正15)年に加悦鉄道入りしたそうです。2005年には国指定重要文化財の指定も受けています。

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3.SL広場の保存車たち 1984.2.21,右下は加悦駅の入場券
左のラッセルはキ165の車号が読取れ,国鉄福知山局にいた車両のようです。右のSLは1261号ですが,真ん中は読めません。加悦駅の入場券は見学料込みで300円の値付けでした。加悦鉄道終業後も加悦SL広場として営業していましたが,残念なことに2020年3月末で閉園してしまいました。ここにもコロナ禍の影響があるようです。加悦SL広場閉園後,展示車両たちはゆかりの土地への里帰り譲渡が決まったものも多いですが,譲渡先が決まらないものも1/3くらいあるようです。

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4.加悦鉄道キハ08-3 1984.2.21
旧国鉄の客車改造気動車の1両の譲渡を受け,加悦鉄道で活躍していました。食パン顔の車両好きには嬉しい1両です。

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5.加悦駅 1984.2.21
加悦駅の駅舎は1926年(大正15年)築で雪の街にあったモダンな建物でした。今は町の中心部に移築され,加悦鉄道資料館として残っています。

 加悦鉄道の翌日は中国山地の中央部が一度は乗っていますが夜行明けでよく覚えていなかったので,そのあたりの復習に行きました。また,木次線と三江線にも乗ったようですが,写真はあまり残っていません。帰りは,代行バス好きだったので福塩線の代行バスに乗り,上りの夜行鈍行「山陰」に泊まった後,近江鉄道や近鉄を巡ったようです。

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6.福塩線の列車代行バス @河佐? 1984.2.23
後ろに河佐峡の広告塔があるので河佐駅でしょうか。ここは広島県ですが,島根ナンバーのバスが応援に来ていました。

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7.中国バス呉ヶ峠(くれがたお)車庫 1984.2.23
バスの方向幕からは「東城」(芸備線)や「上下」(福塩線)が読取れますが,この2駅間を結ぶ路線があり,途中は帝釈峡の景色がきれいでした。

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8.近江鉄道505 場所不詳 1984.2.24
このモハ505は1981年に旧型車の機器,台車を利用して,自社で車体を新製した車両でこの当時では新鋭でした。

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9.近鉄伊賀線5001 @伊賀上野? 1984.2.24
近鉄もローカル線ではこんなシル・ヘッダー付の電車が走っていました。この伊賀線も下の養老線も今は近鉄から切り離されて,今は伊賀鉄道,養老鉄道です。

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10.近鉄養老線6575 @西大垣 1984.2.24
こちらは養老線の電車。元の名古屋線用特急車を3扉セミクロスシート化改造した電車だそうです。

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11.この時の青春18きっぷ。
1984年当時は1日券4枚,2日券1枚の構成で6日間使えて10,000円でした。

 2月末には高校の鉄道研究会の同期5人で南東北の温泉にも行きました。といっても「乗り鉄」仲間なので,日中線,会津線,只見線を訪れています。

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12.この日の会津地方は大雪でした 1984.2.27
どこの駅で撮ったものか分かりませんが,この日は吹雪であちこちで列車が運休になっていました

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13.雪の中をED77牽引の客車列車がやってきた 1984.2.27

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14.只見線のキハ58。雰囲気は会津川口ですが正確なところは分かりません 1984.2.27

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15.雪だるま状態で上野へ上る165系の急行「佐渡6号」 @大宮 1984.2.27
このとき既に上越新幹線は開業していましたが,「佐渡」は165系の急行のまま残っていました。

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16.この時のきっぷ。福島・会津磐梯ミニ周遊券
ミニ周遊券は自由乗降エリアが小さい均一乗車券で,こんな旅行には重宝しました。一般にミニ周遊券と案内されていましたが,券面タイトルにはミニの字はありません。右は日中線のきっぷ。周遊券で行けましたが記念のために買ったもので,こんな近距離でも常備券がなく手作りなのはお客さんが少ない証左です。

 3月になってからは3月5日の夜行の「八甲田」で発って,メインイベントの北東北,北海道旅行です。東北地方の中小私鉄と,北海道には私鉄は少ないので,それまでに行った中で再度訪れたいと思ったところを中心に巡りました。

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17.最初に行ったのは五能線 @鯵ヶ沢 1984.3.6

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18.同和鉱業小坂駅の保存車 1984.3.6
この保存車両は小坂駅が小坂レールパークなった今も残っているようです。小坂レールパークは「あけぼの」などに運用されていた寝台車を購入したり,盛っているようなので訪れてみたいです。

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19.同和鉱業小坂鉄道線の気動車 @小坂 1984.3.6
同和鉱業は大館から小坂と花岡の鉱山へ2本の鉄道を延ばしていて,記録によれば,このときに両方乗ったようです。

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20.花輪線十和田南駅風景 1984.3.6
十和田南駅は十和田湖への南の玄関口として盛っていました。左のキハ58は「急行」表示なので「よねしろ」のようです。

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21.南部縦貫鉄道七戸駅風景 1984.3.8
3月7日は十和田湖を訪れ,翌3月8日は南部縦貫鉄道と十和田観光電鉄に乗りました。両線の終点の七戸~十和田市は国道4号線を通るバス便がありましたが,当時は時刻表の情報がなく苦労して乗ったと思います。

 周遊券(当時は自由乗降区間内は特急自由席が使えるようになっていた)なので「はつかり」,「たざわ」,「鳥海」,「白鳥」を乗継いで三沢から盛岡,秋田を一回りし,青函連絡船の夜行便で北海道入りです。北海道では記録によれば,根室~ノサップ岬,根室標津,三菱大夕張鉄道,富内線日高町などを巡ったようですが写真がありません。この頃はサブカメラとしてCanonのハーフサイズのデミも使っていましたが,ハーフだからといってネガをなくしたか,写真を撮るとその画像が独り歩きしてその場所のイメージになってしまうので,脳みそに焼き付けるんだと生意気なことを言って,写真を撮るのを控えたかです。どちらにしても今となっては,残念なことです。

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22.国鉄バス日勝本線のバス 幌満あたりか 1984.3.12
襟裳岬を巡る国道336号線は岩壁の切り立った海岸に道路を作ったので,お金を敷き詰めるくらいの建設費だったことから黄金道路と呼ばれていました。日高耶馬渓の近く,幌満という停留所でした。今では日に2,3便ですが,当時はバスを捨てて写真を撮る気になる程度の本数が走っていました。

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23.日高本線東町駅で 1984.3.12
日高本線は太平洋の海岸線に沿って海の車窓がきれいでした。災害には弱く,2015年の高波で不通になったまま,2021年3月末で鵡川以南が廃止されてしまいました。

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24.日高本線の急行「えりも」 @本桐 1984.3.12
通票閉塞区間では運転士が2人乗務し,走ったままタブレットを授受していました。

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25.興浜南線栄丘での1枚 1984.3.13
流氷の浮かぶ水平線から登る曙光。今もって生涯で最高の車窓と思っていますが絶景でした。既に全線乗ったことがある線区なので,栄丘という海岸の小さな駅に降りました。

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26.青函連絡船の着岸風景 @青森桟橋? 1984.3.13
青函連絡船はタグボートの力を借りて着岸していました。車両甲板のレールを陸上側の桟橋のレールに合わせるのは,高い操船技術が要ったようでした。たとえ冬場で寒くても,連絡船末期はこれを見るのも楽しみでした。

 北海道から内地に戻れば,また東北旅行の続きです。卒業旅行でお金もあったのか寝台特急利用で「はくつる」に乗り,翌朝は郡山からスタートです。仙台の北と南ですが,栗原電鉄と福島交通を訪れました。

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27.東北本線の普通列車 1984.3.14
記録によれば郡山から仙台は527レに乗ったようです。郡山~仙台通し運転,所要2時間55分でした。そしてびっくりするのがその編成で,赤い50系客車が少なくとも10両つながっています。

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28.栗原電鉄の終点細倉駅 1984.3.14
真昼間の12:30過ぎだというのにえらく静かな雰囲気です。

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29.栗原電鉄の電車,M151 @細倉? 1984.3.14
ここも鉛,亜鉛,硫化鉄を産出する鉱山と共に歩んだ私鉄です。当時は意識していませんでしたが,この春は加悦,小坂・花岡,大夕張,細倉と鉱山巡りになっていました。ちなみに自分の父は非鉄金属を扱う商社マンだったので,同和鉱業などの社名は割と親近感がありました。

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30.栗原電鉄の貨物列車 撮影場所不詳 1984.3.14
この頃はまだ細倉鉱山が操業していて,こんな貨物も走っていました。

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31.福島交通飯坂線の電車,5114 1984.3.14
西武の赤電塗装をしていますが,福島交通の自社発注車です。この頃は中小の私鉄でも自社発注の電車を運用していて,それらを見るのも私鉄乗りつぶしの楽しみでした。今は地方の中小私鉄は自社発注車を発注できる体力もなく,大手私鉄の中古の運用が主体,また売るのが上手な事業者,譲受け側から見て使い勝手のよい車両は限られ,どこに行っても同じような電車が多いです。

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32.この時のきっぷ。千葉発の東北周遊券と青森発の北海道周遊券。東京発の東北周遊券の有効期間は10日間でしたが,千葉発は数百円の違いで14日間有効なので,きっぷを買いに千葉まで行きました。また,青森発の北海道周遊券なんていう商品もあり,冬季割引+学生割引でずいぶん安く買えました。(2021.7.11記)

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