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2021-05

東海道徒歩き(かちあるき)(10)-3 石薬師宿~関宿

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その2 桑名宿~石薬師宿へ

 2020年の東海道徒歩き,今日はその3として石薬師宿から関宿までをお届けします。実際に歩いたのは,庄野宿までが11月1日(月),その先は11月2日(火)です。11月2日は月曜日ですが最初に概略の行程を検討したとき,この先の坂下~関のコミュニティバスが平日しか走らないため,文化の日の谷間は会社はお休みをいただくことにしました。

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石薬師の一里塚跡 2020.11.1(特記あるまで同じ)

 石薬師宿の中心,石薬師寺までは前回書いたので今回はその先です。今日はがんばって庄野宿まで行くことにはしましたが,ここの間隔は短く3.3kmしかありません。緩い下り坂を歩いて行くと,石薬師宿を出はずれるあたりに石薬師の一里塚跡はあります。ここは久々に大きな榎が立っていて,案内板なども整備され一里塚らしい風情です。と思ったら,一里塚の榎は伊勢湾台風で折れてしまい,この榎はその後に植えられたものだそうです。古い写真を見ると榎の木は若々しく,この木は成育が速いことが分かります。

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一里塚跡の裏手を関西線が行く

 一里塚跡のすぐ裏手には関西本線が走りますが,日中は1時間に1本の運転です。数少ない列車がちょうど来るので写真を撮りますが,準備不足でうまく撮れませんでした。一里塚跡を過ぎると追分らしい諸看板が立ち並んでいます。

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石薬師宿の出口のあたり?

 その先は田んぼの中を歩いて行きます。陽も傾いてきたし,飽きもくるので,さっさと歩きます。秋の陽は短く,途中で写真も撮りますが出来はいまいちです。

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秋の田の向こうを関西本線の列車が走る @川曲~加佐登

 この先暫くの間は国道1号線と25号線の重複国道上を,左手に鈴鹿川の広い河川敷を見ながら歩きます。関西本線の駅でいえば加佐登駅の近くですが,国道からは入りづらい位置にあるのでここはパスして庄野宿へ急ぎます。

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庄野宿の入口のあたり?

 16:20,庄野宿の入口あたりに到着です。途中で写真も撮りましたが,2つ上の写真のところから40分もかかっていません。庄野宿は東海道53次のうち一番遅い1624年の制定で,宿場の規模も本陣,脇本陣各1,旅籠15軒と小さかったそうです。

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庄野宿資料館(旧小林家住宅)

 規模は小さいですが古い町並みが残る中を進んでゆくと庄野宿資料館(旧小林家住宅)があります。月曜の夕方で閉館していますが,ガイドブックによれば見ごたえありだそうです。更に進むと,集会所がありここが本陣跡です。隣には三重県名物?の津市元標9里19町の標柱も建っています。

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庄野宿本陣跡

 僕が東海道徒歩きで使っているガイドはなぜか各宿場の西側追分を境にしているので,それに従い庄野宿の西のはずれまで歩きます。ここに着いて16:37,今日も概ね予定の時間で徒歩き完了です。ここは駐在所の前ですが,徒歩きお疲れさまと言わんばかりに大きなファミマがあるので思わず入ります。コーヒーと糖分補充の羊羹を買い,お手洗いを借りてゆっくりします。

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庄野のファミマと庄野橋のバス停(亀山から平田町方面)

 庄野は鈴鹿川を渡れば近鉄鈴鹿線の平田町駅が近く,路線バスも1日に何便か出ています。近鉄四日市駅から東海道沿いに走る三重交通53系統が主体ですが,2時間に1本程度,亀山からの30系統もあり,今なら17:12の亀山発便がちょうどです。バスを待つうち,西の空が赤く染まり,鈴鹿の山並みに陽がおちてゆきます。明日も今日のような天気だとよいのですが,下り坂で午後の雨は避けられそうにありません。

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鈴鹿の山に陽はおちて

 ほぼ時刻表どおり,新しそうな日野ポンチョがやってきて,乗れば10分ちょっとで平田町駅に着きます。途中,鈴鹿川を長い橋で渡りますが,橋の手前も対岸も町(集落)の名前は庄野です。

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平田町駅と亀山~平田町間の三重交通バス(後ろ姿ですみません)

 平田町からは昨日と同じ近鉄鈴鹿線で伊勢若松乗換え,四日市に戻ります。昨日はスポーツクラブに寄りましたが,今日は四日市の1駅先の川原町近くのスーパー銭湯に寄ります。畳敷きの休憩室の隅でたっぷりストレッチをして,温泉に浸って,1日の疲れを洗い流します。今夜も泊りは朝食サービスの東横イン,駅からも近く清潔で便利な宿です。

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四日市三滝温泉・満殿の湯

 夜は街に出て,地場の食材が食べれられ,安くて,更に密も避けるという厳しい条件でお店を探します。小1時間も歩き回って行きついたのが「伊勢志摩食堂」,条件のうち「安くて」は満たしているか微妙でしたが,美味しく気持ちよく食事ができて大満足でした。そういえば前夜もホテルの近くの町の中華屋で,なぜか徒歩きの後は慣例になっている「おこげ」を美味しくいただきました。

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四日市のお食事どころ(伊勢志摩食堂,台湾料理味味)

 翌11月2日(月)もホテルで朝食後,7:19の列車で出発です。詳しくは次回に書きますが,途中,西日野に寄ってから,昨日も歩いた内部(うつべ)へ列車で向かいます。内部駅前からは平田町駅ゆきのバスで,昨日,バスに乗った庄野橋を目指します。平日なので通学の高校生を拾ったり,降ろしたりしながら約26分の乗車です。乗車中は何とかもっていましたが,バスを降りたとたんに雨が降り出します。

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内部からバスで庄野へ。三重交通53系統 2020.11.2(以下,同じ)

 ところで僕の東海道徒歩きですが,殆ど雨に降られたことがありません。静岡以東の日帰りエリアでは雨の日は出掛けないので当然ですが,それより西では少なくともホテルの予約が必要です。去年は3日のうち初日がNG,残りの2日はまずまずの天気でした。10日前天気予報のレンジに入ると頻繁に予報チェックをしますが,今年は初めから11月2日は雨の予報でした。一般に11月3日は雨が降らないと言われているので,その前日も似たような天候と期待していたのですが,見事に外れました。

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南の空には少し日も射したが。バス車内から鈴鹿市方面を望む

 傘をさしながらの徒歩きは面倒なので,とりあえずは上着のフードをかぶって出発です。昨日のファミマに寄って飲み物を仕入れ準備を整えます。庄野宿の次は8.5kmで亀山宿です。県道637号線との立体交差の近くは地下道も整備され歩行者には安全,歩き易くなっています。

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庄野の立体交差付近の案内図

 立体交差から約1kmで中富田の一里塚跡に着きます。この一里塚は川俣神社と隣接した立地が幸いしたのか,よく保存されているようですが,塚本体がどれか定かでありません。雨も強くなってきたので,数カットの写真を撮って先を急ぎます。また,ここからは傘をさしての徒歩きになります。

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中富田の一里塚跡。神社の鳥居の手前と奥に案内板と標柱が建つ

 一里塚跡を過ぎると比較的新しい橋で鈴鹿川の支流の安楽川を渡ります。井田川小学校の先には和泉公民館があります。木造板張りの外壁に茶色の瓦ぶきの屋根,額に時計を配した建物に,郵便ポストやバス停なども配され好もしい佇まいです。ガイドブックを頼りに神社仏閣を巡るより,こんな建物めぐりの方が好きだったりします。

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和泉公民館

 その先で東海道は少し太い県道641号線になり,踏切を渡ると井田川の駅前に至ります。ここで平田町に行くバスと行き合いますが,今日は少し大きくなってエルガミオです。

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東海道(県道641号線)を行く30系統・亀山~平田町線のバス

 井田川駅は殆ど東海道に面した所にあり,駅前には東海道イラスト案内図(今日のとびらの写真)などの案内も複数建っています。

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井田川駅

 井田川小学校は以前は駅前にあったようで,駅前の片隅には「旧井田川小学校跡」の標柱と二宮尊徳公の石像が残されています。母によれば,勤勉の象徴のような二宮尊徳像は昔の小学校(国民学校?)にはどこでもあったそうですが,こんな活用は珍しいと思います。井田川は鈴鹿市と亀山市の境にあり井田川小学校は鈴鹿市立と亀山市立の2校があるようです。

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井田川駅前,旧井田川小学校跡

 こんな具合なので「亀山市」の標識の写真を撮る間もなく,亀山市に入ります。和田の集落では何やら鉄の枠で保護された石造りの道標があります。横に建つ案内板によれば1690年に建てられた三重県内で最も旧い東海道の在銘道標だそうです。

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和田の道標

 鈴鹿川の河岸段丘のような住宅地を登っていくと,和田の一里塚跡に至ります。ここはいかにも一里塚という感じですが,写真を撮ろうとすると電柱が邪魔です。

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和田の一里塚跡

 雨はふつうに降ったり,弱くなったりを繰返しますが,傘が要らないまでにはなりません。さっさとやめて乗り鉄に移りたい気もしますが,全体の行程を考えると,今日はなんとか関宿まで行きたいので我慢の徒歩きです。亀山の市内に入り商業地になると,亀山本町郵便局があるので写真を撮ります。

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東海道亀山宿の碑

 ガイドブックによれば亀山宿は石川氏6万石の亀山城の城下町と一体として見られるようです。こちらは雨も降っているし,城下の街道筋で右に左に曲がっていて,東海道のルートをトレースするのにも苦労します。そんな訳で,亀山宿は本陣跡は見逃してしまいました。亀山の次は5.1kmで関宿です


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野村一里塚跡

 亀山宿の中心を出ると,寺が増え,寺町の風情になります。そのなかに野村の一里塚跡があります。ここでも写真を撮ろうとすると電柱が邪魔になります。一里塚を越えても寺町を進む風情ですが,こんもりとした林があり,その中に神辺簡易郵便局があります。郵便局はたくさん見ていますが,この郵便局は惚れ惚れするような日本家屋です。貯金をしたいところですが,あいにく今日は通帳を持っていません。

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神辺簡易郵便局,併せて今日見かけた2局亀山井田川郵便局,亀山本町郵便局も付けておきます

 東海道はその先で細い陸橋で関西本線を越え,鈴鹿川の右岸に出ます。ところで今日の行程ですが,朝から雨なら予定変更で三重県の私鉄巡りの乗り鉄旅行,一日雨なしなら頑張って坂下宿まで歩く,途中から雨なら徒歩きは関までとして午後は乗り鉄を楽しむと3通りを用意しました。午後から乗り鉄の場合は12:59関発の列車でスタートの行程を計画しました。雨で寄り道が少なかったこともあり,がんばれば関をもう1本早い列車に乗れそうです。列車は1時間ヘッドと分かっているので,11:59頃のはずです。

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雨に煙る鈴鹿川沿いの東海道。往く手には鈴鹿の山々が霞む

 ここの畷道はガイドブックによればぜひ歩きたい魅力的なコースだそうですが,列車の時間も気になるので歩速も速まります。畷道が終わり,一旦,国道1号線に合流すると関宿・重要伝統的建造物群保存地区の看板が建っています。前にも書いたように僕の徒歩きのガイドは京側追分を境にしていますが,今日は雨なのと11:59の列車に乗りたいので,少しの行程を端折ることにします。

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関宿の入口の看板。雨のなか何とか関に到着

 関の宿場町を進むと関の一里塚跡があります。ここは関宿の東の追分,伊勢参宮道を分ける分岐点でもあります。関宿は宿場町の保存状態がよく,町全体が観光地になっているようです。

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関の一里塚跡(京都方面から江戸に向かう東海道と伊勢参宮道の分岐点)

 次回はここからスタートすればゆっくり宿場町観光もできるので,今回,2020年の徒歩きはここまでとします。時間は11:39,列車まで20分あるので,ここから駅へショートカットすれば間に合いそうです。

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関駅入口には国道1号線423.6㎞のキロポストが

 11:52頃,関駅に着きます。ブルーのJR西日本の駅名板がようやくJR西日本のエリアまで辿り着いたかとちょっと嬉しくなります。

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関駅。JR西日本のブルーがちょっと嬉しい

 駅でたくさんあるスタンプを押したり,次回に備え宿場のガイドを収集したりすれば,列車がやってきます。今日の関着もほぼぴったり,昨日の庄野橋も20分くらいの余裕,1日目の桑名,益生駅もほぼぴったりと,今回の徒歩きのタイムキーピングは上出来でした。

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今日(11月2日)の行程。マーカーは不定期です。悪しからず

 JR西日本の営業エリアに入り,東海道も残り72.2㎞+αになりました。次回は関宿観光,鈴鹿越えと時間がかかりそうなので,あと1旅行でやっつけるか,ゆっくり2旅行で楽しむか悩ましいところです。この日はこの後,四日市へ戻り近鉄湯の山線など三重県内の私鉄路線の乗りつぶしを楽しみ,夜の新幹線で帰浜します。(2020.11.27記)

おまけ 三重県の私鉄巡りへ

>>>東海道徒歩き(かちあるき)(1)日本橋~川崎宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(2)川崎宿~藤沢宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(3)藤沢宿~小田原宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(4)小田原宿~三島宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(5)三島宿~江尻宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(6)江尻宿~日坂宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(7)日坂宿~見附宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(8)見附宿~吉田宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(9)-1 吉田宿~赤坂宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(9)-2 赤坂宿~池鯉鮒宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(9)-3 池鯉鮒宿~宮宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(10)-1 宮宿~桑名宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(10)-2 桑名宿~石薬師宿
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東海道徒歩き(かちあるき)(10)-2 桑名宿~石薬師宿

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その1 宮宿~桑名宿へ

 新年明けましておめでとうございます。本年ものりもの大好きのブログをよろしくお願いいたします。新年特大号という訳ではありませんが,写真も50枚以上載せて,2020年11月の東海道徒歩きその2をお届けします。徒歩きは1日に動ける距離は少ないですが,究極の旅行です。ところどころで道草を食って鉄ちゃんもしますので,お付き合いください。
 今日は11月1日(日)に歩いた桑名宿~庄野宿のうち石薬師宿までをお届けします。東海道のルートは現在のJR東海道線のルートと異なり,国道1号線に沿うルートで,鉄道でいえば関西本線沿いに関まで進み鈴鹿峠を越えて草津に至ります。今日は三重県内桑名宿を出て,四日市宿を経て,あとは成行きで石薬師宿か庄野宿までの心づもりです。

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朝は近鉄電車で益生へ戻る @益生 2020.11.1(以下同じ)

 今朝は多少ゆっくりで,ホテルのサービスの朝食を食べた後,7:44の準急列車で益生(ますお)へ上ります。昨夕歩いた道を戻り,かつての桑名宿の南のはずれと思われる福江町に出て,8:00過ぎに徒歩きをスタートします。ここの東海道は住宅街のやや太い道で,車も少なく歩き易いです。また,今回歩いたうちの桑名~関は大体の区間がこのような道で,国道1号線そのものを歩く区間は少なかったです。名古屋以東では旧国道1号線格下げの県道といえども交通量が多い道路が多かったですが,上にも書いたとおり,今は関ケ原越えがメインルートになっているので,鈴鹿越えルートは全般に交通量が少なく長閑です。

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桑名市内の東海道

 上の写真は益生駅からいくらも離れていない所で撮ったものですが,概ねまっすぐに続く道が,慣れてくると旧街道であることを感じさせます。また住宅街のなかにいきなり常夜灯があったりするのも旧街道の証です。今日も天気は快晴,秋の風が爽やかな朝の徒歩きです。

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桑名市内に残る常夜灯

 員弁(いなべ)川を渡ると,行政上は朝日町になります。朝日町は桑名と四日市に挟まれた人口11,000人の小さな町です。近鉄伊勢朝日の駅前に大きな東芝の工場があり,小規模ですが企業城下町のようで,その税収で潤っているから独立を維持しているのでしょうか。

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員弁川に架かる橋から対岸を望む。大きな変電所が眼を惹く

 伊勢朝日の駅前に至ると駅前広場には新しい東海道のモニュメントが建ち,休憩所の整備が進められています。また,近鉄名古屋線はこのあたりで海岸を目指すように曲がっているため,東海道と踏切で交差します。

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伊勢朝日駅前は公園整備の工事中。後ろは東芝三重事業所

 朝からの道草はよくないですが,今日も鉄ちゃん日和なのでここで数枚の写真を撮ります。

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近鉄アーバンライナー @伊勢朝日

 朝日町は東芝だけでは食っていけないと考えたのか,東海道に関する施設整備が盛んで,踏切の反対側でも広場の整備が進んでいます。

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線路の山側の休憩広場

 前回の豊橋~宮の徒歩きから一里塚を確認するよう心がけており,員弁川~伊勢朝日駅の間に縄生(なお)の一里塚跡があるはずですが,見逃してしまいました。代わりにはなりませんが,郵便局巡りのほうは珍発見です。東海道に面して建つこのお宅,真ん前にポストがあり,2階の雨戸は頑丈そうな金属製,もしかして郵便局の遺構?と思うような風情です。違っていたらごめんなさい。

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柿の町内に建つポスト

 東海道の少し右手にはJR関西本線の朝日駅があります。スタンプとお手洗い期待で行ってみますが,築堤上に設けられた棒駅で,スタンプどころか駅舎もありません。新設駅のように見受けられますが,調べると開業は国鉄時代の1983年でした。時刻表を見ると列車は10分くらい来ないようなので先を急ぐことにします。駅前広場に出たところでいきなり「ワイドビュー南紀」が走り去ってゆき,通過列車も含めて時刻を確認しなかったのは失敗でした。

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JR朝日駅

 駅では写真を撮りませんでしたが,時刻を調べたついでに線路の見通しがよいところで関西本線の列車の写真を撮ります。ものの1,2分で上り,下りが1本ずつ来るので効率よいです。

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JR関西本線の列車 @朝日~富田

 上の写真は朝明川の堤から撮ったものですが,堤に沿ってここにも大きな常夜灯があります。

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朝明川の堤の常夜灯

 朝明川を渡ると松寺ですが,ここから行政としては四日市市です。四日市は伊勢湾沿いの石油化学工業で栄える街ですが,東海道の観光にも力を入れているようです。市域に入ると「ここから四日市/ここは四日市 東海道 北の玄関 松寺」の看板とちょっとした休憩所があります。また,道路脇には現在地からの距離感の分かる案内板もあり,このタイプは四日市の市域から出るまでずっと整備されていました。

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四日市市内に整備された案内板

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松寺の立場跡

 しばらく進むと東海道は富田(とみだ)に至ります。富田は近鉄,JRそれぞれの駅があるほか三岐鉄道も通じ,客扱いはありませんがJRの富田駅に通じる連絡線もあります。高架や踏切が複雑に絡むなかに日本橋から98番目,富田の一里塚跡があります。

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富田の一里塚跡(三重県史跡)

 一里塚跡を過ぎると東海道はJRと近鉄の間を進みますが,ちょっとだけJRの富田駅に顔を出します。ここは三岐鉄道の貨物輸送の連絡駅なので,電気機関車重連+炭酸カルシウム・フライアッシュ専用貨車の貨物列車が発車を待っています。また,反対側の側線ではDF200も一休みしています。これらを見ただけでも,寄り道した甲斐があります。

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JR富田駅で。駅舎と三岐鉄道の貨物列車

 富田は五十三次の宿場ではなく間の宿(かんのしゅく)ですが,観光には熱心で富田ふれあいマップが路上のポストにも置かれています。前に三重県は道標に熱心と書きましたが,富田の町内には「津市元標へ拾里」という道標もあります。

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「津市元標へ拾里」の道標

 暫く歩くと富田小学校に至りますが,学校の脇には「東海道総合案内」と題し,日本橋から京都までの五十三次も書かれた四日市市内の東海道の案内板があります。小学校も明治の開校と思われる由緒ありげな風情です。

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四日市市の東海道総合案内。同じものを日永でも見た

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富田小学校の正面風景

 ふれあいマップを見ながら進めば,常夜灯に3つの戦争(日清,日露,大東亜)の慰霊碑と見どころも多いです。

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富田町内の常夜灯と薬師寺の戦争慰霊碑

 東海道は富田の町内でも何回か曲がりますが,そのうちの一つの角には力石などもあります。茂福神社を過ぎれば富田の町も終わりです。

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力石と茂福神社(入口)

 富田の次は羽津という町になり,ここには立看板のふれあいマップが整備されています。

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羽津の地蔵堂とふれあいマップ

 羽津の町内では東海道は国道1号線となり約1kmの間,国道上を歩きます。町の西端,海蔵川の堤には日本橋から99里の三ツ谷の一里塚跡があります。ここは一里塚の木こそありませんが,一里塚跡として整備されています。

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三ツ谷の一里塚跡

 海蔵川を渡ると東海道は国道の1本海側の道となり,また歩き易い道路になります。500mも歩くと三滝川の橋になり,これを渡ると四日市の旧市街です。

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三滝川に架かる橋から河口側を望めばコンビナートや発電所の煙突がたち並ぶ

 その先には「東海道四日市宿資料館」がありますが,今日はお休みのようです。この辺りが四日市宿の中心だったそうで,ガイドブックなどで有名な四日市の道標が建ちます。
 
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東海道四日市宿資料館

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四日市の道標「すぐ江戸道」「すぐ京いせ道」(同じものを別の向きで撮影)

 更に歩を進めると諏訪神社の近くに至り,ここからは「表参道スワマエ」というアーケード街になります。街によっては東海道が目抜き通りのところはありましたが,アーケード商店街は初めてのような気もします。日曜日の昼前だからか,よくいうシャッター商店街か分かりづらいですが,残念ながらシャッターが閉まったお店が多いです。

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諏訪神社と表参道スワマエ

 スワマエのアーケードを抜けると駅前大通りになり,これを渡って更に南進します。時刻は昼前ですが,あまりお腹も空かないのでもう暫く徒歩きを続けます。

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四日市の駅前大通り

 桑名~四日市間が12.6km,次の四日市~石薬師間が12.2kmなので,概ね中間点です。四日市の中心部を過ぎると,市内の案内板も区間が変わり,四日市~采女までの表示なります。

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四日市市内の東海道案内板その2。四日市~采女

 四日市から先は関西本線はやや南寄りのルートで,代わりに四日市あすなろう鉄道(以下,あすなろ鉄道)内部(うつべ)線とほぼ並行して歩きます。史実を確認した訳ではありませんが,明治時代の鉄道開通のとき煙をモクモク吐いて走る陸蒸気を敵視して街道筋から排除したが,後になってやっぱり鉄道は必要と軽便規格の私鉄を敷いたのだろうと想像されます。のりもの趣味的にはナローゲージの鉄道路線は日本に幾つもなく,興味は尽きません。今日は徒歩きをしなければならないので,乗り鉄のほうは明日にとっておきます。

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あすなろ鉄道の列車 @赤堀

 あすなろ鉄道内部線は5.7kmの間に駅が6つもあり,駅間の平均は1kmに足りません。街道筋の家が建込んだなかを走るので,写真が撮れるところも少ないです。何とか頑張って踏切から撮った写真が上です。四日市から2つ目の日永は八王子線を分ける分岐駅ですが,この近くに東海道の一里塚跡があります。ここも塚はありませんが,日本橋からちょうど100里で県史跡として標柱と解説板がたっています。

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日永一里塚跡。小さい「東海道」の札は四日市市内のそこここにある

 時刻は12:30,よいペースで行程を消化しているので,この辺で食事にします。国道に出れば郊外型のファミリーレストランがありそうですが,ここまで来て東京と同じブランドのものを食べるのも如何なものです。国道より手前に大きなショッピングセンター・日永カヨーがあるので,ここで適当に見繕います。食事をして,飲み物やおやつなどを仕入れ,小1時間の滞在で,徒歩き再スタートです。

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旧街道上に建つ日永郷土資料館(閉館した由)

 暫く行くと日永の追分で,大きな鳥居が建ち伊勢参宮道を左に分けます。この近くの100m位だけ東海道は国道1号線と重なります。キロポストを見れば399.4㎞,日本橋からほぼ400kmです。

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日永の追分交差点

 追分の交差点右側には四日市追分郵便局があります。ついでにこの日に見かけた郵便局4局をまとめて載せておきます。

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左上から左下,右上方向に四日市浜田郵便局,四日市赤堀郵便局,四日市追分郵便局,四日市小古曽郵便局

 追分交差点から少し行くと,あすなろ鉄道の踏切があり,追分駅です。あすなろ鉄道のダイヤは平日休日共通でラッシュ時を除き30分間隔です。ちょうど列車が来るので踏切で1本を撮ります。

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あすなろ鉄道の電車と追分駅

 あすなろ鉄道内部線は追分から0.7kmで小古曽,その先も0.7kmで終点の内部です。東海道と並行しているので,内部の近くで先ほど撮った列車の折返しをもう1本撮ります。内部の駅前に郵便局がありますが,これが四日市小古曽郵便局です。

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あすなろ鉄道の電車 @内部

 内部の先,内部川を渡る橋の部分だけまた国道1号線を歩きますが,そこを過ぎれば東海道は旧道になります。旧道分岐のところに閉店したマックスバリューの店舗があり,寂しい景色を作っています。ここにも四日市市版の東海道の案内表示がたっています。よく見ると書いてある内容は四日市~采女の上の写真と同じ区間ですが,道路の右用と左用を書き分けているようで芸が細かいです。

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四日市市版の東海道案内板その3

 この先は采女の台地に上るような線形になっていて,坂道には杖衝坂という名がついています。国道は山を切り崩してなだらかな坂で登ってゆきますが,東海道は久しぶりの急坂が200mくらい続きます。

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杖衝坂

 坂を登りきると右手に鈴鹿の山並みが望める開けたところがあり,采女の一里塚跡の説明板が建っています。また,その先に暫く行った国道沿いのガソリンスタンドにも史跡 采女一里塚跡と書かれた碑が建っています。

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采女の一里塚。元々の一里塚の場所と説明板,新しい碑まとめて

 采女の一里塚の先は国道1号線上をしばらく歩き,台地のサミットに国分町という信号があって鈴鹿市との市境になっています。

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四日市,鈴鹿の市境

 この先は緩い下り坂になって歩き易く,石薬師宿が近づくと東海道はやや右にそれた旧道になります。

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石薬師宿江戸側追分?

 時刻は15:00過ぎですが,石薬師宿に着きます。石薬師は関西本線からも離れ,とても静かな宿場町です。また,国文学者で歌人の佐佐木信綱の生まれた所で,町のあちこちに歌かるたの札が掲げられています。最初の3,4枚は眼を通しますが先も急ぎたいので,途中からは食傷気味になります。

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石薬師宿小澤本陣跡

 暫く行くと石薬師宿の小澤本陣跡です。これまでにも本陣が残っている宿場はいくつかありましたが,観光地として整備され,ここのような自然な形で残っている所は少ないです。

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石薬師宿の案内板。ここも日本橋から三条大橋までの道のりが書かれている

 石薬師宿の中心部で国道を陸橋で渡ると石薬師寺があります。宿場の名前になるほどの古刹ではありますが,真言密寺なので思ったより大きくありません。

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石薬師寺

 さて,今日はここまで来て15:30です。次の庄野宿は意外と間隔が短く,3.3kmしかありません。一方,明日の天気はあいにく雨のようです。明日の行程を減らすため,今日は頑張ってもう一駅庄野まで行くことにします。2日目の行程はもう少し続きますが,記事のバランスが悪いので,その2はここまでとし,以降の行程はその3でまとめて書くことにします。(2020.11.21記)

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2日目,11月1日の行程。この日も概ね30分に1こずつマーカーを置きました

その3 石薬師宿~関宿につづく

>>>東海道徒歩き(かちあるき)(1)日本橋~川崎宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(2)川崎宿~藤沢宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(3)藤沢宿~小田原宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(4)小田原宿~三島宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(5)三島宿~江尻宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(6)江尻宿~日坂宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(7)日坂宿~見附宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(8)見附宿~吉田宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(9)-1 吉田宿~赤坂宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(9)-2 赤坂宿~池鯉鮒宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(9)-3 池鯉鮒宿~宮宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(10)-1 宮宿~桑名宿

東海道徒歩き(かちあるき)(10)-1 宮宿~桑名宿

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 コロナ禍で遠出がしづらい秋ですが,ライフワークの東海道徒歩き,今年も秋も深まったシーズンに2泊3日で約67kmを歩いてきました。歩き始めてしまえば,基本的には独りなので,感染リスクは低いと自他を言い聞かせての徒歩きです。今回のスタートは名古屋の宮宿ですが,1日目の桑名宿まで,2日目の庄野宿まで(記事は石薬師宿まで),3日目の関宿までの3回に分けてお伝えします。

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往路の列車その1。根岸線565A,東海道線1521E

 出かけたのは(2020年)10月31日(土),今朝は多少遅く,自宅最寄りの磯子駅を6:52の下り列車です。なぜか東海道徒歩きでは新横浜に出るのを嫌って,いつも大船まわりでの出発です。大船からは1521E,今日の1番の上野東京ラインで小田原へ下ります。今日の1番の下り列車で21E,お約束どおりの付番が嬉しいです。

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往路の列車その2。ひかり633号

 小田原からは新幹線を利用,今日の列車は「ひかり633号」です。この列車は小田原を出ると次は名古屋で,1時間7分で名古屋に着いてしまいます。途中,山側の車窓には富士山が見えますが,今日は雲一つない快晴で,気持ちのよい徒歩きを期待します。

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快晴の富士山 @富士川橋梁西詰

 9:14,時刻表どおり名古屋着,新幹線は前の方の自由席車から7号車あたりまで移動しておき,せっせと歩いて9:18の岡崎ゆきに乗換えます。3駅戻れば今日のスタート熱田です。熱田はかつての荷物扱いで賑わっていた駅で,今日はコロナ禍の土曜日の午前,数名が降りただけでした。最近はお目にかからなくなった古レールのホーム上屋と長いホームがかつての栄華を偲ばせる雰囲気です。

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往路の列車その3。3310F @熱田

 ところでこの名古屋~熱田の乗車ですが,ふつうに考えると復乗になってしまい,名古屋からの運賃が必要です。旅客営業取扱基準規程150条に「特定都区市内発着又は東京山手線内発着となる普通乗車券を所持する旅客が列車に乗り継ぐため,同区間内の一部が復乗となる場合は,別に旅客運賃を収受しないで,当該区間について乗車の取扱いをすることができる。」というルールがありセーフなのです。このため今日のきっぷは名古屋市内ゆきになる最低の220kmまでの区間を用意したのでした。熱田駅ではなんの問題もなく無効印ももらえました。なお,幾度も書くことですが,磯子発大船回りで東海道線を西下する場合は,101kmから200㎞までの間で切らないと大損します。磯子~富士が112.3kmなので,120㎞までと220㎞までで切るパターンが唯一の損をしない切りかたでした。

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今日のきっぷ。磯子~大船~名古屋~熱田を正しく5,720円で乗るのは二工夫くらい要る

 熱田駅からは先ず今日のスタート,宮宿・七里の渡しを目指します。バスもありますが,待っている間に着いてしまうので,歩いての移動です。七里の渡しでは,1年前に前回のゴールをしたときにゆっくりしたので,今日はそそくさと徒歩きをスタートします。今日のコースは明治期以前の東海道では海上七里といって,船で移動していました。木曽三川のデルタ地帯の濃尾平野は頻繁に氾濫し,街道整備も覚束なかったのでしょう。明治期以降になって国道1号線が整備され,今日のルートはひたすら国道1号線を歩きます。去年までは桑名~名古屋間に年に数回だけ海路を偲ぶツアーが催されていたそうですが,船の老朽化(故障?)とコロナ禍で今年はないようです。

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名古屋市内の国道1号線を行く @中島橋あたり

 理由はいろいろありますが,実は僕はマクドナルドのソーセージマフィンが好物です。今日は国道1号線歩き,マックの郊外店はないか期待をしてきましたが,時刻は10:20を過ぎました。今日はダメかと諦めモードになっていたのですが,行く手の右側にマックの看板が見えます。時刻は10:25,慌てて道路を渡りメニュー切替え前に駆込みます。好物にありつけた嬉しさもあって,ソーセージマフィン2つにハッシュポテトとコーヒーを頼み,お腹いっぱいのブランチをいただきます。今日は何としても桑名までの25kmを歩きたいので,お昼の時間節約にも貢献しそうです。

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マクドナルド昭和橋店

 ブランチが済めば徒歩き再開です。ここは名古屋市内の南部ですが鉄道路線は少なく,寄り道する場所も少なくなります。中島ではあおなみ線と交差しますが,新しい立派なコンクリート製の橋で写真を撮るには不向きです。列車は15分間隔なのでそのうち来るでしょうが,今日は先が長いので列車のない橋だけの写真にします。

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中島駅の近くであおなみ線と交差

 東海道徒歩きと言いながら,あまり名所旧跡の見学はしないで,郵便局巡りの旅になっていますが,今日も同じです。名古屋市南部の商業地・住宅地なので小規模な郵便局はたくさん目につきます。太い国道1号線を渡るのも大儀なので,局によっては道の反対側から写真を撮るだけです。中島までの間で3局,その先で見たもう1局,まとめて4局をつけておきます。

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左上から左下,右上へと順に名古屋一番郵便局,名古屋六番町郵便局,名古屋昭和橋郵便局,名古屋東中島郵便局

 名古屋は戦後の復興期に焼け野原にきちんと都市計画をして太い幹線道路を敷きましたが,今日歩いている国道1号線もその一つです。広い国道には多くの歩道橋が架かっていますが,その多くに距離位置が10m単位で記されています。名古屋の人たちにとって364.25㎞といって何の意味があるのだろう...と思いますが,僕としては日本橋から364kmか...と思うにはよい材料で眼を楽しませてくれます。

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名古屋の歩道橋。日本橋起点の距離表示が嬉しい

 更に歩を進めると権野という操車場も備えたバス停に着きます。去年の有松あたりからずっと見てきた名古屋の市バスの営業区域もそろそろ終わりです。ちょうどバスがやってきたので1枚写真を撮ります。後から調べるとこの先,蟹江町との市町界の近くまで路線はあるようでした。

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名古屋のバスを見るのもこれで最後か @権野

 権野の先,国道302号線との大きな立体交差を過ぎると,国道1号線は急に道幅が狭くなり片側1車線になります。更に先の福田川を渡った少し先までが名古屋市で蟹江町との境界はどうもはっきりしません。これはこの記事を書くために調べて分かったことで,歩いている当座は名古屋市から出ると急に道が悪くなると思いました。

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名古屋市の西のはずれ福島橋の近くで。ここでは国道1号線も片側1車線

 境界もはっきりせぬまま,蟹江町に入ります。すると飛島バスのロゴの入った三重交通のバスを見かけます。飛島村は名古屋の南,航空宇宙産業で栄える村で,工場群からの税収が豊かなため平成の大合併の時代を経ても独立を保つ村です。三菱重工はMRJ(今はスペースジェットというらしい)の開発断念などのニュースがあるので,この村も安泰ではないかもしれません。三重交通はバス事業者としては大手,優良と思っていますが,こんな所まで勢力を伸ばしているとは知りませんでした。

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三重交通が運行する飛島バス

 蟹江あたりからは近鉄名古屋線が道路の北側を走っていて,ときどき列車も見えますが,今日は先があるので道草は食いません。蟹江町を突き抜けると次は愛西市に入ります。ここではしっかり看板も確認できます。愛西市と言われても愛知の西とは分かりますがさっぱり分からず,僕の嫌いな平成の大合併で2町2村が合併して2005年にできた市で,人口は61,000人だそうです。

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東海道は愛西市に入る

 このあたりも東海道は国道1号線そのもので,片側1車線ですが歩道は広く歩き易いです。もともとはもっと狭かったのでしょうが,拡幅されたようで,道の片側だけ昭和初期の欄干が残っていたりします。見逃してしまいそうですが,道路の歴史を感じる遺構です。

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昭和初期の欄干が残る

 また,近鉄の線路もだんだん近づいてきて,橋の上のような見通しのよい所では列車もよく見えるようになります。ところで今回の写真ですが,途中からカメラのGPS機能をONにしています。この写真はどこだろうというとき,写真のプロパティに記録された位置情報(緯度,経度)で地図を検索すれば一発で,文明の利器に感謝です。

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善太川の橋で @富吉~佐古木

 せっかく市の概要まで調べましたが,東海道が愛西市を通るのは1km弱で,次は弥富市に入ります。時刻は13:30前,ふつうならお昼どきですが,今日はブランチをたっぷり食べたので,これだけ歩いてもお腹がすきません。

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東海道は弥富市に入る

 ここ弥富は金魚の養殖が盛んで,金魚の生け簀(養殖池)がそこここにあり,その向こうを近鉄の電車が頻繁に通ります。

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生け簀の向こうを近鉄電車がゆく @佐古木~近鉄弥富

 見える電車は魅力的な特急車も多く,お天気は雲一つない晴れ,しかも秋の陽は低く床下もバッチリです。ざっと行程の7割は来たので,夕方までには桑名に着くでしょう。休憩かたがた,僕の東海道徒歩きの名物の鉄ちゃんをすることにします。

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先ずは一般車の松阪ゆき急行。意外と速いのかシャッターが遅れました @佐古木~近鉄弥富

 金魚の生け簀と共に写真が撮れる場所を探しますがなかなか絵にならず,猫の額ほどの畑が開けた場所で何本かを鉄ちゃんします。

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やってきた特急車はアーバンライナー @佐古木~近鉄弥富

 時刻表を調べるとアーバンライナーに続き「ひのとり」も来るようなので,もう10分粘ります。光線の具合は線路の海側のほうがよいのですが,下草が鬱陶しく,逆光ですが山側のほうがすっきり撮れそうです。「ひのとり」は線路の反対側から撮ってみます。

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近鉄の看板列車「ひのとり」 @佐古木~近鉄弥富

 なんやかやでこの場所で45分位を過ごし,鉄分補給も叶ったので,徒歩きに戻ります。暫く行くと弥富駅前に達し,金魚と「やとみ」の文字が大書きされたバスを見ますが,またしても運行事業者は三重交通です。

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弥富市コミュニティバス「きんちゃんバス」 @近鉄弥富駅前

 続いて弥富郵便局を過ぎれば東海道は木曽川に至ります。

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弥富郵便局。ちょっと写真過多ですが,集配局なので

 木曽川には国道にも立派な鋼橋が架かり,調べると1933(昭和8)年供用開始,延長878.8mだそうです。この尾張大橋の中ほどに愛知・三重の県境があります。愛知県の東側,二川に来たのは2018年11月17日だったので,愛知県を通過するのに約2年かかってしまいました。

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尾張大橋と中ほどに建つ県境の標識

 尾張大橋と並行して近鉄名古屋線とJR関西本線の鉄橋が架かります。近鉄のほうは頻繁に列車が来ますが,JRのほうは列車が少なく,来ても2両編成の身軽な編成です。

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JRの木曽川橋梁を313系の身軽な列車がゆく

 橋の上からは西のほうに鈴鹿の山々が霞みます。今回の行程は遠くても坂下宿までですが,以降の行程が楽しみです。

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尾張大橋から見る鈴鹿の山々

 橋を渡ると木曽川と長良川・揖斐川にはさまれた中洲の長島です。長島は温泉と遊園地のイメージですがそれらの施設はもっと河口寄りで,ここからは観覧車などが見えるだけです。また,行政上は2004年からは桑名市で,意外と早く桑名に着けた感じです。また,橋の袂には大きな東海道の標石が建っています。あとで分かったことですが,どうも三重県は道標を立てるのが好きなようです。

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ようやく三重県に来た。橋の袂に建つ東海道の道標

 少し斜めに長島を横切り,次は長良川と揖斐川に架かる伊勢大橋--こちらは1934(昭和9)年供用開始--を渡ります。この橋も立派な鋼橋で15連1,105.8mは尾張大橋よりも長いです。橋のすぐ下流の長良川側には河口堰があり,水門制御のまるい建物が宇宙基地のようで眼を惹きます。

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伊勢大橋と長良川河口堰

 伊勢大橋を渡れば桑名の旧市街ですが,徒歩きのルートは川に沿って暫く下ります。堤の道路の向こうには六華苑という歴史的な建物も見えますが,森の中に佇むだけで写真にはなりません。それよりは桑名城のほうが目立って,これから歩くルートの目標になります。概ね16:00,ほぼ予定どおり桑名に着きました。

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桑名城

 今日の行程は桑名宿の京口の追分,近鉄の益生駅の近くまでを予定しているので,もう少し先を急ぎます。城の近くには桑名側の七里の渡しがあり,これで海上七里の行程完了です。

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七里の渡し跡(桑名側)

 桑名宿(大塚)本陣跡は船津屋という創業130年の料亭旅館で,今はザ・フナツヤといっているようですが,ドアマンも立つ構えで少々敷居が高そうです。桑名は東海道由来の名所も多く残り,ゆっくりと見れば見どころもありそうです。

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桑名市の観光案内図

 桑名城を左に見つつ南へ歩きます。桑名市内でも東海道は右に左に曲がる箇所がありますが,舗装の色が変えてあり分かり易いです。宿場町の中心あたりには「左 江戸道・右 京いせ道」の道標が建ちます。

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桑名市内「左 江戸道・右 京いせ道」の道標

 16:38,桑名市内の福江町という場所ですが,僕の使っている街道歩き地図の切れ目なので今日の徒歩きを完了とします。この先,近鉄の益生駅から16:52の列車で桑名に戻る計画だったので,途中の道草で調整もしましたがぴったりの到着です。

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今日のゴール,福江町

 益生駅に着くとちょうど上り列車が来たところで,???です。いくら近鉄でもそんなに頻繁に列車があるかと思ったのですが,事前に調べたダイヤは平日ダイヤ,今日は土曜日で,16:52の列車はありませんでした。今日はこの後,JR鈴鹿駅近くのコナミスポーツクラブに行く予定ですが,桑名17:02の快速「みえ」に乗れないのは痛いです。

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近鉄名古屋線益生駅

 面倒なのでスポーツクラブをパスすることも考えましたが,ゆっくりストレッチとジャグジーに浸かりたかったので,代案検討です。近鉄で下って鈴鹿市に行けば30分遅れにはなりますが,「みえ」1本1時間遅れるよりは被害は半分で済むことが分かりました。行程計画のチョンボで遅くなってしまいましたが,18:00前,鈴鹿のコナミに到着です。

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コナミスポーツクラブ鈴鹿

 ところで僕とコナミスポーツクラブですが,かれこれ四半世紀の会員で,今の会員ポリシーでは日本全国のクラブが使えるので,密かに全店制覇を目指しています(まあ,全店は無理でしょう)。事前に調べると三重県ではここ鈴鹿1軒だったので,是非とも寄りたいと思ったのでした。敷地に余裕があるのか,やたらと建坪が広くのっぺりとした建物です。

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Go To キャンペーンの地域共通クーポン

 30分以上かけてたっぷりストレッチをし,少しプールで泳ぎ,今度はたっぷりジャグジーとサウナに浸かって1日の疲れを洗い流します。先ほどと同じ道を戻って近鉄電車に乗り,四日市に着けば今日もホテルは東横インで目の前です。このホテルは泊まりだけでもGo To キャンペーン対象商品を扱っていて,安い料金のうえに地域共通クーポンまでもらえます。ホテルの近くで夕食を摂り,早々に就寝して明日の徒歩きに備えます。(2020.11.20記)

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今日の行程のGPS log。30分に一度,定時通報?のマーカーをおいてみました

その2 桑名宿~石薬師宿へ

>>>東海道徒歩き(かちあるき)(1)日本橋~川崎宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(2)川崎宿~藤沢宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(3)藤沢宿~小田原宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(4)小田原宿~三島宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(5)三島宿~江尻宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(6)江尻宿~日坂宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(7)日坂宿~見附宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(8)見附宿~吉田宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(9)-1 吉田宿~赤坂宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(9)-2 赤坂宿~池鯉鮒宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(9)-3 池鯉鮒宿~宮宿

東海道徒歩き(かちあるき)(9)-3 池鯉鮒宿~宮宿

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 今日は昨年10月の東海道徒歩き,-3として池鯉鮒宿(知立)~宮宿(名古屋中心部)をお届けします。今回の行程も名鉄と並行している区間が多く,名鉄の鉄ちゃん(列車の写真を撮ること)をしながらの道中です。郵便局と一里塚めぐりも-2までと変わりませんが,この区間では本陣跡は不作でした。

 さて,この記事のスタートは(2019年)10月21日(月)9:00過ぎ,池鯉鮒宿です。7:00前にホテルを出て,新安城から知立までを電車と歩きで往復し一旦ホテルに戻ります。ホテルで荷物を整え,2度目の無料の朝食をご馳走になり,改めての出発です。歩き始めるとすぐに知立の古城址がありますが,今日も先が長いので入口の写真だけにします。

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知立古城址の入口 2019.10.21(以下同じ)

 逢妻川を渡り少し行くと東海道は刈谷市に入ります。

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逢妻川の橋上を行く名鉄バス

 ここは国道1号線でキロポストもしっかり整備されているのですが,たまたま撮った340.8kmの次はなぜか341㎞ちょうどで国道マニアにはたまらない不思議な世界です。勝手な推測ですが,市境と共に国道管理事務所も境界となっていて,道路改良などのはずみでできてしまった誤差をこっそり吸収しているのではと思います。

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340.9㎞がとんでいる国道のキロポスト

 国道1号線上を歩いて行くとコンビニと並んで水素ステーションが建っていました。自分の住む横浜界隈では見かけないので,さすがトヨタのお膝元と思います。そう思いながら見ていると,給油のためにミライが1台やってきました。これも実車を見るのは初めてです。

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よそ様の自家用車ですがトヨタミライ

 この辺りは町の名前が一里山で一里塚(江戸から85里)があるはずなのですが,なかなか見つかりません。道路際に何やら石のモニュメントがあるので,その写真を撮ります。「昭和七年二月改築」,「志んめいばし」とあるので,昔かかっていた橋の欄干のようです。一里塚の方は,あとでネットで調べると,歩道橋の陰に一里塚跡の案内板だけが置かれているそうです。

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志んめいばしの欄干

 この辺りの東海道は,まっすぐに走る国道1号線の右に左に振れながらほぼ並行しており,町の人の散歩コースとして整備されています。

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東海道の散歩コースの案内板

 名鉄の駅でいえば富士松駅の近くですが,境川にかかる橋を渡って堤防を越えてから築堤をおりる線路がなかなかよさそうです。送電線の鉄塔が眼につきますが,ここでも何本か鉄ちゃんをします。

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豊明~富士松で

 道路の右手にはPascoのブランドの敷島製パンのきれいで大きな工場が広がっています。以前から名古屋への出張の土産はまんじゅう「なごやん」と決めていますが,ここで作られているのでしょう。

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Pascoのパン工場

 パン工場の先には境川があり,いくらも離れていませんが国道1号線の新境橋,東海道の境橋と両方に立派な橋が架かっています。この川はさほど大きくはありませんが三河と尾張の境界で,境橋には国境(くにさかい)としての由緒があります。また,橋の上から周囲を見るとここは中部山岳の水力発電所から名古屋へ,あるいは三河湾周辺の火力発電所から内陸の都市への送電のルートなのかやたらと送電線の鉄塔が眼につきます。

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東海道の境橋と由緒書き

 境橋を渡ると東海道は豊明市に入り,僅かの距離ですが国道1号線上を歩きます。片側1車線の国道は交通量も多く,気持ちのよい徒歩きではありませんが,キロポストの消化が励みになります。

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国道1号線を歩く @豊明市内

 阿野という町まで来ると東海道は1号線からはずれ,1本西側の道になります。阿野には一里塚があり,街道の両側が残っている所は珍しく,国指定の史跡になっています。

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阿野の一里塚(江戸から86里)。写真左が東京から名古屋に向かって左側(だったと思う)

 一里塚で旧街道気分にひたった後は,現代の宿駅ともいえる郵便局です。豊明郵便局は名鉄の駅でいうと前後駅の近くにあります。

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豊明郵便局

 郵便局の先は前後の駅前です。ここは2日前にスポーツクラブに行くときにも通った所で、見覚えがある街並みです。ここの再開発ビルは,僕はあまり見たことがないですが,キーテナントにCOOPが入居しています。

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豊明市のコミュニティバス

 ちょうど市内循環のコミュニティバスがきたので写真を撮って,先を急ぎます。中京競馬場前駅の近くで東海道は名鉄線を跨ぎ,暫く国道上を歩きます。ここは織田信長が名をあげた桶狭間の古戦場の近くです。実は僕はこのあたりの地理は疎く,桶狭間はもっとずっと東だと思っていました。多分,長篠のイメージと混同していたのだと思いますが,桶狭間の位置は習った覚えがありませんでした。

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桶狭間古戦場の入口と前後駅にあった鎧兜の展示(鎧は10/19撮影)

 有松が近づくと東海道は国道1号線から外れ,国道と名鉄の間の道になります。有松は行政では名古屋市緑区に属しますが,旧街道然とした街並みは名古屋市内とは思えません。また,尾張藩の奨励で作られた絞りが特産で,街並み保存+絞りで観光資源にしているようです。

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郵便局も古い街並みにあわせた外観。有松郵便局

 有松・鳴海絞会館でトイレを借りて小休止しの後,徒歩きを続けます。東海道を歩いていると,あちこちで古い町並みは見ますが,ここ有松は古い町並みが残っている規模も大きく,名古屋の市内ということも考えると,とても不思議な所です。

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有松の街並み

 有松から鳴海に向かって歩いてゆくと,有松の出口のあたりには有松の一里塚(江戸から87里)があります。高速道路の高架が少々うっとうしく,結構手が入れられている感もありますが,ここもよく保存されています。

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有松の一里塚

 一里塚の先では踏切で名鉄と交差します。この踏切も線路の見通しがよいので,また,暫く歩を止めて鉄ちゃんです。

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有松鎌研の踏切で

 踏切を越えると駅勢としては左京山になりますが,街道歩きとしては平凡な一本道です。途中の大通りの交差点では市営バスを見かけます。緑区にはあまり縁がありませんでしたが,このバスは見慣れた名古屋の市営バス,東海道徒歩きもようやく名古屋に辿り着いたかと思います。そのまま暫く歩けば,名鉄の駅では鳴海に到着,鳴海宿です。

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左京山あたりで名古屋市営バスを見る

 ところで,今日の行程は宮宿まで歩いて,横浜の自宅に帰ります。知立を出るときは14:30までに宮宿,七里の渡しに着こうと目標設定しました。お昼を過ぎてもまだ鳴海宿なのでゆっくりしてもいられません。鳴海宿のまん中あたりでは鰻料理屋がおいしそうな煙を上げているのですが,鰻は2日前にも食べたのと時間がないのとでパスです。

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鳴海宿出口の常夜灯

 鳴海宿も名鉄の駅の近くで盛っているのですが,なかなか手ごろな食事場所が見つかりません。そうこうするうち西側の追分まで来てしまいました。常夜灯に案内の看板が建っていたので,これだけ撮って鳴海宿を後にします。ちょうど大きなマクドナルドがあったので,今日は不本意ながらファーストフードで食事時間を切り詰めます。

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名古屋赤坪郵便局

 鳴海の中心部から後は東海道は名鉄とも国道1号線とも違うルートでJR熱田駅/名鉄神宮前駅の近くの伝馬町を目指します。この通りは県道222号線ですが,片側1車線,歩道もあり歩きやすい道です。道路上には幅員減少と最高速度30km/hの標識と共に,特大の東海道の看板があります。名古屋市内では他にも税金を使うべき箇所は多く,あまり旧街道の看板や説明板は見かけないので,これは珍しいです。

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県道上に立つ東海道の看板

 東海道は笠寺の街並みの入口に達し,笠寺の一里塚(江戸から88里)があります。ここも一里塚はよく保存され,塚に立つ榎は樹齢400年だそうです。

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笠寺一里塚

 一里塚を過ぎると東海道は(本)笠寺の中心部に入ってゆきます。笠寺の由来となった笠覆寺(笠寺観音)や考古資料館もあり,この辺は古くから人が住み,栄えていたようです。神社仏閣見物を始めるときりがないので,ここも郵便局の写真だけにします。

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名古屋笠寺郵便局

 本笠寺駅の先で東海道は名鉄線と踏切で交差します。一昨日からずっと見てきた名鉄本線もこれが最後になるので,1本だけ鉄ちゃんします。来たのは3500系を先頭にした急行列車ですが,パノラマスーパーを待っている時間はありません。

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桜~本笠寺

 踏切を渡ると東海道は大きく右に曲がり呼続(よびつぎ)駅の近くまでは名鉄の線路と並行に進みます。呼続一帯は,秋田の象潟を想像しますが四方を川に囲まれた巨松の生い茂る陸の浮島だったそうです。呼続の学区には宿駅制度制定四百年記念碑がいくつか置かれていて,街道歩きの楽しみになります。

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熊野三社の入口にある「宿駅制度制定四百年記念碑」

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宿駅制度制定四百年記念碑

 呼続からのだらだら坂をくだると東海道は再び国道1号線と合流します。その先にはJRの東海道本線があり,国道は幅の広い跨線橋でオーバークロスしますが,歩きでは側道を通って踏切で渡ります。一昨日から名鉄ばかり見てきましたが,久々のJRなので踏切に少しとどまり,1本だけ鉄ちゃんします。

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久々にJRの電車を見る。笠寺~熱田

 踏切を渡ると東海道は国道と別れ1本南側の道になります。ところが,この裏路地には大通りとの交差点に信号がないため,歩くのに難儀します。高架の名鉄常滑線をくぐると小さな広場があって,伝馬町の一里塚(江戸から89里)があります。阿野,有松,笠寺と立派な一里塚を見て来たので,この一里塚は少々しょぼい印象です。

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伝馬町の一里塚

 ここ伝馬町あたりは名古屋の駅前や栄に繁華街が移っていったので,若干寂れた感じがあります。おいしそうな煙を上げる鰻の老舗のあつた蓬莱軒の本店など限られた有名店は隆々としています。東海道は県道225号線と交差しますが,ここも通りを突っ切って歩くことはできず,迂回を強いられます。この先,ほうろく地蔵の角を左に曲がり,またまた大通りを渡るのに難儀します。

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伝馬町界隈の東海道。国道のグリーンベルトが通せんぼ

 国道247号線から斜めに入って行くと,今日の終点,宮宿,七里の渡しに到着です。ここは川の合流点で視界は開けますが,埋立てが進んだため,海に乗り出す乗船の地というよりはリバークルーズの桟橋のようです。

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宮宿,七里の渡しの周辺

 七里の渡しの周辺は公園として整備されていて,船着き場跡や鐘楼などがあります。時刻は14:40過ぎ,予定より10分遅刻ですが,まずまずの時間です。

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船着き場跡の案内板

 鉄道交通が発達するまでは宮宿も栄えていたようで,今は熱田荘というグループホームになっているそうですが三菱重工の社員寮などもあったようです。今日は横浜まで帰らなければいけないのでゆっくりはしていられません。ここでは20分くらい休憩して,次の徒歩きを期して引揚げにかかります。

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熱田荘前を行く市営バス

 来る途中で気になった老舗の和菓子屋で家への土産を買い,名古屋駅を目指します。ここから名古屋駅だとバスが適当な交通機関と思いますが,名古屋の市バスは基幹バスと基幹バスへのフィーダーサービスに整理されているので,ここから1本では行けません。JRか名鉄の駅まで歩けば1本ですが,地下鉄でも乗換えが必要で意外と面倒です。そうこう悩んでいるうちに雨が降ってきたので,一番近くに駅がある地下鉄に決めます。

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川の向こうには新幹線が見える。これで帰れれば速いのですが

 名古屋から新幹線を使わないこととすると,どうやって帰るか悩ましいです。3日で60km歩いたので,いささか疲れてもいるので,東海道線の鈍行を乗継ぐ気にもなりません。それで思い立ったのが東名高速のハイウェイバスです。東名高速線を通しで乗るのも久しぶり(36年ぶり)だし,時刻表を調べると新東名スーパーライナーなる直行便もあります。横浜を通り越して東京まで行ってしまうのも面倒ですが,初めてのルートを通る楽しみもありこれに決まりです。

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今日のルート(歩いた部分のみ)

 僕はあまり高速バスは使わないのですが,1階席はよいシートの車もあるかと1階席を予約します。乗ると定員10席に対しお客さんは5人,僕以外はみな若い女性です。バスに乗るや音楽を聴いたりゲームをしたりとスマホを離さない人達でした。ボックスシートで知らない相客に「この列車はどちらまで」などというのは別世界のようです。エアロキングの1階は熱線吸収ガラスで外も見づらく,夜の高速道路では車窓の楽しみもありません。自分もゆっくりと旅行の反省,お小遣い帳の集計などで過ごします。途中は省略して21:30過ぎ,即位の礼の臨時の祝日の前とあって交通渋滞などもなく,見事な定時運転で東京駅着です。山手線と京浜東北線を乗継げば,22:42自宅最寄りの磯子駅に帰着です。

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新東名スーパーライナー。三菱エアロキングはいいけど10年前の車だ

 3回に分けて東海道徒歩き,吉田宿(豊橋)~宮宿(名古屋)をお届けしました。豊橋~名古屋は昔なら新幹線でひと駅ですが,自分の足では3日がかりでちょうどでした。次は元々は海上7里のルートですが,ほぼ国道1号線に沿って25kmのルートです。その先も頑張って関宿まで進めば,ゴールの京都も視界に入ってきます。いずれにしてもあと延べ7日位で完歩できそうで,予定は決まっていませんがこの先が楽しみです。(2020.1.4記)

>>>東海道徒歩き(かちあるき)(1)日本橋~川崎宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(2)川崎宿~藤沢宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(3)藤沢宿~小田原宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(4)小田原宿~三島宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(5)三島宿~江尻宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(6)江尻宿~日坂宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(7)日坂宿~見附宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(8)見附宿~吉田宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(9)-1 吉田宿~赤坂宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(9)-2 赤坂宿~池鯉鮒宿

東海道徒歩き(かちあるき)(9)-2 赤坂宿~池鯉鮒宿

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 今日は昨年10月の東海道徒歩き,赤坂宿~池鯉鮒宿をお届けします。今回の徒歩きの行程はずっと名鉄と並行していて,あちこちで名鉄の鉄ちゃんして(列車の写真を撮って)の道中です。その他は本陣跡,郵便局めぐりが主体はこれまでと変わりませんが,今回は比較的一里塚跡も多く見ることができました。

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長沢城跡の案内板 2019.10.20(以降,特記あるまで同じ)

 さて,この記事のスタートは(2019年)10月20日(日)10:00頃,赤坂宿です。赤坂宿の様子は前回の-1に書きました。赤坂宿を出ると道は少し山深くなり,道路は県道374号線を名乗ります。名電長沢の駅の近くには,江戸から77里の長沢の一里塚跡があったはずですが見逃してしまいました。後でstreet viewで調べると,木製の柱が1本建っているだけです。左手は小高い山になっていて,長沢城跡との木の案内板が建っています。

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長沢水源の給水塔。裏の山が長沢城跡

 長沢の集落の中を進むと今度は大きな給水塔が現れ,「長沢水源」とあります。水源というと上水道の取水地で水がきれいな所のイメージですが,ここはふつうの里山の集落です。

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児子神社と水準点

 その先には村社 児子神社と石柱の建つ神社があり,その横に水準点があります。水準点がどれほど貴重なものか分からないのですが,随分厳重に守られているのに驚きです。もう暫く行くとこの県道374号線は国道1号線に吸収されてしまいます。

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岡崎市に入る。道路の向こうには名鉄の線路

 行政としては岡崎市に入ると,国道の反対側に名鉄の線路が沿うようになります。背景も悪くないのですが,道路は車がびゅんびゅん通るし,歩道もないようで写真は撮れません。もう少し行くと,緩いSカーブの線路を撮れるポイントが見つかり約20分の道草です。ここで撮ったのが下ですが,撮影名所のようで同じアングルの写真をインターネットで見かけます。

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本宿~名電長沢で

 本宿の中心部に入ると東海道は国道1号線と別れ,僅かに南寄りを並行するようになります。

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本宿の入口。左 東海道,右 国道1号線の標柱と共に町の由来がある

 本宿は53次の宿場ではなく間宿(あいのしゅく)ですが,史跡保存会の活動も活発なようで,古い家も多く残っています。
 
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アイチ味噌溜店舗(市の景観重要建造物)

 町の中心あたりには一里塚跡もあり,ここも立派な標柱が立っています。

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本宿一里塚(江戸から78里)跡

 本宿の町を出はずれると東海道は国道1号線を渡り,国道1号線と名鉄の線路の間を歩くようになります。ここの旧道の入口あたりも上手い具合に線路が見通せるようになっていて,ここでも特急1本を待ちます。

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名電山中~本宿で

 東海道というよりは,駅への取付け道路のような道路を歩いてゆくと,左側に山中簡易郵便局があります。郵便局の局舎は随分見ていますが,ここは簡易郵便局の中でも簡易なつくりです。現地で見たときはSECOMの事務所と併設でいくら簡易でもこれなら強盗の心配はなかろうと写真を撮ったのですが,記事を書きながらよく見るとこれはただの宣伝のようです。

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SECOMの事務所併設のような山中簡易郵便局

 名電山中は昨日も来ているので,さっと流して先を急ぎます。駅前の線路と並行の道が東海道ですが,ここもちょっとした休憩所があったり,並木の松らしき木が残してあったりと,街道歩きの雰囲気が楽しめます。

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名鉄舞木検査場

 山中の集落を出はずれると,東海道は一旦,国道1号線と合流します。国道をしばらく歩くと名鉄の舞木検査場が田んぼの向こうに広がります。昨日はこの辺で写真を撮ろうと思ったのですが,雨が心配で諦めました。今日は天気もよいのでこの周辺で鉄ちゃんです。

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元デキ303。今は車籍を失い工場設備らしい

 舞木検査場は遠目には新鋭の車両検査工場のようですが,既に稼働から20年以上が経っているそうです。工場の端には青い色をしたチビクロコダイルのような電気機関車がいて,異彩を放っています。Wikipediaによれば1927年(昭和2年)三菱製で,車籍を失っているとはいえ,機械遺産としての価値の高い機関車と思います。

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藤川~名電山中で

 もう少し進むと車両検査工場ではなく,緑の山をバックに写真が撮れるので,ここでも暫く待ってパノラマスーパーを1枚撮ります。何やかやでこの周辺で15分くらい道草を食ってしまいました。

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藤川宿本陣跡

 鉄ちゃんを完了して歩き始めれば,すぐに藤川宿の入口に着きます。ここでは宿場の入口を棒鼻と呼ぶようです。ここも東海道の宿場をうりにしているようで,東棒鼻~西棒鼻までいろいろな街道モニュメントが整備されています。藤川宿は本陣跡もよく整備されていて見学するところも多そうですが,今日はたっぷり道草を食っているので,これらはパスして先を急ぎます。なお,今日のスレッドのとびらの写真は藤川宿の東の棒鼻です。

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藤川宿芭蕉句碑

 宿場のなかには芭蕉の句碑もあります。この先に藤川(江戸から79里)の一里塚があったはずですが,標柱が建っているだけだそうなので,見逃してしまいました。

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藤川宿近くの松並木

 藤川宿の西側は松並木が両側に残っており,街道歩きの雰囲気を楽しみます。松並木の出口から暫くはまた国道1号線上を歩きます。1kmも歩かないうちに東海道は国道の西側を平行するようになり,歩き易くなります。昼も過ぎ腹も減ってきたので手近にあった中華屋に入りますが,何組も待っているのでパスです。国道1号線沿いにはドライブインが多そうなので,本来の東海道より1本東ですが暫くは国道を歩きます。徒歩きの昼食はそばのことも多く,ここでもそば屋に入って腹ごしらえです。

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岡崎大平郵便局

 遅い昼食後,14:00過ぎから徒歩きを再開し,乙川を渡ったところからは本来の東海道ルートに戻ります。毎度,東海道徒歩きの記事ではバスの写真を多く載せていますが,今回のルートはバス通りより細い道が多い,愛知県はクルマ社会が発達してバス路線が少ないなどの理由で余りバスを見かけません。ちょうど大平郵便局の前で路線バスを見ることができました。

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大平一里塚(江戸から80里)

 大平には一里塚がありますが,この一里塚は保存状態も良く国指定史跡になっています。

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岡崎宿東海道二十七曲りの案内

 岡崎は徳川家康の故郷ですが,豊臣秀吉の武将として岡崎城主にあった田中吉政が東海道の原型を整備しました。そのときに城下の防衛のために敢えて街道を屈曲させたのが二十七曲がりです。他の城下町でも屈曲した街道筋はふつうにありますが,二十七はとびぬけて多く,後世の徒歩きウォーカー泣かせです。岡崎市は二十七曲がりを一つの観光資源とすべく,曲がり角には標柱を立てています。

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4つ目の曲がり角付近で

 標柱は曲がり角ごとに「い」から順にあり,これらをトレースして行けば間違いはないはずですが,それが意外と難しいです。最初のうちは分かり易いですが,市街中心部に入ってくると屈曲の数も増えて,一部は見失った所もあります。既に時間も15:00過ぎなので,戻って探し回ったりはせず,トレースできなかったところは諦めて進みます。

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岡崎康生郵便局

 また,前回の豊川市内でもあったように,東海道は真っすぐでも交差する道路が渡れないため,迂回を余儀なくされる箇所もあります。二十七曲がりの標柱もこのような個所ではトーンが下がり,心なしか段々小さくなってゆきます。

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東海道と国道1号線の交差点。黒い車の向こうに東海道は続いているが国道の分離帯には柵があって渡れない

 愛知環状鉄道の高架をくぐると岡崎の街はずれになります。徒歩きでは交差する鉄道の写真を随分載せてきましたが,夕方になってきたし,景色もよくないので,愛知環状鉄道はパスです。敬意を表して,高架橋と市街の写真を載せておきます。

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愛知環状鉄道の高架橋と岡崎市街の様子

 愛知環状鉄道と矢作川に挟まれたあたりには名産の八丁味噌の味噌蔵が多く,カクキュー八丁味噌の本社工場や資料館,その裏手の東海道沿いにはまるや八丁味噌の工場が建っています。わが家のジュニアは味噌カツが好物なので土産に買って帰りたいところですが,味噌は重たく荷物になるので,明日,駅で買うことにします。

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カクキュー八丁味噌の工場

 橋を渡っていると上空にはグライダーが浮かび,その先にはわずかに虹も出ています。また,下流には名鉄の鉄橋も見えますが,もう夕方なので先を急ぎます。そういえば,岡崎の城下では二十七曲がりをトレースするのに集中して,本陣はすっかり見逃してしまいました。

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矢作橋で。グライダーと虹。下は矢作橋のモニュメント-出合之像

 矢作橋の先も東海道は国道1号線と離れたり,重なったりしながら西へと進みます。日も暮れてきて歩きづらくなってきたので,無心に歩きます。ふと右手を見ると「予科練之碑」が建っています。僕の祖母は明治生まれ,僕の幼稚園や小学校時代はまだ戦後四半世紀だったので,予科練の話も随分聞きました。この地はかつて第一岡崎海軍航空隊があり,特攻隊の搭乗員として6か月の訓練を受けたそうです。

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予科練の碑

 その先には「英霊招魂碑」もあり,今日の平和に感謝し,ちょっと厳かな気持ちになります。碑の傍らには矢作(江戸から82里)の一里塚跡の碑も建っています。そういえば,岡崎にはもう一つ81里の一里塚もあったはずですが,跡も含めて残っていないようです。

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英霊招魂碑と一里塚跡の碑

 今日は頑張って池鯉鮒まで歩いて,昨日の分を挽回するつもりでしたが,さんざん道草を食ったので日が暮れてしまいました。時刻は17:30,名鉄の駅でいえば新安城が近いので,今日はここまでとします。駅前で夕食を食べ,電車に乗れば2駅で知立です。

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秋の日は落ちて。安城市内で

 昨日から愛知県内の徒歩きを続けていますが,当地では横断歩道橋よりも横断地下道が多い印象です。そういう文化なのか,名鉄の新安城駅も橋上駅ではなく,地下に駅事務室や改札口のある珍しいつくりの駅です。

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新安城駅。線路の両側をつなぐ自由通路が地下にあるつくり 2019.10.21(以降同じ)

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2日目の10月20日の行程

 明けて10月21日(月)はホテルのある知立から,新安城へ電車で戻ります。僕の会社は明日の天皇陛下の即位の礼に合わせ休日ですが,仕事がある人も多く,駅は通勤ラッシュです。知立から乗った電車は6:53の普通列車・東岡崎ゆき,2つ扉の5700系です。僕にとってはパノラマカー譲りの連窓,2つ扉の5700系はいかにも名鉄らしい電車です。しかしながら,他車と扉位置の違う電車は使いづらく,2019年12月限りで2扉の一般車は全廃になったそうです。

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知立~新安城の移動は2扉の5700系。今はないそうで,乗れてよかった

 さて徒歩きですが,昨夕に切り上げた地点からスタートすればよいのですが,道路沿いの景色が気になったので,少し手前からダブって歩きます。何か碑があったようなので戻ったのですが,ふつうの一軒家のよく手入れされた庭と庭石でした。

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東海道沿いの立派な庭の邸宅

 その先には今村郵便局があり,ここでも写真を撮ります。今日は月曜日なので郵便貯金通帳を持っていれば旅行貯金もできたのですが,最近は郵貯の通帳は旅行の持ち物リストから外れがちです。

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今村郵便局

 歩き始めて程なくすると,東海道は知立市に入ります。「東海道見て歩きマップ」の案内板も整備され,徒歩きには優しい街です。知立市観光協会のものですが,それよりも大きな字で「贈 トヨタ車体株式会社」と書かれていて,企業城下町を実感します。

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知立の「東海道見て歩きマップ」

 暫く進むと公園があり,その先には来迎寺一里塚(江戸から84里)があります。ここの一里塚も整備状態は良く,バス停併設になっているのが面白いです。

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来迎寺一里塚

 その先で道路が狭まり,中央線もない幅になりますが,幅が微妙に広がったり,狭まったりします。この区間では,車道の幅が一定で,路側帯の幅が広くなったり狭くなったりの不思議な道路になります。また,一部の電柱には「東海道」と書かれたシールが巻かれていて,細い道路でもここは東海道!とアピールしているようです。

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路側帯が広くなったり狭くなったりする不思議な道路と電柱の東海道の案内

 衣浦豊田道路との交差点はまたまた歩行者非優先の交差点で,ここでも道を渡るのに歩道橋を上下させられます。その先は約500mにわたり松並木が残ります。

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「東海道宿場散歩みち」の入口。交差点に地平の横断歩道はない

 松並木は,「文化の道『東海道宿場散歩みち』」として整備されていて,道の両側に彫刻や文学碑などが置かれています。

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「東海道宿場散歩みち」の彫刻や文学碑

 松並木を抜けると池鯉鮒宿の入口になりますが,ここも国道1号線を渡る横断歩道がなく,横断地下道を通らされます。

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「東海道宿場散歩みち」の出口。横断地下道の屋根の向こうに松並木が見える

 国道1号線と浅い角度で交差すると東海道は知立市の中心部に入ってゆきます。商店街を歩き始めると知立製氷なる氷屋さんがあります。今どき氷屋さんは珍しいですが,こういう古いお店や工場があるのも旧街道の証左です。

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知立製氷

 名鉄三河線の踏切を渡ると商店街の道はまっすぐ知立市の中心部に向かって進みます。往く手の正面にはホテルも見え,ようやく池鯉鮒宿に到着です。池鯉鮒宿の本陣跡の近くを歩ていると,今は営業をしていないいとう温泉なる銭湯に行き当たりました。本陣が代替わりして温泉旅館ととしてやっていたものが廃業したのかと思います。本稿を書きながら調べると,知立宿の本陣跡はこの70m位手前で,案内の立て札も建っていたようで,とんだ誤解でした。

 東海道徒歩き(9)-2として赤坂宿から池鯉鮒宿をお届けしましたが,近日中(2月2日予定)に続きの池鯉鮒宿から宮宿をお届けします。(2020.1.2記)

>>>東海道徒歩き(かちあるき)(1)日本橋~川崎宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(2)川崎宿~藤沢宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(3)藤沢宿~小田原宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(4)小田原宿~三島宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(5)三島宿~江尻宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(6)江尻宿~日坂宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(7)日坂宿~見附宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(8)見附宿~吉田宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(9)-1 吉田宿~赤坂宿

東海道徒歩き(かちあるき)(9)-1 吉田宿~赤坂宿

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 新年明けましておめでとうございます。東京オリンピックイヤーの2020年も「のりもの大好き」ブログをどうぞよろしくお願いいたします。
 新年の第1号の記事はなぜか今年も東海道徒歩きです。西に行くに従って現地までの往復が大ごとになるので,今回は2泊3日で約60kmを歩いてきました。長くなりますが,赤坂まで,池鯉鮒(知立)まで,宮(名古屋)までの3回に分けてお届けします。出かけたのは10月19日(土)~21日(月)の即位の礼の連休の3日を使いました。皇室の大きな行事が大雨になることは少ないので,天皇陛下のお天気パワーを期待したのですが,初日はちょっと外れました。

 出発は(2019年)10月19日(土),わが家最寄りの磯子駅を7:06の根岸線下り列車です。元々はもっと早い時間で計画していたのですが,愛知県東部地方は朝が雨の予報なのでゆっくりの出発です。大船からは東海道線で熱海を目指します。磯子から東海道線下り方面に出る場合,横浜市内発にすると大損をするので,今回もきっぷは焼津までと焼津~豊橋に分けて買いました。この辺の蘊蓄(うんちく)は以前にまとめたのでこちらを参照ください。

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根岸線509A @大船(エンドチェンジ中に撮影)2019.10.19(以降,特記あるまで同じ)

 大船から乗った列車は湘南新宿ラインから来た2821Y小田原ゆきですが,平塚で捨て,平塚始発の731Mに乗換えます。731Mは列車番号こそ東海道本線東京口の700番台ですが,E233系のグリーン車なし5両編成です。横浜あたりで見ているとE231/3系は大量にあるようですが,実際の首都圏の車両運用は朝ラッシュ時の輸送力を最大化すべく限界ぎりぎりでやりくりしていることが分かります。尤も,平塚~小田原~熱海の西湘地区でも通学を中心に一定の流動はあり,着席サービスには貢献しているようです。小田原では後続の列車からの接続をとるため7分の停車,この間に熱海からの新幹線の特急券を用意します。小田原駅は数年前に橋上駅化されてきれいになりましたが,新幹線への乗換えは通路が入りくんで不便になったようです。

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東海道本線731Mは短い5両編成 @小田原

 東海道徒歩き,今回は初めての新幹線利用で,熱海からは「こだま637号」です。熱海では雨も上がり,期待を胸に西進します。今どきの「こだま」は殆どの駅で退避があり,各駅では下のような写真も撮れ,鈍行好きの僕としては楽しい列車の旅です。

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そういえばNのつかない700系も最近は減ってきた @新富士

 10:08,時刻表どおり豊橋着。ここからは市内電車で前回のゴールだった吉田宿本陣跡の札木に向かいます。今日は豊橋まつりだそうで,豊橋鉄道の市内電車は臨時便も出て2両続行での運転です。また,まつりの人出に備えて手売りのきっぷもあるので,記念に小児券を1枚買います。

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豊橋市内線でやってきたのは801号。パト電車 @駅前

 駅前から札木までは電車に乗るほどの距離でもありませんが,今日はたくさん歩くので体力温存,時間節約です。5分ほどの乗車で札木着,見覚えのある鰻屋が本陣跡です。鰻は好物なので開いていたら早い昼ご飯にするつもりでしたが,まだ準備中なので徒歩きをスタートします。

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吉田宿本陣跡。本陣との関係は分からないが今は立派な鰻屋が建つ

 豊橋の市内で東海道は何回か90度曲がる箇所がありますが,懇切に標識がたっています。一般人には関係ありませんが,徒歩きの旅行者には大変助かります。

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東海道の標識のたつ曲がり角

 この先も道はまっすぐでなく,旧東海道をトレースするのに苦労しながら雨雲の重い道を進んでゆきます。暫く行くと「うなぎ」の幟が眼に止まります。時刻は12時ちょっと前,今日は朝から気分は鰻だったので,迷わず小休止です。

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うなぎ・中原の鰻丼。蒲焼1枚で少し寂しいけど,とりあえず満足

 天気が怪しいので食後は早々に店を出ると,雨がポツポツ降ってきました。天皇陛下と自分のお天気パワーもダメかと少々がっかりです。左を見ると豊橋魚市場が広がっています。鰻屋の近くには包丁屋もあり,ここは豊橋の台所のようです。

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豊橋魚市場

 豊川放水路の橋を渡ると小坂井の町に入ります。雨が激しくなってきたので,手近にあった飯田線の小坂井駅に駆け込み雨宿りです。雨は激しくなるばかりで,上がりそうにありません。ここにいても仕方ないので名鉄の伊奈駅まで行くことにし,雨の中を歩きます。東海道徒歩き,延べ10日目になりますが,このような雨に降られたのは初めてです。携帯の天気予報を見ても回復の見込みはなく,3日で60km歩けばよいので今日はここまでとします。高い新幹線まで使って来たのに,今日の成果は7kmくらいでかなり残念です。

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今日の行程

 伊奈駅までは来ましたが,さてこれからどうするかです。今回の宿は知立の駅前に2泊で用意したので,名鉄電車で西進します。また,僕はコナミスポーツクラブの会員ですが,歩いた後はスポーツクラブのスパでも浸かろうと思って,店舗案内を持ってきました。見ると前後の駅近くに豊明店があります。それではと,先ずは前後を目指して上ることにします。伊奈駅では伊奈始発の列車は上り線側の4番線から出ますが,うっかり下り本線の2番線で待っていて,ミスってしまいました。

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伊奈駅のホーム案内看板。こんなに大書きしてあるのに見逃した

 名鉄といってもこの辺りは優等列車ですっと抜けてしまうことが多く,今日は時間があるので鈍行で行くことにします。13:14をミスったので次は13:44の東岡崎ゆきです。明日,沿線を歩くので鉄ちゃんできそうな場所はないかと,前面の車窓にかぶりつきます。

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伊奈からの始発の普通列車。雨でもあり車内はガラガラ

 東岡崎まで来ると雨が上がり,薄日が射してきました。ピーカンではないものの多少は写真が撮れるかと,今日午後は鉄ちゃんで過ごすことにします。場所は,通ってきた中で良さそうだった名電山中~藤川間,舞木検査場のあたりと決め,東岡崎から約30分をかけて名電山中まで戻ります。

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名鉄の看板パノラマスーパー @名電山中

 東岡崎では陽が射していましたが,名電山中では厚い雲です。駅間を歩いていて雨に降られたらかなわないので,遠出はせず,駅の周辺で写真を撮ります。数カットのうちの1枚が下ですが,意外と貴重な車両の写真が撮れたようです。1700系は先代のパノラマカーの置換えのために3両固定編成4本が1999年に新製されたものの,空港特急の設定や指定席車一般車併結スタイルへの移行のためたった9年で片側の先頭車4両が廃車されました。残る4編成8両もテクノロジーの異なる2300系と混結で使用されるためトラブルが多いそうで,早期廃車説が囁かれているようです。

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1700系1702を先頭にした特急 @名電山中

 ところで,ここ名電山中のあたりは現在は岡崎市に属しますが,1955年までは山中村だったそうです。山の中だからかは分かりませんが,ローカル然とした駅前風景です。小1時間をここで過ごし,当初の計画どおり豊明のスポーツクラブに向かいます。

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名電山中駅で

 豊明のコナミスポーツクラブは駐車場も広く,建物も子供向けの運動塾が別棟になっているなど横浜では考えられない規模です。しかし,設備のほうは小ぢんまりとしており,スパの代わりにプール脇のジャグジーで汗を流して帰ります。知立に戻って夕食後は,明日に備えて早寝です。

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知立駅構内,旧ホームの入口にある「弘法山遍照院遥拝所」

 翌10月20日(日)は,雲は残っていますが,雨の心配はなさそうです。ホテルで朝食をとって,7:06の快速特急で知立を出発します。知立駅は東側が高架新線になり,南側に新設されたホームと繋がっていますが,北側の旧ホームも取り壊されずに残っています。その片隅には知立駅から程近い遍照院という寺の出先の「弘法山遍照院遥拝所」が建っています。遥拝所があるばかりに気安く取り壊せないのか,僕には不思議な景色でした。

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知立~伊奈は名鉄電車で移動

 乗った電車はパノラマスーパーを先頭にした快速特急,ちょっと展望席の誘惑もありましたが,最前列は埋まっているので一般席に乗ります。パノラマスーパーは僕にとっては名鉄の看板で,先代の7000/7500系パノラマカーを受け継ぐ速度と展望は一種憧れの列車です。Wikipediaで調べると製造初年は1988年で既に30年選手です。ついでに書くと,全車特別車仕様の4両編成が21本作られましたが,11番~16番の6本が2両編成12本に分割,一般車の1200系と併結されて生き残っています。他の15本は2008年から通勤車の5000系に機器や台車を供出して廃車になりました。マイカーの普及,JR東海とのシェア獲得競争で,名鉄の経営も楽ではないことを期せずして知りました。そんなことはツユ知らず,今回の徒歩きではパノラマスーパーの写真ばかり撮ってきました。

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伊奈村立場茶屋跡にたつ芭蕉と烏巣の句碑

 さて徒歩きですが,伊奈には国府(こう)乗換えで7:36に着きます。伊奈は旧街道沿いの街で,明日の笠寺まで,名鉄の線路と東海道はずっと並行しています。歩き始めてほどなく伊奈村立場茶屋跡の案内板と芭蕉と当地の出身の加藤謙斎(俳号:烏巣)の句碑が建っています。今日は昨日の分も歩かなくてはいけないので,道草は早々に切り上げ先を急ぎます。

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西古瀬川にかかる道路橋。昭和の早い時期の作だ

 この道はバス通りでもなければ路地でもなく,中途半端に広くてまっすぐに続く舗装路です。徒歩きも慣れてくると旧街道を肌で感じられるようになりますが,ところどころに旧街道~メインストリートの痕跡が残っています。昭和初期の道路整備でつくられたコンクリート造りの橋などを見ると嬉しくなります。

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県道31号線との交差点

 愛知県は100m道路などで道路整備の進んだ地域の印象ですが,東海道の行く手には県道の陸橋が立ちふさがっています。陸橋の下の緑地帯に人道があればよいのですが,逆コの字型の迂回を強いられます。今回歩いた区間ではこのような歩行者無視の箇所がいくつかありました。東海道は国府の手前で国道1号線と合流し,名鉄の線路をオーバークロスして線路の東側に出ます。この陸橋からの俯瞰がちょうどよい感じで,今日は道草は最小限と思っていても,列車数本を鉄ちゃんします。

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国道1号線の陸橋から @小田渕~国府

 国府は字面からは歴史のありそうな町ですが,今は豊川市に属し,郵便局は豊川国府郵便局を名乗ります。今日も郵便局の前を通れば,写真を撮りながらの道中です。郵便局の前から東海道は国道1号線と離れ,僅かに東側の道になります。

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今回の徒歩き1局目の豊川国府郵便局

 名鉄で国府~御油は1.1㎞で国府は御油宿の入口の感じです。街並みも宿場町の面影の残る古い町並みになってきます。

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宿場町の面影の残る御油の街並み

 御油宿のあたりを歩いて行くと,ふつうの家の玄関先に江戸から76里の御油一里塚跡の標柱が建っています。今回の行程では意外と一里塚が残っている所が多かったです。

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御油一里塚(江戸から76里)跡

 一里塚跡と高札場跡は気づきましたが,本陣跡は気づかずに通り過ぎてしまいました。本当に街道歩きをするなら,本陣跡はしっかり探すのでしょうが,僕の場合は気がつけば写真を撮る程度です。御油の次は赤坂宿ですがこの間は2.0㎞と極端に短い区間です。また,この間には御油の松並木が残っていて,いかにも旧街道の雰囲気です。

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御油の松並木

 御油~赤坂を歩いて行きますが,ここにある郵便局は音羽郵便局で,東名高速のインターチェンジの名前も蒲郡・音羽です。川の名前も音羽川なので御油,赤坂と音羽でどちらが由緒正しい呼び名なのか分かりません。

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音羽郵便局

 そうこうするうち旧街道は赤坂宿に達し,赤坂宿街並みの図のなどが目に止まります。

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赤坂宿街並みの図

 さらに歩を進めると今度はしっかり赤坂宿脇本陣跡の標柱を見つけます。赤坂宿の周辺は観光スポットになっていて,本陣跡は駐車場になっています。


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赤坂宿脇本陣跡

 また,近くには観光案内所のよらまい館も建っています。時間をかけて街道歩きを楽しむならこういう施設でゆっくりするのもよさそうですが,今日は写真だけ撮って先を急ぎます。

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赤坂宿よらまい館

 今回は1日目が極端に短かったので日にち単位の行程と宿駅とブログ記事がずれてしまいました。今回は宿駅で2つ,赤坂宿まで来たところで次回に続くこととします。(2019.12.7記)

>>>東海道徒歩き(かちあるき)(1)日本橋~川崎宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(2)川崎宿~藤沢宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(3)藤沢宿~小田原宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(4)小田原宿~三島宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(5)三島宿~江尻宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(6)江尻宿~日坂宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(7)日坂宿~見附宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(8)見附宿~吉田宿

東海道徒歩き(かちあるき)(8)見附宿~吉田宿

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 新年明けましておめでとうございます。本年も「のりもの大好き」ブログをよろしくお願いいたします。
 さて今日は新年特大号という訳ではありませんが,写真も文も少し多めで,(2018年)11月16日(金)~17日(土)に歩いた東海道徒歩き第8回,見附宿~吉田宿をお届けします。天気が悪かったりしてなかなか思いどおりにはゆかないのですが,東海道徒歩きは気候の良い春と秋の年2回を基本に考えています。この秋は3連休が何度もあったのに計画が遅れて,11月16日(金)は会社を休んで徒歩きをしました。

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往路の列車3本まとめて。根岸線 463A @磯子,東海道本線 321M @小田原,同 741M @三島 2018.11.16(以下同じ)

 11月16日,出発は自宅最寄りの磯子を5:35の根岸線です。もう少し遅い6:12を予定していたのですが,なぜか4:30過ぎに目が醒めてしまい,なかなか寝付けなかったので30分繰上げての出発です。前回の掛川への移動もこの列車でした。大船から321MでJR東海の管内まで直通しますが,今日は平日ダイヤなのでモーニングライナーへの接続はありません。三島からは島田ゆきの741Mに乗りますが,この列車は静岡で1本前を走っていた739Mに追いつきます。JR東海の静岡周辺のダイヤはトリッキーな接続が数多くあります。この741Mの場合は3+3(2?)連で静岡まで来て,11分の停車の間に後ろの編成を開放するので,先を急ぐ客のための配慮なのでしょうか。このような事情は時刻表からは読み取れず,その列車に乗らないと分かりません。

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東海道本線5052レ。すれ違いざまの前面展望ですがまずまずの出来? @掛川~愛野

 これまた前回の経験からこのあたりの時刻に上りの貨物列車があったはずと構えていると,案の定,EF210牽引の貨物列車とすれ違いました。5月に撮った時はEF66だったので,EF66→EF210の置換えは確実に進んでいるようです。そんなことでバタバタしていて,静岡~磐田間に乗った739Mは写真を撮りそこねました。

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磐田駅の旧跨線橋の支柱

 9:36,磯子から4時間がかりで磐田着です。そろそろ新幹線を使いたくなる距離ですが,今回は往復とも在来線です。磐田駅に着いてホームを歩いているとたまたま「鉄道院」の銘が入った古い跨線橋の柱が目に留まりました。昭和61年まで使われていた先代の跨線橋の支柱は明治44年製だそうで,懇切な説明板と共に保存されているのが嬉しいです。駅を出ると駅前の大クスノキの前では遠足の幼稚園児が記念撮影をしています。

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磐田の大クスノキと遠足の園児

 前回の終点は見附宿本陣跡あたりですが,そこから駅に行く途中に東海道のルートを随分歩いたので,今日のスタートをどこにするかが悩ましいです。駅前のバスターミナルを覗き,スタートは市役所前と見定めてバスに乗ります。市役所前バス停で降りるとまだ戻り足りないようなので,もう1停留所,南高校の先まで歩いて戻ります。結局,またその道を戻るので時間も惜しいし,ばかばかしくなって,明らかに憶えのある郵便局まで戻ったところで今日のスタートとします。郵便局の横には見附名所の見附小学校をかたどった公衆便所があり,これが見附宿らしいので満足です。

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郵便局前の公衆便所。見附小学校のミニチュアが楽しい。前回も写真を載せたが反対側から見たもの

 見附宿~磐田というと今はサッカーの盛んな所との印象が強いですが,実は歴史のある街のようです。通りの右側には遠江国分寺跡という門柱があります。聖武天皇の天平年間はここが遠江の中心だったのかもしれません。

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遠江国分寺跡の入り口

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「大正時代の中泉」の案内板

 さらに歩を進めると「大正時代の中泉」という案内板があり,それによれば中泉軌道という鉄道も走っていたようです。磐田駅が見えるあたりまで戻って右折し,天竜川のほうを目指します。今年の夏には飯田線で天竜川はさんざん見ましたが,この辺の天竜川は川幅も広く第1級の川です。川にかかる道路橋も十数連のトラス鉄橋です。徒歩きルートしてはトラス鉄橋の県道261号線が正ですが,この橋は道幅が狭いので自動車専用で,すぐ横にかかる国道1号線のほうの橋を渡ります。

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天竜川にかかる県道261号線のトラス橋

 橋を渡ると浜松市で,この辺は中野町です。ここ中野町にも浜松からの軽便鉄道が走っていたようで,案内板には駅の跡などが記されています。中野町は橋がなかった頃は交通の結節点で,明治天皇玉座跡の碑などもたっています。また,浜松市の側から見るとここは東のはずれで都市化されておらず,明治の頃の建物がそこここに残っています。

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天竜川橋紀功碑。町の家も旧街道のたたずまい

 中野町から浜松市中心部への道は県道314~312号線になります。片側1車線のふつうの県道ですが,郵便局が目につくのは旧街道の証左です。以前は旅先の郵便局で貯金をし,取扱局印を集めていました。最近は郵便局の窓口の混雑がひどく1局寄ると10分くらいかかる,土曜日に取扱いをしなくなったなどの理由で旅行貯金は低調です。それでも郵便局巡りの癖は残っていて,貯金はしなくても,郵便局を見ると写真を撮りたくなります。

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今日見かけた郵便局まとめて4局。浜松橋羽(はしわ)郵便局,浜松植松郵便局,浜松連尺郵便局,篠原郵便局

 郵便局以外にも,ところどころに並木の松が残っていたりして,見る者が見れば旧街道を感じる県道です。ところで,今歩いている見附宿~浜松宿ですが14.5kmもあり,東海道の1区間としては長い方で,少々飽きてきます。

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この辺の旧街道は現在は県道312号線。浜松市天竜川町あたりで

 浜松の市街が近づくと道路は今度は国道152号線になります。国道152号線というと茅野~高遠間の杖突峠や「塩の道」の秋葉街道も国道152号線で,その起点は長野県上田市です。なんでそんな道が東海道?という気もしますが,僕にとっては馴染み深い国道です。

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浜松アクトタワーを目標に進む。ここは国道152号線

 浜松の中心部に着くと時間は13:30過ぎ,いい時間なので昼食にします。浜松は鰻で有名な街,今夜の宿も浜松ですが,夜は高そうなので今のうちに鰻料理を食べることにします。ネットで調べると旧街道の近くにも盛り場がありそうなので,その中で気に入った店を見つけて,ひつまぶしをいただきました。

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お昼は浜松市内でひつまぶし

 食事の時に飲んだビールの酔い醒ましに遠鉄電車の写真を撮ったりしてゆっくりし,14:00過ぎに今日の後半戦,舞阪宿への徒歩きスタートです。ここのラップも長く11.1㎞あります。浜松市街の中心部を左に曲がると旧街道は今度は国道257号線になります。この道もところどころに並木の松が残っています。浜松駅から舞阪駅近くの馬郡までは遠鉄バスが日中20分間隔で走っているので,久しぶりにバスを入れての写真も増えます。

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加美あたりか。遠鉄バスと松並木の名残

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こちらは増楽郵便局。当地では歩きの小学生もヘルメットをかぶるようです

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高塚駅近くで。国道257号線でもしっかり「東海道」の標識が

 この辺りはJRの線路も並行していて高塚駅も近いので,ちょっと回り道して駅に寄ります。目的はスタンプですが,高塚駅は15:30~15:45は休憩時間で窓口は閉まっています。陽も傾きかけてきたので,残念ですがここは写真だけで先を急ぐことにします。

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高塚駅。改築されたばかりのようできれいな駅舎だ

 再び国道に戻り歩を進めると,篠原町に至ります。ここは交番の前が一里塚跡で,もともと交通の要衝のようです。また,道路の方は再び県道になり,今度は316号線です。

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篠原町で。交番と一里塚跡

 また,この辺りは国道とJRの線路が接近していて,踏切が鳴っているので,写真を撮りに行きます。ちょうど来たのが桃太郎牽引の貨物列車で,思わぬ拾いものをしました。

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東海道本線1072レ @舞阪~高塚

 JRの駅でいうと舞阪駅のあたりが馬郡で,バスは馬郡ゆきとして走っています。

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県道316号線を行く遠鉄バス

 バスが20分間隔なのであちこちでこんな写真を撮っているうちに短い秋の陽は落ちてきました。舞阪駅を通り過ぎると旧街道は国道と合流し,今度は国道301号線となります。舞阪~弁天島間は松並木が随分残っていて,旧街道の風情が楽しめるのですが,今日は寄り道をし過ぎて,完全に陽が落ちてしまいました。

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舞阪~弁天島の松並木

 この道は国道301号線ですが,歩道橋の表記は1号線のままです。なんでも浜松市が管理するエリアでは国道番号の修正作業が進んでいないそうで,正しい国道番号の標識が1か所もないそうです(Wikipediaによる)。露出の加減で写真ではまだ明るく見えますが,実際は殆ど夜です。この辺りは浜名湖が太平洋に向けて開けたあたりで,細い砂州のうえを国道と東海道本線,新幹線が寄り添っています。列車の写真は撮れないので,明日に向けて撮影地のサーベイをしながら歩きます。手許の地図によれば,弁天島の駅前が舞阪宿の本陣跡のようで今日の行程はここまでとします。

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今日のゴール弁天島駅まであとわずか

 弁天島から電車に乗れば浜松までは13分です。ホテルにチェックイン後は,昼間にサーベイしておいた安くてうまそうな居酒屋で夕食にします。時間はまだ早いので外出ついでに銭湯へ行き,旅の疲れを癒します。

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ホテルの風呂は狭いので今夜は銭湯に浸かる。巴湯

 翌17日(土)はホテルの朝食も早々に,7:00過ぎの電車で出発です。泊まったホテルは浜松駅から歩いても7,8分ですが,僕の徒歩きは沿線の私鉄を大事にしているので,遠鉄にも敬意を表します。第一通りから新浜松まで0.5㎞,1分ですが電車にも乗りました。というのも遠鉄の浜松中心部は高架になっていて,外からではなかなか写真が撮りづらいのです。

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遠鉄の電車。1000形のトップナンバーがやってきた @第一通り 2018.11.17(以下同じ)

 浜松からは昨日のルートを東海道線の電車で下り,7:30過ぎに弁天島駅に着きます。東海道,舞阪宿の先は4.6kmで新井宿,その先も6.8kmで白須賀宿,5.9㎞で二川宿,7.7kmで吉田宿と昨日と同じ約25㎞の間に倍の4区間があります。途中で切上げるのもやり易いですが,目標としては吉田宿(豊橋)を目指します。

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第3浜名湖橋梁を行く新幹線,東京側から。追いかけですみません

 昨日の最後にも書きましたが,この辺は国道,東海道本線,新幹線が寄り添って走り,バックの浜名湖もきれいで絵になる区間です。東海道新幹線の写真の1番は富士山をバックにした富士川橋梁ですが,浜名湖をバックにした新幹線はそれに次ぐくらいよく目にします。という訳で,先は長いのに朝から鉄ちゃんで大道草です。インターネットでサーベイすると在来線も新幹線も第3浜名湖橋梁が良いようです。

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東海道本線920M @第3浜名湖橋梁東京側

 ここは足場もよく,高頻度の新幹線とたまにしか列車の来ない東海道本線の掛持ちができます。と呑気に構えていたら在来線の上り電車の時刻を見逃しそうになりました。本当はもう少し高い位置まで上って撮るつもりだったのですが,間に合わず,足回りが橋桁の陰の失敗作です。僕は知らなかったのですが,この920Mは373系使用で逃した魚は大きかったです。

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東海道本線5052レ @第3浜名湖橋梁東京側

 これに懲りて貨物列車の時は十分に準備をして臨み,それで撮ったのが上の作です。少々トリミングしていますがまずまず会心の作です。この後の貨物列車は下りなので,場所を変えて,この鉄橋の反対側に行きます。こちら側は足場が悪いので,もう少し下って浜名湖ボートレース場へ行く陸橋から在来線,新幹線を狙います。こちら側はお顔に陽があたらず本来は午後向きの撮影地ですが,それまで待ってはいられないのでここで何本か写真を撮ります。

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東海道本線5087レ(?) @第3浜名湖橋梁名古屋側

 長大な貨物列車の後ろが入らないのが残念ですが,穏やかな浜名湖も入り,なかなかの場所です。新幹線の方は厳重な金網があって,1眼レフでは写真が撮りづらいです。今回は僕は徒歩き用の小さいほうのコンパクトデジカメなので金網の目の間からで下の写真を撮ることができました。悪質なマニアがいるようで,金網を破いた補修跡があるのは悲しいことです。なお,この場所はボートレース場への陸橋上なので,ひっきりなしに車が通り,轢かれないよう注意も必要です。

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浜名湖を背景に。東海道新幹線N700系。反逆光だけど流線型の新幹線ではあまり関係ない @第3浜名湖橋梁名古屋側

 橋の両側で1時間以上鉄ちゃんをし,成果もそこそこ得られたので,徒歩きに戻ります。道路に戻るとドラッグストアがあるので飲食物を補充,新居町の駅ではスタンプを押しますが,基本的には先を急ぐモードです。新居町駅の先には新居の関所跡が復元されて観光施設になっています。徒歩きの旅人としては是非とも見学したい場所ですが,今日はたっぷり道草を食っているので,写真を撮るだけで素通りです。

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新居関所跡。ここは東海道本線の車窓からも見える

 今回の徒歩きの行程のうち,昨日の浜松,舞阪は今一つ本陣跡がはっきりしませんでした--というか見逃しました--が,新居宿は本陣跡にそれと分かる石柱が立っていました。ちなみにここは湖西市で,国道の整備を国が行うため,しっかり301号線の標識が建っています。

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新居宿本陣跡

 東海道で新居宿の次は白須賀宿です。東海道本線は浜名湖の湖岸を北西に進むのに対し,旧街道は海岸に沿って西進します。明治の技術では途中にある潮見坂を登れなかったのか,宿場の人たちが汽車の煙を忌避したのか,理由は分かりませんが東海道本線の鷲津駅とは随分離れたルートになっています。このあたりの旧街道は国道1号線でも県道417号線でもないただの道?です。車も少なく,松並木が延々ときれいに残っていて,徒歩きとしてはとても気持ちのよいところです。

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新居~白須賀への旧街道。このあたりではスズキの車が多いのは気のせいか

 松並木を抜けると旧街道の雰囲気の漂う街並みに入ってゆきます。行政の力や法律で残る景観保存地区もよいですが,僕としてはこのように自然に古い町並みが残っている方が好もしく思います。土曜日の昼前ですが恐ろしく静かな町です。

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白須賀宿の入口あたりの街並み。景観保存地区ではなさそうだが古い家が多い

 天気もよいし,街並みも旧街道らしく,楽しいタウンウォーキングを続けます。旧街道は針路を北西にとると汐見坂という上り坂があり,坂を登りきるとおんやど白須賀なる休憩施設があります。その近くの展望台からは太平洋を見ることができ,大海原が陽射しを受けて銀色に輝いています。つい先日買ったお茶漬け海苔のおまけで出てきた東海道五十三次カードがたまたま白須賀汐見阪の図で,この構図は江戸の昔からのもののようです。

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白須賀の台地から太平洋を望む

 白須賀宿の中心部は県道173号線ですが,自動車がすれ違うのにも苦労するような細い道です。そんな道でも歴史のある道なので,左側には郵便局,右側に本陣跡と宿場町らしいものが次々に出てきます。

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白須賀郵便局

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白須賀宿本陣跡

 白須賀宿の出口のあたりには境宿という道標がたっています。この石造りの夢舞台東海道の道標ですが箱根を越えたところから何十本と見てきた静岡県の案内で,多分これが最後と思われます。

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静岡県内の「夢舞台東海道」の案内標もこれが最後

 境宿の先で旧街道は県道173号線の新道と合流し,その先では国道1号線と合流します。この県道173号線の区間に短い橋が架かっていますが,橋の名は境橋,橋を越えると愛知県です。箱根を越えたのが2015年9月21日だったので,静岡県を踏破するのに3年以上かかってしまいました。

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静岡~愛知県境の境橋と愛知県・豊橋市の看板

 県境の少し先からは片側2車線の国道1号線ですが,周囲は近郊農業のキャベツ畑です。太陽光発電のエネルギーファームの向こうには雪を頂いた富士山も見えています。ところで11月の徒歩きですが,陽が短いのが難点ですが,ふつうの格好で歩けるのでとても気持ちよいです。暑いシーズンだと日焼け止めを塗ったうえに敢えて長袖のパーカーを羽織り,1日に5本くらいの飲み物を飲んでと,暑さ対策と水分補給が大変ですが,この心配がないのは助かります。

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エネルギーファームの向こうには富士山が

 秋の穏やかな陽射しの中を国道1号線を歩いて行きます。国道1号線を歩く場合,日本橋起点のキロポストが100m刻みで立つので,励みになります。あまり目立つもののない道ですが,286㎞の地点には「286km0」と書かれた超特大のキロポスト?の歩道橋があり笑いを誘います。キロポスト以外に何の意味があってこんなところに歩道橋がと思っていたら,裏側にバス停があり,バスの乗降の便のためのようです。ところがこのバス停,豊橋市のはずれのため運行は平日のみ1日に1本です。

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286㎞のキロポスト上にある歩道橋とその近くのバス停

 道路は幹線道路ですが周囲はキャベツ畑が広がり,のどかな景色です。しばらく行くと新居宿で分かれた新幹線が寄り沿うようになります。

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秋晴れのキャベツ畑を新幹線と共に歩く

 国道1号線と新幹線が接するほどに近づいたところで旧街道はガードをくぐり,新幹線の北側に出ます。新幹線の先で今度は踏切を渡り,東海道本線の北側に出ます。ここの踏切でまた鉄ちゃんをしますが,たまたま来た列車は373系の回送列車,朝は373系で失敗をしたので,ここでリベンジです。

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二川の手前の踏切で。この回送はどういうスジなのだろう

 踏切を渡ると旧街道は線路と並行して,二川駅を目指します。この道は県道404号線ですが,相変わらず細い道です。それでも「東海道」の標識が建っているのは嬉しいです。踏切から二川駅までは二川宿の中心部で,本陣資料館をはじめとして旧宿場町の街並みが楽しめます。

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「東海道」の標識の建つ細い県道の横を東海道本線の電車が走る

 13:30とお昼時なので,江戸屋長左エ門なる食事処に飛び込み,遠州灘の刺身定食をいただきます。二川宿から吉田宿までは7.7km,今回のゴールも見えてきたので,食後の休憩などでゆっくりします。

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二川宿本陣跡は資料館になっている

 食事処を出ても宿場町の街並みはしばらく続きます。そろいの暖簾など町内会が一体となった取組みも盛んなようです。二川は町並みの保存状態もよく,本陣跡は資料館となっており,駅からも近いので,徒歩きではなく旧街道を観光するのであればお薦めの宿場と思います。

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東海道本線1070レ @豊橋~二川

 二川宿を出ると旧街道は東海道線の線路よりだいぶ北側を進むようになります。今日はこれが最後とばかりに旧街道と線路が離れる地点の近くで鉄ちゃんをします。今度も反逆光でお顔に陽があたっていませんが,まあこんなもんでしょうという写真を撮って満足します。

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道を間違って迷い込んだ自衛隊の高山射撃場

 線路と別れ高台の方に登ると多数の無線アンテナが建つ岩屋緑地になります。緑地の出口のところで道を間違えてしまい,本来のルートより東へ進むと自衛隊の高山射撃場に行き当たりました。たまたま昨晩のニュースで,自衛隊の演習場で誤射した砲弾の破片が近くを走っていた軽トラに当たったと報道していました。思わずここは大丈夫だろうなと訝ってしまいます。

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東八町近くには木戸のモニュメントが
 
 道の間違いに気づくまでに時間がかかったので40分くらいロスしてしまいましたが,ようやく豊橋市内の中心部にやってきました。豊橋は市電の残る街,東八町の交差点で何本かの電車の写真を撮ります。16:30前ですが陽も傾いてきたので,先を急ぐことにします。

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豊橋鉄道モ781。特徴ある車号が元名鉄をものがたる @東八町

 今日の帰りはできれば17:02の972Mと予定していたので,段々時間がなくなってきます。ビルの影が濃くなった街の中をせっせと歩きます。札木の電停横を渡ると立派な鰻料理店と吉田宿本陣跡の標石があります。持参の地図ではルートはもう少し続くのですが,本陣まで来たので今日はここまでとし,札木から電車で駅へ急ぎます。

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吉田宿本陣跡。今は立派な鰻料理屋になっている

 豊橋駅に着くと,きっぷを買って,たちまちの晩酌の酒肴と家への土産の竹輪を買ってと大忙しです。それでも札木から電車を使ったのが奏功して,予定の17:02の972Mに乗ることができました。このあとは浜松,沼津乗換えで東海道線を上る帰宅の旅です。沼津での接続が悪く,30分以上の時間があるので,駅前のファーストフード店とコンビニで夕食と食後酒を仕入れます。また,沼津からの336M~1652Eは日付が変わった0:29までかかって宇都宮まで235.9kmを走る長距離鈍行列車です。

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帰りの列車4本まとめて。東海道本線972M @浜松,同828M @浜松,同336M~1652E @沼津,根岸線 2218A @大船

 大船で根岸線に乗換え,自宅最寄りの磯子駅には22:29に着きます。東海道徒歩き,その8も無事完遂です。今回もお天気に恵まれ楽しい徒歩きでした。次回は来年の春に名古屋への道を歩きます。吉田宿(豊橋)~宮宿(名古屋)は63.8kmあり,名鉄の線路とも並行しているので,多数の寄り道が想定されます。1回で宮宿までたどり着けるか微妙ですが,気長に歩いてゆこうと思います。

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今回のルート(札木~駅前の電車も記録)
(2018.12.15記)

>>>東海道徒歩き(かちあるき)(1)日本橋~川崎宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(2)川崎宿~藤沢宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(3)藤沢宿~小田原宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(4)小田原宿~三島宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(5)三島宿~江尻宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(6)江尻宿~日坂宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(7)日坂宿~見附宿

東海道徒歩き(かちあるき)(7)日坂宿~見附宿

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「時空を越える道との対話」袋井宿で

 今日は久しぶりに東海道徒歩き,第7回目の日坂宿から見附宿をお届けします。連休も終わった5月の週末,大井川鐡道に行く用事があり,その前日(2018年)5月19日(土)に1日だけの徒歩きでした。

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東海道線321M @小田原 2018.5.19(以下全て同じ)

 出発は自宅最寄りの磯子駅を5:35の根岸線で,今日も早起きです。大船からは東海道線321Mで沼津を目指します。321MはJR東海に乗入れる300番台の普通列車の始発であることを示しますが,21という番号の列車に乗ると早起きしたな~と思ってしまいます。

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静岡で。少数派の373系が並ぶ

 沼津では3分の接続でホームライナー静岡31号に乗換えです。この列車は土休日のみ運転という変わったホームライナーです。整理券を買っている時間などないので車内で買いますが,発売される整理券は座席の指定がなく,空いている席を渡り歩くジプシー生活です。373系は,富士川,伊那路などのローカル特急と大垣夜行のために開発された電車ですが,重厚なシートと大きな窓を好もしく思っています。せっかくの機会なので320円の贅沢をしてしまいました。

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最近は減ってきたEF66牽引のフレートライナー 5052レ @掛川

 ホームライナーは静岡で先行の5737Mに追いつき,少々慌ただしいですがこの列車に乗って掛川には9:05に着きます。もともとの予定では9:37着予定でしたが,ライナーの効果で1時間近くの時間ができました。持参のダイヤ――といっても貨物時刻表のおまけの1時間目ダイヤですが――を見ると,上りの貨物列車が2本あるようなので,駅撮りですが鉄ちゃん(鉄道写真を撮ること)することにします。2本とも,最近は桃太郎におされて数を減らしているEF66の牽引で,思わぬ拾いものをしました。

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掛川から日坂への掛川バスサービスのバス

 夕方行こうと思うつま恋リゾートへのアクセスの確認,着替え,荷物の預けなど,諸々の準備をしながらゆっくりします。10:00少し前に駅北口のバスターミナルに行き,日坂ゆきのバスを待ちます。静鉄グループの掛川バスサービスのバスは富士重工製の短尺車で,チョロQみたいなスタイルをしています。この路線は前回の帰りにも乗っていますが,これから歩くコースでもあるので,車窓を見ながら歩くルートなどをサーベイします。

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日坂宿本陣扇屋跡

 約20分の乗車で,日坂着です。バス停は本陣跡のすぐ近くで,ここから徒歩きの行程スタートです。前回もここには来ていますが,ヘトヘトの夕方とさあスタートの午前では景色の見え方も変わります。一片の雲もない青空で今日もお天気は良さそうです。予報では午前は雨だったので,徒歩きには大変助かります。日坂宿は鉄道の駅から離れた所にあるため,旧街道の趣がほうぼうに残っていて街道歩きを楽しむ向きはゆっくりしたいところです。僕は萬屋の縁側を借り,海水浴でもないのに日焼止めをたっぷり塗るだけで,早々に出立です。

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日坂なはこんな建物が多数残る。かえで屋

 日坂からは先ほどバスで上ってきた緩い坂道を下るので,アスファルトの舗装路である点を除けば歩き易いです。この道は現在は県道250号線ですが,以前は国道1号線を名乗っていた道で,日本橋起点のキロポストも残っていて街道歩きの励みになります。

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県道250号線を歩く。旧国道番号の「1」はシールで隠されている

 掛川の市街地に入ると旧街道は県道より1本南側の細い道になります。細いといってもこちらの方が由緒正しいので,先ほど乗ったバスもこの道を通るし,郵便局などもこちらの通りにあります。

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旧街道の道路と西山口簡易郵便局

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旧街道をゆく掛川バスサービスのバス。左手には葛川の一里塚跡が見える

 バス通りではありますが交通量は少なく,歩き易い道を進むと掛川市の中心部に来ます。旧街道は市内中心部を何度も曲がりながら通っていて,その跡を正確にトレースするのは難しいです。まあこんなもんだろうという程度にトレースし市内中心部を歩きます。掛川の本陣跡近くは繁華街で本陣通りという飲み屋街もあります。昼になったので,ここで軽くそばの昼食とします。

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掛川の本陣通り。本陣跡とは少し違う場所

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掛川城の大手。時間があればゆっくり見学したいが,今日は素通り

 掛川は高知の殿様の山内一豊が一時を過ごした土地で城下町の整備なども彼の功績が大きいそうです。今の天守閣は平成6年に復元されたものですが,木造だそうです。旧街道はお城のやや南を進むのですが,せっかくなので大手まで行って写真を撮った後,しばらく西で合流することとします。

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天竜浜名湖鉄道西掛川駅

 この旧街道の旅行記は名所旧跡を訪ねたという記述は少なく,専らのりものの写真ですが,天竜浜名湖鉄道クラスになると列車の本数が減って,通りかかったときに列車が来るとは限りません。今日は幸い西掛川駅近くを通った際に列車が来てくれたので,1枚の写真を撮れました。大きな木といかにもローカル線らしいホームの雰囲気と現代のコンビニの対比が面白い駅でした。

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県道253号掛川~袋井線

 掛川宿から次の袋井宿までは旧街道は今の県道253号線のルートになります。県道とはいっても一部区間ではかなり細い道で歩道もありません。しかし,車も少ないので,歩きづらくはありません。掛川~袋井の市境付近には街道の松並木が残っており,そんなに長い区間ではありませんが旧街道の風情が楽しめます。

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市境近くの松並木

 しばらく行くと旧街道は現在の国道1号線と浅い角度で交差し,ちょうどその区間に原野谷川を渡る同心橋という大きな橋がかかっています。また,この川が市境にもなっており,行政は袋井市になります。

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同心橋を渡ると袋井市。安全に国道が渡れるような配慮は嬉しい

 袋井宿は江戸から数えても京から数えても27番目の宿場で,袋井市は東海道のど真ん中を売りにしているようです。旧街道は国道1号線の1本南を進みます。ダイワハウスの大きな工場がありそれを過ぎると富士浅間宮の大鳥居があります。その先には小学校がありますが,門柱には大きく「東海道五十三次ど真ん中東小学校」と書かれています。

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富士浅間宮の大鳥居

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東海道五十三次ど真ん中をアピールする東小学校

 ところで静岡県を歩いていると「夢舞台東海道」の標柱をよく見かけます。県の外郭団体が整備したものと思いますが,統一デザインで,また出てきたぞと思います。この全てをトレースすれば静岡県内の東海道を歩ける訳で,そんなガイドはないのかと思います。

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袋井市内で。あまり変哲のない所ですが「夢街道東海道」の標柱がありました

 暫く行くと「ど真ん中茶屋」という案内が出てきて,数軒の茶屋に行き当たります。僕のような徒歩きの旅行者が1日に何人通るのか分かりませんが,無料でお茶をふるまってくれるので一休みします。

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袋井市内のど真ん中茶屋

 袋井は宿場の中心からそんなに遠くないところに東海道線の駅もありますが,土曜の昼下がりということもあり,人通りが少なく寂れた印象でした。隣の掛川は新幹線駅になり,反対の磐田はスズキやヤマハといった大きな工場立地があり,相対的に地盤沈下しているのかもしれません。反対に東海道ど真ん中にかける意気込みは大きいようです。

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街の中心部で。旧宿場の案内板

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袋井宿本陣跡。頑丈そうな扉だけが残っていました

 さて今日の行程ですが,袋井で15:30です。次の見附宿(磐田市)までは6.5㎞と比較的短めです。ここで引上げればつま恋リゾートの彩の湯が待っているのですが,今回は1日だけなのでもう1駅,見附まで歩くことにします。高札場跡が休憩所として整備されているので,コーヒーを飲んでゆっくりしたりトイレに行ったりこの後の道中に備えます。

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市街地の真ん中でもバスの時刻表は休日の運行がない

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西小学校も東海道ど真ん中をアピール。隣は澤野医院記念館

 袋井からの旧街道は概ね県道413号線に沿ったコースです。6.5㎞は頑張って歩けば1時間ちょっとのはずですが,街道歩きでは写真を撮ったり,道草によるロスタイムが多いので,倍くらいかかることが多いです。おちおちはしていられないので,先を急ぎます。

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木原一里塚。きれいに整備されていますが復元だそうです

 途中,木原では復元の一里塚があり,舗装された県道歩きでも旧街道歩きであること思い出させてくれます。更に進むと道路は県道413号線と国道1号線が絡むジャンクションに至ります。ここは自動車優先で設計された道路で,人通りも少なく,歩行者には不便な箇所です。旧街道は1本南なのですが,その道への入り方が分からず,県道413号線を歩きますが,若干上り坂になっていて疲れた足にはこたえます。

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太田川に架かる橋からの景色。里山の風情

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坂を上りきると遠鉄バスの車庫があります

 遠くから見えるランドマークの磐田グランドホテルの麓には遠鉄バスの車庫があり,久々に路線バスを見ます。磐田の市内では旧街道は県道413号線に沿ってはいますが一筋南または北の道路です。磐田も旧街道を観光資源にしているようで,市街の入口から立派な案内板が立っています。また,ここも本陣跡は扉だけが残っていて,隣りの袋井と似ています。

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旧見附小学校
ちょっと離れたところの公衆便所も似た形

 宿場町の通りを歩いて行くと旧見附小学校の建物の前を通ります。学制発布後まもない明治8年(1875年)に落成した現存する日本最古の洋風木造小学校校舎だそうです。僕の場合は,江戸時代の東海道五十三次に限らず,明治期の東海道にも興味はあるので,こういう建物でも見れば嬉しいです。この校舎は余程,磐田市民になじんでいるらしく,15分くらい離れた所にある公衆便所もこの校舎をかたどっていました。

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見附宿本陣跡。ここも扉だけが残る

 ただ今の時刻は17:20,やはり2時間近くかかってしまいましたが,何とか見附宿まで辿り着きました。今日の徒歩きはここまでとして撤収,駅に向かって歩きます。駅への道も旧街道で京方見附跡などを通ります。今までは基本的には切れ目は本陣跡としていたので,次回どこからスタートするか悩ましくなります。20分も歩くと大きなクスノキが現れ,磐田駅に着きます。

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磐田駅と大クスノキ

 明日は大井川鐡道で会合があるので今夜は掛川泊です。お腹もすいたので食事は磐田で済ませてから,移動することにします。今回は徒歩きの最中には鉄ちゃんをする場面が少なく,さりとて名所旧跡を巡りながらの旧街道歩きという訳ではありません。自分としては気に入った文物で立ち止まって楽しい徒歩きでしたが,読むかたには中途半端な内容だったかもしれません。

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(参考)今回の行程
(2018.6.16記)

>>>東海道徒歩き(かちあるき)(1)日本橋~川崎宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(2)川崎宿~藤沢宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(3)藤沢宿~小田原宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(4)小田原宿~三島宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(5)三島宿~江尻宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(6)江尻宿~日坂宿

東海道徒歩き(かちあるき)(6)江尻宿~日坂宿

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 東海道徒歩き,去年の秋は雨で歩けなかったため,ちょうど1年ぶり,5月の連休に歩いた江尻宿から日坂(にっさか)宿をご報告します。今回も写真中心のレポートになり,かつ,街道歩きだか鉄ちゃん(鉄道写真撮り)しに行ったんだか分からない内容ですが,あしからず。

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磯子駅で。去年と同じ列車でスタート。

 ゴールデンウィーク前半は,ジュニアは学校があり,気候はよく街道歩きには絶好のシーズンなので,今年も2日間の休日をもらい東海道徒歩きに出かけます。(2017年)4月30日,この日も自宅最寄りの磯子駅5:47の根岸線で出発です。

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清水(行政上は静岡市)市内の路線バス。ちびまる子ちゃんの住む町の設定は清水らしい

 大船,熱海で乗換え8:30には清水に着き,駅で着替えや荷物の整理の後,前回のゴールの稚児橋へ向かいます。平成の大合併で清水は静岡市内になってしまいましたが,清水はもともと東海道の江尻の宿場町でした。昭和の時代にも町名の整理が行われたようで,新旧町名町界案内図(昭和63年1月設置)という看板が立っていました。これを見ると,江尻大手町とか江尻本宿町などの町名があり,江戸,明治の昔が偲ばれます。稚児橋に立つと空には一片の雲もなく,今日も良い天気になりそうです。天気が良いのは写真を撮るのには都合がよいのですが,歩くのには日焼けがきついのが難点です。

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新旧町名町界案内図。古い町名を大事にするのは好ましい

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稚児橋で。今日も良い天気だ

 東海道を歩き始め,追分(宿場のはずれ)のあたりで大きな踏切で東海道本線と静岡鉄道静岡清水線を渡ります。光線の加減は文句のない順光なので,早速ここで何枚か写真を撮ります。静鉄の電車は何年か計画で去年登場したA3000形に置き換えが計画されています。ヘンなラッピングのないオリジナルの電車が来たので,とりあえず満足です。

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静鉄1000形。ドア横にエンブレムがあるがこの角度ではほぼオリジナルに近い姿

 しばらく歩くと大きなイオンがあったので,ここで朝ご飯を食べて小休止です。その先の御門台駅の近くでは旧街道から少し外れますが,富士山をバックに写真が撮れるようなので,そこでも何枚か鉄ちゃんをします。冒頭の口絵写真はここで撮ったものです。静鉄の線路は県総合運動場駅の先で東海道本線,新幹線をオーバークロスしますが,このルートがほぼ旧街道ルートです。線路をくぐる細い道路の入り口のあたりには「旧東海道記念碑」という立派な碑が立っていました。

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旧東海道記念碑

 東海道本線の北側に出ると静鉄線は新静岡に向けてやや北寄りのルートをとりますが,旧東海道もほぼそれに近いルートです。途中,長沼駅の前にはこのブログでもよく扱うBトレインショーティーのバンダイナムコの工場があります。富士山をバックに写真が撮れるので,ここでも何枚か鉄ちゃんします。

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バンダイナムコの工場前で。うっすらと富士山が見える

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これはもう少し先の県護国神社の近くで。新鋭A3000系と富士山

 昼前には静岡(東海道の宿場は府中宿)に着いたのでここで昼食にします。適当に入っためし屋では,白魚,桜えび,マグロの駿河丼なるどんぶりがあったので,迷わずビールと共にこれをいただきます。

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駿河丼

 静岡を出ると東海道線は海岸に沿って焼津に向かいますが,東海道のルートは丸子~岡部と内陸を通ってゆきます。この2宿は鉄道ルートと離れているので閑静で昔の街道の風情が残るところも多いです。

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まずは安倍川を渡る。新幹線なら東京駅からここまで1時間そこそこだ

 丸子~岡部~藤枝の区間は国道1号線もバイパス化され,東海道はほぼ県道208号線沿いのルートになります。

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新静岡~丸子~岡部~藤枝間には30分間隔で静鉄ジャストラインのバスが走る

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丸子宿京方見附で

 丸子宿~岡部宿の間にはちょっと大袈裟ですが南アルプスがせり出してきていて,標高170mの宇津ノ谷峠の峠越えになっています。峠には平成の現役の国道1号線,県道208号線の昭和のトンネル,遊歩道になっている明治のトンネル,トンネルによらない旧街道の4ルートがあります。東海道徒歩きとしてどのルートをとるか悩ましいですが,国指定有形文化財になっている明治のトンネルを通ることにします。

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宇津ノ谷峠の丸子方登り口。昭和のたたずまいが残る。小さい写真は明治のトンネル

 岡部宿に着くと夕方5時ですが,まだ陽もあるし,バスは30分間隔で走っているので,藤枝宿目指してもう少し歩くことにします。 

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岡部宿大旅籠柏屋前を行く静鉄バス

 藤枝宿の域内に入り「志太温泉入口」まで来たところで7時になったので,バスを使うことにします。停留所を19:02のバスがあるので,藤枝駅までバスに乗り,駅前のホテル(東横イン)に投宿します。

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藤枝駅前。駅の規模が小さいので駅,バス停,ホテルが本当に目の前

 翌5月1日は6:30からのホテルの朝食(無料が嬉しい!)を済ませ,6:53のバスで昨日乗った志太温泉入口まで向かいます。歩いても大したことはないのですが,時間節約と体力温存です。バスを降りた後は,昨日の続きのルートへ歩を進めます。

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旧街道沿いの交番跡。役目を終えた交番ですが,東海道を旅する方への看板があり,水とトイレを提供していて,嬉しい心遣い。道路も旧街道の面影が残ります

 今日のルートでは藤枝~島田はほぼ東海道線の線路に沿っていますが,それ以外はまた別ルートです。線路に沿ううちに鉄ちゃんをしないといけないので,朝から道草です。

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たまたまホームライナーを撮ることができました

 貨物列車期待で50分くらいを踏切で粘りましたが,今日はゴールデンウィーク中の月曜日,見事に空振りになってしまいました。

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代わりに撮った東海道線電車。藤枝~六合で

 この辺りでは国道1号線は格下げされて県道381号線になっていますが,旧東海道はそれより若干南寄りのルートになったり,381号線に吸収されたりしながら西進しています。

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島田付近で。381号線に吸収された区間から左に分かれるのが旧街道。小さくてわからないけど国道1号線時代の日本橋起点207.6kmのキロポストも残る

 島田は大井川をはさんで東の島田市と西の金谷町が合併して今の島田市になりましたが,それって一体化して意味あるの?という感じがします。ともかく,大井川は江戸時代は架橋が禁止されていたので,旅人相手の商売が盛んで栄えていたそうです。

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島田市のコミュニティバス。これはリエッセだが,フルサイズのエルガもあり,多くの路線がある

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島田側の河原近くには川会所を中心に江戸時代の建築物が残りヒストピア島田となっている

 今は旧東海道の川越えルートは通れないので国道の橋を迂回しますが,この橋も土木学会選奨の土木遺産で1km以上あります。約10分かけて橋を渡ると金谷宿です。

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大井川は暴れ川で川幅が広い。遠くに見えるのが東海道線だが16連の長い鉄橋

 金谷といえば大井川鐡道ですが,新金谷駅の踏切を通るとほぼ毎日運転のSL列車がちょうど駅に入っています。慌てて時刻を確認するとあと15分くらいで出発なので,ここでも道草です。大井川の客車は一部がきかんしゃトーマスに合わせて明るい茶色になっていますが,ブドウ色の客車と混色で使うのはいかがと思います。

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新金谷駅出口の踏切近くで

 ちょうどお昼になりましたが手ごろな供食施設が見当たらないので,昨日(朝)に続きイオンBigに入り,適当に惣菜を買ってフードコートで食します。ゆっくり食事をして店を出ると,道路は雨の痕で濡れています。東海地方では雹が降ったところもあったそうで,今日,濡れずに済んだのは幸いでした。時間は1時前,今回の最低限の行程は消化したのですが,この先,日坂(にっさか)~掛川まで歩くと時間が足りなそうだし,このまま帰るのでは勿体ないです。日坂~掛川駅間には1日8便のバスがあることが分かったので,16:00の便に間に合うよう,日坂まで行くことにしました。

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金谷~日坂は茶畑のなかを行く。途中一部には石畳の区間もある

 掛川の駅裏の坂道を登ると先ずは牧之原台地への上り,一旦少し下って今度は小夜の中山峠を越える峠道になります。東海道3大難所の一つだそうで,結構息が切れます。金谷坂,菊川坂の一部は石畳の区間が残っていて風情もあり,のどかな茶畑のなかを行く道は東海道のなかでも屈指の区間とも思います。なお,石畳は明治以前の石畳が残っている区間と,平成の道普請と称して観光のために造った区間があります。

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日坂宿かえでや。今は休憩スペースになっている

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掛川バスサービスのバス。富士重工の短尺車

 15:20過ぎに日坂宿着。次の掛川宿までは8.6km,勾配はおおむね緩い下りです。日が暮れるまでには着きそうだし,16:00か17:20にここを出るバスに拾われる作戦もあるのですが,昨日から通算で60kmくらい歩いたので,今回の行程は日坂宿までとします。コンビニはありませんがバス停の前が酒屋だったので,陽のあるうちからビールで乾杯です。掛川からは節約のため在来線で家路につきます。

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熱海からの1644Eは上野東京ライン最長の268.1kmを走る黒磯ゆき(自分独自の集計では日本4位の長距離鈍行)

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(参考)今回の行程

 さて次回はこの日坂から浜松あたりとなりそうですが,ここまで来ると自宅との往来に新幹線を使いたくなります。そうなると費用もかかるし,せっかくだから3日くらいまとめて歩きたくなります。次回は秋かまた来年のゴールデンウィークか,焦らずゆっくり続けたいと思います。(2017.5.2記)

>>>東海道徒歩き(かちあるき)(1)日本橋~川崎宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(2)川崎宿~藤沢宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(3)藤沢宿~小田原宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(4)小田原宿~三島宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(5)三島宿~江尻宿

東海道徒歩き(かちあるき)(5)三島宿~江尻宿

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 東海道徒歩き,今回は5月の連休に歩いた三島宿から江尻宿をご報告します。今までは横浜の自宅から日帰りの行程でしたが,段々遠くになってきたので,今回から1泊2日の行程になりました。今回も写真中心のレポートになり,かつ,街道歩きだか鉄ちゃん(僕は狭義には鉄道趣味のなかでも鉄道写真を撮ることに限ってそう呼びます)しに行ったんだか分からない内容ですが,あしからず。

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磯子駅で。今朝も早起き

 (2016年)4月30日,今年のゴールデンウィークは遠出ができないため,2日のお父さんの休日をもらい,東海道徒歩きに出かけます。徒歩きは陽のある時間しかできないので早起きして,自宅最寄りの磯子駅5:47の根岸線で出発です。

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三島広小路駅

 前回のゴールの,箱根の山を下った三島が今日のスタートです。電車の後ろで見づらいですが,富士山も顔をのぞかせていて,よい天気になりそうです。

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伊豆箱根鉄道駿豆線 7000系@三島広小路

 前回は夕方でヘトヘトだったのでゆっくりできませんでしたが,今日は時間に余裕があるので,歩き始める前に三島広小路駅の周辺で鉄ちゃんをします。休日ダイヤでも朝8:00前後なので列車も多く,いろいろな電車の写真が撮れました。

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千貫樋。ちょうどバスがさしかかっている所が橋です

 なんやかやで8:30頃ようやく徒歩きをスタートし,しばらく歩くと伊豆と駿河の国境の橋を渡ります。橋自体はコンクリート製の短い橋ですが,この橋と並行して千貫樋という水路(樋)が設けられているそうです。こんな旧跡を見ながら歩くのも街道歩きの楽しみです。

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常夜灯。1864年の建立だそうです

 この辺りは行政でいうと清水町に属します。鉄道駅では三島と沼津の間ですが,清水町という町は知りませんでした。平成の大合併の時代,どんなわけがあって町のまま残っているのか不思議な町です。

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沼津を過ぎるとバスは富士急行のエリアに

 沼津宿はお城もある大きな街ですが,寄り道せず先を急ぎます。JRになってから駅もできた片浜あたりでは鉄道と旧街道がほぼ平行しているので,ちょっと鉄ちゃんをします。この日はダイヤが乱れていて時刻表どおりに列車がこず苦労しましたが,幸い残り少なくなったEF66牽引の貨物列車を撮ることができました。

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EF66の牽くコンテナ列車 @片浜付近

 沼津宿の次は原宿です。今日の行程は東海道といっても国道1号線ではなく,格下げになった県道163号線やバイパスの380号線を歩きます。これらの道路は概ね片側1車線で,歩道の幅は狭く,単調で歩きづらいです。

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原宿本陣跡。こんなところでも本陣前の一等地は生命保険会社

 田子の浦の近くを歩いているのですが,僅かに陸寄りに道路があり,百人一首に詠まれた有名な海と富士山の景色は見ることができません。

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単調な県道380号線を歩く

 午後の2時半頃には吉原駅の近くまでたどり着きます。本スレッドの口絵写真は吉原駅で撮ったものですが,今日は午後になっても富士山がきれいです。JR全線完乗となった今は地方の民鉄にも興味があり,零細なほど魅力は増します。そんな訳で,今日,明日は岳南電車周辺で多くの時間を使います。旧街道の本来のルートは吉原駅の手前で線路の北側に出ますが,今日はちょっとルートをそれて吉原駅に寄り,その後も数百m西側のルートをとります。吉原とジャトコ前の間に富士山をバックに撮れるお立ち台があるというので,それ期待です。

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ジャトコ前付近を行く岳南電車の単行電車

 お立ち台の地点はもっと南寄りで今日は撮りのがしましたが,何とか富士山をバックにした岳南の電車を写真におさめることができ,とりあえず満足です。ここは行政では富士市ですが市の中心地は吉原宿のあった岳南電車の吉原本町のあたりのようです。

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富士山をバックに身延線の電車。3572M@柚木(ゆのき)

 1日でどこまで行けるか分からなかったので今夜の宿は吉原の中心部ですが,まだ陽も高いので,歩を進めます。身延線と交差する柚木は立体化されていますが,高架のホームからの富士山がきれいそうなので,ここでも寄り道です。次の蒲原宿までだと11kmもあり,夜になってしまうのでとりあえず富士川駅のあたりまで行くことにします。

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富士川を歩いて渡る

 富士川を渡るとちょうど間の宿(あいのしゅく)岩淵宿があり,切れもよいです。富士川駅に出て,電車で吉原に戻り,1日目の行程終了です。

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吉原の街中にある東海道の案内板

 2日目の5月1日は,吉原宿のあったあたりの吉原本町駅から電車で昨日の終点の岩淵の間の宿を目指します。ところで,岳南電車ですが旅客営業設備の機械化は遅れていて,ICカード対応はおろか,まだ硬券の乗車券が普通に使われています。

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朝の吉原本町駅。左上は岳南電車のきっぷ(前日使用のもの)

 実際の経緯はわかりませんが,この先の蒲原宿と由比宿はJRの駅と宿場町の場所が大きくずれています。多分,鉄道開業時に,異人の持ち込んだ,煙を吐いて走る汽車を嫌ったのではないかと想像します。おかげで町は寂れた感じがしますが,街道歩き趣味的にいうと古い町並みが残っていて,良い雰囲気の宿場が続きます。

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蒲原宿の入口と案内板。細くても道路の感じは旧街道です

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蒲原宿の本陣跡。今も総木造の大きな家が建っています

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こちらは由比宿本陣跡。公園として整備されています

 蒲原の次は由比宿になります。この間は5.4km,せっせと歩けば1時間ちょっとで着きます。由比の本陣は上の写真のとおり本陣公園として整備されていて,廣重美術館も併設されています。また,由比は駿河湾のサクラえびの産地として知られ,今日は短い漁期のなかの休日とあって,行楽の人と車が多いです。

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ちょっと寄り道の由比漁港。チャリダーさんも含め,サクラえびの販売所は長蛇の列

 由比では時間は早いですがサクラえび丼でも食べようかと漁港の販売所や駅前食堂を覗きますが,どこも大行列なのでパスします。本陣公園から少し行ったところで,東海道線の鉄橋と並行する場所があったので,今日も鉄ちゃんをして道草を喰います。

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東海道線5742M@由比付近

 由比宿から次の興津宿の間には薩埵(さった)峠があり,海岸沿いの割にはアップダウンの急な道が続きます。ここ薩埵峠は廣重の浮世絵の頃と同じ景色が残っている唯一の場所だそうで,坂はきついですがきれいな景色を楽しみます。

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間の宿・西倉沢のようす。

 薩埵峠の登り口には西倉沢の間の宿があったのですが,今では店もほとんどなく,静かな田舎のみかん山と集落です。1件だけ旨いサクラえび料理の店があり,そこだけは行楽グルメの車で賑わっていました。

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薩埵峠のサミット付近で。眼下に東海道線,1号線,東名高速(場所がないため海の上)がよく見えます

 薩埵峠を下った先にある興津川の鉄橋はよい撮影地で,既に先客が一人います。時刻表を調べるとちょうどを特急が来るようなので,ここでも鉄ちゃんで道草です。

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4006Mワイドビュー富士川6号@興津川橋梁

 興津は昔の清水市内で,蒲原や由比と比べると開けており,旧道上に宿場町が残っています。また,由比でサクラえび料理を食べそこなったうえ,薩埵峠を越えて腹も減ってきました。ちょうど興津駅前にとんかつ屋があり,揚げ物つながりでサクラえびのかき揚げ定食を食べることができ,これが結構おいしく結果オーライでした。

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興津駅前のとんかつ屋さんとサクラえびのかき揚げ定食

 今日のゴールは江尻(清水)か府中(静岡)かと迷っていたのですが,この間は11.4kmもあるので,江尻までと決め,ゆっくりと歩を進めます。興津宿の出口付近には清見寺という大きな寺があり,その前の踏切でまたもや鉄ちゃんです。

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清見寺と興津宿の案内板

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東海道線438M@清見寺踏切

 興津を出ると,今は静岡市ですが以前の清水市内,あまり見るものもなく西へと進みます。この辺は国道1号線となり片側2車線の大通りです。

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いかにも右が旧街道,左が新道ですという感じの辻町交差点

 辻町交差点からはまた,いかにも旧道という感じの古い商店街を進んでゆきます。清水の市内で旧街道は何回か折れ曲がっていて中心が分かりづらいですが,今日はここ江尻宿がゴールです。

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江尻宿の案内版

 まだ陽も高いので,次回に備えて静岡鉄道をサーベイしながら,清水駅に戻ることにします。桜橋から乗った電車は最近はいったばかりのA3000系でちょっと得した気分になりました。

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静岡鉄道A3000系@桜橋

 清水からは在来線で熱海,大船経由磯子に戻ります。2日間で約50km弱,五十三次の宿場で7この行程でした。段々,横浜から遠くなると往復の交通費がもったいないので,これからは何日か集中して歩くようになると思います。さて次は江尻から2日なら菊川,掛川あたり,3日なら浜松あたりの行程になりそうです。こうしてみると静岡県は中小の私鉄も多く,またまた寄り道が多くなりそうで,次回が楽しみです。(2016.5.21記)

>>>東海道徒歩き(かちあるき)(1)日本橋~川崎宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(2)川崎宿~藤沢宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(3)藤沢宿~小田原宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(4)小田原宿~三島宿

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