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2012-04

Bトレインショーティー ED79

 BトレでED75が商品化され,赤い電機各形式へ改造している。このところ,寝台特急「日本海」の定期運転終了,呉市営バスの営業譲渡の話題がホットになり,Bトレはお留守になっていたが,連休になってようやく作業を再開し,ED79が完成したのでその報告をしよう。

 ED79は海峡線の開業にあわせ,当時余剰気味だったED75-700をベースに青函トンネル内の連続勾配,高湿度対策と北海道での運用に伴う耐寒耐雪装備の強化を図った機関車だ。連続勾配対策としてサイリスタインバータ式の回生ブレーキの機器箱を屋根上に載せた1~と重連用に回生ブレーキを省略した101~の2種類と,JR化後の増備車の51~がある。この記事を書くにあたり確認したのだが,EF81の機器箱は主抵抗器が入っているのに対し,ED79では回生ブレーキの機器が入っており,中味は全く違うのだが,機器箱の見た目はよく似ている。

 今回は,ED77の製作で余ったEF81の屋根板をED75-700につけるのが改造の主眼だ。というと簡単そうだがEF81の屋根板とED75の屋根板は作りが全く異なり,普通にはめると前後方向に2mm位の隙間ができ,機関士席上の電気笛や助士席上のホイッスル部分に穴が開いてしまうのだ。これを埋めるのが面倒なため,3か月も作業が延び延びになっていた。他形式の製作記同様に大まかに構成部品を書くと次のようになる。
側板,前面,スカート,パンタグラフ:ED75-700
屋根:EF81

 まずは車体の前面と側面を通常どおり組立てる。そして問題の屋根の合わせだが最初に書いたような隙間があるので,単にパテ盛りしただけでは埋まらなそうだ。組立てずに残しておいたED75の屋根板を使って現物合わせでプラ板を切り抜き,これをEF81の屋根板の端部に貼付け,大まかに穴をふさぐ。その後でパテ盛りして,おでこ部分の屋根を構成する。ED75では信号炎管が前面のほうにモールドされていて,作業の邪魔になるので一旦切り取ってしまった。塗装前にストックで持っていた銀河の信号炎管とED76を作った際に屋根板から削ぎ取っておいた寒地型の電気笛--このピーッという高い音が実は好きなのだ--をつける。

ED79shorty1.jpg
屋根板端部の穴埋め作業中の様子(左:パテ盛り前,右:パテ盛り作業中)

 この形式の場合,基本的に塗り替えはないので,塗装は簡単だ。屋根板の端部を交直流ピンクからつや消し黒に塗り替え,パテ盛りした部分のみ赤2号に塗っておしまいだ。なお,この機関車では機械室の明かり窓を黒マジックで黒く塗ってある。前作のED77で初めて使った手法だけど(ED77のときはちゃんと塗装し,後からHゴムの色差しをしたが,今回は黒マジックで省力化),意外と簡単で効果的なので採用だ。ナンバーは今回も2分割で「ED7」+「919」で19号機とした。「919」は手許にあった「EF61 6」からとってひっくり返したもの。また,この機関車の種車は「ED75 791」で三菱製のようだが,銀河の交流機用のメーカーズプレートは「三菱」を全部使ってしまい手持ちがないので,ちょっとかわいそうだが省略とした。

ED79shorty2.jpg
完成したED79(正直のところ銀色の機器箱だけでその雰囲気)

 これで,ED76,ED77,ED78,ED79と4形式の赤い電機の改造を完了した。カレンダーでは明日から5月となるが,Bトレのキハ181系6両セット初回限定EF71付は5月発売と案内されている。これらの電機たちとオリジナルのEF71も仲間に加えて,かつての福島機関区を再現してみたい...(2012.4.30記)
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営業譲渡まぢか呉市営バス最後の勇姿(その3・最終日に)

 僕の住む呉の市営バスが4月1日付けで営業譲渡され,広電バスになる。既に最後の勇姿と題したスレッド2本を書いたが,最終日の3月31日に1日乗車券で乗り歩いてみた。親に似てバス好きの小学生のチビと同行,奥さんはお留守番で,今回は旅行プランも基本はチビの作の親子のバス旅となった。といっても呉市内から出ないので,旅という程のものでもない。
 3月31日は土曜日で交通局の事務所はお休みだ。1日乗車券は買えないので,奥さんに事前に買っておいてもらう。都営バスのようなスクラッチカード式だと車内販売も可能で便利なのだが,交通局としては簡単に1日乗車券が手に入るのも困るのだろうか,非常に不便な販売方法ではある。

 まずは自宅最寄りの西中央3丁目から長の木循環線で呉駅に出る。このバス(HM9819号車)は,元横浜市営バスでチビのお気に入り,10:01の便に来ることが分かっていたので,たった2停留所だがこのバスに乗る。呉市営のバスは基本的に車両運用が固定されていて,毎日同じ時間に同じ車両が充当されるので,こういうときは便利だ。今日のこの便は10:00のデパート開店にちょうどのせいか稀に見る混雑ぶりだ。

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HM9819号車 長の木循環線 西中央3丁目 2012.3.31(以降写真は全て同じ)

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同車のシート。横浜市営時代の港ヨコハマ柄だ

 次に乗るバスまで時間があるのと,呉の中心部の循環バスの写真がないので,歩いて10分くらいの「てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館)」まで行って,バスの写真を撮ることにした。家を出たときは曇りがちだったが,徐々に晴れてきて天気もよくなりバス旅日和なってきた。バスでも10分で行けるが,バスの「走り」の写真を撮るため,てつのくじら館近くまで早足で行く。市の花-椿のシールを貼ったエアロミディを撮って,とりあえず満足。帰りも歩いて呉駅に戻る。無理してバスに乗っても帰れるのだが,まだ朝で元気なせいか,チビも一緒に歩くと言う。チビとか言っているが,実はどんどん成長しているのを実感。

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Fso9611号車 宝町中央循環線 大和ミュージアム前。てつのくじら館前でもある

 駅に戻って,10:45発焼山,苗代,郷原経由の広東のりば行に乗る。遠方のかたには馴染はないが,このバス,まっすぐ行けば30分くらいで行ける広に,大遠回りをして1時間以上かけて走るヘンな路線で,土曜日は1日1本しか走らない。そう聞くと乗りたくなるもので,いわば今日のメインイベントの一つである。最初に二河峡,最後に二級峡と2つの峡谷を走り,景色もなかなかよいが,中間は賀茂台地の中を淡々と走るのどかな田舎バスだ。

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Fo9410号車 焼山熊野苗代線 呉駅

 11:55,定刻よりちょっと遅れて,広東のりば着。今日の予定は市バス路線の端まで行くのが基本的な目的で,次は川尻小用入口に行く。川尻小用入口行きは17分前に出たばかりで,次は12:38までないので,この間に仁方桟橋まで行くことにする。仁方桟橋は昔,国鉄の仁堀航路があったころに行ったことがあるのだが,全く思い出せない。仁方桟橋では思いのほかバスが早着し,1本前の折り返し便の12:05発に乗ることができた。

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I091号車 天応川尻線 広東のりば。09年式のエルガは呉市営の最新のバスで虎の子の1台

 ここで20分稼げたので,広東のりばまで戻り,バス停の前の食堂で昼ごはんにする。26分の乗り継ぎ間合いに餃子定食とキョーレツな行程ではあったが,何とか食べ終わり,予定の12:38の川尻小用入口行きに乗る。

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広東(カントンではない。ひろ・ひがし)のりば前の餃子の王将。バス停の真ん前なのだ

 川尻小用入口は神田造船の造船所の先で折返し施設もある大きなバス停だ。今は安浦バスが運行するが,以前は安浦駅まで呉市営バスが入っていたらしく,下り側のバス停に残っていた平成8年版の路線図からは,薄くなりながらもその路線が読み取れた。海のきれいなのどかな折返し所周辺で約30分,時間をつぶして,13:27発の折返し便で呉駅に戻る。当初はその足で天応福浦まで行く予定だったが,家での用事が飛び込み,一旦家に帰る。この戻りのバスは妙に混雑し,呉市営バスには珍しく10分くらい遅れた。呉駅までのつもりだったからよいが,西畑あたりでは後ろから来た天応福浦行きのバスに抜かれてしまった。

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I071号車 天応川尻線 川尻小用入口

 一旦家に帰り,夕食の後,今度は18:00呉駅発のバスで,倉橋島の室尾に向かう。倉橋線のバスは桂浜温泉館までは概ね1時間に1本のバスが走るが,その先は倉橋交通に移管され,朝夕のみ呉駅からの直通バスが入る。今夜の18:00便は大盛況で立つ人が出るほどのお客さんを乗せて呉駅を出発した。瀬戸内海に陽は落ちて,海辺の道をバスは走る。桂浜までは何度か来たことがあるが,その先は初乗りで,海辺の景色がよさそうなのだが,夜なのが残念だ。なお,大盛況だったお客さんも大体は音戸の町内で降りてしまい,終点まで行ったのは僕らのほかには1人だった。
 近くにお手洗いがないか尋ねたりして,運転士さんと2,3言葉を交わす。明日からは倉橋線のバスは「そごう前」には入らなくなるので,この19:48の便が室尾から出る「そごう前」行きの最終便とのよし。夜のバスの写真はあまり撮らないのだが,それを聞いて記念に1枚パチリ。室尾からこの便に乗ったもう一人のお客さんも,広島で一番きれいな(塗色のこと)バスがなくなるのは惜しいねえ,などと言っていたので,きっとバス愛好家のかたなのだろう。帰りのバスはお客さんも少なく,道路も順調で,20:56ぴったり定時に呉駅そごう前着。

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Ho915号車 倉橋線 室尾。91年式は日野ブルーリボンでは最古参。 

 途中の道では,広電としての車号を書き,「呉市交通局」の文字の上に「広島電鉄」のシールを貼ったバスを見かけた。また鍋桟橋にある元・警固屋支所では,交通局と広電の職員がこれからの移行作業の段取りだろうか,作戦会議をしていた。この日で呉市交通局の歴史は終わるが,翌日からは広電バスとして,変わらぬ路線が運行される。移行時の約束として,当面(2年間),路線は維持されるそうだが,どこでも地方バスの経営は厳しい。まだ市民歴1年ではあるが,われわれの足として新生呉の広電バスを見守り育てていきたい。(2012.3.31記)

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