種村直樹氏を悼む
さる(2014年)11月6日,「レールウェイライター」として活躍されてきた種村直樹氏が亡くなりました。鉄道情報誌でも訃報が報じられたり,追悼文が載ったりしたので,このブログの来訪者にもご存知のかたも多いと思います。私は縁あって30年来年賀状のやりとりだけをさせていただき,実際には1度もお会いしたことがありません。こんな文章を書くのももったいなく,百年早いと言われそうです。
種村氏は旧帝大の法学部を卒業後,3大紙の記者を経て独立され,「レイルウェーライター」という看板を掲げて,鉄道と旅行を主なテーマに著作活動を続けてこられました。記者でならした正しく的確な文章は「鉄道ジャーナル」や「旅と鉄道」のルポ記事などを通して私の鉄道趣味の道しるべとなりました。高校時代に鉄道研究会の友人から借りて読んだ「鉄道旅行術」は汽車旅をこよなく愛した種村氏の金字塔であると同時に,われわれ後に続く鉄道と旅行を趣味とする者にとってのバイブルでした。私の手許には1984年刊の改訂12版がありますが,1度読んで内容は分かっていたにもかかわらず,座右の著にすべく就職1年目に買ったものです。そしてこの(2014年)4月には版元を代えて再出版されたので,一緒に旅行をしてくれている中学生の息子に買ってやりました。インターネットや携帯電話の出現で,鉄道旅行を取り巻く世界も変わりましたが,底流である鉄道を愛し,旅行をしながらいろいろなことを知り深めてゆく活動は普遍のものです。

「鉄道旅行術」2冊(2014年4月の自由国民社版初版と1984年2月の日本交通公社版改訂12版)
私は,同書でヤングと呼ばれて種村氏と一緒に旅行をする人達より一世代若いので,残念ながらご一緒したことはありません。しかし,旅先で駅そばを食べ,途中下車し,温泉につかり,お酒を飲む旅行は私の理想の旅行スタイルになっています。また,このブログでも書いているように,私はJRの旅客営業規則や旅客営業取扱基準規程などの制度研究が大好きで,これも種村氏の汽車旅相談室の影響を多く受けたものです。
現代ではブログやSNSなどのツールが増えたので,誰でもが趣味のこと,思っていることを情報発信することができるようになりました。私のブログは普通のブログ記事よりは長めで,つぶやくというよりは文章を書くつもりで綴っています。今は普通のサラリーマン生活をしているので,種村氏のような鉄道に関する物書きに一種の憧れをもっているからでもあります。こう書いてみると本当に自分の人生に影響を与えてくださったと,改めて感謝の念に堪えません。
どうか安らかに,これからの鉄道の未来を見守っていただきたいと思います。(2014.12.21記)
種村氏は旧帝大の法学部を卒業後,3大紙の記者を経て独立され,「レイルウェーライター」という看板を掲げて,鉄道と旅行を主なテーマに著作活動を続けてこられました。記者でならした正しく的確な文章は「鉄道ジャーナル」や「旅と鉄道」のルポ記事などを通して私の鉄道趣味の道しるべとなりました。高校時代に鉄道研究会の友人から借りて読んだ「鉄道旅行術」は汽車旅をこよなく愛した種村氏の金字塔であると同時に,われわれ後に続く鉄道と旅行を趣味とする者にとってのバイブルでした。私の手許には1984年刊の改訂12版がありますが,1度読んで内容は分かっていたにもかかわらず,座右の著にすべく就職1年目に買ったものです。そしてこの(2014年)4月には版元を代えて再出版されたので,一緒に旅行をしてくれている中学生の息子に買ってやりました。インターネットや携帯電話の出現で,鉄道旅行を取り巻く世界も変わりましたが,底流である鉄道を愛し,旅行をしながらいろいろなことを知り深めてゆく活動は普遍のものです。

「鉄道旅行術」2冊(2014年4月の自由国民社版初版と1984年2月の日本交通公社版改訂12版)
私は,同書でヤングと呼ばれて種村氏と一緒に旅行をする人達より一世代若いので,残念ながらご一緒したことはありません。しかし,旅先で駅そばを食べ,途中下車し,温泉につかり,お酒を飲む旅行は私の理想の旅行スタイルになっています。また,このブログでも書いているように,私はJRの旅客営業規則や旅客営業取扱基準規程などの制度研究が大好きで,これも種村氏の汽車旅相談室の影響を多く受けたものです。
現代ではブログやSNSなどのツールが増えたので,誰でもが趣味のこと,思っていることを情報発信することができるようになりました。私のブログは普通のブログ記事よりは長めで,つぶやくというよりは文章を書くつもりで綴っています。今は普通のサラリーマン生活をしているので,種村氏のような鉄道に関する物書きに一種の憧れをもっているからでもあります。こう書いてみると本当に自分の人生に影響を与えてくださったと,改めて感謝の念に堪えません。
どうか安らかに,これからの鉄道の未来を見守っていただきたいと思います。(2014.12.21記)
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東京駅開業100周年記念Suica発売騒動に思う

昨日(2014年)12月20日,東京駅が開業100周年を迎え記念Suicaが発売されました。報道によれば15,000の発売枚数(1人は3枚まで)に対し,9,000人が買いに来て,買えなかった人が駅員に詰め寄り大混乱になり,途中で発売が中止された由です。事前の人気も高かったので,僕も1枚買おうと思っていました。15,000枚も売るので,現在開催中の「東京駅開業100周年記念 鉄道の歴史クイズラリー」に参加して,帰りに東京駅に寄る計画でした(これはちょっと甘すぎました)。
今までにも,ピカチュウ柄の記念Suicaを買いに横浜駅に並んだり(このときはゲット),京浜東北線の209系引退記念の切符を買いに大船駅に並んだり(このときは何十人か前で完売)しましたが,こんな混乱はありませんでした。会社の若い人やわが家の愚息を見ていても思いますが,最近の人は我慢をするということができなくなっているのではないしょうか。困ったことです。
記念Suicaのために9,000人もの人が並ぶということは,いろいろな意味で鉄道(趣味)の認知度が上がったということで,喜ばしいことです。今回のSuicaはデザインも綺麗だと発売前から人気も高く,並んだ9,000人の殆どの人は善良な市民だったと思います。ところが,僅かの心無い阿漕な人のせいで多くの人が,欲しかったカードが買えないということなっています。買ってから1日もしないうちに,やっぱり要らないとは到底考えられず,オークションサイトなどで昨日発売のカードが取引きされるのは,明らかに転売目的での購入です。本スレッドを書く前に検索してみたら,yahoo!オークションでは110件の出品があり,最高値は90万円でした。売るほうも売るほうなら,買うほうも買うほうです。ネットオークションは便利な仕組みなので僕も活用していますが,この取引きはいかがものでしょうか。
とても嫌悪感を覚え,不買運動を展開したいところですが,ネットの片隅で騒いだところでどうにもなりません。JRが販売する際に,販売規約等に「1年以内に転売した場合には違反商品として通告する」等を織り込んだらよいのではないでしょうか。そういえばカードの所有権はJRに帰属している(Suicaの裏面の注記)ので,今でも,所有権者の承諾なくして転売したことを理由にJR東日本からオークションの差止め請求などはできないものでしょうか。そうでなければ欲しければ誰でも買えるくらい大量に増刷して,レアものとしての価値がないようにするとか。
記念きっぷや記念カードの収集は多くの人が楽しみ,一般の人にも分かりやすい,鉄道趣味の一ジャンルです。こういった迷惑な事件がなくなり,健全な発展ができるよう切に祈ります。(2014.12.21記)
この記事を書いた翌日の12月22日,JR東日本は希望者全員にこのカードを販売する旨のアナウンスを出しました。インターネットでは転売屋死亡などのジョークも飛び出し,胸のすく思いです。JR東日本の大英断です。(2014.12.26追記)

追:これがその「東京駅開業100周年記念Suica」です。クイズラリーパーフェクト賞で当選したもの
(2015.1.12追加)
Bトレインショーティー--E233系電車をつくる(SGシャーシ対応)

Bトレインショーティーの作り方についての記事は今までにも185系とE233系近郊タイプで既に2回書いたけど,後のほうの記事からでも2年以上が経過し,BトレのほうもSGシャーシが出るなど進化しているので,改めて3回目の記事を書いてみよう。今回の題材は,8月に発売されたE233系の横浜線仕様の6000番台の4両編成だ。組立てかたとは関係ないが,この横浜線仕様のBトレは好評だったようで,うっかりしていて発売後半月くらい経ったら,ヨドバシカメラの実店舗でもネットショップでも売切れになっていた。僕はフルサイズのNゲージ模型もHOゲージ模型もやるので,BトレはBトレと割り切って,台車やパンタグラフを換装したりはせず,Bトレのまま組立てるので,このような楽しみ方をするかたの参考になればと思う。
1.下回りの組立て
Bトレを組立てるとき,僕の場合は,下回りから始める。とくに理由はないが昔からそうしている。この(2014年)夏からのSGシャーシでは下回りは部品点数も減って,組立ては楽ちんだ。部品をランナーから切り離し,バリをとって,2つを合体させ,輪軸をはめるだけだ。このE233系では台車の枕梁の下からシャーシ部品が見えてしまうので,バリをきれいにとることはきれいな仕上げの一助になる。

SGシャーシの下回りの組立て
下回り部品とカッターナイフを持ったついでに,車体ブロックに小加工をする。ブロックの丸穴を少し削ぎ取って厚さを薄くしておくのだ。Bトレの前面部品の合わせ部分の精度が悪い場合に側板と前面の間に隙間ができてしまう対策だ。こうすることで,少々精度が悪くても,前面をピッタリ付けることができる。やりすぎると,前面が前のめりなってしまうこともあり要注意なのだが,昔からの習慣で先頭車ではこの小加工は欠かさずやっている。最近はBトレの部品の精度も上がったので,今回のE233系6000番台も多分普通に組んでも問題なかったようだ。

ブロック部品の丸穴を削ぎ取る小加工
2.前面周辺の色差しとシール貼り
E233系のBトレはなぜか前面部品が他の製品と違って2点構成になっている。このうちガラス部品は,ワイパーの周りの実車では黒染めになっている部分が透明なのでここを黒く塗らなければならない。ここはうっかりすると気づかないポイントで,なぜこういう構成になっているのか分からない。どうせだったらこの部分まで前面の車体の側にすれば,余計な作業をしないですむのにと思う。本来ならつや消し黒のプラカラーで塗ればよいのだろうが,面倒なので,細書きのマジックペンで塗るだけにしている。また,マジックペンを持ったついでに,前面部品の上側の裏側も黒く塗っておくとよい。前回の近郊タイプでは写真を撮るときに気付いたが,この部分は組立て後に外から白く見えて違和感があるのだ。

色差ししたガラス部品と前面部品
また,このE233系をはじめいくつかのBトレ製品は方向幕のシールを屋根部品の先端に貼り,ガラス部品の内側から見えるような作りになっている。組立て前の準備として,好きな行き先のシールを貼っておく。今回は地元ということで快速磯子行きとしたが,気になって調べたら,2014年3月改正の現行ダイヤでは快速磯子行きの設定は1本もなかった。シールは位置決めが難しいが,前面部品を合わせてライトの位置等がぴったり合うよう現物合わせで微調整する。

端部にシールを貼った屋根板。E233系の場合ヘッドライト点灯の先頭用とテールライト点灯の後尾用がある
3.車体の組立て準備
このE233系6000番台の場合,車体の帯に書かれたロゴはシールでの表現となっている。このシール貼り作業に順序関係はないが,シールを押し付ける作業がやり易いので,側板を箱に組む前にロゴのシールは貼ってしまった。次に僕の場合は,側板にガラス部品を取り付けてしまう。Bトレの組立て説明とは随分違うが,なかには穴とボスのはまりが固い製品もあるので,箱に組む前のほうが押し込み易いのだ。また,話が前後するが,このように複数のBトレを一気に組立てるときは,部品の向きなどを間違わないよう事前に部品を並べておくのがよいと思う。パンタ寄り妻面の高圧配管などは一目で分かるが,貫通扉や妻面の機器箱などは分からないので,組立て説明を見ながら正しい向きに並べる。E233系では機器箱のあるほうの妻板が,ラジオアンテナ(実車にはないらしい)のないほうの側というような要領だ。なお,このあたりでパンタグラフは屋根板につけておく。

部品集結。向きも含めて正しく並べ,組立てのときまごつかないようにする
4.車体の組立て
準備ができたら,車体を箱に組立てる。僕の場合は,屋根板に片方の側板をはめ,ブロック部品を付けた後に,もう一方の側板をはめるようにしている。Bトレの組立て説明ではガラス部品だけで箱にしてから,皮のごとく側板部品を取り付けることになっているが,ガラス部品をしっかりはめるには3.の手順のほうがよいと思う。箱に組む際にはガラス部品のボスがしっかり屋根板に入って隙間がなく,両方の側板が垂直になっていないといけない。HGシャーシ以前は箱に組んだ車体を上からキコキコ押せばしっかり押し込むことができたが,SHGシャーシからは車体ブロックと一体の連結器の胴受けが邪魔になってこれができなくなってしまった。家にあった蒲鉾の板の幅がちょうどBトレの車体の長さにぴったりで,今はこれを治具としている。側板がついたら,前面以外の妻板をはめれば,中間車の車体は出来上がりだ。なお,蛇足の感もあるが,少量のプラモデル用接着剤を使って,妻面に隙間ができないようにしている。

車体の組立て。いろいろやってみたが,この手順が一番簡単かつきれいに組めるようだ

蒲鉾板を治具にしての圧着
最後に前面部品に裏側からスカートを取付け,これを車体前部につければ車体は完成だ。1に書いたように,僅かだが車体ブロックを薄くしてあるので,隙間なく組むことができる。ここも念のため少量の接着剤をつけて,接合部の強度を持たせている。また,接着剤が乾くまでの間,百均商品のクランプで固定するようにしている。この手の模型工具も百円ショップで安価に手に入るので便利なった。

クランプで固定して乾燥中の車体
5.総組立て
総組立といってもたいした話ではなく,組みあがった下回りを車体にはめるだけのことだ。あとは台車のモールドと連結器の取り付けが残作業だ。台車のモールドはM車用とT車用の違いや,向きの違いに注意しながら取り付ける。国鉄特急/急行電車の標準だったDT32とTR69などはブレーキが踏面ブレーキかディスクブレーキかで一目見て分かったが,最近の台車は速度検出器の有無とか微細な違いしかない場合もあり苦労する。ランナーについているときの向きを変えないようにしたり,パッケージのイラストを見たり,ときにはインターネットで実車の写真にあたるなどしているが,組んでしまえばあまり目につくものでもなく自己満足ではある。
連結器はお好みで付ければよいが,僕の場合は先頭は自動連結器タイプ,中間はドローバーを使っている。ジュニアが小さかった頃は,Bトレを手押しで走らせて遊んでいたが,編成単位に解結するときに自動連結器タイプが一番使い易かった。今ではそういう遊び方をしなくなったし,蜜連タイプでもロックできるようになったので,蜜連タイプでもよいのだが,互換性にひきずられて実車とは違うのは分かっているがこうなっている。また,ドローバーは最近の製品についているものは腕が長いので,連結面間隔を短く見せるため,ストックにある新HGシャーシのものを使っている。そういえば,最近はBトレ名物?の磁石の連結器が付かなくなった。たくさんいるとも思えないが,昔から全車にこれを使っている人は困っていないだろうか。

完成したE233系電車
まだ車号や号車札,優先席マークなどのシールが残っているが,僕はこれらは貼らない。とくに車号はオーバースケールなのと面倒なのが理由だ。そんなこんなで4両編成を組むのに2時間くらいかかるが,まずまずこだわりの出来の4両編成一丁上がりである。E233系は東京近郊で最もポピュラーな電車になったし,Bトレでも最近,各色の商品が発売,再生産されて量販店の店頭に大量に並んでいる。これから製作する人も多いので,なにがしかの参考になればよいと思う。(2014.11.15記)
お断り:記事の内容は1100両の実績をもとに書いていますが,この方法によって部品を破損されても補償は致しかねますのでご了承ください。