2017年夏のアクティビティ4--四角い北海道をまあるく乗りつぶし

(前日の行程へ)
今年の夏休みは新造船のフェリーに乗ることにしましたが,北海道に来てもとくにすることはありません。1日目は既報のように存廃の危機にある夕張と根室本線の狩勝峠の西側区間に行きましたが,その他の日の予定は明確にはたてていませんでした。もともとの計画は青春18きっぷで道内を2日間旅行,帰りは新日本海フェリーで,でした。しかし,久しぶりの北海道に行くのだからと計画しているうち,普通列車だけでは行動範囲に限りがあり,段々に夢が膨らんできました。この,旅程をあれこれ考えている間が最も楽しいのかもしれません。結局使うきっぷは特急,バスも使える北海道フリーパス,行く所は何となく北海道の主な部分全部となってしまったのでした。

北海道フリーパス。お名前という欄が目新しい。また指定席の使用回数を★でカウントするのも初めて。指定券発券時に一旦マルスの機械に読込ませる手間がかかる
まず使ったきっぷ,「北海道フリーパス」から。このきっぷはJR北海道の定番商品で,JR北海道の在来線全線とJR北海道バスに7日間フリー乗車でき,特急も利用可能,しかも6回までは指定席を利用可というものです。以前は北海道に渡道後か東京駅や横浜関内にあったJR北海道プラザでしか買えませんでしたが,今はJR各社の窓口や指定席券売機で買えるようになりました。値段は26,230円と青春18きっぷ2セット分以上しますが,僕のように旅行期間が短く,特急にもじゃんじゃん乗りたいという向きには高くもありません。以前パッケージのおまけの8,500円のパスも使ったことがありますが,鉄道利用だけなら大差ないので,可能ならばパッケージにするのがお薦めです(詳細はこちら)。また,今回このきっぷを買ってまず目を引いたのはお名前という欄です。本来乗車券類は利用者個人と鉄道事業者の旅客運送契約の証憑であり,列車に乗る権利は他者に譲渡はできません。しかし,有効期間の残ったパスを売買するケースがあったのでしょうか,この防止が目的とみました。そういえば30年前のユースホステルでは,内地に帰る旅行者と道内に残る旅行者の周遊券の交換がふつうに行われていました。規定研究も趣味の僕としては実地でどのように運用されているのかとても興味があったのですが,結局3.5日間無記名のまま使っていて,何のお咎めもなしでした。暗に「このきっぷは買った人だけしか使えないものですよ」と主張して不正を抑止しているようでした。

フリーパスの提示で6回まで利用できる指定席券
きっぷのうんちくのついでに指定席券におされる「指定席発行」のハンコについて考察します。以前は,指定席券に「指定席発行」という分かりきったことを押印して何の意味があるのだろう,パスの本券ならまだ意味がありそうだけど...と思っていました。最近は仕事でミスや不正についてを考えることが増え,今はこのハンコに2つの意味があると思っています。
・押印時に金額またはきっぷのタイトルで有償の特急券でないことを確認する。間違ってふつうの特急券として発券してしまうと,収支が合わなくなってしまうので,窓口の担当者のミス防止のため
・車内改札の車掌に対し,フリーパス併用であることを告げ,パス本券とセットで確認するよう促す。本券だけでも自由席車には乗れるので,他者に譲渡し特急券代わりに使われるのを防ぐため
いずれにせよ,事業者側のメリットのための押印なので,駅や担当者によって扱いが違うのはよろしくなく,どうせ押すなら徹底すべきと思われます。

石勝線に入ると牧場風景が広がるが,天気はいまいち @追分付近 2017.8.2(特記あるまで以下同じ)
話を北海道に戻します。上陸初日の8月1日は既報なので,(2017年)8月2日(水)朝は札幌駅7:00の「スーパーおおぞら1号」でスタートです。ホームに上がると隣のホームには7分早い6:53発の「スーパー北斗4号」が並んでいます。この2本のほか,6:56には「オホーツク1号」,7:30には「宗谷」と道内4方面に向かう特急が次々に発車し,まさに朝の賑わいです。「スーパーおおぞら1号」は7:00の定刻に発車,千歳線を快調に下り,南千歳からは昨日通った石勝線を下ります。新狩勝トンネルに入るとすぐに上落合信号場で,今はバス代行になっている落合,幾寅,富良野方面からの線路と合流します。トンネルを出てしばらくの間が狩勝峠の白眉の車窓になります。標高450mから見下ろす十勝平野のパノラマは日本随一の雄大な車窓と思います。

狩勝峠の車窓も残念ながら曇りがち @新狩勝(信)付近
列車は十勝平野の中心,帯広に9:24に着きます。このまま乗っていれば1時間半で釧路ですが,一旦帯広で降りて,とある用事を済ませます。帯広はなぜか豚丼が有名で,駅ナカに何軒も豚丼のお店があります。駅ビル内の有名店は注文してから作るので時間がかかると言うのでこれはダメ,コンコースの駅弁屋は850円の並と1,200円の加熱容器入りを用意していました。今回の旅行は節約モードなので並にしましたが,何のことはない,おじさんが電子レンジで温めてから渡してくれるので,すぐに食べるならこれで上等でした。

名物の豚どんの弁当
帯広からは1本後の10:25の普通列車釧路ゆきです。この区間は2年前に日本最長鈍行の2429D(当時)で旅行した区間ではありますが,今日も鈍行で下ります。沿線は駅周辺の集落以外は人跡未踏の地,鹿も多いのでしょう,動物よけの金網が続く区間です。昔はこんな金網はなかったので,JR北海道も苦労しているのでしょう。進むにつれ天気も多少よくなり,青空ものぞくようになります。

十勝川の最下流域に広がる穀倉地帯 @新吉野付近
根室本線の浦幌~白糠の間は本当に人家の少ない区間,野生動物の多く棲む区間です。鹿よけの柵はもちろん,気動車の側も笛が換装され,鹿が嫌いなのか,遠くまで通るからか理由は分かりませんがピーという高い音の笛--マニアは鹿笛というらしい--になっています。浦幌~厚内間には上厚内という駅がありましたが,利用者の減少を理由に信号場になってしまいました。この区間も18.4km駅がない区間になっていて,今の道内では駅間距離10kmはざらのようです。

人里離れた信号場で上り列車と交換 @上厚内(信)。枠だけ残った駅名標がものさびしい

助手席側のカバーがついているのが鹿笛
厚内を出ると線路は太平洋岸に出て,海の景色が楽しめるようになります。湿地帯を避け内陸に入るところもありますが,概ね海岸沿いに走り,とくに音別周辺は波打ち際をしばらく走ります。直別では上りの特急と交換,白糠を過ぎるとようやく釧路近郊,人の息吹を感じる景色になります。新釧路川にかかるコンクリート製の新しい橋を渡ると終点釧路です。

直別で上りの「スーパーおおぞら」と交換

太平洋の波打ち際を行く @音別~古瀬
釧路には定刻13:13に着きます。釧路では次に乗る「くしろ湿原ノロッコ4号」まで22分と程よい乗継ぎなので,改札を出て駅の周囲を眺めます。ちょっと前の鉄道ジャーナル誌の特集記事に出ていましたが,釧路の駅ビルはJR北海道の釧路支社,昔でいう釧路鉄道管理局と同じ建物です。このような合築駅舎は昔は各地にありましたが,今では他には米子と新潟だけで,どちらも改築が決まっているそうです。確かに昔ながらの大駅の風情の残る駅舎ではあります。

釧路駅前風景
釧路からは13:35の「くしろ湿原ノロッコ4号」で釧網本線を上ります。イメージ的には下りなのですが,釧網本線は網走が起点で釧路発は上り列車,列車名も偶数の4号です。北海道ではノロッコ号のような観光列車は,飛行機,バスで来てそこだけ乗るお客さんも多く,今日も複数の団体で大盛況です。とくに最近は中国からの観光客が多く,言葉が通じない,図々しい人が多いこともあり,あまり得意ではありません。ノロッコ号の編成は塘路側からDE10型ディーゼル機関車+普通の車体のオハ510+展望トロッコ車のオハテフまたはオクハテが3両で,オハ510は自由席,展望トロッコ車は指定席の扱いです。

「くしろ湿原ノロッコ号」 @塘路
ノロッコ号は無蓋車改造のトロッコ車時代から何度か乗ったことがありますが,ボギーの客車改造になって格段に乗り心地はよくなりました。スピードのほうも以前は本当にのろかったと記憶しますが,今回は景勝地で徐行サービスがある代わり,その他の場所では結構速いなという印象でした。また,釧網本線はいろいろな季節に何度も乗ったことがありますが,さすが車窓解説付だけあって,釧路川の蛇行の作る湿原を満喫できました。最近は塘路から釧路湿原までカヌーで下ることができるそうで,この列車でも互いに手を振りあって,楽しむことができました。塘路の駅の案内所で尋ねたら,1人8,000円だそうで,なかなかいい値段するものです。

沿線の釧路川を下るカヌー
ノロッコ号は降りる駅を決めていなかったのですが,途中の各駅はどこも決め手を欠き,結局,塘路まで完乗です。30分弱時間をつぶして,釧網本線を網走方面に上ってゆきます。塘路14:44の4730Dはキハ54の単行で,立客がいるほどの乗りです。釧網本線は,釧路湿原に始まり,弟子屈・摩周湖・屈斜路湖・硫黄山といった湖や温泉,知床,オホーツク海と観光資源に恵まれ,いつ乗ってもほどほどにお客さんのいる線区です。

釧網本線4730D @塘路
この4730Dは釧路から網走まで3時間2分かかりますが,ワンマンの運転士さんは1人の通し乗務です。そしてびっくりしたのはその運転ダイヤで,標茶,摩周,知床斜里で1分止まる以外は全て30秒の停車です。ふつう,地方のローカル線のワンマン列車は時間調整や列車の行違いで5分くらいの停車があって息抜きができるものですが,この列車は運転士さんにとって過酷な列車と思ってしまいました。さて,列車のほうは,観光資源に恵まれるものの摩周湖は見えるわけでなく,屈斜路湖のほうも車窓左手の遠くに見える程度です。起伏に富んだ森の中を進み,川湯温泉~緑間の短いトンネルのある野上峠が釧路・オホーツクの振興局(旧・支庁)界になっています。峠を越えると天気はますます良くなり,北海道の広さを実感します。右手遠くには斜里岳,知床の山々が見えますが,ここも高いところは雲の中です。知床斜里からは進む向きが西向きに変わり,その時期には流氷が間近に眺められる駅として有名な止別,浜小清水,北浜とオホーツク海沿いを進みます。

釧網本線はオホーツクの海沿いを行く @知床斜里~止別
網走着17:16,9分の乗継ぎの間に駅前のコンビニに走り,晩酌の酒肴と軽い夕飯を仕入れます。この後は17:25の「オホーツク4号」で今夜の宿泊地,旭川を目指します。この「オホーツク4号」には昨日も滝川から乗ってひどい混雑でしたが,始発の網走発車時点ではガラガラ,先頭の自由席の1号車はカブリツキ席(ちなみに17A,B)が空いていました。考査か何か分かりませんが,乗務員室にはボードを持った人も含め4人が乗っていて物々しい雰囲気ですが,こちらは特等席で晩酌をさせていただきます。石北本線は常紋,北見(石北)の2つの峠を越えながら網走~新旭川を結ぶ234kmの路線で,北海道の背骨の山を越える景色が美しいところですが,今日は行程のほとんどが夜です。景色の見えるうちは前面車窓を楽しみますが,今日は常紋峠の信号場でまたしても鹿に遭遇でした。日没後はブログの仕込みや小遣いの記帳をし,21:14に旭川着です。旭川では,札幌とは違う,だしが決め手の旭川ラーメンで小腹を満たし,明日に備えます。

「オホーツク4号」。なかなかこの席は乗りたくても乗れない @網走
北海道旅行4日目は長大盲腸線となった宗谷本線往復の旅を別スレッド(こちら)で起こすことにし,このスレッドは5日目の8月4日(金)に続きます。早いもので道内4日目,離道の日になってしまいましたが,今日は道南,函館本線方面を巡ります。朝は,旭川7:18の「カムイ8号」で出発ですが,新装なった旭川駅を一渡り見回します。駅構内は前日も見ているので,今日は駅裏の石狩川側の出口を覗きます。以前の旭川駅は上の釧路と似た鉄道管理局と一緒の駅ビルだったと記憶しますが,そもそも北側に出口があったのかも定かでありません。今の北口はまるで新幹線駅のような感じに整備されました。

旭川駅の北口風景 2017.8.4(以下同じ)

こちらは表の南口に憩う路線バス。「すみません回送車です」の表示が楽しい

「カムイ8号」の789系1000番台。スチールながらもグレーの先頭部は無機質でビジネスライクな印象 @旭川

滝川の駅前風景。石狩川の広い河川敷を利用したグライダーが盛んのよう
旭川から乗った「カムイ」は滝川で捨て,ここからは普通列車で函館本線を上ります。1日に幾本も来ないローカル線と違い,本線筋では優等列車や貨物列車が行き交うので列車に乗っていても見応えがあります。岩見沢には8:39着,ここからは9:03の普通列車で室蘭本線を上ります。室蘭本線は石狩炭田の石炭の積出し華やかなりし頃は,多数の貨物列車の行き交ういっぱしの本線でしたが,今は全くのローカル線で,列車も1日7往復です。この際,白石~南千歳~苫小牧~長万部を室蘭本線とか千歳線にして,沼ノ端~岩見沢は追分線とかの地方交通線にしてしまえばよいのにと思います。僕としてもこの区間は30年以上前に1度乗っただけで,今日は本当に久しぶりの訪問です。

岩見沢で。ホームには等身大の農耕馬の彫刻がある。今日見るまでばんえい競馬のモニュメントだと思っていた。
室蘭本線は岩見沢を出ると南西の方向に走り志文に着きます。志文からは万字炭山を目指して万字線という炭鉱盲腸線が出ていました。万字線は,途中の上志文にはスキー場もあり,いかにも山に登る感じが印象深い線区でした。そちらのほうを見ると,バブルとテーマパークばやりの申し子の北海道グリーンランド遊園地の観覧車が見えています。ほどなくして,今回の旅行で3回目の追分に到着です。追分から南は室蘭本線は1日7往復しかないのに複線になり,広々とした線路敷をのんびりと走ります。需要からは単線で十分足りそうですが,信号システムの設備投資をするくらいなら,無駄でも複線のまま運用するほうが効率よいのでしょうか。

複線の室蘭本線の線路敷 @安平~早来
10:31苫小牧着,ここからは「スーパー北斗10号」で長万部を目指します。乗継ぎ時間が1時間以上あるので駅周辺で時間をつぶします。駅の北口にはメガドンキの巨大な建物がそびえ,中を覗くとバッティングセンターから卓球場までいろいろなスポーツ施設があり,連れがいたら色々楽しめそうです。今日は一人なので,メガドンキの食料品売り場で安い寿司の昼食を仕入れます。「スーパー北斗」は乗る前から分かっていた通り満席で,食事をしたり,噴火湾沿いの景色を眺めているうち,1時間半で長万部です。

長万部駅のたたずまい。玄関ホームのない構内は昔と変わらない。下は表側
長万部に着くと天気はあいにくの曇り,北斗星などに対応していた長いホームが迎えてくれます。函館本線が倶知安・小樽回りの山線と室蘭本線の海線に分かれる交通の要衝ですが,駅自体の乗降は少ないのでしょうか,この駅には玄関ホームがありません。夜行の「すずらん」や山線経由の名無しの夜行列車の乗換えで幾度となく通った長い通路は昔のままで,改築なった札幌や旭川と違いとても懐かしいです。感慨に浸るのもほどほどで,17分の乗継ぎで13:18の山線経由の気動車3943Dで倶知安を目指します。山線の名のとおりここは羊蹄山やニセコアンヌプリの裾野を走り,山の景色がきれいなところです。

黒松内では上りの2938Dと交換。煉瓦積の倉庫が歴史を感じさせる
函館本線山線の気動車列車は意外と混んでいて,旅行者風のかたと相席です。聞けば,福岡県から青春18きっぷで北海道に来ている由で,朝,福岡をたち1日目は米原,2日目は福島に泊まり,昨晩は青森のねぶたを見物した後,青函フェリーの夜行便で北海道入りしたそうです。そういえば昨日も,静岡を朝たって,秋田で1泊し,旭川で2泊目,稚内に着いたら宗谷の大岬に歩いてゆくという旅行者のかたがいました。どちらのかたも,乗り鉄というよりはふつうの旅行者で,お金よりは時間をたくさん持っている会社を引退後のおじさんでした。青春18きっぷの意外な利用者層であると同時に,北海道は本当に旅心を誘うのだなと思いました。このブログは,高校生を中心に中学生から大学生の鉄道趣味を志す若い人向けに書いているつもりでしたが,この層もターゲットにしなくてはと思いました。

倶知安で。跨線橋の左に羊蹄山が見える
山の車窓と周囲のお客さんとの会話を楽しみつつ山線の旅は続きます。倶知安ではダイヤが切れていて,21分で小樽ゆきの1945Dに乗換えます。この間に駅前のAコープまで足を伸ばし,ちょっと早めの晩酌のビールを仕入れます。なかなか有効に時間を使えたかなと思いつつ,山線の旅後半戦です。余市からはだいぶお客さんも増えてきて,16:30前,小樽駅の入り口までやってきました。ここで小樽駅が構内混雑,満線とかで足止めになってしまい,15分くらい遅れて16:41頃小樽に到着です。当初の計画では,16:26に小樽について17:00のフェリーに乗ることを考えていたので,この予定だったら大変なことになっていました。結局,今日はAir Doの飛行機で帰ることにしたので,15分くらいの遅れなら問題ありません。

時間つぶしの札沼線 @石狩太美
小樽からは日本海沿いの海岸線を見ながら札幌まで上り,札沼線を石狩太美まで往復して時間をつぶします。石狩当別まで行ける計画でしたが,小樽からの列車が遅れたので,札沼線も1本遅れとなり,折返し点が若干近くなりました。札沼線は高校生の時に新十津川側から1度乗ったきりなのですが,時間つぶしとはいえ,車窓の変貌ぶりが楽しみです。往路は札幌17:30の2623M,ちょうど退勤のラッシュ時の列車です。ラッシュ時とはいえ東京とはだいぶ違う,隣の人と接するか接しないか程度の混み方です。桑園で函館本線と別れると単線電化,中途半端に広い軌道敷の線路を進み,八軒に着きます。八軒からあいの里教育大までの11.4kmは複線電化で,キハ22が数両編成でガタゴト走っていた時代とは隔世の観です。飛行機の時間を図りながら,今日は石狩太美で折返し,あとは順路で新千歳空港を目指します。今日はとりあえず石狩川の長く新しい鉄橋まで乗れましたが,廃止にならないうちに,再度,新十津川まで乗りたいと再来を期します。

最後は快速エアポートで @新千歳空港
札幌で時間調整かたがた会社や家への土産を買い,ほぼ90分前に新千歳空港に着きました。本当はもっと早くに帰りたかったのですが,飛行機の運賃は便によって値段が違うので,折合ったのがAir Doの38便で18,790円でした。新日本海フェリーなら新潟~東京間の青春18きっぷ代を入れても10,000円前後で,1万円で1日を買ったような計算です。Air Doの機材はJA601A,ちょっと古めのB767-300です。これ,以前,ANAにいた飛行機じゃなかったかななどと検索したらその通りでしたが,2014年に羽田空港で手荷物の運搬の車両にぶつけられて修理した機体だそうです。インターネットは便利ですが,情報過多の面もあり,聞かなきゃよかった...と後悔です。

今回の旅行の道内の行程。8/1,3分も含む
もともとは新造船のフェリーに乗りたいから始まった今回の北海道旅行ですが,フリーパスを使ったこともあり,JR北海道のかなりの区間を乗ることができました。JR北海道の在来線の営業区間約2,400km中乗れなかったのは600km弱で,3.5日で概ね4分の3は乗った計算になります。僕が最初に北海道に行ったときは20日がかりでも乗り切れないほど鉄道路線があったので寂しい限りです(37年前の北海道の写真はこちらへ)。いろいろと問題も抱えながらもJR北海道が頑張っていることも実感できました。今度は冬の時期に再訪したいと思いつつ筆をおきます。(2017.8.20記)
(8月3日,宗谷本線の記事へ)
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2017年夏のアクティビティ3--北海道ローカル線紀行,存廃の危機にある2線を訪ねる

(前の行程から)
北海道旅行,上陸初日は苫小牧を起点に存廃の危機にある2線を訪ねます。1つは沿線の市が財政再建団体となった石勝線夕張支線(以下,通称で夕張線と書きます),もう1つは昨年の台風の被害が甚大だった根室本線の狩勝峠の西側の区間です。

苫小牧は14:03の2777Mでスタート 2017.8.1(以下全て同じ)
8月1日(火)は苫小牧14:03の2777Mでスタート,22分の乗車で南千歳です。この区間には美々駅がありましたが,この3月のダイヤ改正で廃止になっています。車窓を見ているといきなり鹿が2頭,どうやら人ではなく,鹿が住むような場所のようです。この度の旅行ではこの後もたびたび鹿を見ており,昔に比べて増えたような気がします。

2631Dは追分で28分の大休止
南千歳では遅い昼食に名物駅弁のサーモン寿司を買います。サーモン寿司とししゃもチップ寿司は元々苫小牧の駅弁屋のまるい弁当の商品ですが,苫小牧の売店は売切れでした。僕はししゃもチップの方が好みですが,今年はししゃもが不漁とかで作っていないそうです。サーモンは寿司なのにマスタード風味が特徴だと思っていましたが,クセがあるせいか,随分とうす味になったようでした。

広大な追分駅の構内
南千歳からは14:33の2631Dで夕張を目指します。南千歳~追分間は石勝線として1981年に開業した区間ですが,17.6kmもあるのに駅が一つもありません(信号場は2つ)。追分は石炭の集積地だった昔が偲ばれる広大な駅ですが,2631Dはキハ40の単行,さびしく28分の長時間停車を過ごします。夕張線の追分から夕張までの43.6kmは1892年の開業ですが,1981年に開業した石勝線に組み入れられ,新夕張~夕張間の盲腸部分も石勝線の支線の扱いです。この区間は過疎化の進行が著しく,2019年度に廃止とアナウンスされているのです。記事によれば,廃止の提案は元々市側からだったようで,JRとしても施設の維持更新の経費も大きいことからこれを受入れ,交通網の再整備にも協力するとなったようです。

夕張駅の周囲。とんがり屋根の建物が観光案内所兼JRの駅
夕張線の車窓は概ね夕張川に沿っていますが,人の手の入っていない大自然の趣が残っています。石狩川,夕張川は蛇行の多い川ですが,夕張の市内でも蛇行を繰り返していて,線路は一部で小さな峠にもなっています。短いトンネルを抜けると夕張の中心部で,新夕張から27分で終点の夕張に着きます。駅前にはマウントレースイスキー場のホテルがそびえ,それに比べるとJRの駅は随分小さな佇まいです。

帰りの夕張線でも鹿と遭遇。ここではしっかり写真も撮れた
16:31,折返しの2632D千歳ゆきで新夕張まで戻り,晩酌のビールと肴を仕入れて,17:21の「スーパーとかち5号」に乗ります。久しぶりの北海道の特急ですが,キハ261系の自動案内放送は日英中のトライリンガルです。また,この列車は占冠通過のトマム停車ですが,トマム駅近傍のリゾートホテルへの旅行客が結構いるようでした。トマム~新得の狩勝峠は本邦随一の雄大な車窓の楽しめる区間ですが,明日も来るので,今日は流す程度に見ておきます。

スーパーとかち5号 @新夕張
新得からはいよいよ根室本線のバス代行区間です。駅を出ると,まん前にふらのバスの観光バスが待っています。全国どこでもそうですが,鉄道代行輸送のバスは駅前広場のど真ん中に横付けされますが,ここでも同様です。国鉄~JRの代行バスの手配要領に,極力改札口に近い所に配車すべし,などと決められているのでしょうか。とくに案内も,きっぷを改められることもなく乗車し,18:38定刻に発車です。列車代行バスには案内および運賃収受のためのJRの係員(車掌?)が乗ることが多いですが,ここは元々がワンマン列車なので省略のようです。

根室本線の列車代行バス @新得駅前
バスはよく整備された国道38号線の狩勝峠をゆっくりと登ってゆきます。30分ちょっとで峠を越え,国道をそれて落合の駅前に入ります。バスの乗客は僕を含め乗り鉄風の人が3人だけで,メンバーは終点まで変わりませんでした。帰りの便は部活帰りの高校生もいるそうで,確かに東鹿越ではもっと多くの人が乗換えたようでした。さて落合駅ですが,代行バスでも駅である以上,駅舎に電灯がともるのはよいとして,一括制御で仕方ないのか列車の来ない線路にかかる跨線橋の電灯はもったいない感じです。かなりゆっくり登ってきた印象ですが,落合は早着だそうで,時間調整のため暫く停車します。なぜかこの登りの区間だけ妙に余裕があって,以降はふつうに走らないと間に合わないそうです。

落合駅風景。電灯が煌々とともる
19:28,落合を出ると次は幾寅です。この駅は高倉健さん主演の映画「鉄道員(ぽっぽや)」の撮影の舞台になった駅です。駅舎には撮影当時の「幌舞駅」の看板が掲げられていて,本来の幾寅駅の表記はほんの申し訳程度です。幾寅からは国道ではなく,かなり狭い道路を慎重に進んでゆきます。対向車もなく快調にバスは走りますが,いきなり動物が道路を横切ります。内地なら大型のネコのような感じですが,色や大きな尾の感じからキタキツネのようです。暗いので並行する線路の様子は全く見えませんでしたが,後で聞いた話では,橋梁が流されてしまった所があったり,土砂が流れ込んだりして,昼間見ると相当無残な様子だったそうです。JR北海道の経営的には,復旧は放棄し,恒久的にバス代行の選択もあるそうです。趣味だけで見れば最長鈍行の2427Dが分断されているのは大変面白くないのですが,只見線が上下分離方式での復旧が決まったことでもあり,いろいろなサーベイをしたうえで良い解決が望まれます。

東鹿越風景。バスのライトがなければとても暗い
東鹿越に着くと,折返しになる列車は未だ来ていません。バスは駅前広場どころか駅舎脇に縦につっこんで停車し,ホームのほうをライトで照らしてくれています。代行バスで一緒だった女性が,「これ,一人だったらとても怖いですね」と声をかけてくれたので,富良野まで会話し,一人旅の無聊を紛らすことができました。

代行バス運転の案内(詳細はJR北海道のサイトに掲出されている)
富良野で乗換えた快速の3438Dは野花南あたりで鹿と衝突しそうになり急停車,7~8分遅れて滝川に着きました。滝川からは「オホーツク4号」で今夜の宿泊地・札幌へ急ぎます。「オホーツク4号」の自由席車は満席で,立ん棒になってしまいました。北海道にしては遅い時間に約1時間の行程なので,油断して指定席をとらなかったのが失敗でした。札幌到着後はみどりの窓口に行き旅行中に必要な指定席を手配し,投宿です。JR北海道の駅業務は,みどりの窓口マークのある駅でも新夕張が15:30まで,滝川も22:00前で終業済だったので,とれるうちにとっておかないと後悔することになりそうです。また,北海道ではオンシーズンの特急は混んでいて要注意ですが,2日先の「スーパー北斗」が満席なのには驚きました(翌早朝にはとれた)。

根室本線3438D。富良野~滝川の名無し快速だが「快速ワンマン」の表示 @富良野
今日行った2か所はどちらもJR北海道の中でもとくに経営の厳しい線区の印象でした。夕張線は鉄道廃止後も深名線のような直営となるのでしょうか。JR北海道のバスは空知地区の路線を縮小してきた歴史があり,既存の中小の事業者もあります。行政(市)の期待するような,ピンチをチャンスとするような再編を期するばかりです。

札幌の夜は更けて。23:00過ぎの北口の風景
狩勝峠西側区間については,僕の乗った便は乗客が3人でしたが,時期と時間によっては高校生の利用もあるそうでした。富良野にベースのあるバス会社が峠を越えて新得まで行くのも面倒なことで,石勝線は列車も通っているので,このルートを活用し,バスになっても新得までは行かずに済む方策がとれると良いと思いました。石勝線と根室本線落合方面は新狩勝トンネルの出口で分岐するので,トンネルの出口付近に停留所を作れば便利と思います。積雪の多い所なので,冬場の乗換え設備の整備は課題になりそうです。趣味者としては路線の廃止は寂しいですが,無理に赤字をたれ流すよりは,適切な方策での交通体系の維持を期待するところです。(2017.8.15記)
(翌日の行程へ)
2017年夏のアクティビティ2--新造船のフェリーで北海道へ

2017年の夏休みは,ジュニアは高校生になって手が離れたので,1人で旅行に出られそうです。さてどこに行くか...朝の駅への通勤時に入り江の向こうの造船所で気になっていた赤い煙突の船は大洗と苫小牧を結ぶ「さんふらわあ」の新造船でこの5月に就航しました。一人旅ならこれに決定,帰りは日本海の新日本海フェリーでなどと計画したのでした。

新「さんふらわあ」の中吊り広告 @京急線車内 2017.4.16
7月31日(月),出発はちょうどお昼の12:04,いつもは駅までは徒歩ですが,今日は暑いのでバスで出発です。磯子駅は予定より1本遅い12:23の1266A,横浜駅で降りて,駅のそば屋で腹ごしらえをします。横浜から乗った12:52発の1586E黒磯ゆきは,僕の独自の集計(興味のあるかたはこちら)で日本第4位の長距離鈍行です。今日は何かと話題ののりものにあたるようです。

上野東京ライン1586E。熱海~黒磯間268.1kmを走る長距離鈍行 @東京 2017.7.31(以降同じ)
13:18東京駅着,ここで八重洲北口の三省堂に寄り,道内版の時刻表514円ナリを買います。リュック1つの身軽な旅装のため,いつもの大判時刻表は持ち歩かず,軽い道内版に期待です。昔は弘済出版社(現商号は交通新聞社)の道内時刻表には,全国版の時刻表には載っていない臨時乗降場が網羅され,バスも占冠村営バスなどまで詳細に載っていたものでした。時間もなかったので中は改めずに買ったところ,今はJTBの全国版時刻表にも収録されている占冠村営バス,日高町営バスはおろか,JR北海道本体の新得~東鹿越間の代行バスも載っていませんでした。そもそもJR北海道の路線網も3分の2になったので,情報量としては随分減ったはずなのに,値段は上がって...などと憤懣やるかたなしです。尤も,札幌近郊の列車が増えたので,列車キロでは大差ないのかもしれません。ちなみに帰宅後に比べたら,前回買った2005年のほうが厚さは2割厚く,値段はわずかに安かった(500円)です。ジュニアいわくは,今は駅で無料配布の時刻表でも全列車が出ているので,これでいいんじゃない(全駅掲載ではない)との意見でした。

北海道時刻表。北海道旅行には便利(?)な1冊
さて,ここからフェリーの出る大洗港までどうやって行くかです。予定では関東鉄道(関鉄グリーンバス)の高速バスで鉾田に出て,鹿島臨海鉄道で大洗に出るルートでした。このバスですが3時間弱もかかるので,歳をとって最近トイレが近くなった僕としてはトイレなしバスはちょっと心配です。調べると,常磐線の鈍行で水戸回りでも1時間くらい早く着けそうです。運賃の差は8円なので,これは決め手になりません。かなり心は揺らぎましたが,バスを見たらトイレ付きだったので,予定どおり高速バスで行くことにしました。この高速バス,全くのサーベイ不足でしたが,高速は佐原でおりて,一部のバス停では乗車も扱いながら香取,佐原,麻生,行方などの街を回りながら鉾田に行きます。今回の旅行は,日常を離れ,ゆるりとした時間の流れを楽しむのが目的なので,想定外ではありますが,日本水郷路線バスの旅も悪くありません。

関鉄グリーンバス鉾田~東京線のガーラ
東京駅のターミナルはなぜか消防車も来ていて騒然としていますが,バスは7割がたの乗客をのせて定刻13:40に出発です。車両はトイレはあるものの,かなりくたびれたガーラです。冷房の効きが悪く,降りる時まで車内の温度計の針は30度近くにはりついたままでした。今日は月末日,高速道路に車は多く,ちょっとでも何かあったら大渋滞になりそうな一触即発の状態でした。バスは一番右の追越し車線を流れに乗って走ります。東関東自動車道に入り車が減ると,高速バスのペースで淡々と走ります。そして15:00佐原駅着,さすがプロの腕前,ピッタリ定時着でした。佐原からは,潮来,麻生,行方といくつもの橋を渡り,小まめに町の中心部を縫いながら走ります。16:20過ぎ新鉾田駅着,案内には佐原駅,潮来駅,麻生庁舎で乗車の扱いもすると書いてありましたが,結局,途中の乗りは一人もありませんでした。

古い水郷の街並みにあう構えの佐原駅
新鉾田~大洗間は鹿島臨海鉄道の気動車で繋ぎます。学校のある時期なら通学の高校生で混雑する時間帯ですが,夏休みの今日はがらがらです。ラムサール条約で守られる涸沼などを見ながら25分の乗車で17:24大洗に到着です。なお,鹿島臨海鉄道は鹿島灘の海がきれいに見えそうですが,鉄道建設公団製で新幹線のように一直線に延びた線路からは海はほとんど見えません(海が見えるのは水戸付近の限られた区間だけ)。

新鉾田で見た鹿島臨海鉄道の新型気動車

後ろには北浦の端っこが見える。@新鉾田
大洗では長い船旅に備え夕食を摂って,朝食を仕入れる予定でしたが,勘違いと船の門限があり,街中を1時間近くさまよい歩いたのにどちらも収穫なしです。船の門限は徒歩乗船でも出港の1時間前の18:45,遅くとも19:00には来てほしいとのことでした。仕方なくターミナルでビール2本だけを買い船上の人となります。部屋は下から2番目のコンフォート,運賃19,500円の雑居室です。昔の青函連絡船の桟敷のようなゴロ寝でよいと思っていたのですが,1番安いツーリストも今はサンライズ出雲・瀬戸のノビノビ座席のような仕切りのあるタイプで,今日の便は団体もあって満席でした。1つ上のコンフォートの寝台ですが,昔のB寝台より広め,結局1分も見ませんでしたが寝台ごとにテレビもついていました。

新造船だけにいろいろな案内のサイネージも充実

コンフォート寝台の造作
腹も減ったので食堂に行くと,カフェテリア方式で夕朝セット2,400円(夕食だけなら1,900円)とのこと,選択の余地はありません。昔のフェリーの船内では逃げ場がないので高い不味いが相場でしたが,この船ではそんなことはありません。夕食1,900円は安くはありませんが,和洋のおかずから,サラダ,デザート,飲み物までついて,料理も温かく,満足のゆくものでした。秀逸だったのはアイスクリームのようなピンクの半球,何かと思えばマグロのスキ身で,ネギトロ丼にしたら大層おいしかったです。朝食は1,050円ですが,そこらの安いシティホテルの朝食にひけはとっていませんでした。

一部が吹抜けになった明るいロビー周辺

お風呂は長距離フェリーの楽しみの一つ 2017.8.1
食事をしている間の19:45,定時に船は動きだし,大洗港を後にします。食後は陸から離れないうちにFacebookの投稿や家族へのLineの報告を済ませ,一段落したらお風呂です。船内の浴場は他の船と大差ない広さでしたが,この船には90度のドライサウナもついています。近海航路とはいえ洋上の船で火災予防上は大丈夫なのでしょうか。船内の設備でこれはよいなと思ったものにコイン返却式のセキュリティボックスがあります。僕は四六時中船内をうろつきまわるので,貴重品を無料で預けられるのは大変重宝します。

船のきれいな写真がないので,絵葉書をいれておきます
前回,家族でこの航路に乗ったときは台風の中での航海で,家族は3人ともヘロヘロ,以来2度と長距離フェリーには乗ってくれません。今日は海も穏やかで,揺れも少ないです。ところがなぜか興奮して24時まで寝付けなかったばかりか,2:14,4:49と何度も目が覚めてしまいました。その度にGPSの電波を拾い,下の航跡を作りましたが意外と陸地の近くを走っているようです。

GPSトラッカーで見た航跡。夜中はほんの一部しかない
朝は海霧の濃い曇天でしたが,昼前になると天気は快晴,苫小牧到着までいっときの太平洋の船旅を楽しみます。ところで,この「さんふらわあ ふらの」ですが,新しい船なのに13,000tと総トン数では小さめです。たまたま通りかかった事務関係の乗組員のかたに伺ったら,太平洋側の各港には全長200mの長さ制限があって,日本海側のような大きな船は就航できないそうです。また,港の入港料も何倍も違い,これらの経営環境が違うので,新日本海フェリーと運賃だけを単純に比較されても困るそうです。

快晴の太平洋上を行く 2017.8.1(以降同じ)
13:10頃には苫小牧港に到着,新しい船なので慎重に着岸です。バウスラスター,スタンスラスター--この船は2つずつある--を使って静かに接岸し,ボーディングブリッジが開いたのは,定刻の13:30をだいぶ過ぎてからでした。13:56の札幌ゆきバスに乗継ぐお客さんは十数人いたようですが,列車に乗るため駅に行く人は僕一人のようでした。できればタクシーは相乗りで節約したかったのですが,列車の時間も迫っているので,早々に車を出してもらいます。走り始めれば渋滞等の不確定要素はないので,船内で聞いた情報のとおり,10分1,510円の乗車でした。

行きかうフェリー。苫小牧~八戸を結ぶ川崎近海郵船の「シルバーエイト」
最後の3時間くらいは天気にも恵まれ穏やかな太平洋の船旅で,念願の「さんふらわあ ふらの」にも乗船し,北海道旅行初日はまずまず満足の1日になりました。14:00前に苫小牧駅に着いたので,今日午後からは久々の北海道列車の旅です。続きをお楽しみに。(2017.8.13記)
(続きの行程へ)
2017年夏のアクティビティ1--埼玉県を走る都バスを求めて

(2017年)7月16日(日),この日は思い立って,埼玉県を走る都バスの写真を撮りに,飯能から青梅に行ってきました。埼玉県を走る都バス? こんな路線があるのは「みんくるガイド(都バスの路線図)」を隅から隅まで熟読していたジュニアから2年位前に聞いていましたが,なかなか訪れる機会がありませんでした。以前は東京ワンデーパスを使って,都営地下鉄とバスで行く計画をしていたのですが,あれこれ見ているうち,飯能からバスの便があることを知り,「東急西武線まるごときっぷ」で行くことにしました。せっかくフリーきっぷを買うので,本題は午前中で済ませ,おまけの用事を2つこなしてのショートトリップとなりました。

「東急西武線まるごときっぷ」
最初に埼玉県を走る都バスについてをおさらいしておきましょう。都営バスの青梅地区の梅74系統は,青梅市中心部から北郊の成木,小曽木地区を循環する系統ですが,その北側の一部が都県境を越えて埼玉県にかかっています。停留所で2つ,距離で約1.5kmの区間ですが,都バスは都内を走るものという常識からすると,ちょっと異色です。かなり昔の話ですが,千葉の浦安地区へは多数の都バス路線があったし,我が家の近くの横浜市営でも4系統が横須賀市の追浜まで足を延ばしていました(現在は京急バスに譲渡)。探せばこのような越境路線は多数あるのだろうと思いますが,話のタネにはなりそうです。なお,この梅74系統ですが,昭和50年頃,元々路線を持っていた西武バスが撤退したため,住民の請願で都バスが走ることになったようです。下の地図でループになっている区間はフリー乗降で,相当な過疎路線のようなので,いつまでもつでしょうか。

梅74(甲)系統の路線図(Google Mapに加筆)
さて当日ですが,朝に横浜から飯能への移動です。当然,3月末から走りだした,みなとみらい線~東横線~副都心線~西武線直通の指定席制列車,S-Trainに乗りたいと検討します。しかし,飯能からのバスが9:25しかないので,あまり早く行っても仕方ありません。この春から,家には西武の時刻表もあるので,S-Trainの次の特急小手指ゆきがちょうどよいことが分かりました。15分余計に寝られて,860円も安いので,即決定です。それに合わせて,自宅最寄りの磯子駅7:03の電車で出発になりました。

この日もそこそこ早く7:03の602Aで出発 @磯子
横浜では,今日1日を楽しむ「東急西武線まるごときっぷ」を買い,トイレを済ませて,ホームに向かいます。やってきた電車は,なんと幸先良い,ヒカリエ号でした。2年前にこのきっぷで西武線の乗りつぶしに行った時も黄色い6000系がきたので,どうもこのきっぷを買うと珍しい電車にあたるようです。東横線~副都心線を乗りとおし8:18練馬着,ここからは西武線の旅です。

この日の東横線~副都心線の電車はヒカリエ号 @石神井公園
練馬で池袋からの地上線から来た準急飯能行きに接続するので,この電車に乗換えますが,これがまた京急カラーラッピングの9000系でした。この電車にそのまま乗っていれば飯能に9:05に着くのですが,ヒカリエ号の走りの写真を撮るため,石神井公園でこの列車を捨て,後続の急行に乗換えです。ヒカリエ号が来たばかりに朝から慌ただしいことになってしまいましたが,とりあえず飯能には9:16に着きました。

練馬~石神井公園のちょい乗りの京急カラーの9000系 @練馬
飯能からは青梅線の東青梅行き飯能41-1系統の西武バスで今日の最初の目的地,岩井堂に向かいます。9:25発の東青梅ゆきは部活らしい高校生10人くらいと普通の利用者2人くらいを乗せて出発です。賑やかだった高校生が飯能南高校で降りてしまうと社内はガラガラです。少し森が深くなったかなと思うと「東京都」の標識が出て都県境を越え,小曽木街道に入ったところの岩井堂には9:37の到着でした。

飯能41-1系統の西武バス。乗ったバスの折返し便 @岩井堂
さて,目当ての梅74のバスは10:35のつもりでしたが,時刻表を見ると9:44にももう1本あることが。小1時間の間にゆっくり撮影場所を探すつもりが,あと7分できてしまうので,大忙しです。事前にストリートビューで見てきたのであまり迷うことなくバス通りを西に進むと,富岡1丁目のバス停,その先に「埼玉県」と「飯能市」の標識のたつ都県境がありました。先ずはここで1枚です。なお,この便は梅74乙系統,河辺駅ゆきで,休日ダイヤでは1日1便だけです。tobus.comの時刻表では梅74甲と梅74乙が別の時刻表で表示されるので,現地の時刻表を見るまで,この便の存在に気づきませんでした。サーベイもれではありますが,そんなに多くの便があるわけでもないので,バス停ごとに表示される時刻表は両系統併記が望ましいと思います。

埼玉県を走る都営バス!?富岡1丁目で。梅74乙は休日は1便しかない
元々予定していた10:35便まで時間があるので,この近くでぶらぶらします。岩井堂には都営バスの折返し場があるので,まずはそこを見ます。現在,岩井堂折返しの便があるのか分かりませんが,トイレもありきれいに整備されていました。更には常秀院なるお寺や,趣味でやっているような古道具屋などを覗いて,時間をつぶします。この古道具屋ですが缶コーヒーや産直野菜なども売っているので,飲み物や家への土産(きゅうりといんげんで200円!)を購入です。都県境の標識のたつ場所から富岡1丁目のバス停までは近いので,写真を撮って走ればそのバスに乗ることもできそうです。また,この区間はフリー乗降区間なのでそこで手を挙げれば乗せてもらえるはずです。どっちにするか迷いましたが,安全をとって,写真は望遠にして,走って乗ることにしました。それで撮ったのが今日のスレッドの扉の写真で,なんと最新のB代のニューエルガでした。

岩井堂折返し場。周囲は里山の風情
元々は10:35便は写真だけで11:06の飯能ゆきで戻る計画だったのですが,今日は1本得していることもあり,このバスで東青梅に抜けることにします。東青梅からはJRで拝島までくだり,そこからは西武の旅に戻ります。次は今日第2の目的地,所沢航空発祥記念館に向かいます。拝島からはお顔のかわいい新鋭30000系,小平で乗換え,航空公園駅には12:03に着きました。

新鋭西武30000系 @拝島

航空公園駅を降りるとANKマーキングのYS-11がお迎え
所沢は航空とゆかりの深い街で,昔は大きな飛行場や航空基地があり,今でも東京航空管制部は航空公園と隣接の場所にあります。以前から,ここに航空公園とちょっとした博物館があることは知っていたのですが,訪れる機会がありませんでした。今日はちょうどよい機会なので,博物館の見学に行きます。博物館というには規模が小さいですが,そこは遠慮して「記念館」というタイトルになっているので,そのつもりで見れば満足の内容です。なお,入館料金はJAFの割引き(僕はスマホ版電子会員証にしていますが,意外なところで使えます)を使って,410円でした。

所沢航空発祥記念館の建物。右手のドーム状のところに実機が展示されている
館内の展示は,航空発祥の地にゆかりの展示のほかは,基地としての経緯から陸上自衛隊関係のものが多いです。写真のように,置いてある展示のほか軽い飛行機は天井から吊られていて,結構な数の実機が展示されています。この辺は,米国の博物館(興味あるかたはご参考にこちらもどうぞ)なども参考にしたのでしょう。

所沢航空発祥記念館,館内の様子
その他,航空博物館によくある空を飛ぶ仕組み--揚力など--の体験型展示もそこそこあって,子供とじっくり見れば勉強にもなります。シミュレーターも何台かあり,休日でもそんなに待たずに体験できました。ちなみに中級で100点が出ましたが,誰でもそうなのか,それなりのウデだったのかは分かりません。ミュージアムショップでは多数の模型のほかプロペラ動力やゴム発射の飛ばせる飛行機も売っていて,博物館前の芝生エリアは格好の飛行機遊び場になっています。時間があれば,これらで遊ぶのも楽しそうです。

記念館前の公園のC-46の実機
1時間ちょっとで見学を済ませ,航空公園駅から電車で所沢に戻ります。僕にとっては,所沢,飯能は縁遠く,エキナカの勝手が分かりません。腹も減ってきたのでお昼にしたいですが,所沢は物価が高く気に入った店が見つからないので,とりあえず飯能まで行くことにします。このとき所沢から飯能まで乗った電車がこれまたラッピング,銀河鉄道999の20158Fでした。メーテルのような長い髪ではなかったですが,すらりと長身の女性の運転士さんで,なかなかによい巡りあわせでした。

西武池袋線は銀河鉄道999柄の20158F
飯能でもこれといったエキナカの店はなく,エキナカホテルのベーカリーのパン,コンビニおにぎり,ビールを買って,今日3番目の目的地,秩父を目指します。現在,西武秩父線の列車は4000系を主体に運用されていますが,トイレ付,ボックスシートのこの電車は列車の旅を落ち着いたものにしてくれます。秩父に行くといってもフリーきっぷを有効に使いたいだけで,さしたる目的がある訳でもありません。もともとは,西武秩父線の景色のよさそうなところで鉄ちゃん(鉄道写真を撮ること)をするつもりでしたが,道々の車窓を見る限り,ここだ!という所はありませんでした。西武の架線柱は単線でも両持ちのものが多く,えらく架線柱がうるさいな~という印象でした。秩父に着いて時刻表を確認すると,SLパレオエクスプレスは1時間くらい前に行ってしまったようです。

秩父鉄道の電車。元東急8590の7500系 @御花畑
天気も曇りがちになってきたので,秩父鉄道の電車を何本か撮って帰ることに決めます。中小私鉄の電車は,大手私鉄の画一的な車両と違って,個性的な車両が多いのも楽しみです。元東急の7500系,元西武の6000系など懐かしい電車がやってきましたが,これらを個性的というかは微妙です。僕としては自社発注の旧型国電みたいなのを個性的と言いたいところですが,アコモ改善や冷房化の要請もあり,それらの電車はもうほとんどないようです。

御花畑駅の様子。昭和のローカル駅の雰囲気が残っている。入場券はもちろん硬券
帰りの電車どうするか,往きにS-Trainに乗らなかったので,帰りこそはと検討します。東京メトロ,東急と会社をまたがるごとに料金が高くなるので,石神井公園までなどと考えます。時刻表を見ているうち,西武秩父を14分前に出る地上線経由池袋直通の急行に乗れば,飯能でFライナーに接続し,横浜まで逃げ切るどころか,所要時間も短いことが分かりました。それなら,敢えて無駄遣いすることもあるまいと,あっさり帰りもS-Trainは諦めです。

御花畑駅で。池袋直通の4000系電車,西武直通用の2番線の時刻表
雨も降ってきたし,秩父鉄道の電車もいくつか撮ったので,予定より若干早めですが,帰途につきます。御花畑15:49の池袋直通急行に乗ろうと「東急西武線まるごときっぷ」を見せると,若い駅員氏はかなりじっくりきっぷを眺めた後,そのまま乗ってくださいとの案内でした。御花畑は秩父鉄道の駅なので,わずか数十メートルでも秩父鉄道の線路を走れば最低運賃は必要だろうと覚悟していたのですが,いわく,西武線直通電車に関しては御花畑は西武秩父と同じ扱いですとのこと。分界点がどこにあるのか知りませんが,これは意外と良心的な設定です。お礼かたがた入場券を買うと,鋏はご自分でどうぞとのこと,若いのにしっかりした駅員さんでした。

御花畑~西武秩父連絡線。左に分岐する線路の左手には西武秩父駅が広がる
帰りもお気に入りの4000系で正丸峠の坂を下り,飯能でFライナーに乗換えです。この列車は東京メトロ10000系でした。飯能から横浜までは1時間28分ですが,秩父への往路に飲んだビールも醒め,トイレもなんとか持ちそうです。秩父などでハイキングをした後のビールは格別のもの,トイレ付き通勤電車S-Trainはこのためにあるのではないでしょうか。

S-Trainは武甲山のふもとの横瀬でお昼寝中

S-Trainより速いFライナーと西武秩父駅の広告
今日はタイトルのとおり埼玉県を走る都バスが目的だったのですが,使ったきっぷのおかげもあり,1日で3つのアクティビティをこなし充実の一日でした。青梅地区の都バスも魅力があるので,今度は都営まるごときっぷで都バス乗車を目的とした小旅行もしたいです。また,今日は鉄分(乗り物分)の濃い旅行でしたが,秩父周辺の山歩きも楽しそうです。どっちにしても,次回の訪問が楽しみです。(2017.7.22記)