2017年夏のアクティビティ6--家族で中国地方へ・その1 三江線,可部線

秋の彼岸というのに夏のアクティビティもなんではありますが,わが家にとっての夏休みの旅行は8月30日から出かけた中国地方への旅行です。今年の夏休みは春のダイヤ改正で延伸した可部線に乗りに行くと決めていたのでした。ジュニアは高校生になりましたが,幸い夏休みが長く,9月の最初の週末もまだ夏休みです。この時期になると暑さもやわらぐし,人出も減って,宿やパッケージの値段も安くなるので,旅行は行き頃です。中国地方に行く前提で旅程を考えたら,ジュニアは来春の廃止が決定した三江線に行きたいと言い,SLやまぐち号には新製の客車が投入されるということでこれらも取り込んだ行程になりました。それではその旅行の様子をご報告しましょう。

サンライズ出雲 @岡山駅 2017.8.31(以降同じ)
出発は8月30日(水)夜の「サンライズ出雲」です。平日なので17:30まで仕事をし,帰宅後に支度をしての出発です。退勤後そのまま東京駅から乗ることも考えれますが,一旦家に帰れば荷物の取り回しが楽だし,風呂にも浸かって後は寝るだけモードで乗車できます。サンライズの寝台は家族3人でシングル3席です。ツイン+シングルも考えましたが,ツインは室数が少なくとれない可能性があり,今回の旅行ではこの列車はキーなので,そこが狂っては困るため次善の選択です。案の定,「サンライズ出雲」は満席で,3席バラバラにとれたので,旅行会社も苦労したようでした。夜行列車の凋落が言われて久しいですが,この列車は時間帯と設備がよいせいか,いつも人気があるようです。横浜からこの列車に乗ると,車内改札は普通の制服姿の東京車掌区の女性の車掌さんでした。聞けば,熱海までの乗務だそうで,最近は車掌業務も会社境界で分断されていることが驚きでした。昔の寝台特急の車掌さんといえば,この時期なら白のダブルの制服に「乗客専務」か「車掌長」の腕章がかっこよく,始発から終点までの乗務がふつうでした。最近の働き方改革の流れからすれば12時間近い連続勤務はとんでもない...のかもしれないですが,旅客の僕らから見ると列車を預かっている安心感がありました。

山陰本線から宍道湖を見る @玉造温泉付近
一夜明けて8月31日(木)朝,岡山駅のおはよう放送で目覚めます。岡山では「サンライズ瀬戸」を分けるため,7分の停車です。隣のホームまで足を運んだわりには逆光でたいした写真が撮れなかったのは残念ですが,今日は良い天気になりそうです。伯備線は3日後にもまた来るのでさらりと流して,9:45着の宍道で降ります。宍道はシジミの産地として有名な街ですが,朝の街をちょっと歩いた感じでは,昭和の商店街の残る街の印象でした。今日午後乗る三江線は,朝5:53の後は15:15まで列車がない(途中の浜原止まりは間に1本あり)ので,午前中は奥の希望を採り入れ,松江の八重垣神社に行くことにします。

八重垣神社
松江では2分の乗継ぎでバスがあるので,あわよくばこのバスに乗るつもりでしたが,バス停が見つからずあえなく諦めです。少し詳細に書くと,列車の到着時刻は10:34,バスの北口ターミナルの発時刻は10:36,駅南口の発時刻は10:38でした。南口という方は多少離れていても2分稼げるのでこちらから乗ることにしましたが,これが失敗でした。近くにいたJRの駅員さんに聞いても,南口?バスターミナルは北口です...と南口バス停は認知されていないようでした。JRの駅員さんは複数名の年配のかたで大変親切に探してくれましたが,お礼もそこそこに立ち去ってしまい,申し訳ないことをしてしまいました。このバスは北口ターミナル始発ではなく,一畑電車の松江しんじ湖温泉駅から来るので多少遅れていたようで,最初から北口ターミナルに行っていれば,10:36便に乗れたようでした。代わりに乗ったタクシーは女性の運転手さんで,神社への道中は観光情報を聞くことができ,1,000円で観光タクシーに乗ったと思えば決して高い出費ではありませんでした。

八重垣神社ゆきの松江市営バス。シート地から横浜市営バスが出自と分かる @八重垣神社
八重垣神社はスサノオの尊(みこと)がヤマタの大蛇(おろち)を退治したという伝説の伝わる神社で,縁結びのご利益があるそうです。名物の鏡の池の占いなどで楽しんで,帰りはバスで駅に戻ります。このバスは今では珍しくなった富士重工製で,ジュニアがぜひ乗りたいと言ったものですが,乗ってびっくりで横浜市営の鶴見営業所から来たものでした。松江では出雲そばで腹ごしらえして,午後の三江線に備えます。

松江の駅前風景。高架化により必要なものがコンパクトにまとまっている印象

松江で見かけた伯備線の115系。うしろのクモハは中間車改造ですが,まっ平らな前面です

3455Dアクアライナーのキハ126 @松江
松江から江津までは山陰本線中央部を結ぶ快速アクアライナーで1時間45分の行程です。アクアライナーはキハ126という僕には馴染みのない気動車ですが,特急用のキハ187の弟分のような軽快な走りを見せてくれます。実際,どちらも製造初年2001年,機関はSA6D140H・450PS,安来-益田間高速化事業向けと緒元も開発経緯も似通っており,アコモデーションと振り子制御の有無が違いとみました。この旅行では随分アクアライナーに乗りましたが,明るく軽快で好感の持てる気動車です。山陰本線の中西部は初めてではありませんが,昼間の景色の記憶が乏しく,今日は明るい夏の陽を受けて日本海がきれいです。1時間45分の乗車で15:05,定時に江津着,きれいな日本海の海岸線が若干名残惜しくもあります。

西出雲の出雲支所ではトワイライト瑞風がお昼寝中(写真:ジュニア)

山陰本線から見る日本海 @田儀あたりか
三江線は,江津から中国山地の山中,芸備線の三次まで108.1km,全線が江の川に沿う川の景色のきれいな路線です。もともとは陽陰連絡線の1ルートとして計画されたのでしょうが,鉄道では伯備線が電化してメインルートとなり,道路では広浜線,雲芸線ルートが整備され,大きな都市とも離れたこのルートはローカルルートになってしまいました。途中には秘境駅もあるほどの過疎路線で,JR西日本は来年3月末で事業の廃止を届け出ました。全線開通が1975年と陽陰連絡線では一番新しいのに,最初に廃止になるとは皮肉な話です。今の2017年ダイヤでは通しで乗れる列車は1日3本(途中乗継ぎ含む)で,キョーレツに乗りづらい線区でもあります。また,朝の上りの422D~379Dは江津から山陰本線に乗入れ浜田までの運転で,運転時間4:58分の長時間鈍行になっています。

三江線429D @江津
さて,今日の15:15発の429Dは軽快気動車タイプのキハ120の2両編成です。普段なら下校の高校生で賑わう列車だと思いますが,今日は青春18きっぷシーズンとあって乗り鉄風のお客さんで2両の気動車の座席はほぼ埋まっています。江津駅は江の川の鉄橋を渡った西岸にありますが,三江線はここから江の川の流れに忠実に遡ってゆきます。最後に開業した浜原~口羽間だけは鉄道建設公団製で川など関係なしのルートですが,それ以外は殆どが下り列車で左側が川側になります。

三江線から見る江の川の流れ1 @千金あたり
通学列車であれば徐々にお客さんは減ってゆきますが,鉄ちゃん列車なので人の動きは少なく,淡々と列車は走ります。どこまで行っても江の川の流れは美しく,車窓の楽しみは続きますが,それ以外はあまり見るところはありません。沿線の活性化のため各駅の駅名標には神楽の愛称が添えられていますが,数が多いので覚えきれるわけもなく,深い印象は残りません。また,廃止が決まってから保線の手が入らなくなったのか,妙に30km/hの速度制限区間が多いようです。ちなみに,三江線は108.1kmですが,この列車は3時間44分もかかり,表定速度は28.9km/hです。

線路は真っ直ぐなのに1550mも制限30が続く @明塚あたり
江の川は徐々に川幅を狭め,ときにはダムも見えるようになり,2時間弱の乗車で浜原に着きます。浜原から口羽までの29.6kmは1975年に開業した区間で,線路は曲線も少なく路線自体の最高速度も20km/h上がって85km/hになります。途中の宇都井は高さ70mの高架上にあり天空の駅として有名ですが,列車内から前を見ているとそれほどの高さは感じません。

口羽駅風景。乗り鉄の人々が思い思いに過ごす。右は三江線全通記念碑
新線区間を走り終え,17:45口羽着。ここでは交換のため16分の停車です。429Dはあまり長時間停車のない列車で--そもそも交換すべき列車もない--,2時間半の乗車に飽きた乗客は思い思いに過ごします。駅を出て川のほうへ少し行くと,三江線全通記念碑が立っていました。ここではジュニアと共に過ごしましたが,多分われわれが一番遠くまで足を延ばしたと思われ,ジュニアもなかなかやるもんです。

三江線から見る江の川の流れ2 @石見簗瀬あたり
線路は相変わらず江の川に沿っていますが,いつしか県境を越え広島県に入ります。この列車は長谷は通過ですが,あたりには何もない秘境駅の雰囲気で,列車が止まらないのもうなずけます。18:59,時刻表どおり三次着。ここからは消化試合モードで,今夜の宿泊地の広島へ芸備線で下ります。

可部線757M @あき亀山 2017.9.1(以降同じ)
翌9月1日(金)は旅行中の安息日で,家族それぞれ広島界隈でゆっくりします。僕は1人で今回の旅行の主な目的の一つである可部線の延伸区間のあき亀山に行きます。可部線の可部~あき亀山間は今年3月4日に延伸開業した区間ですが,国鉄~JR全線完乗の僕としては乗らない訳にゆかない区間でもあります。もちろん可部線が三段峡まで行っていた時代に旧・安芸亀山は行っているのですが,タテマエ上,復活というよりは新規の延伸開業と見るほうが適切でしょう。なお,途中の河戸帆待川,終点のあき亀山共,旧河戸,安芸亀山とは異なる場所に設置されたようです。

あき亀山駅風景。電留線や保線基地も整備されているが無人駅

あき亀山往復のきっぷ
朝は広島8:01の757Mでスタートです。広島地区には専用の新形式227系が増備の途次にあり,できればこれに乗りたかったのですが,朝のラッシュ時ということもあり113系4両編成です。可部線は太田川の左岸に沿って遡る路線ですが,川の景色というよりは広島のベッドタウンで,とくにどうという景色でもありません。広島乗車時は座席がないほどでしたが,徐々に空いてきて,可部以北はガラガラになってしまいました。あき亀山ではJR全線完乗のタイトル防衛ですが,無人駅でもあり12分の折返し時間を所在なく過ごします。あき亀山はこの度の延伸に際して整備されたようで,構内は広く,数本の留置線があるほか,一番南には保線の作業場所があって,保線の方々がレール交換の準備作業をしていました。

広島ピースパス。広電の電車線全線のほか市内中心部のバスがフリー乗降できる
折返しの766Mを横川で捨て,山陽本線で西広島に下ります。今日の午前中ですが,なぜかジュニアは宮島が好きで,奥とジュニアは鹿と戯れに宮島に行っています。僕も大事な用事が済んだので,40分遅れで後を追います。今日のきっぷはピースパスです。このきっぷは,700円で広電の電車線全線のほか市内中心部の各社のバスがフリー乗降でき,広電の電車の一日乗車券より使いでがあります。あまり宣伝されていないようなので,このサイトの訪問者さまにはお薦めです。パス活用のため,西広島から広電に乗換えです。

宮島風景。僕が宮島に行くとなぜか干潮どきが多い
宮島で家族に追いつくと,ここではお約束の厳島神社に詣でます。久しぶりの宮島ですが,鹿が減ったような気がします。30年前はカバンのポケットに入れていた文庫本を食べられてしまった友人もいましたが,鹿もだいぶ大人しくなったようです。宮島フェリーは往路は松大汽船でしたが,帰りはJRの宮島航路を利用,船は2016年建造の「ななうら丸」です。この船はヤンマー製の主機だそうですが,電気推進船かと勘違いするような,静かな船室でした。

「ななうら丸」 @宮島口桟橋
昼は広島中心部に戻り,アンデルセンの本店で昼食です。アンデルセンは今や全国区となったパン屋さんですが広島発祥で,ここの本店はミラノのペックを思わせる,良質な食材のお店でもあります(かなり大げさ)。ともかく,わが家のお気に入りで,宮島から呉の移動の途中にわざわざ寄ったのでした。今は店舗建替えのための仮店舗なので,今度は新装なった本店に行ってみたいと思います。夜は呉のお好み焼き屋と決めているのですが,それまで僕はすることがありません。呉には数年前に2年間住んだことがあるので,奥もジュニアもその当時のお友達と会うそうです。こちらは普通のサラリーマンなので,平日の昼日中にかつての職場に行っても迷惑でしょうし,とくに親しかった数人はいずれも京浜地区に異動になってしまいました。

原爆ドーム前を行く広電の電車。今回の口絵写真もほぼ同じ場所
家族と別れた後のアクティビティですが,7月の日経新聞の私の履歴書欄でとりあげていた,吉島にある市の清掃工場に行ってみることにします。せっかくの広島市内の自由時間になにもゴミ焼き場に行かなくても...と,もう一人の自分が言いますが,メカ好きの僕としてはちょうどよい時間つぶしでもありました。それにしてもまだ多少時間がありそうなので,原爆ドーム前電停の近くに行き,ドームを背景に何本か電車の写真を撮ってみます。ここは市内の目抜き通りで車の往来も多く,信号の接続の関係で行き交う車がカブってしまうことが多かったです。

広島市 中工場,エコリアム内にある清掃車のカットモデル
広島市の中工場は広島バスの24号線(系統),南吉島バス停から5分のところのあります。このバスは本数の少ない時間でも10分間隔の頻繁運転で,広島の都心から南吉島までは20分ちょっとの行程です。写真のとおり建物のまんなかは筒抜けになっていて,その両側がガラス張りで工場のごみ焼却プラントの設備を見ることができます。実際にごみを落とし込むピットなどは見えず,主に見えるのはピカピカのプラント設備なので,メカの美しさはありますが,ごみ処理の苦労はあまり見学できない印象でした。

広電の新しい電車たち。グリーンムーバーMAX(5車体連接)とLEX(3車体連接) @広電本社前
中工場の見学の後は呉への移動ですが,今日は青春18きっぷを使わない日なので,またまた船での移動にします。市内中心部に戻って中電前から宇品港に行く電車を拾います。バスの接続がよかったこともあり,まだ多少時間があるので,広電本社前で列車を捨て,1サイクルの電車を鉄ちゃんします。陽も傾き,ぼつぼつの時間になったので宇品港に行き,17:15の松山ゆきフェリーで呉を目指します。呉に住んで知ったことですが,広島(宇品)~呉~松山は高速船なら1時間ちょっとの行程で,瀬戸内海を挟みつつも,愛媛県は意外と近くです。

フェリー四万十 @宇品桟橋
こちらは船の旅を楽しみたいので,宇品から呉に45分かかる遅いフェリー便を選び,ビールと肴を買って船上の人となります。会社は悠遊連休,家族からも解放され,しばしののんびりした時間を過ごします。呉に着くと,見慣れた造船所を海側から眺め,呉の新市街ともいえる大和ミュージアム,鉄のくじら館そばの呉中央桟橋に着きます。家族との待合せの19:30にはまだ間があるので,呉駅前の大和温泉物語でひと風呂浴び,またまたゆっくりします。

呉の造船所風景。日本郵船のコンテナ船を連続建造中。手前の小さい船は松山ゆきの高速船。フェリーの半分の23分で宇品~呉を走り,見る間に抜かれてしまった

呉中央桟橋周辺。後ろには灰が峰が見え,呉らしい景色
呉では,これまた横浜を出る前から決めていたお好み焼きを食し,満足して引上げです。ジュニアは小学校の4,5年生を呉で過ごしましたが,彼の記憶の中に呉はどう残ってゆくのでしょうか。呉21:38の687Mで戻り,広島着は22:26,明日も早いので,早々に就寝です。その2につづく。(2017.9.17記)
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20世紀の鉄道写真(10)--1980年(昭和55年)の夏休み九州旅行
20世紀の鉄道写真その10は1980年の夏休みに行った九州旅行のときの写真をお送りします。
出発は当時は347Mを名乗っていた大垣夜行,大阪からは14系使用の夜行急行「雲仙・西海」です。夜に大阪に着けばよいので,太多線に乗りに行ったり,関西本線を通ったりで時間をつぶしました。この頃のワイド周遊券はおおよそ順路とはいえませんが,関西本線経由も可能でした。

1.登場直後のキハ40を楽しむ 1980.9.8
今でこそ国鉄の生き残りとして珍重されるキハ40ですが,当時はまだ新車の部類でした。キハ53との連結の様子で運転台の高さの違いがよく分かります。下は酷暑のせいでオーバーヒートしてしまったのか,検修の人が集まっています。

2.急行「ゆのか」 @小倉 1980.9.9
交直流急行型の475系は好きな電車の一統,さて何回乗れるでしょうか。この時は写真を撮っただけでした。

3.急行「日田」 @小倉 1980.9.9
新鋭のキハ66,67は両開きデッキなしながら転換クロスシート装備,急行色で,「日田」と「はんだ」に使用されていました。暑い時期で冷房車なのに窓が開いているのはどうしてでしょう。

4.室木線 @室木 1980.9.9
この頃の筑豊地区のローカル列車はほとんどが気動車でしたが室木線はDE10牽引の客車列車でした。

5.肥薩線の混合列車 右上:@吉松,左下:@人吉 1980.9.10
肥薩線の白眉の矢岳越えはDD51牽引の混合列車,客車はオハユニ61なので,お客さんの乗れるのは半両でした。

6.真幸駅点描 1980.9.10
肥薩線矢岳越えのまん中に位置する真幸。ホームの砂利の箒目が名物の駅でした。人が降りないということかもしれません。

7.国鉄バス日肥線 @村所 1980.9.10
国鉄バスは鉄道敷設法上の計画路線を鉄道に先んじてバスで開業した区間が多数ありましたが,この日肥線もその一つです。日向と肥後の頭文字をとった壮大な名前でしたが,マイクロバスみたいないすゞ-北村製の131型というバスが走っていました。

8.日南線の代行バス 撮影場所不詳 1980.9.12
宮崎に着いたところで台風が来て,丸1日足止めになりました。翌日は日南線が不通になってバス代行だというので,代行バスに乗りに行きました。

9.特急「富士」 @国分(?) 1980.9.12
当時「富士」は日豊本線経由で西鹿児島まで行っていて,最長特急,日豊本線南部では陽も傾いたころに走っていました。ヘッドマークもありませんでした。碍子の影が邪魔ですね。

10.日田彦山線の石灰石列車 撮影場所不詳 1980.9.13
北九州では運炭列車のほか石灰石を運ぶ貨物列車も多数運転されていました。先頭のDD51は1001号機です。下の写真は石灰ヤマの香春岳ですが,身を削りながら地域の産業を担っている風情が痛々しかったと記憶します。

11.長崎の電車 @松山町 1980.9.14
大学の友人が長崎出身だったので,長崎ではゆっくりして市内観光などもしました。

12.「日南」くずれの普通列車 @門石(信) 1980.9.16
急行「かいもん」,「日南」は20系ハネ+12系の豪華編成で,九州旅行では愛用の列車でした。「日南」の宮崎以南は寝台車を開放し,スユニ+12系3連の身軽な編成で朝の通学輸送を担っていました。

13.「日南」くずれの普通列車,乗客の連絡にあたる車掌氏 @門石(信) 1980.9.16
この日は青井岳駅でレールの折損があったとかで,門石(信)に3時間50分も止まりました。携帯電話などない時代なので,旅客の急用は車掌~鉄道電話~局の司令員経由で伝言です。ホームのない信号所ですが,車外に降りて写真を撮ったりでき,随分のんびりした時代でした。

14.筑豊本線(冷水峠越え)の客車列車 撮影場所不詳 1980.9.17
筑豊本線西端の冷水峠は比較的遅くまで客車列車が残っていた区間ですが,この当時は新鋭の50系で運用されていました。暑い夏でも冷水トンネル内は涼しかったです。

15.西鉄太宰府線の電車 @大宰府(?) 1980.9.17
僕は既に大学生でしたが,なぜか学問の神様,大宰府にお参りに行きました。帰りに乗った電車は,国鉄のクモハ52のような流線型の年季の入った電車でした。

16.ED73 撮影場所不詳 1980.9.17
九州の電気機関車はED76がかなり多くなっていましたが,1世代前のED72,ED73も少数残っていました。この2形式のハト胸といわれた先頭形状が気に入っていました。

17.ED75-300 @博多(?) 1980.9.17
ED75は基本的に東北のヌシの形式ですが,11両だけ60Hz版が製作され九州でも貨物列車を主体に運用されていました。

18.近郊型電車の新旧並び @博多(?) 1980.9.17
左は新製配置されたばかりの415系で,隣の電車が映るほどピカピカです。右は低い運転台の421系初期車で,この頃は山陽本線の小郡(現・新山口)まで足を延ばしていました。

19.宇部線,小野田線の旧型電車 撮影場所不詳 1980.9.17
茶色くてカラフルでないし,暑いし,当時は旧型国電には興味ありませんでしたが,宇部線,小野田線にはクモハ41などの雑多な形式の電車が残っていました。もっとたくさん写真を撮っておけばよかったです。

20.山陽本線の荷物列車 @周防富田 1980.9.19
EF58の老朽化とSGの必要から山陽本線の荷物列車にはEF61が充当されるようになりました。EF61が安定しなかったため,EF58の補機をつけて走っていた時期もありました。下枠交差のPS22に巨大なヒサシ,この58(ゴハチ)も相当なゲテモノ機です。

21.この時の周遊券のB券
九州内全線20日間乗り放題が東京からの往復込みで19,800円でした。また,写真を載せた日肥線など国鉄バスの全線フリー乗車も魅力でした。
(2017.7.9記)
出発は当時は347Mを名乗っていた大垣夜行,大阪からは14系使用の夜行急行「雲仙・西海」です。夜に大阪に着けばよいので,太多線に乗りに行ったり,関西本線を通ったりで時間をつぶしました。この頃のワイド周遊券はおおよそ順路とはいえませんが,関西本線経由も可能でした。

1.登場直後のキハ40を楽しむ 1980.9.8
今でこそ国鉄の生き残りとして珍重されるキハ40ですが,当時はまだ新車の部類でした。キハ53との連結の様子で運転台の高さの違いがよく分かります。下は酷暑のせいでオーバーヒートしてしまったのか,検修の人が集まっています。

2.急行「ゆのか」 @小倉 1980.9.9
交直流急行型の475系は好きな電車の一統,さて何回乗れるでしょうか。この時は写真を撮っただけでした。

3.急行「日田」 @小倉 1980.9.9
新鋭のキハ66,67は両開きデッキなしながら転換クロスシート装備,急行色で,「日田」と「はんだ」に使用されていました。暑い時期で冷房車なのに窓が開いているのはどうしてでしょう。

4.室木線 @室木 1980.9.9
この頃の筑豊地区のローカル列車はほとんどが気動車でしたが室木線はDE10牽引の客車列車でした。

5.肥薩線の混合列車 右上:@吉松,左下:@人吉 1980.9.10
肥薩線の白眉の矢岳越えはDD51牽引の混合列車,客車はオハユニ61なので,お客さんの乗れるのは半両でした。

6.真幸駅点描 1980.9.10
肥薩線矢岳越えのまん中に位置する真幸。ホームの砂利の箒目が名物の駅でした。人が降りないということかもしれません。

7.国鉄バス日肥線 @村所 1980.9.10
国鉄バスは鉄道敷設法上の計画路線を鉄道に先んじてバスで開業した区間が多数ありましたが,この日肥線もその一つです。日向と肥後の頭文字をとった壮大な名前でしたが,マイクロバスみたいないすゞ-北村製の131型というバスが走っていました。

8.日南線の代行バス 撮影場所不詳 1980.9.12
宮崎に着いたところで台風が来て,丸1日足止めになりました。翌日は日南線が不通になってバス代行だというので,代行バスに乗りに行きました。

9.特急「富士」 @国分(?) 1980.9.12
当時「富士」は日豊本線経由で西鹿児島まで行っていて,最長特急,日豊本線南部では陽も傾いたころに走っていました。ヘッドマークもありませんでした。碍子の影が邪魔ですね。

10.日田彦山線の石灰石列車 撮影場所不詳 1980.9.13
北九州では運炭列車のほか石灰石を運ぶ貨物列車も多数運転されていました。先頭のDD51は1001号機です。下の写真は石灰ヤマの香春岳ですが,身を削りながら地域の産業を担っている風情が痛々しかったと記憶します。

11.長崎の電車 @松山町 1980.9.14
大学の友人が長崎出身だったので,長崎ではゆっくりして市内観光などもしました。

12.「日南」くずれの普通列車 @門石(信) 1980.9.16
急行「かいもん」,「日南」は20系ハネ+12系の豪華編成で,九州旅行では愛用の列車でした。「日南」の宮崎以南は寝台車を開放し,スユニ+12系3連の身軽な編成で朝の通学輸送を担っていました。

13.「日南」くずれの普通列車,乗客の連絡にあたる車掌氏 @門石(信) 1980.9.16
この日は青井岳駅でレールの折損があったとかで,門石(信)に3時間50分も止まりました。携帯電話などない時代なので,旅客の急用は車掌~鉄道電話~局の司令員経由で伝言です。ホームのない信号所ですが,車外に降りて写真を撮ったりでき,随分のんびりした時代でした。

14.筑豊本線(冷水峠越え)の客車列車 撮影場所不詳 1980.9.17
筑豊本線西端の冷水峠は比較的遅くまで客車列車が残っていた区間ですが,この当時は新鋭の50系で運用されていました。暑い夏でも冷水トンネル内は涼しかったです。

15.西鉄太宰府線の電車 @大宰府(?) 1980.9.17
僕は既に大学生でしたが,なぜか学問の神様,大宰府にお参りに行きました。帰りに乗った電車は,国鉄のクモハ52のような流線型の年季の入った電車でした。

16.ED73 撮影場所不詳 1980.9.17
九州の電気機関車はED76がかなり多くなっていましたが,1世代前のED72,ED73も少数残っていました。この2形式のハト胸といわれた先頭形状が気に入っていました。

17.ED75-300 @博多(?) 1980.9.17
ED75は基本的に東北のヌシの形式ですが,11両だけ60Hz版が製作され九州でも貨物列車を主体に運用されていました。

18.近郊型電車の新旧並び @博多(?) 1980.9.17
左は新製配置されたばかりの415系で,隣の電車が映るほどピカピカです。右は低い運転台の421系初期車で,この頃は山陽本線の小郡(現・新山口)まで足を延ばしていました。

19.宇部線,小野田線の旧型電車 撮影場所不詳 1980.9.17
茶色くてカラフルでないし,暑いし,当時は旧型国電には興味ありませんでしたが,宇部線,小野田線にはクモハ41などの雑多な形式の電車が残っていました。もっとたくさん写真を撮っておけばよかったです。

20.山陽本線の荷物列車 @周防富田 1980.9.19
EF58の老朽化とSGの必要から山陽本線の荷物列車にはEF61が充当されるようになりました。EF61が安定しなかったため,EF58の補機をつけて走っていた時期もありました。下枠交差のPS22に巨大なヒサシ,この58(ゴハチ)も相当なゲテモノ機です。

21.この時の周遊券のB券
九州内全線20日間乗り放題が東京からの往復込みで19,800円でした。また,写真を載せた日肥線など国鉄バスの全線フリー乗車も魅力でした。
(2017.7.9記)
2017年夏のアクティビティ5--宗谷本線の長距離鈍行で音威子府へ

今日は夏の北海道旅行のうちメインイベントともいえる宗谷本線の鈍行旅行ほかを報告しましょう。(2017年)8月3日この日の目的は宗谷本線の長距離鈍行に完乗するのと,音威子府の駅そばを食べることです。宗谷本線は北海道の真ん中,旭川と最北の稚内を結ぶ259.4km,本線を名乗りますが運賃計算上は地方交通線です。今の2017年3月ダイヤでは宗谷本線を全通する鈍行列車は6:03旭川発の下りのみ1本の設定です。去年までは上り列車も設定されていましたが,JR北海道のダイヤ減量のあおりでなくなってしまいました。また,道内第1位の長距離鈍行は根室本線滝川~釧路間の2427Dですが,この列車は去年の台風による災害の影響で東鹿越~新得間がバス代行になり,東鹿越以西を9627Dを名乗るため,暫定道内1位ともいえます。代わって,音威子府の駅そばですが,これは高校から大学に進学する春休みに北海道旅行をした時に食べた時の味が忘れられず,以来,国内第1位の駅そばとしてきたものです。当時はそば粉100%の平打ち麺で,つなぎがないため,ぼそぼそと短く切れてしまう特徴的なそばでした。最近ではこの駅そばも話題になっているようなので,宗谷本線に行くなら是非食べたい,となったものです。

新装なった旭川駅の様子 2017.8.3(以下同じ)

旭川駅の駅内部(改札外)。なぜか逆さたまご形のオブジェが

旭川駅構内の様子。温かみのある落ち着いた雰囲気だ
8月3日(木),5時過ぎに起床,5時半過ぎにはホテルをチェックアウトし,旭川駅に向かいます。旭川駅は最近改築されたようで,とてもきれいな--実は最北の--高架駅になりました。駅にはイオンの大きな商業施設が隣接し,JRインもあります。駅構内は木質調の温かいトーンでまとめられ,落ち着いた雰囲気です。朝6時前なので人影も少ない駅を稚内ゆきの出る5番線へ向かいます。この日の321Dはキハ54-504+キハ40-1727の2両編成ですが,後ろのキハ40は途中の名寄までです。

宗谷本線321Dの気動車
列車に乗ると,早朝にも拘らず乗り鉄風のお客さんで前のキハ54は椅子1脚に1人くらいずつ埋まっています。後ろの名寄回転のキハ40のほうが幾分空いているので,とりあえずはこちらに落ち着きます。6:03,時刻表どおりの出発,長距離鈍行なので長々と続く案内放送を期待したいところですが,ワンマン列車なので放送はあっさりとしたものです。暫くは旭川市内の高架線を走り,新旭川で遠軽方面への石北本線を分けます。この後も旭川の市街地が続き,北旭川の貨物駅が広がります。写真を撮りそこなってしまいましたが,右手の旭川運転所にはDE15のラッセルヘッドがずらりと並んで壮観でした。永山までは市街地の雰囲気の残る車窓ですが,ここを過ぎると北海道らしいに車窓になってきます。蘭留から線路は厳しい上り坂になり,三浦綾子の小説で有名な塩狩峠を目指します。塩狩駅はほぼサミットにあり,ここを過ぎると天塩川水系になり,線路は下り勾配で列車は軽快に下ります。

峠の塩狩駅では上りの始発320Dと交換。ラッシュ時にあたるため3両編成だ
和寒,剣淵,士別とそこそこ大きな集落と駅があり,名寄へ向かうお客さんを拾いながら列車は走ります。この辺は昨日乗った根室本線や石北本線とは違い,人の息吹を感じる車窓です。右手に昔の排雪列車のキマロキ編成が見えると沿線随一の街,名寄に着きます。

名寄公園のキマロキ編成
昔は名寄から西へ朱鞠内経由深川へ抜ける深名線,東へオホーツク海沿岸の紋別経由遠軽へ抜ける名寄本線が分岐していましたが,いずれも廃止になって久しく,名寄はただの中間駅です。中間駅といえば,宗谷本線は新旭川以北ではどの線とも接していないので,250km超の長大盲腸線です。稚内はそれなりに行ってみたい都市ですが,鉄道で旅行するとなると,行ったら必ず同じ線を戻ってこないといけないので,どうも足が遠のいていたのでした。

名寄では後ろのキハ40を開放
名寄の到着は7:46,7:54の発車まで8分止まります。この間に後ろのキハ40を開放し,運転士さんも交代,上り列車とも交換します。また列車番号も321Dから4323Dに変わります。この列車,幌延でも列車番号が4325Dに変わるので,実態としては1つの列車なのに2回も列車番号が変わります。僕は部外者なのでどうして列車番号を変えないといけないのか分かりませんが,通して321Dだったら時刻表上の見栄えもよいのに,と考えてしまいます。

豊清水ではサロベツ2号と交換
名寄からは,非力で重いキハ40を開放しキハ54の単行となったので,エンジン音も快調にとばしてゆきます。沿線はトウキビ,カボチャ,そば,麦などの畑が続き,人の手が入っているのを実感します。名寄からはキハ54に引っ越し,車両中央部の集団見合い型固定座席の真ん中のテーブルつき4人掛け座席です。相席の初老の男性は静岡からの一人旅だそうですが,車窓から一目見るだけで作物を見分けます。こちらは,そばくらいは見分けがつきますが,基本的に植物は苦手科目なので勉強になります。

キハ54-504の座席配置。真ん中の4人掛席にはテーブルがある
宗谷本線は塩狩で分水嶺を越えて以来ずっと天塩川水系を走りますが,士別から幌延までほぼ140kmにわたり天塩川の本流と並行します。しかも川を左に見て進み,1度も渡りません。飯田線のように川を右に左に見るのとは随分違うので,席をとるなら下り列車の左側がよいです。

宗谷本線は天塩川の眺めがよい @糠南あたり
緯度が上がってくると車窓も変わり,このあたりではもう畑作の北限を越えたのか,牧草地の景色になります。また,旭川では今にも雨が降り出しそうな天気でしたが,雲が高くなり,青空ものぞくようになってきました。

このあたりでは車窓は牧草地になる @糠南あたり
列車は10:31幌延に着きます。ここはかつて羽幌線を分けていた分岐駅で,ここでも列車は22分の大休止です。列車番号が変わりますが,運転士さんは変わらずで,22分の停車は運転士さんの休憩のため?と思ってしまいます。幌延は北緯45度に位置するそうで,それを売りにした町おこしも行われているようです。列車の乗り鉄の皆さんも,天気がよくなってきたので気動車の写真を撮ったりしながら,所在なく22分の停車時間を過ごします。

幌延駅の様子。北緯45度の町をアピール

豊富駅前の荷物車。倉庫代わりのようでもあるがかなり傷んでいる
幌延から2駅で豊富に着きます。近くに温泉も出る比較的大きな駅で,ここでは4326Dとの交換でまたまたの長時間停車です。駅前にはマニいくつでしょうか,荷物車の廃車体があるので,この写真を撮りに行ったりします。時間どおり上り列車がやってきて,こちらも11:16時刻表どおり発車です。

上り4326Dもキハ54の単行。529はラストナンバー
豊富を過ぎると宗谷本線鈍行列車の旅も最終区間に入ります。車窓は今度は牧草地から牧場風景に変わります。ただの草原よりは,牛がいたほうが絵になる感じがします。

豊富あたりまでくると車窓は牧場風景 @豊富付近
この先,勇知,抜海あたりでは海の向こうに利尻富士が見える区間なのですが,あいにく今日は曇り,利尻富士どころか島影さえ全く見えませんでした。若干残念モードになり,12:03南稚内に到着です。ここは終点の稚内より開けているので,市内に用事のある普通のお客さんがだいぶ降ります。また,遠くからの観光客でしょうか,南稚内から稚内までのチョイ乗りで,お父さんは車を回送,お母さんと子供だけ列車に乗車というお客さんもいました。

稚内到着時の運賃表示器。51番までびっしり並ぶ
12:07,時刻表どおり稚内に到着です。ここは最北のターミナル駅ですがホームは1本だけ,構造上はふつうの盲腸ローカル線と変わりありません。ホームに居残る人も少なく,皆,それぞれの目的地に散ってゆきます。僕は,あとは音威子府のそばを食べて帰るだけなので,戻りの列車までの約1時間を駅周辺でゆっくり過ごします。

稚内駅はここそこに最北の駅をアピールする看板ある
稚内駅も比較的最近に改築されたようで,ガラスの多い明るい駅舎です。鉄道駅だけでなく道の駅も併設で,近くには土産物市場などもあります。また,宗谷本線の線路は駅舎の横に車止めがあって一旦途切れますが,駅舎を出るとまた続きのモニュメントがあり,「日本最北端の線路」の標柱が立っています。昔はこの先,稚泊航路の乗り場--北防ドーム--のほうまで線路は延びていたはずですが,全日空ホテルもできたりしてこの辺の景色は随分変わりました。

駅前にある「日本最北端の線路」の標柱
ところで,宗谷本線の営業キロは259.4キロですが,稚内駅の車止めの横には259kmのキロポストが立っています。この0.4kmの差は何なのでしょうか。旭川の起点側の0キロポストの位置が分らないので何とも言えませんが,まさか0.4km分ボッているということでしょうか。そうでなければ,駅舎改築時に0.4km短くなったけど,最北駅だけにいろいろな影響があって,変えるに変えられないということでしょうか。最北の線路の標柱までは100mもなさそうだし,400mというと北防ドームのあたりまで行ってしまうので,この400mの差は終戦の稚内桟橋廃止の時から見直しがされていないことになりそうです。それともキロポストのほうが,最果て感を出すために建ててあるけど,小数点以下を丸めて整数で表示しているのでしょうか。旅客営業制度には一家言あるだけに何とも気になります。

稚内駅構内の259kmキロポストとサロベツのキハ261系

ほぼ同じ場所で,最北端の線路モニュメント。右は日ロ鉄道友好の鐘
この他,車止めの裏側にも最北端の線路のモニュメント,待合室にはサハリン鉄道から寄贈を受けた日本・ロシア友好の鐘などの見どころがあります。また,駅隣りの道の駅もちょっと覗いて,酒の肴になりそうなニシンの燻製などを仕入れます。最後はビル内のパン屋とコンビニで軽い昼食とビールを買って,約1時間の稚内滞在を終えます。

抜海付近から稚内市内を振返る
13:01の特急「サロベツ2号」に乗ると音威子府までは約2時間の乗車です。2015年3月ダイヤまでは稚内14:12の旭川ゆき普通列車がありましたが,2016年3月ダイヤからはこの列車がなくなり,10:27から18:04まで約7時間半もの間,上りの普通列車がありません。僕は今回は北海道フリーパスで特急も使えるので問題ありませんが,青春18きっぷでの旅行者にとっては,稚内は本当に行きづらい所です。往路に見当をつけておいたあたりで車窓の写真を撮った後は,音威子府の駅そばに備え,ごく軽い昼食でお腹を整えます。

音威子府駅の外観。交通ターミナルとして整備されている
15:00ちょうどに列車は音威子府に到着,待ちに待った駅そばとの再会です。事前にインターネットで調べて駅そば屋の営業時間は15:30までと分かっていたのですが,朝,駅員さんに尋ねたときには「時々急に休むことがある」と言っていたので,開いている店を見るまでは安心できません。期待に胸弾ませ駅舎に入ると,駅そば屋さんは営業中で店主のお爺さんが客待ち顔で座っています。

音威子府の駅そばはめんの色が黒いのが特徴。右はつゆをかける前に写真を撮らせてもらったもの。左上はこの店の営業時間,10:00~15:30はキョーレツに短く,この駅そばの希少性を高めている?
とりあえず,かけそばを注文,お腹を調整してきたので軽く1杯をいただきます。そばの色は昔と変わらず--というよりむしろ黒さが増した--の特徴的な色,そばのコシのほうはつなぎが入っているのでしょうか,以前のぼそぼそ感がなくなり,ふつうの駅そばの歯ごたえでした。明らかに30年前とは違う味ですが,お爺さんは同じようなのでとりあえず満足し,15:22の特急の写真を撮りにホームに出ます。

音威子府のポスター3連。交通の要衝とそばが売り物の村のようです

音威子府交通センター内の展示室。天北線関係の資料が多く展示されている。駅自体が有人なので,保存状態も良好
再度,駅に戻ると15:30まであと少しあります。もう二度と食べられないかもしれないので,もう1杯かけそばをいただき,いささか満腹です。さて次の上り列車は17:54の旭川ゆきの普通列車までありません。朝の稚内ゆき鈍行と音威子府の駅そばが両立する行程を考えると,このパターンか,先ほどの下り特急でまた稚内へ行くかくらいしかありません。ジュニアのお薦めは特急にたくさん乗る方でしたが,僕としては普通列車の方が30分早く旭川に着くので,こちらを選択しました。さて,まだ約2時間半ありますが何をするかです。事前のサーベイでは天北線の転換バスで小頓別あたりまで行って戻ってくるのが1案です。駅のバス案内所を見ると札幌・旭川~北見枝幸間の高速バスで歌登まで往復することもできます。歌登はずっと昔に町営軌道のがあった所でちょっと心が動きましたが,運賃が片道1,440円もするのと,窓口のお嬢さんの予約制ですよ!というちょっと迷惑気なレスポンスで,2案もボツです。3つ目の案は音威子府村の地域バスで天塩川温泉に往復するもので,温泉滞在時間は5分ですが,これも面白そうです。今回の旅行は奥から言われている予算をオーバーしていることもあり節約モードなので,結局,地域バスに決定です。これなら費用はそうはかかりません。

音威子府駅~天塩川温泉間の地域バス
天塩川温泉への地域バスは時刻表では駅を15:40に出て温泉着16:00,帰りは16:05発の駅着16:30です。何もしないよりはマシ程度のつもりで,15:40のバスに乗ります。バスとはいっても来たのはハイエースのようなバンですが,過疎地ではバンを使ったコミュニティバスはよくあることなので驚きはしません。行き先を確認し運賃を尋ねると,無料とのこと,お財布にやさしいのでちょっとワクッとします。診療所,役場,高齢者生活福祉センターなどに寄って,最後はそば畑の中を南に走ってゆきます。途中,咲来の集落を通り,道は宗谷本線と並走しています。この向きなら温泉に入って音威子府より南の駅から列車に乗れば間に合うかも...とちょっと希望が湧きます。よくよく調べれば何のことはない,その名も天塩川温泉駅が歩いて10分ちょっとの所にあったのでした。

天塩川温泉の案内パンフから
天塩川温泉は音威子府村の住民保養センターの温泉施設ですが,大人400円で日帰り入浴もできます。温泉施設から駅までは15分とかからないそうなので,予定していた音威子府17:54の列車にあわせて駅に行くならまだ1時間半以上時間があります。温泉はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉で,無色透明ややなめりがありますが,よい温泉(見なければよかったのですが,湧出温度9.1度なので完全な沸かし湯)です。室内と外の露天に交互に浸かりゆっくりとします。露天風呂は天塩川の流れを望むことができ,夜は満天の星空に違いありません。一瞬,ここに泊ってみたいとも思いましたが,明日以降の行程もあるので,それは諦めでした。帰りの列車の確認のため時刻表を繰るうち,今行けば下りの写真が撮れるかもと気づき,湯上りのビールは一気飲みして,一目散に施設を後にします。

温泉の周囲のそば畑。そば屋の店内にでも掲げたい風景。ちなみに機材はスマホ
景色をめでつつゆっくりと歩きたい田舎道を小走りして,17:30頃には天塩川温泉駅に着きます。駅には巨大な一眼レフカメラをセットした先客が2人いるので,挨拶をして,ちょっと割り込ませてもらいます。それで撮ったのが今日の冒頭の1枚です。聞けば横浜からの来訪で,今夜は天塩川温泉に泊るそうです。ご主人はもともとは風景などを撮るカメラマンだったが,今は転向して鉄道を撮るプロのカメラマン,ご夫人はもともと鉄道を撮るカメラマンだそうです。それが生業となると楽ではないのでしょうが,ちょっと見る限りでは羨ましい限りです。

そば畑の中を行く宗谷本線4728D。右下は天塩川温泉駅
天塩川温泉18:04の4728Dに乗れば,あとは今日の宿泊地の旭川に戻るだけです。旅行の資料の整理などをして,時間をつぶします。20:26旭川着,ようやく255.7kmの長大盲腸線の旅,終了です。今日は宗谷本線全通の鈍行完乗と音威子府の駅そば,以上,のつもりでしたが,期せずして,温泉に浸かり,走りの列車写真も撮れて,大満足の1日となりました。根室本線の2427Dもよいですが,走る時間帯の悪さと列車の少なさから,1日を旅行しての達成感はひけをとりません。宗谷本線の長距離鈍行の宣伝をして,今日の報告を終えます。(2017.8.15記)
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