20世紀の鉄道写真(13)--1981年(昭和56年)夏休み九州旅行
1981年のその3は夏休みに行った九州旅行の時の写真をお届けします。この年も往きも帰りも寄り道をして,こつこつと国鉄全線乗りつぶしに向け足跡を残しています。

1.当時,東京~宮崎間特急だった「富士」 @大分(?) 1981.9.7 この年は「富士」で九州入りです。大学生活もおちついてきてアルバイトの給料も入り,ちょっとの贅沢です。

2.宮原線のディーゼルカー @肥後小国 1981.9.8 このときは阿蘇からバスで大観峰を越えて小国に入りました。写真がないのが残念ですが,大観峰の眺めは素晴らしかったです。

3.鹿児島交通のディーゼルカー @伊集院(?) 1981.9.9 鹿児島交通には国鉄のキハ04のような形をしたディーゼルカーが残っていました。

4.こちらは西鹿児島まで行っていた「はやぶさ」 場所不詳 1981.9.9

5.薩摩大口駅いっときの賑わい 1981.9.9 山野線(水俣~栗野),宮之城線(川内~薩摩大口)の2線は夜行明けで眠かったせいもあり,あまり覚えがありません。

6.薩摩大口風景 1981.9.9 山野線のほうにはループ線があったくらいしか印象がなく,宮之城線は1987年,山野線は1988年に廃止されてしまいました。

7.3世代のディーゼルカーをつないだローカル列車,矢部線(?) 1981.9.10 この頃の九州では,お客さんも今よりはだいぶ多く,単行の列車は少なかったです。

8.特急「有明」に連結されていたビデオカー 1981.9.10 高速バスに対抗し,設備の優位性を活かし「有明」ではビデオを上映していました。

9.特急「有明」 @鳥栖(?) 1981.9.10 まだまだ485系全盛の時代です。

10.島鉄の気動車 撮影場所不詳 1981.9.10 キハ26タイプながら,冷房付,台車はエアサスです。前面のヒゲが誇らしげな気動車でした。

11.リニア実験線 1981.9.15 日向市~都農間には日豊本線に並行してリニアの実験線がありました。

12.高千穂線 @高千穂(?) 1981.9.15 盲腸ローカル線は往復するのが面倒なので,間をバスで継いだ区間もありました。

13.宮崎交通バス @高千穂 1981.9.15 アメフトの防具のようなフロントマスクが特徴的な宮崎交通のバス。この時でもかなり年代物でした。

14.高森線 @高森 1981.9.15 こちらは高森線。南阿蘇鉄道として廃止は免れましたが,地震で被災して現在は一部区間が不通です。

15.勢ぞろいしたDD51 @厚狭(?) 1981.9.18 この頃,美祢線は大嶺地区~宇部・小野田地区間のセメント列車が多数走っていて,厚狭には機関区もありました。

16.大嶺駅風景 1981.9.18 ホームの礎石に12と15チェーンの数字が刻まれていたことから,12マイル15チェーンの終着駅をうりにしていました。昔ながらの低いホームにお手製のステップの心遣いが嬉しい。

17.仙崎駅風景 1981.9.18 こちらは多分,仙崎駅。秋の雨にけぶる寂しい雰囲気です。

18.この時の周遊券 例によって下車印だらけです。それに隠れてしまっていますが,値段が19,800円から23,700円に変更になっており,20%近い値上げです。

19.この時の周遊券(裏面) A券の裏には「大府駅分岐 9/6 946Dレチ」の証明が。往きに武豊線に乗った際の大府まで使用済の証明ですが,律義な車掌さんでした。B券の裏の手は,手荷物発送の証印です。乗車券を持っていると,その区間については旅客の手荷物として小荷物より割安な値段で荷物を送ることができました。

20.このときの「はみだし」分の乗車券とそのルート。なるべく一筆書きルートとしています。ワイド周遊券はほぼ全種類使ったことがありますが,北近畿地方はこのきっぷで行ってしまったので,北近畿ワイド周遊券だけは1回も使ったことがありません。(2017.12.3記)

1.当時,東京~宮崎間特急だった「富士」 @大分(?) 1981.9.7 この年は「富士」で九州入りです。大学生活もおちついてきてアルバイトの給料も入り,ちょっとの贅沢です。

2.宮原線のディーゼルカー @肥後小国 1981.9.8 このときは阿蘇からバスで大観峰を越えて小国に入りました。写真がないのが残念ですが,大観峰の眺めは素晴らしかったです。

3.鹿児島交通のディーゼルカー @伊集院(?) 1981.9.9 鹿児島交通には国鉄のキハ04のような形をしたディーゼルカーが残っていました。

4.こちらは西鹿児島まで行っていた「はやぶさ」 場所不詳 1981.9.9

5.薩摩大口駅いっときの賑わい 1981.9.9 山野線(水俣~栗野),宮之城線(川内~薩摩大口)の2線は夜行明けで眠かったせいもあり,あまり覚えがありません。

6.薩摩大口風景 1981.9.9 山野線のほうにはループ線があったくらいしか印象がなく,宮之城線は1987年,山野線は1988年に廃止されてしまいました。

7.3世代のディーゼルカーをつないだローカル列車,矢部線(?) 1981.9.10 この頃の九州では,お客さんも今よりはだいぶ多く,単行の列車は少なかったです。

8.特急「有明」に連結されていたビデオカー 1981.9.10 高速バスに対抗し,設備の優位性を活かし「有明」ではビデオを上映していました。

9.特急「有明」 @鳥栖(?) 1981.9.10 まだまだ485系全盛の時代です。

10.島鉄の気動車 撮影場所不詳 1981.9.10 キハ26タイプながら,冷房付,台車はエアサスです。前面のヒゲが誇らしげな気動車でした。

11.リニア実験線 1981.9.15 日向市~都農間には日豊本線に並行してリニアの実験線がありました。

12.高千穂線 @高千穂(?) 1981.9.15 盲腸ローカル線は往復するのが面倒なので,間をバスで継いだ区間もありました。

13.宮崎交通バス @高千穂 1981.9.15 アメフトの防具のようなフロントマスクが特徴的な宮崎交通のバス。この時でもかなり年代物でした。

14.高森線 @高森 1981.9.15 こちらは高森線。南阿蘇鉄道として廃止は免れましたが,地震で被災して現在は一部区間が不通です。

15.勢ぞろいしたDD51 @厚狭(?) 1981.9.18 この頃,美祢線は大嶺地区~宇部・小野田地区間のセメント列車が多数走っていて,厚狭には機関区もありました。

16.大嶺駅風景 1981.9.18 ホームの礎石に12と15チェーンの数字が刻まれていたことから,12マイル15チェーンの終着駅をうりにしていました。昔ながらの低いホームにお手製のステップの心遣いが嬉しい。

17.仙崎駅風景 1981.9.18 こちらは多分,仙崎駅。秋の雨にけぶる寂しい雰囲気です。

18.この時の周遊券 例によって下車印だらけです。それに隠れてしまっていますが,値段が19,800円から23,700円に変更になっており,20%近い値上げです。

19.この時の周遊券(裏面) A券の裏には「大府駅分岐 9/6 946Dレチ」の証明が。往きに武豊線に乗った際の大府まで使用済の証明ですが,律義な車掌さんでした。B券の裏の手は,手荷物発送の証印です。乗車券を持っていると,その区間については旅客の手荷物として小荷物より割安な値段で荷物を送ることができました。

20.このときの「はみだし」分の乗車券とそのルート。なるべく一筆書きルートとしています。ワイド周遊券はほぼ全種類使ったことがありますが,北近畿地方はこのきっぷで行ってしまったので,北近畿ワイド周遊券だけは1回も使ったことがありません。(2017.12.3記)
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2018年春のアクティビティ3--青春18きっぷで草津温泉探訪

今年の春シーズンの青春18きっぷは,どうしても441Mの旅がしたくて買ったのですが,若干だぶつき気味です。シーズン最後の週末にどこに行こうかと思案した結果,僕の青春18きっぷ旅行としては近場の草津温泉に行くことにしました。乗り鉄のご多聞にもれず僕は温泉好きで,「青春18きっぷ 温泉 日帰り」で検索して何件かヒットしたのが草津温泉でした。草津温泉というと湯畑が有名で,以前から一度見たいと思っていました。青春18きっぷは1回5~600㎞ぐらい乗って使いたおすのが常ですが,今回は300㎞前後でゆったりとしたワンデートリップです。

朝の2列車。根岸線660A,東海道本線~高崎線1826E 2018.4.7(全て同じ)
(2018年)4月7日(土)朝は自宅最寄りの磯子駅を6:28の660Aで出発です。いつもの通勤も6:36の634Bなので慣れたものです。ふと気づくと温泉に行くのにタオルを忘れてしまいました。横浜からは上野東京ラインができたおかげで,6:51の1826Eで高崎まで約2時間半の乗車ですが一直線です。

左から35㎜換算,28㎜,123㎜,190㎜相当,上の1枚は78㎜相当
この1826Eは不思議な列車で,平日ダイヤより休日ダイヤのほうが遅く,付属編成を開放する籠原では8分も止まります。その間に,東京駅を9分後に出た籠原ゆきの列車に追いつかれてしまい,接続をとっての発車です。停車時間が長いので,駅撮りスナップのお試しをしてみました。広角系のレンズでは電車のお顔が歪んでしまい,望遠系のレンズでは奥行きが圧縮されてしまうことが分かると思います。僕は準望遠の85~100㎜くらいを好んでいます。籠原から高崎は約30分の乗車ですが,2本分のお客さんなので行楽シーズンの土曜では結構立っている人もいます。高崎に着くと隣のホームではSL みなかみ号のD51が準備を整えています。

高崎ではSL みなかみ号のD51が準備中
今日は草津温泉が目的ですが,時間もあるのでちょっと寄り道をして軽井沢を回ることにしています。信越本線は6分の接続で,9:23の横川ゆき129Mがあります。ギザギザ山の妙義山を眺めながら30分ちょっとの乗車で終点の横川です。高崎支社管内の駅は駅名標の柱に標高が記された駅が多く,ここは386.56mだそうです。高崎駅が100m弱なので300m近く登ったことになります。

信越本線129M。最近211系化された

妙義山のギザギザ山を見ながら登る。横川駅の駅名標

横川駅と碓井峠鉄道文化むらの周辺
かつてはたくさんのEF63がたむろした横川機関区は碓井峠鉄道文化むらになり,人影もまばらです。ここからは鉄道の難所だった横軽の峠越えですが,今はバスに転換され,JRバスで軽井沢を目指します。バスはどこかの高速バスのおさがりのような2000年式のエアロで,座席定員ピッタリの乗車です。軽井沢駅は最近,明治43年築の旧駅舎を改修,整備し,しなの鉄道も「懐かしくて新しい軽井沢駅」として売出し中です。この旧駅舎口の整備はトータルデザインを水戸岡鋭治氏が手掛けたそうで,3月には「森の小リスキッズくらぶ」という家族向け施設もできました。残念なことにこの稿を書いていてそのことを知った次第で,もっとよく見てくればよかったと後悔です。

横軽間のJRバス。どこかの高速バスのおさがりのようなエアロクイーン

軽井沢旧駅舎口。人がいないのでただ整備して展示しているものと思った
軽井沢での実際のところは,タオルを買いに駅前のアウトレットに行ってきました。このアウトレットは東京から程よい旅行した感と軽井沢というネームバリューで繁盛していると聞きます。広々と開放的な雰囲気のなかに多数のブランドショップがあり,ショッピング派には嬉しい施設です。タオルのありそうなGAPなどやスポーツ系のNIKEなどを覗きますが,タオルの扱いはなく,結局入り口のセブンイレブンでセブンプレミアムのタオルになってしまいました。

軽井沢・プリンスショッピングプラザのようす
30分弱で駅に戻り,11:20の草軽交通バスで目的の草津温泉を目指します。今度のバスも旧年式のエアロですが,東急の空港リムジンの塗装のままで頑張っています。このバスは「東急リムジン」の文字が消されていますが,なかには「リムジン」はそのままで「草軽リムジン」に書換えて走っているバスもありました。草軽交通は2009年に東急グループから外れていますが,バスの融通では今でも関係があるようです。

草軽交通バス。これも旧年式の東急リムジン塗装のエアロクイーン
草軽交通はその名のとおり草津温泉と軽井沢を結ぶ軽便鉄道が出自で,この路線がかつての軽便鉄道のルートでした。その程度しか予備知識なしで乗りましたが,バスのルートの一部は白糸ハイランドウェイという有料道路になっていて,今でも関係会社の収益源になっているようです。軽井沢を出てしばらくは東京人にはあこがれの軽井沢の別荘地と街並みが続き,それを抜けると気持ちのよい高原のなかを走ります。

旧軽井沢の街並み

白糸の滝の周辺。いくつか茶屋もある。有料道路とはいえ細いし舗装はガタガタ
森や林の奥には,はじめのうちは浅間山,県境を越え後のほうでは白根山がよく見えます。また,途中の北軽井沢は軽便鉄道時代の駅舎や電気機関車が保存されています。バスは日中のみ1日7,8便,1時間~1時間半くらいに1本なので気安く途中下車できないのですが,途中で降りてみたい所も多いです。草軽電鉄は,まだ吾妻線もできる前にスイスの観光鉄道に着想を得て作られたそうですが,気分はあたっていて高原リゾートのバスの旅は運賃2200円も苦になりません。

まだ雪の残る浅間山と遠くに見える白根山

旧北軽井沢駅のようす
1時間半弱のバスの旅は快適で,12:43に草津温泉バスターミナルに着きます。ここは海外にもあるようなバスターミナルで,時刻表などから想像するのとはずいぶん違います。乗り場も7つあり,新宿や渋谷への直通高速バスも発着します。かつての国鉄バスは拠点の停留所を駅と称し,駅員も配置して鉄自連絡のきっぷも売っていましたが,探したら「草津温泉駅」の文字も残っていました。

草津温泉バスターミナルの様子。ホーム側と外側

草津温泉バスターミナルのきっぷ売り場の横には「草津温泉駅」の文字が。
きっぷも買ってみました。普通のレーザープリンターで地紋と切断線の入った用紙に印刷する廉価版
さて,今日の目的の草津温泉です。約3時間の滞在を予定しているので,時間はたっぷりあります。とりあえずは,草津のシンボルの湯畑を見に行きます。湯畑とは実は普通名詞で,源泉の湯をゆっくり流すことにより温度を下げたり,湯の花を沈殿させて採取したりする施設だそうです。湯の花を採取する所であればにも他の温泉地にもあるようですが,草津の場合,温泉街の真ん中にあり,とても大きいので特別のようです。また,湯畑の近くには白旗の湯と熱乃湯という公衆浴場もあり,興味を惹きます。

白旗の湯と熱乃湯

湯畑と草津温泉中心部(光泉寺から)
草津温泉は湯畑だけでなく,泉質なども含めて町ぐるみPRをした結果,1大観光地になっていて,外国人も多く大変な人混みです。これらの人に交じって,湯畑の周りを一周歩き,よい時間でもあるので昼食にします。安易ではありますが,十割そば・二八そばと,天ぷら食べ放題の看板が目に入ったので,これに決めます。

今日のお昼
食後はどこか公衆浴場で温泉に浸かることにします。白旗の湯や熱乃湯,湯もみの見物なども興味を惹きますが,どちらかというと広々したところが好きなので,「西の河原の露天風呂」まで歩いてゆくことにしました。ここは想定どおり広々としているのはよいのですが,身体を洗う場所がなく,とにかく湯にはたっぷり浸かったという印象です。帰りは温泉饅頭の試食などをいただき,少し時間もあるので湯畑近くの光泉寺を参って,ゆっくり歩いてバスターミナルに戻ります。草津温泉の街並みは,町の景観条例があるのかとても落ち着いた風情で,これも観光地としての高評価に貢献していると思います。

上州大津のバス停。柱がなく,民地の壁に吊り下げられている珍しいタイプ
帰りはJRバスで吾妻線に出て帰りますが,往きにだいぶバス代を使ったので,帰りは節約モードです。時刻表を見るとJRバス草津線には上州大津という停留所があります。吾妻線の駅は群馬大津なので駅前ではないと想像はつきますが,地図で見れば15分くらいなので,ここでバスを降ります。駅へ行く道は左折,バスは直進と思っていたのですが,バスも左折し群馬大津駅のほうに走ってゆきます。草津温泉で買ったきっぷが上州大津までだったのでここで降りますが,そのいくつか先の堂西という停留所が駅には近かったようです。

群馬大津近くで。吾妻線540M
群馬大津からは高崎と逆の下り列車に乗り,大前に行きます。大前は盲腸線である吾妻線の終着駅ですが,国鉄線全線完乗を目指していた時に1回と数年前の年末の夜に1回しか来ていないので,陽のあるときにもう一度行ってみようと思ったのでした。やってきた下り列車は,平日なら下校時間帯ですが,今日は土曜日で1両に20人位の乗りでした。大前に着くと用事のあるお客さんはそそくさとホームから出ていきますが,青春18きっぷシーズン中とあって乗り鉄の人達が10人くらいホームに残っています。確かにこの17:08着の535Mの前は10:38着の525Mで,6時間半列車がありません。1つ手前の万座・鹿沢口までならこの倍くらいの列車があるので,乗り鉄泣かせな線区ではあります。また,大前は何もない終着駅という印象でしたが,改めて見ると本当に何もない所で,どうしてこんな中途半端なところを終点にしたのかと思います。

大前で。列車は535M~542M

大前駅前風景

駅は何もないけど駅名標の周りは標高の記載と道祖神で賑やか
大前では21分の折返しで,17:29の542Mで帰途につきます。長野原草津口~岩島の間は八ッ場ダム建設のため2014年10月に線路が付替えられた区間で,僕としては一部は初乗り区間でもあり,ちょっとワクワクします。現在の線路は吾妻川の南側を走りますが,今はまだダムの水が張られていないため,対岸の下のほうに旧線の跡が望めます。渋川からは上越線に入り,日も暮れて,後は家に帰るだけです。吾妻線の列車は高崎起終点の列車も多いですが,この列車は新前橋止まりのため,ここのコンビニで夕飯までのつなぎの酒肴を仕入れます。

道路の向こうに旧線跡が見えるが,かなり草が茂ってきている
ひと月前にも高崎線の上り電車には乗っており,消化試合モードなので,大人の休日クラブVIEWカードのポイント特典でグリーン車を使います。幸い新前橋から乗った3936Mは快速アーバンで,多少は速く高崎線を上ることができます。予定では宮原で追抜いた上野東京ラインの列車でしたが,大宮で1本早い湘南新宿ラインの列車に乗れそうなので,こちらを選択です。横浜着21:52,根岸線はダイヤが乱れているので,来た列車に乗ります。磯子着22:10,ちょっと遅めですが,夕飯を食べて帰宅です。

帰りの電車をまとめて。高崎線3936M,湘南新宿ライン2561Y,根岸線2017C
今日はいつもとは趣向を変えて,温泉探訪を目的としたふつうの日帰り旅行になりました。これはこれで目的も達成し,ほどほどに列車にも乗り,充実の1日でした。軽井沢のアウトレット,草軽交通のバス,草津温泉とどれも満足で,確かに東京からの日帰り温泉旅行にはちょうどよいです。今度は夏休みにでも家族と来てもよいと思います。ただし,青春18きっぷ1日あたり2,370円に対し,草軽交通のバス運賃だけでも2,200円なので,とにかく安くという方には難があります。最後の大前はおまけとして,確かに青春18きっぷで行く日帰りの温泉を楽しむ旅のモデルコースになると思います。

今日の行程
(2018.5.12記)
2018年春のアクティビティ2--青春18きっぷで偕楽園(臨)駅と常磐線を訪ねる

(2018年)春の青春18きっぷのシーズン中の3月25日(日),思いたって常磐線方面に出かけてきました。旅行の目的の1はこのブログで臨時乗降場について書いているうちに老舗ともいえる偕楽園に行ったことがないので,行ってみたくなったのです。目的の2は,徐々に復旧の進む常磐線に久しく乗っておらず,線路が付替わった区間も多いので,気になっていたのでした。

毎度おなじみ磯子駅で。今朝は5:40の524B 2018.3.25
アプローチの常磐線は品川始発の1129M
さて出発はわが家最寄りの磯子駅を5:40の524B,今日も強烈に早起きです。常磐線の運休区間の代行バスが11:30の5便を逃すと16:59の7便までなく,詳細は順に書きますが,鈍行でこの行程を組む究極の乗継ぎです。品川からは6:35の1129M勝田ゆきで水戸を目指します。

石岡あたりで。今日もよい天気になりそうだ
この列車は上野東京ラインを通る常磐線の始発ですが,春休み期間中の土曜日とあって車内はガラガラ,快適な列車の旅です。水戸線岩瀬の近くで「加波山登山競争」なるイベントがあり,ランナーたちの利用が目立っていました。列車は定時で走り,偕楽園は8:40過ぎに通りますがこの列車は通過です。偕楽園は水戸の梅まつりのための臨時乗降場で,2018年は2月17日から3月31日までの14日,さらに時間帯も限られて9:00~15:30にここを通る下り列車だけが停車します。この次の331Mは水戸着が9:00でぎりぎり通過なので,偕楽園に止まる最初の列車は9:17の2003M「ひたち3号」です。後の行程を考えるとどうしてもこの「ひたち3号」に乗りたく,今日は水戸駅に8:45に着いて,歩いて戻る行程を組みました。

今年の偕楽園(臨)駅の時刻表
水戸駅から偕楽園駅まではGoogle Mapで調べると2.1km27分と出てくるので,頑張れば歩いて行けると考えました。バスがあれば早く着いて何か見物したいと思いましたが,探している時間がもったいなく,今,車内から見てきた道路を戻ります。途中,赤いEF81やリゾートゆうカラーのマヤ50なども見かけましたが写真もそこそこに先を急ぎます。線路を渡る陸橋の近くで道に迷ったりしながらも,なんとか8:10くらいには偕楽園駅にたどり着きました。

偕楽園駅,道路側。最近リニューアルしたようだが駅舎は大きくない
ブログ用にいろいろ写真を撮ったりして,時間を過ごします。偕楽園駅までの運賃は水戸までで計算することになっているので,偕楽園で精算した乗客には偕楽園~水戸間の便宜乗車を認めているようです。そのための乗車票が興味を惹きましたが,もらって来ることはできませんでした。偕楽園からは「ひたち3号」に乗るので,いわきまでの乗車券を買います。発券されたきっぷの入鋏印は(臨)偕楽園駅ですが,区間はルールどおり赤塚起点になっていました。ちなみに,赤塚~いわきは100.1kmでちょっとガッカリです。

偕楽園駅の始発は9:17の「ひたち3号」。梅まつり歓迎の振袖のお嬢さんも見えます
9:17慌ただしく「ひたち3号」に乗れば,今日の目的1は完了です。さて,「ひたち3号」ですがこの列車の特急券制度はIT化が進んでいて,表示上は全車指定席,自由席特急券に代わり「座席未指定券」という特急券が発売されます。春の行楽シーズンとはいえ「ひたち」の水戸以北はガラガラの想定ですが,どうも座席未指定券というのは気持ちが悪いので,特急券はえきねっとで予約し,品川で発券して持参しました。この座席指定の制度ですが,よくよく考えるとヨーロッパのユーロシティやインターシティの指定席とよく似ています。これらの列車は指定席車・自由席車の別はなく,基本的に全席指定席で,指定席を発売済の区間は座席ごとに紙片を入れて表示します。座席の指定を受けていない客は,予約済表示のない席に着席できます。この予約済の紙片に代えて,ITの力も借りて予約済の区間は緑,予約のない区間を赤のランプで表示していると思えば,実は世界標準のシステムともいえそうです。

ひたち・ときわの指定席制度の案内(見えない...?)
約1時間の特急の旅は快適に終わり,10:23,時間どおりいわきに着きます。いわきからはまた普通列車で常磐線を北に進みます。10:27の富岡ゆき673Mはタキシードボディの651系の4両編成です。いわき発車時は6割くらいの乗りでしたが,駅ごとにお客さんは減り,富岡に着く頃には5,60人になりました。四ツ倉を過ぎると海が見えるようになりますが,海岸線近くを走ったり,内陸に入ったところを走ったりです。一部の海岸の真新しい護岸からは津波の爪痕を感じますが,今日は穏やかな海の景色です。

常磐線673M @富岡
約40分の乗車で富岡着。富岡駅は津波で被災しましたが,昨年10月21日から新駅舎で営業を再開した駅です。今回の旅行の目的2は常磐線の災害復旧区間に乗車することでしたが,現地に来ると当時の報道映像なども思い出し,なかなか筆が進みません。なお,今日のスレッドのとびらの写真は復旧営業再開なった富岡駅の様子です。

富岡~浪江間の代行バス
富岡からは11:30の代行バス5便で浪江を目指します。バスは座席1脚に1人,20人位の乗りですが,理由あって訪れているお客さんと僕のような乗り鉄風の人が半々くらいの割合です。バスは国道6号線を走りますが,7割がたの区間は帰還困難地域です。バス車内は撮影禁止,外の景色は撮影可と案内されましたが,バシャバシャ写真を撮る人もなく,みな自粛の雰囲気です。行き交う車も少なく,約20㎞を30分で走って,12:00,浪江に着きます。

浪江駅はホームを仮設通路で渡り3番線を使う。列車は127Mゆき
浪江駅では駅のスタンプはないか駅員氏に訊ねたところ,ここは観光地ではないからないと。自分ではそんな失礼な態度だったとは思いませんが,まだまだ災害復興は遠いと思わずにいられません。原ノ町で列車は切れていて,18分の接続で仙台ゆき247Mに乗換えです。原ノ町は高校から大学時代に何度も降り乗りしましたが,夜行の急行十和田から朝の通学列車への乗換えが主で,駅の外に出たのは珍しいです。懐かしさもあり,地場の物産にお金を使うのもささやかな復興支援と駅近くの海産物屋で土産を買います。

原ノ町からは新鋭E721系で。247M
相馬の先,駒ヶ嶺~亘理は津波被害が大きかった地域で,このうちの駒ヶ嶺~浜吉田間のうち14.1㎞で線路が内陸寄りに付替えられ,営業キロも0.6㎞の増になりました。

新線区間に設けられた新地駅

坂元駅は交換設備のない棒駅
列車は2016年12月10日の復旧開業区間を進みます。単線ながら新幹線のような立派な高架の線路敷です。原発事故の影響はないので,鉄道の復旧と共に街も復興の様子が窺え,日曜日午後の列車は立っているお客さんも増えてきました。

こちらは高架上の山下駅

付替え区間の最北部の山下~浜吉田をゆく
浜吉田までの途中で線路付替え区間は終わり,津波対策強化区間になります。広々とした昔ながらの構内の広がる亘理では244Mと交換,2駅進んで13:57岩沼着,常磐線の旅は終わりです。

701系+E721系の244M @亘理
新しい線路ができるとどうしても乗りたくなり,今日は常磐線を全通しましたが,まだまだ災害復旧の途上で,早くの全面復旧を願わずいられません。列車は東北本線に入りますが,上り列車もないので,そのまま名取まで乗ります。とくに理由はないのですが,今日の行程は名取折返しを予定しており,ここで13分を過ごします。名取の駅前にはサッポロビールの工場があり,ちょっとした庭園が解放されています。14:18の584M福島ゆきに乗れば,後は7時間20分の帰りの旅です。

名取駅前のサッポロビールの庭園

584M @名取
今日は天気もよく,快適な青春18きっぷの旅です。船岡~大河原の一目千本桜の名所は残念ながら半月早く,まだつぼみも固いようでした。北白川あたりからは蔵王がよく見えるようになります。蔵王の写真を撮ろうと思って席を立ったちょうどその時,ただならぬ警笛と非常ブレーキです。たまたま一番前に乗っていたので前を見ると,笹竹を担いだおじいさんが線路を横断しています。早いとこ渡り切ってくれと願いますが,少なくとも担いでいた笹竹は前面に接触しました。列車防護の措置,列車指令への連絡の後,運転士さんが車外へ出て床下,そして周辺を確認します。おじいさんは列車の最後部からさらに150mぐらい後ろの線路脇で頭から血を流して倒れていたけど意識はあるとのことです。運転士さんがけが人を見つけるまでに10分くらい,救急車が来るまでには40分くらいかかったと思います。田んぼのなかで足場は悪いのですが,これでは助かるものも助からないのではと,各所の対応の遅さが気になりました。また,車内では救護の心得のあるかたが自発的に名乗り出ていましたが,車外へは出ないでくださいとのことでした。先般の新潟の大雪の時もそうでしたが,JRの車外へ乗客を出すなは徹底されているようです。救急車,警察,JRの救援部隊が来て,救護搬送,現場検証,電車の確認で,結局1時間40分間現場に停車し,陽も傾いた16:30前に運転再開になりました。

現場検証の様子。あんな感じで笹竹を担いで線路を渡っていました
今日はもともと新白河~那須塩原間の1駅--これなら特定特急券なので安い--を新幹線に乗る予定でしたが,福島17:16の「やまびこ150号」に乗れれば,郡山で予定していた「なすの280号」を掴まえることができることが分かりました。この日の584Mの福島着は17:14,2分で新幹線上りホームへ駆けあがって滑り込みセーフに思えたのですが,この「やまびこ」は「つばさ」併結列車,下りホームからの発車でした。時間的には間に合っていたはずなのに,ガッカリでした。

福島の駅そばの冷やしたぬきそば
福島~宇都宮間を新幹線でつなぐ。「やまびこ154号」 @福島
仕方がないので,福島で早めの夕食にします。たまたま入った駅ナカのそば屋ですが,意外とおいしく,きつねそばを2杯も食べてしまいました。「やまびこ150号」の2本後の154号に乗り,宇都宮から平塚ゆきの1627Eに乗れば横浜まで2時間以上乗換えなしです。当初の予定でもこの列車に乗る予定だったので,人身事故で遅れた1時間40分+福島での乗遅れの1時間を挽回した勘定で,新幹線の速達効果を実感です。

今日の〆の列車2本まとめて。上野東京ライン1627Eと根岸線2041B
根岸線に乗換え,自宅最寄りの磯子には予定どおりの21:37着。今日もいろいろなことがありましたが,旅行の無事に感謝です。常磐線はまだ富岡~浪江間が不通で,2020年3月までに復旧の見通しとなっています。線路が復旧しても,周辺の地域のかたの生活の復旧は簡単ではありません。全線復旧の時は,もう少し復興にも貢献し,沿線のかた達の笑顔が見られるとよいと思います。また,線路横断で事故に遭われたおじいさんですが,僕の新幹線代どうしてくれるとも言いたいところですが,ここはこらえて踏切以外での横断は絶対しないことと怪我の平癒をお祈りします。(2018.5.5記)