年末に青春18きっぷで札沼線に行ってきました・その3--新十津川と占冠村営バスまわりの帰り道

(その2から)
今日は前回に続き年末に行った札沼線への旅行の3日目,(2019年)12月30日(月)の札沼線新十津川への旅とその帰途をお届けします。その1ではどうして札沼線に行きたくなったか,その2では前夜の月形温泉などを書きました。いよいよ今回の旅行のメインイベントの札沼線新十津川を訪れます。

石狩月形駅 2019.12.30(以下同じ)
さて新十津川に行く列車ですが,石狩当別を7:45に出る5425Dが1日に1本走るだけです。この列車は札幌を6:58に出れば間に合いますが,早起きと寝坊のリスクを嫌って,8:40に列車に乗ればよい石狩月形に昨晩は泊りました。ホテルから駅は約10分なので,8:17の入線風景の写真を撮るにしても8:00頃に出ればよさそうです。ところが,普段5:45起床のせいか,寝坊ができないので緊張したか,新十津川に行くのが楽しみで興奮したか,6:00過ぎには目が覚めてしまいます。朝から温泉に浸かってゆっくりしても,1本早い7:35の浦臼ゆきに乗れそうです。

札沼泉湯めぐり温泉MAP
ホテルの営業案内ではチェックアウトは7:30からとありますが,15分フライングさせてもらいます。そういえば,このホテルは町の資本も入った第3セクターのようですが,従業員のかたは役所っぽくなく,好もしかったです。なお,札沼線沿線の7つの温泉では「乗って!浸かって!札沼泉」なるスタンプラリーのキャンペーンを実施しています。宣伝が少なく,僕は帰りの石狩月形駅で知った次第で,後の祭りでした。

5423Dを札的で捨てる
さて,1本早い浦臼ゆきに乗って何をするかです。昨日,浦臼に行った際,浦臼駅のスタンプが駅の近くの町役場にあることを知りました。この5423Dで浦臼まで行って,折返しの5424Dに乗れば,石狩月形~浦臼間を往復することもできます。石狩月形~浦臼の間のどこかで,上りの5424Dの走りの写真を撮るのもよさそうです。いろいろ悩んだ結果,札的で降りて上りの5424Dを撮り,役場でスタンプを押して浦臼駅に行くというルートに決めました。

浦臼~札的で。5424D
5423Dに乗ると,1日1本の札沼線列車を撮ろうと写真撮影派の鉄道マニアが15人位乗っています。豊ヶ岡,札比内と撮影地として知られた駅で7~8人ずつが降りてゆきます。札的は既に浦臼の町内で,景色はいまいちのようで,僕の他に列車を降りる人はいません。案の定,背景はいまいちですが,とりあえず写真を撮れそうなところが見つかったので一安心です。

浦臼町内で見かけた酒屋さん。ワインが特産らしい
写真を撮れば,凍り付いた国道を浦臼駅まで歩きます。札的~浦臼は営業キロで1.8km,道路はほぼ並行しているので,大した距離ではありません。マイナス8度位で若干寒いですが,気持ちが昂揚しているので,楽しいタウンウォーキングです。途中には浦臼町の郷土資料館があり,国道沿いの商店なども歴史を感じる佇まいです。

浦臼駅のスタンプ。駅至近の役場1階のロビーにある(開庁中のみ押印可)
役場は8:30からなので,商店街を見たり,郵便局を覗いたりで時間をつぶし,開庁を待ってスタンプを押します。列車の時間までまだ30分位あるので,昨夜のコンビニに行き,温かいコーヒーで一服です。

浦臼駅。ふれあいステーションと名付けられている
浦臼駅に入ると地元の年配の女性1人と乗り鉄風の男性1人の先客がいて,今日の5425Dの浦臼からの乗りは3人です。9:05時刻表どおりやってきた列車は乗り納めのお客さん対応のためか2両に増結されています。気動車は昨日と同じキハ40-402,と820,前の車両に70人,後ろに50人,合わせて120人位のお客さんが乗っています。後ろの車の左側のロングシート部分に席を見つけ,腰をおろします。景色は石狩川の広い河岸段丘と増毛山地の雪景色が淡々と続きます。

札沼線末端区間の左側車窓。河岸段丘の先には増毛山地の山が見える
20分ちょっとの乗車,運転士からご乗車ありがとうと,折返し中の列車締切り,荷物置きっ放し不可などの案内が入れば終点新十津川です。新十津川に着けば,2両のディーゼルカーから吐き出されたお客さんが思い思いにあと4か月半で営業を終了する駅,1日1本しか列車が来ない駅を楽しみます。

新十津川は突然の30分の賑わい。この騒ぎが5月まで続くのでしょうか
この列車の新十津川での停車時間は32分,切りのよい10:00ちょうどに折返しです。駅舎自体が新十津川町の観光案内所になっているほか,にわか作りの鉄道グッズ屋なども幾軒か建ち,廃線フィーバーです。昨日,石狩月形で買ったのと同種の記念入場券は欲しかったのですが,これは長蛇の列です。その他の記念グッズの類はどうもぞっとしないので,財布の紐を固く縛ります。

新十津川駅前風景と名物?の時刻表
新十津川に来てしまえば,あとは帰るだけなのですが,再度,あの列車で札幌に戻るのはぞっとしません。旅行計画時に時刻表を繰ると,特急を2度も使いますが,金山峠を越えるバスに乗って占冠回りで帰れることが分かり,即採用です。後ろ髪をひかれつつ滞在10分ちょっとで駅を後にし,新十津川町役場に向かいます。また,途中で郵便局に寄って,年賀状を投函します。僕の年賀状の送り先は北海道内は2件だけで,あとは皆な内地ですが,例年,旅行先で投函するのが習わしです。そんな訳で,僕の年賀状は例年3日の配達のはずです。

新十津川町役場
新十津川町役場は火の見櫓,時計台もある4階建てで,浦臼町よりずっと立派です。新十津川駅に来る列車は1日1本ですが,滝川とも近い新十津川は人口6,500人で,浦臼1,800人の4倍近いです。尤も,面積も新十津川の方が5倍くらい大きいので,人口密度にしたら大差ありません。イメージよりずっと大きな町役場に感心して,滝の川団地ゆきのバスに乗ります。

新十津川から滝川へ,滝新線の北海道中央バス
バスは日野レインボーの中型ですが,概ね座席定員程度の乗りです。このバスは札沼線の列車からの接続なので,もっと混むかと思っていましたが,列車から乗継いだのは僕を含めて数人で,殆どは地元のお客さんです。バスは役場を出ると軽く町内を回って,石狩川を渡ります。橋を渡れば滝川市内で,15分程度で滝川駅に着きます。

滝新線のバスで石狩川を渡る
滝川からは10:52の特急を予定していましたが,1本早いのに乗れるので,10:22の「カムイ9号」に乗ります。ホームで列車を待っていると,同じ時刻発車の「オホーツク2号」が反対ホームに入ってきます。ハイデッカーグリーン車組込みのキハ183系ですが,どちらかというと,この列車に乗りたかったです。

カムイ9号(左),オホーツク2号はキハ183系5連(右)
こちらは789系電車の5両編成ですが,深川,旭川で終点なので,車内は空いています。列車は石狩川に沿う道内最大の幹線を軽快に飛ばして走ります。駅の数は7つしかありませんが50km以上を30分ちょっとで走り切り,10:55,時刻表どおり旭川着です。

旭川は海鮮ものの駅弁が豊富。その屋号も「旭川駅立売商会」
多少時間は早いですが,この先食事ができるところが少なそうなので,駅そばで小腹を満たします。また,旭川の駅前には再開発でイオンのショッピングモールができて,とても便利になりました。駅弁は見るだけにしておき,自分の弁当はイオンの食料品売り場で調達です。

富良野線はキハ150-1
30分早く着いたので,旭川ではゆっくり食事と買い物をし,次は富良野線で富良野を目指します。富良野線の気動車は軽快なキハ150のトップナンバーですが,インバウンドのお客さんで既に満席です。発車の8分前には札幌からの特急も着き,いよいよ混んできて30人位が立っています。中国人,東南アジア系の人,ヨーロッパ系の白人に地元の人と国際色豊かなお客さんです。

上富良野あたりからは山の景色もきれい。十勝岳と富良野岳か
富良野線は上川盆地の南側の丘陵地帯を軽快に走ります。夏場であれば,パッチワークのような畑やラベンダーなどの花畑が続くはずですが,今は雪景色です。美瑛を過ぎると登り勾配になりますが,大きな峠越えという感じでもなく上富良野に至ります。後で調べると,ここは谷中分水との説もあるようで,今一つ峠がはっきりしませんでした。上富良野で3分の1位のお客さんが降りましたが,ほぼ同数の乗りがあって,車内は相変わらず国際色豊かな観光列車です。

富良野駅前風景。分水を越えたら天気もよくなった
1時間ちょっとの乗車で12:41,列車は富良野に着きます。富良野駅は久しぶりに来たら駅舎が建て替わり,自由通路もでき,駅裏側には富良野協会病院の大きな建物が建ち,景色が変わりました。札幌直通の高速バスも頻繁に走り,駅前のバスターミナルも賑わっています。僕が乗るのは13:20の上双殊別ゆきですが,JTBの時刻表などでは占冠駅前ゆきと案内されます。このバスは1日に午前,昼下がりと夕方の3便です。基本的には村民が対象の白ナンバーバスなので12月30日に動くのかが気がかりです。富良野駅に着けば先ずはバス停の場所と,年末年始の運転予定の確認です。

富良野~占冠の占冠村営バス
13:20,ほぼ時刻表どおり占冠村営バスの日野メルファがやってきます。以前はマイクロバスだったと記憶するので,しばらく見ないうちに格上げになりました。根室本線の東鹿越~上落合信号場が不通,バス代行になっているので,この路線の需要も高まっているのかもしれません。富良野駅での客は僕一人でしたが,町内で買い物のご婦人,通学の高校生など数人のお客さんの乗りがあります。

村営バスは38号線を下る
バスは空知川,根室本線の線路に沿った国道38号線を進みます。山部からは線路との距離も近くなり,徐々に峠道らしくなりますが,車の少ない2桁番号国道は快調です。バスは下金山駅の手前で右に曲がり,ここからは国道237号線になります。金山峠を越えると,気候が太平洋側になるのか空が気持ち明るくなります。

金山峠を越えると空も明るくなる
占冠は交通の要衝でもあって,村の東西に石勝線,道東自動車道が走るほか,南北には国道237号線が走ります。北側の金山峠,金山経由の富良野線の占冠村営バス1日3往復のほか,南側には日高町まで5往復の日高町営バスの路線もあります。また,占冠から>字型にトマム,落合を通って幾寅への村営バスもあり,昔から北海道旅行ではよく使っていました。また,これらのバスは村や町の予算も使っているので運賃が安いのも魅力で,富良野~占冠間約45km920円はJR北海道の地方交通線とほぼ同じ水準です。

占冠村営バスの運賃表。50円から始まり45kmでも920円
14:33,時刻表どおり占冠駅前着。1時間を超える雪道のバスの後の乗継ぎは14分しかなく,今日の行程のクリティカルパスだったのですが,見事な定時運転です。何度か乗換えに降りたことのある懐かしい駅舎は1981年の開業のころと変わっていません。

開業時から変わらない占冠駅
占冠駅は村への簡易委託で,窓口のご婦人にお願いして南千歳までの乗車券を買います。手書きの出札補充券自体が今どき珍しいですが,駅名などはゴム印を使いとても手がかかったきっぷです。

占冠~南千歳の乗車券
ほどなくして14:47の「スーパーとかち8号」が年末の増結で6両編成でやってきます。この列車の所定は指定席3両,自由席1両の4両編成ですが,増結車は2両とも指定席で,6両のうち車室の短い先頭1両だけが自由席とバランスが悪いです。「スーパーとかち」に乗れば今回の北海道旅行も最終コースです。旭川で買ったかにめし重を食べたり,勇払原野の雪原を眺めたり,1時間もかからず南千歳です。15:44南千歳着,10分の接続で新千歳空港ゆきに乗換えれば,16:00前には新千歳空港に着きます。

スーパーとかち8号 @占冠
新千歳からは羽田へひとっ飛びと言いたいところですが,今回は旅行費用を節約し,Jet Starで成田へ飛びます。体験かたがたのLCC選択ですが,到着機材の遅れでいきなり35分の遅発です。仕方がないので,ラーメンを食べたり,土産を買ったりで時間をつぶします。空港に着けば先ずはチェックインをしますが,ビルのはずれにあるチェックインカウンターとこれらのショップが離れているので,往復するのにえらく手間がかかります。出発案内の時刻表示上は35分延ですが,搭乗手続き締切り後もターミナル~飛行機間のバスの手配に時間を要しているとかで,バス待合室で足止めです。なんやかやで新千歳を出たのは概ね1時間遅れの18:10です。

南千歳~新千歳空港間のチョイ乗りの3942M @新千歳空港
成田に着くと外は雨,またまたのバス降機,エプロンを走れば他の飛行機がプッシュバックしてくるので,待て!です。結局第3ターミナルの旅客出口から出たのは20:15過ぎで,所定の到着予定からすると1:20遅れでした。ついでに2点,LCCについて書くと以下のとおりです。運賃自体は安く見えますが,手荷物料金(今回は2泊3日の着た切りスズメでデイパック1個なので0。その代わり空港の土産も服のポケットに入るものや「じゃがポックル(10袋入りで180g箱)」など軽いものを選択),決済手数料(クレジットカードを切っただけで600円も取る!)などで,結局は4桁で収まらず,10,040円になりました。また,航空券を買った後でも,席の指定は要りませんかなど,しつこくメールが来たりでウンザリです。こんなことなら早くに予定を決めてFSC(Full Service Carrier:LCCの反対語)の早割りで帰ればよかったというのが,僕の初めてのLCCの感想です。

成田線の空港快速 @佐倉
成田線の時刻を調べると20:32に久里浜ゆきの快速があります。これに乗れると乗れないで帰宅の時間は大違いです。LCC専用の第3ターミナルから第2ターミナル駅まで17分,かなりきつかったですが,20:32の列車に滑り込みます。それでも途中でしっかりビールと肴は仕入れます。また,帰りの列車はグリーン車利用と決めてJREポイントの特典グリーン券の手続きをしておいたのですが,こちらの方はオペミスして特典を使えず,800円を差っ引かれてしまいました。自分のオペミスは否定しませんが,このJREポイント特典をSuicaに書込む操作は間違い易いです。

今日も夜の根岸線で無事到着 @磯子
成田空港から乗った5060Fは佐倉で6分止まって成東からの編成を増結します。初めて見るダイヤパターンですが,夕方ラッシュ時の成東への直通列車の戻りのスジで,合理的な運用ではあります。グリーン車でゆっくり晩酌と反省会,小遣い帳の集計などすれば22:39,横浜着です。根岸線に乗換えれば14分で自宅最寄りの磯子駅に帰り着きます。

今回の旅行のGPS log(北海道内分)

今回の旅行の行程表
ところで,今回の旅行の収集品のなかにJR北海道の「xx線(線区の現状について)」という一連のパンフレットがあります。中面は旅客輸送の現状と沿線を含めた経営改善の取組みが,裏面は沿線の魅力などが記されています。パンフは需要の喚起もありますが,補助金の拡充などの経営支援の懇請や,廃止やバス転換に向けたパブリックアクセプタンスも目的のようです。一方,先年に北海道旅行をした際には全道を網羅したポケット版の時刻表(これがあれば市販の道内時刻表は不要と思った)があったと記憶しますが,今年は線区ごとの1枚ペラの時刻表しかなく,冊子の時刻表は経営的に作れないとの案内でした。JR北海道の経営は相当に厳しいようですが,維持可能な線路は何とか残してもらいたいところです。乗って残そう運動,インバウンドも含めた観光需要の取込み,行政も含めたいろいろな政策などが総動員されることを期します。

線区の現状について
札沼線新十津川が廃止になると聞いて慌てて行った北海道旅行ですが,札沼線以外の収穫も多く楽しい2泊3日の北海道旅行でした。結婚して以来,こんな時期に1人で泊りがけの旅行に行ったことはありませんでしたが,癖になりそうです。今年も年末年始の休みは長いので,また少しでもJR北海道の利用に貢献しようかと1月のうちから考えています。(2020.2.1記)
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年末に青春18きっぷで札沼線に行ってきました・その2--苫小牧上陸から札沼線へのアプローチ

(その1から)
今日は年末に行った札沼線への旅行の2日目,(2019年)12月29日(日)の苫小牧上陸から月形温泉までをお送りします。この旅程の計画段階で,1日に朝1本だけの札沼線のアプローチと前夜の泊りを検討しました。札幌泊りでも6:58の列車に乗れば間に合いますが,6時台スタートはぞっとしません。また,それしか列車がないので多分混雑していることでしょう。もっと浦臼に近い所で泊れる所を検討すると,意外と滝川にはホテルが少なく,石狩月形駅から近い月形温泉がヒットしました。素泊り7,100円は僕の感覚からは安くはないですが,温泉付きで朝も8:00過ぎまでゆっくりできるので,ここに決めました。会計の際に聞くと,札沼線目当てのお客さんがにわかに増え,ホテルにとっては棚ぼたのようです。

月形温泉 2019.12.30
今日のゴールは決まっていますが,苫小牧に朝に着いてからどうするかです。そういえば日高本線は一部不通になっていてバス代行,そのまま廃止説もあり,僕自身としても随分ご無沙汰です。日高本線~JRバス日勝本線~襟裳岬~広尾~広尾線転換バスで帯広まわりに惹かれますが,車ならともかく,バスと列車では夢のまた夢です。単調ですが,静内あたりまで代行バスで往復の後,千歳線のどこかで軽く鉄ちゃん(鉄道写真を撮ること)してという予定を組みました。なお,苫小牧上陸後に札幌へ直行,8:30の「ライラック」に乗れば9:22に滝川に着くので,タクシーをとばせば10:00新十津川の上り列車に乗ることも可能です。

昨夜のフェリー「シルバーエイト」 @苫小牧フェリー港 2019.12.29(以降,特記以外同じ)
八戸からのフェリーは海が穏やかで揺れも少なく,時間より早めに苫小牧に着きます。慌てて降りてもバスは6:30なので,快適な船旅の名残を惜しみつつ,船の写真を撮ったりします。このフェリー便は桟橋からのアクセスがよく,苫小牧駅と札幌駅へのバスと接続します。6:30のバスは市営バスを引継いだ道南バスの24系統で,20分もかからず(所定では17分)苫小牧駅前に着きます。

駅への道南バスは東京・横浜では見なくなった2段窓のブルーリボン @苫小牧駅前
苫小牧からの日高本線は7:54まで列車がありません。駅で1時間待つのは寒いので,時間つぶしに千歳線で植苗まで往復して過ごします。7:00ちょうどの2733Mは気動車とも併結できる731系の3両編成です。電車・気動車の協調運転が可能な731系,キハ201系は,メカ好きな僕は画期的な車両と思います。前者は21編成があるものの,後者は4編成しかなく,協調運転する列車もごく限られているのが現状で少々残念です。今ならモーター駆動の電気式気動車が身近になったので,JR北海道に開発資金さえあれば,もっとよい協調運転車両ができると思います。

植苗までの2駅チョイ乗りの2733Mは731系。追いかけですみません @植苗
苫小牧を出た列車は日本一長い直線区間をひたすら西に沼ノ端まで走ります。線路の歴史的経緯から,複線の本線の室蘭本線から分岐する形で支線扱いの千歳線は分かれます。下り(千歳線は苗穂から沼ノ端方面を下りと書きます)線は広い用地を使った雄大な立体交差です。左にカーブの後は勇払原野をひたすら走り,たった2駅ですが11分かかって植苗に着きます。

植苗駅で。凍てついた駅舎と遅い冬の日の出
植苗の到着は7:11で,戻りの列車の7:24まで暫く寒いホームで列車を待ちます。もう1駅行きたいところですが,植苗の隣にあった美々は利用者が少ないことから2017年のダイヤ改正時に信号場になってしまいました。

やってきたのは客車改造気動車のキハ143
植苗からの帰りはキハ143の2両編成で,気動車が来るとは思っていなかったのでびっくりしました。気動車列車でも非電化の東室蘭以西まで直通する訳ではなく,配置区所からの回送を兼ねてか,貴重な電車を札幌都市圏で使うためかと思われます。苫小牧に戻れば7:44で,7:54の日高本線までちょうどよい乗換え時間です。

苫小牧の発車案内は「様似」ゆき
日高本線の出る1番ホームには既にキハ40の2両編成が据えられ,発車案内の表示が「様似」なのが目を引きます。実際の列車は鵡川ゆき,鵡川からの代行バスも静内でスジが切れていて再度の乗換えが必要で,様似は遥かに遠くです。本音はともかく,日高本線は様似までだぞと主張しているかのようです。

列車内に掲出されたバス代行の案内
さて日高本線ですが,2015年の厚賀~大狩部間の高波被害が復旧していないため,バス代行が続いています。JR北海道は被害は甚大,復旧はJR北海道の独力では困難としています。一方,地元は温度差があり,昨秋の沿線7町の臨時会議でも,鵡川~様似間廃止・バス転換やむなし,日高門別~様似間廃止・バス転換やむなし,あくまで復旧と意見の集約は図られていないようです。

日高本線2225D @鵡川
そうはいっても当のJR北海道に復旧の意思がないので,残念ですが,廃止・バス転換も時間の問題でしょう。僕自身は意外とドライで,収支係数4桁の線区を存続して経営の足を引っ張る位なら,早くに止血して残せる可能性のある線区の経営改善に努めるほうがよいと思います。

苫東厚真発電所
日高本線の列車は7:54定時に苫小牧を発車,先ほど室蘭本線で通った所を再び走り,苫小牧貨物駅が尽きたところで右に分かれます。勇払の先で海沿いになると,太平洋に沿って襟裳岬を目指します。この辺りでは海べりを走る訳ではなく,製紙工場や発電所など海岸には大きな工場があり,その内側を走ります。発電所のボイラや石炭アンローダなど,機能美溢れる設備が眼を楽しませてくれます。

浜厚真は廃・車掌車利用の簡易な駅舎
浜厚真を過ぎると工場群もなくなり寒々しい原野の中をまっすぐに列車は走ります。山側を見れば,原野の向こうに日高の山々がかすみます。

浜厚真~浜田浦の山側の車窓
途中の浜田浦は通過なので,たったの3駅ですが28分かかって,8:22に鵡川に着きます。鵡川は北海道をかたどったスタンプが秀逸だったと記憶しますが,今のスタンプは別の意匠です。

昔の鵡川のスタンプ
鵡川に着くと既に静内ゆきの代行バスは駅前に止まって,乗継ぎのお客さんを待っています。今朝は6時から行動しているので,いささかお腹が減ってきました。接続の時間は16分ですが,駅前から国道に出ると,幸いコンビニがあります。朝のコーヒーとパンを買い,バスに乗る前に平らげます。

日高本線の代行バス。比較的新しそうなエルガ @鵡川
鵡川8:38の静内ゆきはJR北海道バスの担当で,国鉄以来の形式は531型です。ニューではないエルガですが,車内はまだ新しい感じです。30人弱くらいのお客さんを乗せて,時刻表どおり出発です。

座席には代行バスの案内が。トイレに行きたくなったら乗務員に申出れば近くの駅等に止まる由
僕の感覚では無駄なハコもの投資と思える日高道が厚賀まで通じているので,バスは通る車も少ない国道235号線を淡々と走ります。5km位走ったところでバスは右に曲がり,汐見駅への取付け道路に入ります。暫く行くと丸い怪しげな施設がありますが,これは新千歳に向かう飛行機のための航法支援無線のアンテナのようです。

鵡川VOR。航法援助用無線施設(帰りに撮ったもの)
海が近づいた感じがして,下り坂を降りると踏切があり,汐見駅のホームが見えます。このバスは列車代行なので鉄道路線に忠実で,駅が国道から離れていれば3kmを往復してでも駅前に寄りながら運転されます。汐見を出るとシシャモ直売の看板のたつ漁港の近くをぐるりと回ってから,先ほどの道を国道235号線まで戻ります。

汐見駅の様子
汐見の次は富川ですが,ここは線路が駅の近くだけ内陸に寄っているので,バス路線の迂回部分は短いです。駅の近くには商店も多く,道路の左手には門別競馬場もあり,開けた印象です。富川は行政では日高町に属しますが,今の日高町は昔の日高町と門別町--この2町は町域が接していない--が2006年に合併してできた町だそうです。過疎に悩む町,競走馬関連の税収など複雑な関係を感じます。

富川駅の様子
代行バスは日高門別の中心部に達すると国道をそれて右手の旧道に入り,日高門別駅に着きます。ここは白っぽいとんがり屋根の駅舎とサラブレッドの載った時計台の小ぎれいな駅前広場です。日高門別を出ればほどなく国道に戻り,朝の清々しいバスの旅が続きます。

日高門別駅の様子(帰りに撮ったもの)
日高町内は競走馬を飼う牧場が道路の左右に連なり,サラブレッドの産地の景色が続きます。

国道沿いの農場に馬が憩う
日高門別から先は海岸線,線路,国道が並行するようになり,国道からも海がよく見えます。国道沿いには灯台も建っています。

門別灯台(帰りに撮ったもの)
次の豊郷は国道沿いに駅があるので,代行バスは駅前には入らず,国道上にバス停があります。写真のとおり駅の先はすぐ海です。

豊郷駅の様子(帰りに撮ったもの)
豊郷~清畠間は線路も国道もずっと海岸沿いを走り,列車で通ればさぞ海がきれいだろうという景色です。

清畠~豊郷の車窓(帰りに撮ったもの)
9:39,清畠着。国道上のバス停ですが,今日はここでバスを降ります。ここで降りれば9:48の上り便で苫小牧に昼前に戻れますが,この先,静内まで行くと苫小牧の戻りは13:30過ぎになってしまいます。午後は別のアクティビティで過ごしたいので,泣く泣く清畠折返しとしたのですが,代行バス自体,車窓ともとても収穫は多かったので,十分満足です。

清畠駅の様子
清畠では9分の折返しですが,小さな駅なので一通り見て回ることができます。駅舎を覗くと便所は昔懐かしい肥溜め式で使用可能に維持されています。清畠9:48の代行バスは,樽前観光に運行委託されていて,セレガのアンダーフロアコックピットの観光バスでやってきました。こんなバスが来るとは思っていなかったので,下の写真は思った構図で撮れませんでした。

帰りのバスは樽前観光のUFC観光バス
せっかくの観光タイプの大型バスなのにお客さんは僕のほかに1人しか乗っていません。UFCバスは高い視点からの車窓がきれいで,乗り心地も快適です。往きと同じ道なので景色に目を凝らす要もなく,絵になりそうと思っていたポイントで写真を撮りながらゆっくりします。汐見のところでも書きましたが,代行バスは一駅一駅,駅前に寄るので距離の割に時間がかかります。国道上にバス停を設けて,まっすぐ走って行けばよいのに律儀なことと思います。それはバスに乗っているときに思ったことで,今,この稿を書いていると別の考えも浮かびます。代行バスを理由に不便な運行をしておいて,廃止・バス転換となれば人の集まる国道をまっすぐ走るので,便利かつ速くなる,なので早く転換しよう...という考えでJR北海道はいるのでしょうか。

今日の代行バス乗車区間のGPS log。海岸線,線路,軌跡に注目
日高本線は本当に海沿いで,下の写真のとおり高波が来たらひとたまりもない所を走っています。運休中も路盤を防護するため消波ブロックや土嚢を置いたりしたようですが,その後の台風で流されたりで,線路の維持も大変なようです。今日は清畠までの折返しでしたが,機会があれば様似や襟裳岬を回って広尾にも行ってみたいと思います。

ありし日の日高本線の列車 @大狩部 1986.12.30
最近デジタル化した古い写真に大狩部で撮ったものがあったので上に載せます。古い写真ついでに僕が初めて日高本線を訪れたときの写真も載せておきます。キハ56系の急行「えりも」ですが,1986年まで走っていたようです。

急行「えりも」 @浜厚真 1980.3.13
往きの分を丁寧に書いたので,帰りは端折って,10:50,鵡川着。8分の接続で苫小牧ゆきの列車に乗換えます。朝とは違う景色の見え方の違いに戸惑ったりしながら,来た時と同じ線路を戻ります。

帰りの日高本線2228D @鵡川
11:29,列車は時刻表どおり苫小牧着。お腹もすいてきたので,軽く駅弁で昼食です。苫小牧は,まるい弁当が昔から構内営業をやっていて,サーモン寿司,シシャモチップ寿司が名物でした。今は駅構内で喫茶営業をしていて,聞けばその場で食べてもよいそうなので,懐かしいサーモン寿司をいただきます。サーモンは寿司なのにマスタード味がオツだと思っていましたが,味付けが少し変わったようです。シシャモチップのほうは商品自体がなくなっていました。

苫小牧駅のホームで。支笏三山方面を望む
小腹を満たしてホームに降りるとちょうど「スーパー北斗」が来るので写真を撮ります。ホームの向こうには樽前山が白銀に輝き,その奥には風不死岳(ふっぷしだけ)も見えています。

千歳線2769M @苫小牧,1771M @長都,2773M @上野幌
今日のアクティビティの2は千歳線で鉄ちゃんです。撮影地をサーベイしていない,靴がふつうのウォーキングシューズということで,本格的な駅間での撮影はできません。安易ではありますが,先ずは以前に駅撮りをした実績のある長都に行きます。12:14の2769Mに乗れば,朝に来た植苗を通って,30分で長都です。

新鋭733系の「快速エアポート」 @長都
さて,長都では1時間あるけどどんな列車が来るだろうと時刻表をめくると,なんと12:44から13:47の間に下りの特急が1本もありません。今日の行程は急に作ったものなので無計画は仕方ないのですが,少々がっかりです。予定の半分の30分で切上げ,次の列車で上野幌に移動です。上野幌はインターネットの情報で探して訪れましたが,上りも下りもそこそこいい感じす。ホーム上には僕の他にも鉄ちゃんをする人がおり,挨拶をして割込ませてもらいます。ここでも約30分を過ごし,札幌に移動します。

千歳線を行く789系の「すずらん6号」 @上野幌
今日のアクティビティの3は明日の予行演習に札沼線で浦臼に行ってみることです。明日の新十津川ゆきはマニアで混んでいること必定なので,今夕の浦臼ゆきなら多少は過疎地のローカル線が楽しめるかと思います。札幌では時間があるので,駅そばで腹ごしらえです。幌加内そばの幟に誘われて入りましたが,かけそば600円は僕の駅そばの常識からは外れています。札幌駅の入場券を見せると入場料金を返してくれるそうですが,それでも利益が出るのでしょう。

冬の早い陽はおちて。左:札幌からの2585M,右:浦臼ゆきの5431D @北海道医療大学
15:00ちょうどの北海道医療大学ゆきに乗ると,ポツポツ空き席がある程度の入りです。すぐに空くことは分かっているので,適当に立っています。石狩太美までは1年半前にも乗っているので,大体勝手も景色も分かっているので,大人しく過ごします。まだ4時前だというのにあたりは夕暮れモードで寂しく,また景色が見づらくなってきます。北海道医療大学に着けばほとんど日没で,遠くの山裾に陽がおちてゆきます。やってきた浦臼ゆきはキハ40-402の単行で,ワンマン改造くらいしか手が入っていない車両です。16:27頃,石狩月形着,ここで上り列車と交換で数分止まります。

札沼線列車の離合。5431Dと5430D @石狩月形
上の写真を撮って列車に戻ると,驚いたことに他に誰もお客さんがいません。空いている列車を期待してこの列車に乗っていますが,まさか誰もいないとは思っていませんでした。誰もいない車内で銀河鉄道の夜を楽しみますが,まだ5時前です。景色はあまり見えませんが,右側遠くに函館本線上の美唄や砂川などの街の明かりが見えています。たっぷり25分札沼線の旅を味わって,16:55,終点浦臼に着きます。

5431Dの車内。オリジナルに近い車内に他にお客さんはいない/浦臼のローソン。コンビニは本当に便利だ
ところで,この旅行の支度で僕はチョンボをして,新品だと思って持ってきたSDカードが実は撮り切ったものでした。PCにおとしてあるのでつぶしてもよいのですが,原則,SDカードは再利用しない方針です。また,今般の旅行では手がかじかんで,ハンドクリームが欲しくなりました。SDカードにハンドクリームに美味しいコーヒーを買おうと駅前を探すと,国道沿いにローソンがあります。値段は安くはないですが,欲しかったものが全部揃い,コンビニのありがたみを感じます。

帰りの5432D @浦臼
この列車の浦臼での折返し時間は35分もあるので,コンビニで買い物してもまだ随分余ります。浦臼駅は浦臼町歯科診療所が入居するきれいな建物で,暖房の効く待合室で列車の準備ができるのを待ちます。17:30,時刻になって,石狩当別ゆきは発車します。待合室にはもう1人お客さんがいましたが,ふと気づくと車内には僕1人,途中で降りてしまったのでしょうか。車窓は左手の河岸段丘の下,遠くに街の光が見える往きと同じ景色です。帰りも26分ゆっくりローカル線の旅を楽しんで,17:56,時刻表どおり石狩月形着です。

札沼線の記念入場券
石狩月形では20分後に下り列車が来るので,それまで駅の周囲を眺めて過ごします。出札窓口では札沼線の写真付記念入場券を売っているので,これを1枚買います。JR北海道のわがまちご当地入場券のような写真入りの券4枚分を1枚に印刷したもので,実際に使える入場券は石狩月形1駅分で200円は良心的です。

石狩月形で交換する札沼線列車。空には細い2日の月
上の写真を撮れば,あとは温泉に浸かって,この旅行のメインイベントの新十津川行を待つだけです。駅から月形温泉のホテルまではちょうど1km,歩いて13分がgoogle mapの情報ですが,せっかくなので皆楽公園のほうを通ってゆくことにします。これが間違いで,公園内の道は除雪されていないうえ夜で真っ暗,遭難しかかりました。国道まで戻って,大遠回りです。近所に食べ物屋はないのでホテルで夕食を摂りますが,満足な内容でした。お風呂は大浴場が2つあり,黒い湯の花が大量にあるのが目につきますが,かけ流しとの説もあり,値段を考えれば上等です。部屋に戻れば年末の旅行恒例の年賀状の仕上げで2時間をとられますが,それでも11時過ぎには就寝,明日に備えます。今日の3つのアクティビティを織込んだ行程は迷った挙句の妥協の産物ですが,結果としてはバランスもよく大満足の旅行2日目でした。(2020.1.19記)
(その3へ)
東海道徒歩き(かちあるき)(9)-3 池鯉鮒宿~宮宿

今日は昨年10月の東海道徒歩き,-3として池鯉鮒宿(知立)~宮宿(名古屋中心部)をお届けします。今回の行程も名鉄と並行している区間が多く,名鉄の鉄ちゃん(列車の写真を撮ること)をしながらの道中です。郵便局と一里塚めぐりも-2までと変わりませんが,この区間では本陣跡は不作でした。
さて,この記事のスタートは(2019年)10月21日(月)9:00過ぎ,池鯉鮒宿です。7:00前にホテルを出て,新安城から知立までを電車と歩きで往復し一旦ホテルに戻ります。ホテルで荷物を整え,2度目の無料の朝食をご馳走になり,改めての出発です。歩き始めるとすぐに知立の古城址がありますが,今日も先が長いので入口の写真だけにします。

知立古城址の入口 2019.10.21(以下同じ)
逢妻川を渡り少し行くと東海道は刈谷市に入ります。

逢妻川の橋上を行く名鉄バス
ここは国道1号線でキロポストもしっかり整備されているのですが,たまたま撮った340.8kmの次はなぜか341㎞ちょうどで国道マニアにはたまらない不思議な世界です。勝手な推測ですが,市境と共に国道管理事務所も境界となっていて,道路改良などのはずみでできてしまった誤差をこっそり吸収しているのではと思います。

340.9㎞がとんでいる国道のキロポスト
国道1号線上を歩いて行くとコンビニと並んで水素ステーションが建っていました。自分の住む横浜界隈では見かけないので,さすがトヨタのお膝元と思います。そう思いながら見ていると,給油のためにミライが1台やってきました。これも実車を見るのは初めてです。

よそ様の自家用車ですがトヨタミライ
この辺りは町の名前が一里山で一里塚(江戸から85里)があるはずなのですが,なかなか見つかりません。道路際に何やら石のモニュメントがあるので,その写真を撮ります。「昭和七年二月改築」,「志んめいばし」とあるので,昔かかっていた橋の欄干のようです。一里塚の方は,あとでネットで調べると,歩道橋の陰に一里塚跡の案内板だけが置かれているそうです。

志んめいばしの欄干
この辺りの東海道は,まっすぐに走る国道1号線の右に左に振れながらほぼ並行しており,町の人の散歩コースとして整備されています。

東海道の散歩コースの案内板
名鉄の駅でいえば富士松駅の近くですが,境川にかかる橋を渡って堤防を越えてから築堤をおりる線路がなかなかよさそうです。送電線の鉄塔が眼につきますが,ここでも何本か鉄ちゃんをします。

豊明~富士松で
道路の右手にはPascoのブランドの敷島製パンのきれいで大きな工場が広がっています。以前から名古屋への出張の土産はまんじゅう「なごやん」と決めていますが,ここで作られているのでしょう。

Pascoのパン工場
パン工場の先には境川があり,いくらも離れていませんが国道1号線の新境橋,東海道の境橋と両方に立派な橋が架かっています。この川はさほど大きくはありませんが三河と尾張の境界で,境橋には国境(くにさかい)としての由緒があります。また,橋の上から周囲を見るとここは中部山岳の水力発電所から名古屋へ,あるいは三河湾周辺の火力発電所から内陸の都市への送電のルートなのかやたらと送電線の鉄塔が眼につきます。

東海道の境橋と由緒書き
境橋を渡ると東海道は豊明市に入り,僅かの距離ですが国道1号線上を歩きます。片側1車線の国道は交通量も多く,気持ちのよい徒歩きではありませんが,キロポストの消化が励みになります。

国道1号線を歩く @豊明市内
阿野という町まで来ると東海道は1号線からはずれ,1本西側の道になります。阿野には一里塚があり,街道の両側が残っている所は珍しく,国指定の史跡になっています。

阿野の一里塚(江戸から86里)。写真左が東京から名古屋に向かって左側(だったと思う)
一里塚で旧街道気分にひたった後は,現代の宿駅ともいえる郵便局です。豊明郵便局は名鉄の駅でいうと前後駅の近くにあります。

豊明郵便局
郵便局の先は前後の駅前です。ここは2日前にスポーツクラブに行くときにも通った所で、見覚えがある街並みです。ここの再開発ビルは,僕はあまり見たことがないですが,キーテナントにCOOPが入居しています。

豊明市のコミュニティバス
ちょうど市内循環のコミュニティバスがきたので写真を撮って,先を急ぎます。中京競馬場前駅の近くで東海道は名鉄線を跨ぎ,暫く国道上を歩きます。ここは織田信長が名をあげた桶狭間の古戦場の近くです。実は僕はこのあたりの地理は疎く,桶狭間はもっとずっと東だと思っていました。多分,長篠のイメージと混同していたのだと思いますが,桶狭間の位置は習った覚えがありませんでした。

桶狭間古戦場の入口と前後駅にあった鎧兜の展示(鎧は10/19撮影)
有松が近づくと東海道は国道1号線から外れ,国道と名鉄の間の道になります。有松は行政では名古屋市緑区に属しますが,旧街道然とした街並みは名古屋市内とは思えません。また,尾張藩の奨励で作られた絞りが特産で,街並み保存+絞りで観光資源にしているようです。

郵便局も古い街並みにあわせた外観。有松郵便局
有松・鳴海絞会館でトイレを借りて小休止しの後,徒歩きを続けます。東海道を歩いていると,あちこちで古い町並みは見ますが,ここ有松は古い町並みが残っている規模も大きく,名古屋の市内ということも考えると,とても不思議な所です。

有松の街並み
有松から鳴海に向かって歩いてゆくと,有松の出口のあたりには有松の一里塚(江戸から87里)があります。高速道路の高架が少々うっとうしく,結構手が入れられている感もありますが,ここもよく保存されています。

有松の一里塚
一里塚の先では踏切で名鉄と交差します。この踏切も線路の見通しがよいので,また,暫く歩を止めて鉄ちゃんです。

有松鎌研の踏切で
踏切を越えると駅勢としては左京山になりますが,街道歩きとしては平凡な一本道です。途中の大通りの交差点では市営バスを見かけます。緑区にはあまり縁がありませんでしたが,このバスは見慣れた名古屋の市営バス,東海道徒歩きもようやく名古屋に辿り着いたかと思います。そのまま暫く歩けば,名鉄の駅では鳴海に到着,鳴海宿です。

左京山あたりで名古屋市営バスを見る
ところで,今日の行程は宮宿まで歩いて,横浜の自宅に帰ります。知立を出るときは14:30までに宮宿,七里の渡しに着こうと目標設定しました。お昼を過ぎてもまだ鳴海宿なのでゆっくりしてもいられません。鳴海宿のまん中あたりでは鰻料理屋がおいしそうな煙を上げているのですが,鰻は2日前にも食べたのと時間がないのとでパスです。

鳴海宿出口の常夜灯
鳴海宿も名鉄の駅の近くで盛っているのですが,なかなか手ごろな食事場所が見つかりません。そうこうするうち西側の追分まで来てしまいました。常夜灯に案内の看板が建っていたので,これだけ撮って鳴海宿を後にします。ちょうど大きなマクドナルドがあったので,今日は不本意ながらファーストフードで食事時間を切り詰めます。

名古屋赤坪郵便局
鳴海の中心部から後は東海道は名鉄とも国道1号線とも違うルートでJR熱田駅/名鉄神宮前駅の近くの伝馬町を目指します。この通りは県道222号線ですが,片側1車線,歩道もあり歩きやすい道です。道路上には幅員減少と最高速度30km/hの標識と共に,特大の東海道の看板があります。名古屋市内では他にも税金を使うべき箇所は多く,あまり旧街道の看板や説明板は見かけないので,これは珍しいです。

県道上に立つ東海道の看板
東海道は笠寺の街並みの入口に達し,笠寺の一里塚(江戸から88里)があります。ここも一里塚はよく保存され,塚に立つ榎は樹齢400年だそうです。

笠寺一里塚
一里塚を過ぎると東海道は(本)笠寺の中心部に入ってゆきます。笠寺の由来となった笠覆寺(笠寺観音)や考古資料館もあり,この辺は古くから人が住み,栄えていたようです。神社仏閣見物を始めるときりがないので,ここも郵便局の写真だけにします。

名古屋笠寺郵便局
本笠寺駅の先で東海道は名鉄線と踏切で交差します。一昨日からずっと見てきた名鉄本線もこれが最後になるので,1本だけ鉄ちゃんします。来たのは3500系を先頭にした急行列車ですが,パノラマスーパーを待っている時間はありません。

桜~本笠寺
踏切を渡ると東海道は大きく右に曲がり呼続(よびつぎ)駅の近くまでは名鉄の線路と並行に進みます。呼続一帯は,秋田の象潟を想像しますが四方を川に囲まれた巨松の生い茂る陸の浮島だったそうです。呼続の学区には宿駅制度制定四百年記念碑がいくつか置かれていて,街道歩きの楽しみになります。

熊野三社の入口にある「宿駅制度制定四百年記念碑」

宿駅制度制定四百年記念碑
呼続からのだらだら坂をくだると東海道は再び国道1号線と合流します。その先にはJRの東海道本線があり,国道は幅の広い跨線橋でオーバークロスしますが,歩きでは側道を通って踏切で渡ります。一昨日から名鉄ばかり見てきましたが,久々のJRなので踏切に少しとどまり,1本だけ鉄ちゃんします。

久々にJRの電車を見る。笠寺~熱田
踏切を渡ると東海道は国道と別れ1本南側の道になります。ところが,この裏路地には大通りとの交差点に信号がないため,歩くのに難儀します。高架の名鉄常滑線をくぐると小さな広場があって,伝馬町の一里塚(江戸から89里)があります。阿野,有松,笠寺と立派な一里塚を見て来たので,この一里塚は少々しょぼい印象です。

伝馬町の一里塚
ここ伝馬町あたりは名古屋の駅前や栄に繁華街が移っていったので,若干寂れた感じがあります。おいしそうな煙を上げる鰻の老舗のあつた蓬莱軒の本店など限られた有名店は隆々としています。東海道は県道225号線と交差しますが,ここも通りを突っ切って歩くことはできず,迂回を強いられます。この先,ほうろく地蔵の角を左に曲がり,またまた大通りを渡るのに難儀します。

伝馬町界隈の東海道。国道のグリーンベルトが通せんぼ
国道247号線から斜めに入って行くと,今日の終点,宮宿,七里の渡しに到着です。ここは川の合流点で視界は開けますが,埋立てが進んだため,海に乗り出す乗船の地というよりはリバークルーズの桟橋のようです。

宮宿,七里の渡しの周辺
七里の渡しの周辺は公園として整備されていて,船着き場跡や鐘楼などがあります。時刻は14:40過ぎ,予定より10分遅刻ですが,まずまずの時間です。

船着き場跡の案内板
鉄道交通が発達するまでは宮宿も栄えていたようで,今は熱田荘というグループホームになっているそうですが三菱重工の社員寮などもあったようです。今日は横浜まで帰らなければいけないのでゆっくりはしていられません。ここでは20分くらい休憩して,次の徒歩きを期して引揚げにかかります。

熱田荘前を行く市営バス
来る途中で気になった老舗の和菓子屋で家への土産を買い,名古屋駅を目指します。ここから名古屋駅だとバスが適当な交通機関と思いますが,名古屋の市バスは基幹バスと基幹バスへのフィーダーサービスに整理されているので,ここから1本では行けません。JRか名鉄の駅まで歩けば1本ですが,地下鉄でも乗換えが必要で意外と面倒です。そうこう悩んでいるうちに雨が降ってきたので,一番近くに駅がある地下鉄に決めます。

川の向こうには新幹線が見える。これで帰れれば速いのですが
名古屋から新幹線を使わないこととすると,どうやって帰るか悩ましいです。3日で60km歩いたので,いささか疲れてもいるので,東海道線の鈍行を乗継ぐ気にもなりません。それで思い立ったのが東名高速のハイウェイバスです。東名高速線を通しで乗るのも久しぶり(36年ぶり)だし,時刻表を調べると新東名スーパーライナーなる直行便もあります。横浜を通り越して東京まで行ってしまうのも面倒ですが,初めてのルートを通る楽しみもありこれに決まりです。

今日のルート(歩いた部分のみ)
僕はあまり高速バスは使わないのですが,1階席はよいシートの車もあるかと1階席を予約します。乗ると定員10席に対しお客さんは5人,僕以外はみな若い女性です。バスに乗るや音楽を聴いたりゲームをしたりとスマホを離さない人達でした。ボックスシートで知らない相客に「この列車はどちらまで」などというのは別世界のようです。エアロキングの1階は熱線吸収ガラスで外も見づらく,夜の高速道路では車窓の楽しみもありません。自分もゆっくりと旅行の反省,お小遣い帳の集計などで過ごします。途中は省略して21:30過ぎ,即位の礼の臨時の祝日の前とあって交通渋滞などもなく,見事な定時運転で東京駅着です。山手線と京浜東北線を乗継げば,22:42自宅最寄りの磯子駅に帰着です。

新東名スーパーライナー。三菱エアロキングはいいけど10年前の車だ
3回に分けて東海道徒歩き,吉田宿(豊橋)~宮宿(名古屋)をお届けしました。豊橋~名古屋は昔なら新幹線でひと駅ですが,自分の足では3日がかりでちょうどでした。次は元々は海上7里のルートですが,ほぼ国道1号線に沿って25kmのルートです。その先も頑張って関宿まで進めば,ゴールの京都も視界に入ってきます。いずれにしてもあと延べ7日位で完歩できそうで,予定は決まっていませんがこの先が楽しみです。(2020.1.4記)
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>>>東海道徒歩き(かちあるき)(1)日本橋~川崎宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(2)川崎宿~藤沢宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(3)藤沢宿~小田原宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(4)小田原宿~三島宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(5)三島宿~江尻宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(6)江尻宿~日坂宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(7)日坂宿~見附宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(8)見附宿~吉田宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(9)-1 吉田宿~赤坂宿
>>>東海道徒歩き(かちあるき)(9)-2 赤坂宿~池鯉鮒宿