2020年夏のアクティビティ1--横浜から青春18きっぷで名松線を訪ねる

今年の夏はコロナ禍で外出もままならぬ毎日ですが,先日買った青春18きっぷを活用するために少しの遠出を計画します。新型コロナに感染しない,また万一気づかぬうちに感染していても他人にうつさないの万全を期してのお出かけです。行く先は三重の名松線,ちょっとワケあってタブレットの交換風景の写真が必要になったのです。

今朝も出発は早朝の根岸線。463A @磯子 2020.8.1(以下,全て同じ)
(2020年)8月1日(土),今朝も出発は早く,5:37磯子駅発の大船ゆきです。大船では12分の接続で321M沼津ゆきに,三島では8分の接続で静岡ゆきに乗換えです。その先は静岡で2分,浜松でも2分と接続はよく,東海道線を西下します。あまりに接続がよいので,道々の車中で時刻表を繰ります。東海道線で大船から名古屋までを下る乗継ぎパターンは34とおり(平日)あり,この321Mでスタートする所要時間5:08のパターンは鈍行利用の最速でした。ちなみに,夕方運転のホームライナー浜松3号を使う乗継ぎは4:43で段トツに速かったです。

東海道線の列車たち1。大船~三島の321M @小田原,三島~静岡の741M @三島
何度も通う東海道線を下る単調な旅,こんなことでもして気を紛らわせます。この34のパターンの検証で浜松から岡崎までの時間つぶしができました。車窓ではところどころに新幹線の線路が望めますが,7月から走り出したN700Sを2度ばかり見ることができました。

東海道線の列車たち2。静岡~浜松の5739M @静岡,浜松~名古屋の5117F @浜松
11:12,名古屋着。ここでは11:37の快速「みえ」まで25分の時間があります。少し早いですが,名古屋名物きしめんスタンドで昼食にします。名古屋駅は各ホームにきしめんスタンドがあり,この東海道線下りホームは東京寄りの階段の裏側です。きしめん大盛りを頼めば,てんこ盛りの鰹節の香りが嬉しいです。

住吉のきしめんスタンドときしめん
名古屋から松阪までは,快速「みえ」で下ります。この列車はJR転換早々に近鉄との競争に打って出たJR東海の看板商品ですが,早いもので登場から30年です。青春18きっぷ族やJRで通しのきっぷを持つ長距離の旅客を除けばやはりこの区間は近鉄の方が有利のようです。11:37発と中途半端な時間ということもあり,今日の「みえ7号」はたった2両編成でも空席が目立ちます。

2907D快速「みえ7号」はキハ75の2両編成 @名古屋
ところで,快速「みえ」は四日市-正しくは河原田-津間を伊勢鉄道でショートカットします。この区間のきっぷを買おうと名古屋駅の長距離きっぷ売り場に行きますが,ここのマルス端末では発券できないそうです。しかたなく隣りのJR東海ツアーズの店舗に行くと,発券できないことはないが手で発券しなければならず,11:37の列車には間に合わないようです。しかたなく,この区間のきっぷは車内発券のペラ券になりました。伊勢鉄道はJR東海とは通過連絡運輸をしていますが,きっぷの発売箇所がこんなに限定されるのは???です。JR東海が横着なのか,伊勢鉄道がJRに払う手数料を惜しんでいるのか,理由は部外の者には分かりません。

桑名で見かけた養老鉄道の電車。京急カラーにびっくり
さらに言えば,車内の盛んに「この列車は伊勢鉄道線経由です。青春18きっぷなどでは乗れません。別に運賃が必要です」と案内しています。また,列車が伊勢鉄道の区間に入ると車内改札が始まり,取はぐれはないように対策もしています。また,帰りには松阪駅でも伊勢鉄道区間分のきっぷを買おうとしますが,ここでも売れないと断られました。伊勢鉄道,JRとも一体どういう料簡なのでしょうか。

津で。私見ですが日本で一番何もない県庁所在地駅??
カミンズの350馬力エンジンのキハ75は力強く,電車のような加速で走ります。登場後27年の気動車はその騒音もすさまじく,かっ飛ばす気動車に乗るのが好きな向きには是非ともお薦めの列車だなどと思います。空いた列車で乗り鉄の醍醐味を楽しめば1:09はあっという間で,12:46,時刻表どおり松阪に着きます。

名松線は存続運動が盛んな様子 @松阪駅
松阪では23分の程よい接続で今日の目的の名松線に乗継ぎます。名松線は近鉄の路線網が発達するなか,名張を目指して工事はしたものの伊勢奥津まで開業したところで工事は中止,JR東海のなかでは屈指の赤字盲腸線です。数年前の台風被害で運休が続き,JR東海は廃止を提案したもの,沿線の熱意で存続が決まった由です。

名松線415C @家城
時間になれば運転助役がタブレットを運転士に届け,発車合図をして定刻発車です。土曜日の昼下がりの列車はガラガラで,お客さんは9人しかいません。途中,伊勢大井と家城で1人ずつが降りましたが,乗りはなしで,7人が終点伊勢奥津まででした。うち,自分も含め何人かは18きっぱーのようです。名松線の車窓はどうと言うことのない里山風景,右側には雲出川が沿います。13:46,家城着,ここで交換のため13分止まります。交換相手の上り列車は既に到着していて,穏やかな時間が流れています。こちらはタブレット閉塞器の写真を撮るのが目的なので,一生懸命駅の運転事務室の中を覗き込みます。覗き込み防止のためか,事務室は中が見えないように目隠しがされていて,写真どころではありません。仕方なく,駅舎やら交換風景の写真を撮って,時間を過ごします。

通票の交換風景 @家城
ところで,今回の名松線訪問はタブレット閉塞器の写真を撮ることが目的でした。しかし,これは事前勉強が不足で,名松線で使われている閉塞システムは松阪~家城が票券閉塞,家城~伊勢奥津がスタフ閉塞で,タブレット閉塞は使っていないのでした。何のことやら難しい話ですが,簡単に解説します。スタフ閉塞とは,ちょうど家城から伊勢奥津のような行き止まりの区間で,対向列車の心配がないときに用いられる閉塞方式で,その閉塞区間の通行証にスタフ(英語の杖)を使う方式です。タブレット閉塞は,20年くらい前までは単線のローカル線でよく見られた,閉塞区間の両端の駅の駅長がお互いに連絡しながら赤いタブレット閉塞器の箱--タブレットのタマが一どきには1こしか取り出せない仕組みになっている--を操作して閉塞を確保する閉塞方式です。票券閉塞は,スタフとタブレットの間に位置づけられる閉塞方式で,タブレット閉塞器のような複雑?な仕組み(装置)は使いませんが,両端の駅長の確認により票券という通行証を発行し,続行列車の運転を可能にしたものです。

票券とスタフでもキャリア(携行用の革袋)とタマの見た目はタブレット閉塞と変わらない。票券を入れる小袋がついている?
JR東海もよく考えたもので,名松線の輸送量ではタブレット閉塞を使わなくても,所定の列車は捌けます。タブレット閉塞自体が古い機械なので万一壊れてしまったら一大事,線路にも車両にも異常がないのに列車の運転ができなくなってします。そのリスク回避から,敢えてタブレット閉塞を使っていないと考えたら納得がゆきました。なお,スタフ閉塞でもタブレット閉塞でも国鉄~JRは砲金製の丸いタマ(タブレット)を通行証に用いていたので,これらを十把一からげにタブレットと言っても,間違いとまでは言えません。そんな訳で,タブレット閉塞器の写真を撮るという目的は空振りでしたが,古い閉塞システムの勉強にはなりました。

途中からは三重交通のバスと並走 @伊勢八知~比津?
家城を出ると,沿う川は一貫して雲出川ですが,谷幅が狭まり渓谷の趣です。ふと見ると三重交通のポンチョが対岸を走っています。慌てて携帯で調べると,津市コミュニティバス美杉地域の川上ルートという路線が名松線と並走していることが分かります。列車もコミュニティバスも本数は限られているのに,なにも同じ時間に並行して走ることはないではないかと思います。線路も道路も線形が悪くスピードは出ず,終点までほぼ並走していた感じでした。

伊勢奥津駅。観光や行楽の拠点として整備され棒駅らしからぬ規模
狭い谷筋を登り,いささかこれ以上は気動車では無理でしょうというくらいの山になり,列車は14:33,時刻表どおり終点伊勢奥津に着きます。名松線の「名」は名張の名ですが,この先どうやって名張に抜けるつもりだったのでしょうか。一志から名張は近鉄大阪線の走る青山峠経由なら37.2kmですが,伊勢奥津はこれよりかなり南で一志から名張まで60㎞位ありそうです。美杉地域はその何もない静かな山里を売りにしているようで,伊勢奥津駅は無人の棒駅ですが,観光の拠点として整備されているようです。

伊勢本街道に沿って近畿自然歩道も整備されている @伊勢奥津駅前
名松線の列車はガラガラでしたが,伊勢奥津の駅は美杉への行楽帰りのお客さんでごった返しています。人をかき分けスタンプを押し,今日の目的地なので,周辺の地図などの記念品を収集します。駅舎から出ると,目の前にはのどかな山里が広がっています。駅の左手には「かき氷」の幟のたつかき氷屋とうどん屋があって,その前にはバス停があります。かき氷屋は昔は地方の駅前にはよくありましたが,最近ではめったに見かけず,昭和の昔を思い出すシーンです。

伊勢奥津駅前風景。バス停前には専業?のかき氷屋さん
バス停の時刻表を見ると,上りも列車と似たような時刻に家城方面に行くバスがあり,見れば見るほどこのバスに乗りたくなります。いろいろサーベイすると,14:55の川上ルートの一志病院ゆきに乗れば,15:17に伊勢鎌倉駅前に着くようです。列車は15:08にここを出ますが,伊勢鎌倉は15:27発で10分先行できます。勝手が分からないので若干リスキーですが,乗り遅れても名松線の列車はまだあるので新幹線を使えば家まで帰れるでしょう。

僅かな区間だが美杉地域コミュニティバスにも乗車 @伊勢奥津
突然,伊勢奥津の出発が13分繰上がったので大忙しで,上に載せたような駅前の風景の写真を撮ります。14:55のバスは遅れていて気を揉みますが,このバスに乗る気になってしまったので15:00まではと待ちます。時刻表ではこのバスは終点の川上の到着も折返しの出発も14:44で,折返しの余裕0のダイヤです。15:00になりかけた頃,先ほど列車の中から見たのと同じ日野ポンチョがやってきました。地方のコミュニティバスのご多聞にもれず,お客さんはゼロです。伊勢鎌倉のバス停の場所などを確認し,このバスに乗ることにします。

津市美杉地域コミュニティバスの三重交通の日野ポンチョ @伊勢鎌倉
雲出川に沿う車窓は列車から見るのと変わらず,緑深い谷間です。川と道路と線路が絡み合う道を15分も走ると,旧美杉村の中心部に入ります。Aコープがあればわざわざ踏切を渡って店先につけますが,伊勢八知の駅前に停留所はなく,美杉総合支所前が最寄りのようです。列車から見えた火の谷温泉美杉リゾートが川の対岸に見え,ひと風呂浴びれたらと思います。その先でバスは県道から左にそれ人家の多い旧道を走り,県道に戻ると今度は右にそれた旧道を進みます。テープの案内放送はなく,運転士さんがここですといってバスを止めるので,伊勢鎌倉に着いたと分かります。

津市美杉地域コミュニティバスの運賃表
いつの間にかバスは遅れを挽回し,列車まで7,8分ありますが,運賃の計算に一苦労です。コミュニティバスなので運賃は行政が設定した金額ですが,これが三角表に掲げてあるだけです。停留所が運賃の切れ目になる所しか出ておらず,出張所,小学校,交差点...と余所者にはさっぱり分かりません。運転士さんも伊勢奥津から伊勢鎌倉でいくらか即答できず,三角表を眺めながらここからここまでだからと確認して,300円との仰せです。言われるままに300円を払い,楽しいバス旅のお礼をして駅に向かいます。

伊勢鎌倉駅
コミュニティバス乗車のもう一つのメリットは,駅撮りではありますが,列車の走りの写真が撮れることです。ホームに着くまではどんな写真が撮れるか期待に心がはずみます。伊勢鎌倉は目の前には田んぼの広がる棒駅ですが,典型的な名松線の車窓とも言えそうです。光線の具合は逆光で条件は良くないですが,とりあえず今日のとびらの写真はここで撮ったものです。

名松線風景 @伊勢竹沢あたり?
列車に乗れば,往きの列車で一緒だった乗り鉄,伊勢奥津で目にした行楽帰りの人々で,4分の3位の座席が埋まっています。今日は朝から夜まで座ることが多いので,ここではワンマン列車の後部の車掌台で去り行く線路を眺めて過ごします。15:42,家城着,ここでは13分止まって下り列車と交換です。タブレットの交換風景や閉塞器の撮影が今日の旅行の目的ですが,ここのは厳密にはタブレットでないのと往路にもたっぷり見たので食傷気味です。帰りは軽く流して,下り列車の写真を撮ったりで過ごします。伊勢鎌倉は逆光でしたが,こちらは理想的な陽射しです。

名松線417C @家城
家城からは部活帰りの高校生がどっと乗ってきて,車内のあちこちに立っている人がいます。後ろのデッキでも野球部の高校生がたむろし,練習後のアイスを食べながら談笑しています。ローカル線の日常風景ですが,コロナ禍の今どきマスクもせずに大声での会話は困ったものだと思ってしまいます。そう思う自分も大した用事でもないのに遠地からの移動で,全くこのコロナ禍,早く収まってほしいものです。

前日の名松線情報
そういえば今日は名松線はふつうに走っていますが,昨日の夕方は線路の陥没があったとかで,松阪~家城間が夜まで不通になっていました。寝る前に確認したら復旧したとの報なので,それを信じての旅行です。伊勢大井~伊勢川口との情報だったので目を凝らしていましたが,現場を見ることはできませんでした。そうこうするうち列車は16:34,時刻表どおり松阪に着きます。今日の旅行は名松線が目的だったので,ここからはひたすら家への帰宅の旅です。

2920D快速「みえ20号」 @松阪
松阪での接続はよく,7分で快速「みえ20号」に乗換えです。この列車はキハ75形の4両編成です。16:58の津を出れば,線路は伊勢鉄道伊勢線となり,夏の田んぼの中を快調に走ります。伊勢鉄道,旧国鉄伊勢線は,亀山まわりで遠回りかつスイッチバックしていた四日市~津を短絡し,名古屋から伊勢や南紀方面への速達を目的に建設された路線で,開業は1973年と比較的新しいです。長距離利用のための新幹線みたいな路線だから途中の町には興味ないよと言わんばかりに,立派な高架がまっすぐに続いています。

田んぼの中を一直線に進む伊勢鉄道の線路
伊勢線の僕の初乗りは国鉄時代でしたが,キハ35の2両編成の車内は僕のほかにお客さんはいませんでした。北海道のローカル線などで他にお客さんがいないことはときどきありますが,多少なりとも車窓に家がある伊勢線でのそれは意外な体験でした。今日は都市間を結ぶ快速「みえ」ですが,それでも車内はガラガラ,この1号車には2人しか乗っていません。

遠くの海沿いの近鉄線沿線は人家や工場が立ち並ぶようだ
河原田で左から来る関西本線と合流し,暫く走ると四日市です。四日市ではJR貨物のDD51が休んでいます。DD51は宗谷本線から肥薩線まで本当に全国どこでも見られた機関車ですが,今残っているのはJR東日本と西日本に工臨などのための数両とJR貨物愛知運輸区の6両だけです。見れてよかったと思いつつ,慌てて写真を撮ります。

四日市で休む愛知のDD51
四日市を出れば名古屋まであと37.2km,快速「みえ」とすれば終盤戦,最速列車は34分で走るこの区間をこの列車は43分もかかります。時刻表上の停車駅は桑名だけですが,その他に富田浜,白鳥,永和,蟹江,八田と5駅も運転停車があります。

富田浜ではDF200牽引のタンカー列車と交換
桑名を出て木曽川の河口では急行と並走,長島あたりでは「ひのとり」を見るなど,近鉄電車を見る機会が増えます。キハ85が憩う名古屋車両区を左に,名古屋都心部の高層ビル群をその向こうに見れば終点名古屋です。

名古屋車両区の向こうに高層ビル群が見えれば終点名古屋
名古屋では9分の接続で18:15の東海道線の新快速に接続です。あわよくば帰りもきしめんをすすってと考えていましたが,東海道線のホームに行くと1本前の18:00の特別快速が遅れていて,今から来るところです。豊橋での乗継ぎが3分なので,ここで予定どおりの18:15の列車を待つ度胸はありません。取り急ぎ,来た特別快速の5122Fに乗りますが,名古屋発の時点でちょうど列車1本分15分の遅れです。僅かに遅れ挽回し,19:09頃豊橋着。普段なら晩酌のビールとちくわをここで買うのですが,コンビニ横の弁当の売店でいなり寿司のセットがあるのでこれを買います。

帰りの東海道線の列車たち1。名古屋~豊橋の5122F @名古屋,豊橋~浜松の5984M @豊橋
往きの乗継ぎの大船~名古屋間5:08が速かったことは最初の方で書きましたが,帰りも豊橋3分,浜松,静岡,熱海もそれぞれ8,8,6分と接続はよく,5:19で走り切ります。帰りはパターン数が若干少なく31パターンありましたが,ホームライナーを使い平日しか成立しない5:14が最速,5:19は3番目に速い乗継ぎパターンでした。

帰りの東海道線の列車たち2。浜松~静岡の858M @浜松,静岡~熱海の1464M @静岡
こんなことで時間をつぶして,21:06,静岡着。駅そばのスタンドはとうに閉店の様子です。静岡からの1464Mは今夜最後の丹那トンネルを抜ける上り列車ですが,JR東海名物,恐怖の便所なし211系2+3の5両編成です。静岡~熱海は所要1:15ですが,トイレに行きたくなることもなく,22:29,熱海に着きます。

帰りのJR東日本の列車たち。熱海~大船の730M @熱海,大船~磯子の2322A @磯子
熱海ではサラダでも買ってこようと駅前のコンビニを覗きますが,土曜の晩でレジが大行列,6分での買い物は難しそうなので諦めです。ホームに戻れば,電車はJR東日本のE233系,ボックスシート,トイレ付,ガラガラの車内は天国です。豊橋で買ったいなり寿司で遅い夕食です。大船からは根岸線の上野ゆきに乗れば,24:03,無事,自宅最寄りの磯子駅に帰り着きます。24:00を越えてしまいましたが,東京近郊の電車区間の特例により昨日の青春18きっぷでもセーフです。

今日の行程表
今日の行程はコミュニティバスに乗りたくて少し予定と変わりましたが,基本的には磯子~伊勢奥津往復の旅です。往きが8:56,帰りが8:55と1分しか違いません。乗り鉄の旅行は何度もしていますが,こんなにぴったりバランスする行程は珍しいです。また,磯子~伊勢奥津は片道438.8km(この他,伊勢鉄道22.3㎞),往復で877.6kmですが,このくらいが青春18きっぷ1回分で旅行できる限界です。

お約束?のGPSログ。今日は単純往復なので簡単です
コロナ禍の外出自粛に限りなく近い土曜日でしたが,タブレット閉塞の取材のためと理由をつけて,日帰り旅行に行ってきました。タブレット閉塞器自体は空振りでしたが,JR東海きってのローカル線・名松線に乗ることができました。名松線は古い閉塞システムをはじめとして,昭和の時代の日本の山里を感じるのどかなローカル線です。青春18きっぷの限界に挑戦で,また行ってみたいと思わせる楽しい日帰り旅行でした。早くにこんな旅行が誰にも遠慮せず行ける日が来るのを期して,今日の記事の終わりとします。(2020.9.19記)
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県外への外出解禁の6月,東京アドベンチャーライン(青梅線・五日市線)に行ってきました

(2020年)6月下旬,緊急事態宣言も解けたので,お天気は梅雨空でしたが青梅線,五日市線--最近は2つまとめて東京アドベンチャーラインと呼ぶらしい--に行ってきました。旅行の目的はちょっとワケあって,誘導信号により列車を併合するシーンの写真を撮りたかったのです。
列車の併合シーンは福島駅の「やまびこ」+「つばさ」などいくらでもあるのですが,横浜の自宅から手軽に出掛けられるところを探したら拝島になりました。自宅の近くなら平塚や逗子でも増結車の解結はありますが,客扱いをしている列車同士となると見られる箇所は限られます。拝島では朝に青梅線から来た列車と八高線・高麗川から来た列車の,土休日の夕方にはホリデー快速,青梅線の「おくたま」号と五日市線の「あきがわ」号の併合が見られます。この2つが目的なので昼間の時間はフリーですが,せっかく奥多摩の近くに行くので有効に過ごすよう旅程を組みます。なお,使ったきっぷっは休日お出かけパスです。

当日の行程表
140円旅行に出掛けた次の週末,6月27日(土)の朝は5:29の根岸線上り列車で出発です。僕の旅行は早朝発が多いですが,すき好んでのことではなく,仕方なくの早起きです。八高線から直通の東京ゆきは土休日ダイヤでは高麗川発7:14の3718E~718Hの1本だけ,この列車の拝島着に合わせると,この時間になってしまうのです。途中,東神奈川,八王子で乗換え,箱根ヶ崎には7:24に着きます。

箱根ヶ崎は瑞穂町の玄関 @箱根ヶ崎駅 2020.6.27(以下,全て同じ)
箱根ヶ崎ではお目当ての3718Eの7:35まで11分あります。今日は140円旅行と違って改札から出られるので,駅の周囲を見分します。箱根ヶ崎は東京都西多摩郡瑞穂町にある唯一の鉄道駅なので,地方の市の玄関駅のような特産品の展示もあります。瑞穂町は南のほう1/8は横田基地で,僕のイメージは基地の町ですが,ダルマや狭山茶なども産するようです。

八高線3718E。土休日ダイヤでは1本だけの高麗川からの青梅特快東京ゆき @東福生
7:35,3718Eは時刻表どおり箱根ヶ崎を発車,途中,東福生でも交換で3分くらい止まります。東福生を出ると拝島駅の場内信号で一旦停車します。青梅線の下り列車が通り過ぎた後,お目当ての誘導信号が点灯します。ATS-Pのチンベルが鳴って,警笛一声のあと徐行運転で拝島駅に進入します。

拝島駅の場内信号。八高線からは全てのホームに入れる配線で賑やか。「五場」の下の斜めの2灯が誘導信号
拝島駅では併合する電車の5m位手前で一旦停車します。これは併合作業の常ですが,拝島では構内専門の運転士さんが乗ってきて,この残り5mを運転します。本線を運転する運転士さんがこの作業ができないということはないと思いますが,今のJR東日本でどういう役割分担のなのか,不思議な作業です。これらの一連の作業の写真を撮れば,朝のひと仕事は完了です。時間もあるのでこの青梅特快で立川まで上ります。

既に先着列車のいるホームに向かい誘導の手旗に従ってしずしず進む @拝島
立川では8分の接続で「ホリデー快速おくたま3号」に乗換え,今来た青梅線を奥多摩に向けて下ります。そういえば,この「おくたま」号は臨時列車,6月中の臨時列車は全て運休?とアナウンスされていたので,今日のこの列車が走るのか確認をしたときのこと書きます。僕の感覚では,この列車が走るかといった運転上の内容は沿線で運転を取扱う駅が一番と思い,拝島駅への確認を試みました。インターネットをかなり探し回りましたが,拝島駅の電話は西武の駅しか見当たらず,JR東日本の駅の電話は探し出せませんでした。仕方なく「JR東日本お問い合わせセンター」に電話をすれば,その列車は運転されますと大変丁寧な案内ですが回答をもらうのに6分半かかりました。拝島駅に直接訊けば1分はかからないだろうと思います。駅業務も効率化が進み,利用者のちょっとした時刻や運賃の照会などは集約した方が効率的なのでしょうが,これはばかりは何ともでした。

「ホリデー快速おくたま・あきがわ3号」。昔はヘッドマークが付いたが今はカラーのLED表示のみ @立川
青梅線は青梅あたりまでは会社の同僚の通勤圏だし,都バスの旅などでも訪れていますが,その先は久々の乗車です。県境越えの移動自粛が解禁になったといっても,まだ人出は戻っておらず,今日のホリデー快速は立川からでも座れる程度の入りです。奥多摩では3分の折返し,9:20の上り列車で1駅,白丸まで戻ります。

白丸~数馬峡周辺~遊歩道案内図
青梅から先の青梅線の車窓はずっと左手に多摩川が続きますが,白丸ダムの上流は数馬峡という渓谷になっています。鳩ノ巣~奥多摩には川沿いの遊歩道もありますが,今日は大雨の影響で通行止めです。川の北側を走る線路は景色はとてもよいのですが,写真を撮れる個所は少ないです。ネットでサーベイして訪れたのは白丸駅からも程近い,数馬峡に架かる橋(数馬峡橋)の上です。ここで数本の列車を撮った後,気持ちよい気候なので鳩ノ巣駅まで歩きます。

奥多摩数馬峡をゆく青梅線電車 @鳩ノ巣~白丸
道路は国道411号線,青梅街道ですが交通量は少ないです。白丸~鳩ノ巣には白丸ダムがあり,白丸湖や鳩ノ巣渓谷の景色も楽しめます。

白丸ダムより下流,鳩ノ巣渓谷
鳩ノ巣からは10:35の列車に乗る予定でしたが,せっせと歩いたので20分くらい早くに駅に着きます。駅入り口の踏切ではちょうど東京アドベンチャーラインのラッピング電車を撮ることができました。この電車はリスやモモンガなどの森の仲間のシート地に,床にもたくさんのシールが貼ってあり,車外のラッピングは控え目ですが,車内はかなり賑やかです。

東京アドベンチャーラインのラッピング電車。青463編成とその車内 @鳩ノ巣
鳩ノ巣駅は戦時中の1944(昭和19)年の青梅線奥多摩開業時に開業の駅ですが,ハイキング等の利用も意識したのか,木造の風情のある駅舎です。駅に入って跨線橋をおりれば,紫陽花(あじさい)がちょうど見頃です。先ほど写真を撮ったラッピング電車が戻ってきて,この電車に乗ることができます。

鳩ノ巣風景。紫陽花が見ごろの上りホームと1944年築の駅舎
約20分の乗車で10:54,次の下車駅の軍畑に到着です。軍畑はEF64,その昔はED16の時代から「軍畑の鉄橋」(正式な名前は奥沢橋梁)で有名です。この撮影地はアクセスがよく,軍畑駅で下りれば踏切を渡ってすぐです。駅近くで撮った写真が今日のとびらの1枚です。せっかくなのでもう少し足を延ばし,駅下の青梅街道の方へ歩いてみます。多摩川には新しく立派な軍畑大橋が架かり,ここからも鉄橋は見えますが,下の道路の電柱が少々うるさいです。

軍畑の鉄橋。1980年4月の同じ場所はこちら。比べると随分森が深くなったようです
青梅街道を歩いているとちょうど梅01系統,玉堂美術館方面のバスが来ます。このバスは土日しか走らず,去年,青梅の都バスに乗りに来た日は見ることもできませんでした。このバスの乗車もちょっと心が動きましたが,後の予定も大体計画済なので,写真だけにしておきます。

青梅街道でたまたま見た梅01系統のバス。週末のみ1日8本のレアもの。バスはE代のエルガでかなり新しい
軍畑には約1時間滞在し,11:54の上り列車で軍畑を後にします。

軍畑の駅舎は最近改築されたようで新しい
15分の乗車で12:09,青梅に着きます。青梅はなんとなくレトロ感が漂い,それを街のウリにしています。駅の本屋も1924(大正3)年築で元の青梅電気鉄道の本社ビル,改札内の地下通路も映画の広告を模した飾りで昭和の時代のようです。当初,青梅は沿線随一の町ですが...と書いたのですが,乗車人員数で見る限りは少し東京寄りの河辺の半分以下,最近は東青梅よりも少なくなっていて,沿線随一は当たっていないようです。

青梅駅の地下道は昭和の時代のよう
コロナ禍の感染予防を考えると昼食の摂り方を考えてしまいますが,駅を出るとすぐ横にモスバーガーが構えているので,思わずここに入ります。実はスパイシーモスチーズバーガーが好きなのです。

青梅の駅舎。1924年に青梅電気鉄道30周年の事業で建てたものらしい
さて,今日の午後のアクティビティですが,青梅まで来たので先ずは青梅鉄道公園を訪ねます。ここは鉄道開業90周年を記念して1962(昭和37)年に開園した施設で,実物の鉄道車両11両を保存展示しています。僕は多分今日が3回目ですが,初回は高校生のときです。当時の困窮した国鉄財政から展示物の整備もままならず,裏山の土砂崩れなどもありひどい状態だったと記憶します。前回はジュニアが子供のときの10数年前でした。勝手は大体分かっているつもりですが,今日は再度,実物の蒸気機関車に触れてみたいと思っての訪問です。

入り口ではSLの代名詞D51が迎えてくれる
青梅鉄道公園は青梅駅から直線では460mしか離れていませんが,永山の運動公園の坂を登る15分弱の行程はこの蒸暑い時期には結構きついです。公園に着けば東日本鉄道文化財団の職員とD51が迎えてくれます。コロナ禍対策で屋外展示のみで建物内のジオラマ等の見学はできないけどよいかと確認されます。建物内の展示は大したことはないので,外の実物の見学だけで十分で,入園券100円を買います。

園内の1等地のクモハ40054
入場口を通って園庭に出れば,先ほどのD51とクモハ40が視界が眼に入ります。クモハ40は戦前の1935(昭和10)年製の国電で,青梅線を含む各地で使用の後,国府津電車区の職員輸送用に使われていたもので2007年に青梅入りしたそうです。それまではこの場所(屋根付の1等地)には今,鉄道博物館にいるC51-5が展示されていたそうです。

地方ローカル線で活躍したタンク機C11-1

板谷峠,後には北陸本線の交直接続区間で活躍したE10-2
クモハ40の裏に回ればタンク機が2両います。C11は381両も製作され,現在も各地に動態保存機のあるC11のトップナンバーです。E10は板谷峠に縁があるといえば僕的には興味はあるものの,たった5両しか製作されなかった稀少な機関車の1両です。少数機ゆえの使いづらさから第2の職場も追われ,たった14年で廃車になりましたが,たまたまその年にこの公園が開園したので命拾いしたようです。

大正の名機8620。きざんだ番号ですがこれがトップナンバーのはず

大正の名機9600。こちらは9600ではなく9608
園の右手にはもう一かたまり蒸気機関車がいます。左側の2両に比べると古い機関車で,僕もよく分からないので古典機として括っています。ただ,8620と9600があったのは再発見です。これらは大正の名機といわれ,前者は旅客用,JR九州のあそぼーいなどの牽引機にもなっている8620のトップナンバーです。後者の9600は貨物用で,SLの本当の末期,北海道の追分機関区で最後まで運用されたのが大正生まれの9600だったと記憶します。

その他の古典機たち。屋外ですが屋根付で保存環境としては悪くない
古典機の一群の隣には電気機関車ED16があります。ED16は奥多摩から産出する石灰石輸送に活躍し,昭和の末期まで青梅線で活躍していました。元をたどれば,大正末期,電気機関車はたくさんの形式を少数ずつ輸入して技術導入が図られ,昭和初期には純国産で電気機関車を設計,製作できるようになりました。その嚆矢が1928(昭和3)年登場のEF52ですが,それに続いて1931(昭和6)年に製作された勾配線区用のD級機がこのED16です。そんな純国産の嚆矢という技術的価値から,重要文化財にも指定されています。

ED16-1。国指定重要文化財/準鉄道記念物
鉄道公園という場所柄,新幹線も必要と考えたのか,園の裏庭のような一段低くなったところには新幹線0系の先頭車が1両置かれています。僕にとってはあってもなくても変わらない存在ですが,やはり新幹線電車,今日来園の家族連れには人気のようです。

新幹線0系22-75
上の写真を撮りながら園内を一巡りして所要時間は20分強でした。ある程度分かっていたので駆け足で回りましたが,大正時代の古典機で収蔵品も思っていたより充実,そして何より各機関車の保存状態が良くなったことは喜ばしいです。滞在時間は短くても十分鉄道車両の展示施設としては堪能できました。入り口の係のかたにお礼を言って,鉄道公園を後にします。

澤乃井園の近くでは多摩川の川縁まで下りられる
元々の予定は3時ごろまで青梅でゆっくりでしたが,鉄道公園を速攻で片づけたので,もう1つアクティビティがこなせそうです。澤乃井は多摩地区では有名な日本酒のブランドですが醸造元の小澤酒造が沢井駅の近くでちょっとした観光施設をやっています。次はこの澤乃井園を覗いてみることにします。13:21の奥多摩ゆき列車に乗れば,13分で沢井に着きます。

澤乃井園の園内。作りたての日本酒を試飲できる
青梅線から見る多摩川は高い位置から見下ろすのが常ですが,ここ澤乃井園の近くは水面と地面が比較的近く,園の少し上流では川面まで下りることができます。多摩川の川面を眺めた後は澤乃井園に戻り,今日の土産に日本酒を買います。本当はできたての日本酒を一杯飲みたいところですが,帰りの行程が今日のミニトリップの主目的なので土産で我慢です。直売場に行けば純米酒,吟醸酒などなどおそろしく種類があって目移りしますが,値段とバランスのとれたあたりを見繕います。

道路の反対側,澤乃井の醸造場
道路の反対側には蔵元の工場があります。見学ツアーもあるようですが,今日は時間のかかるアクティビティはパスです。今度またじっくり見学したいと思います。駅に戻れば14:00過ぎ,まだ帰りの列車まで1時間くらいあります。

御嶽駅前から見た多摩川
14:04の列車に乗って,また更に1駅下り御嶽に行きます。ここは御嶽登山のケーブルカーへの接続駅です。駅前には多摩川に架かる橋があり,滔々と流れる多摩川を眺めることができます。上流側には雲取山などの奥秩父の山々が煙っています。以前から雲取山には登ってみたいと思っていますが,今年の夏シーズンはちょっと難しそうです。

御嶽駅。左の社殿づくりの建物が駅舎
タイトルには東京アドベンチャーラインと書きましたが,今日はアドベンチャーラインらしいことは何もしていません。今度は御嶽登山,多摩川べりでバーベキューなどやってみたいと思います。今日は朝から4つアクティビティをこなしているので,大満足で帰途に就きます。御嶽14:26の列車に乗れば14:43には青梅着,50分の東京ゆきがあるので予定より1本早いですがこの列車で拝島まで上ります。

「ホリデー快速あきがわ2号」 @武蔵五日市
拝島からは15:29の五日市線の列車で武蔵五日市を目指します。「ホリデー快速あきがわ号」は秋川地域のハイキングなどを対象にした臨時列車ですが,毎週末運転なので,ふつうに土休日ダイヤに組み入れられているようです。列車番号こそ8513Hとホリデー快速の送り込み列車ですが,拝島~武蔵五日市の様子はふつうの休日の行楽帰りの定期列車と変わりありません。

再度,拝島での併合風景。線路の先には併合相手の「おくたま」号が見える
武蔵五日市では8分の折返しで,この電車が「ホリデー快速あきがわ2号」になります。帰りはカブリツキの要があるので,場所確保のためにウロチョロせずにいます。4両編成の列車は新宿・東京直通の便利さもあり,10両編成の青梅線の列車より随分混んでいるようです。約20分で今日5回目の拝島に着きます。拝島では今日のミニトリップの目的の「あきがわ」号と「おくたま」号の併合の様子の写真を撮ります。朝と同様に5m位手前で停車,運転士さんが交代し,ガッシャン連結が済めば今日の目的は完了です。

今日2度目の連結風景。手旗の誘導でしずしず進む
拝島では前側の「おくたま号」に移り,座席を見つけます。立川からは南武線も横浜線もかったるいので,このまま新宿まで乗ってしまいます。新宿では3分の接続で湘南新宿ラインの列車,それも新宿~横浜間29分運転の最速の特別快速があり,これに乗れれば随分遠回りですが一番早く横浜に着くのです。

桜木町駅新南口改札。IC専用改札なので,紙のきっぷの休日お出かけパスでは通れない
幸い新宿から予定の特別快速に乗ることができ,17:30前には横浜に着きます。今日はもう一つ桜木町に寄って,今日オープンの新南口改札,駅ビル「CIAL桜木町ANNEX」にできた「旧横ギャラリー」を見ます。新南口改札ですが,IC専用改札口で,今日の紙のきっぷの休日お出かけパスでは出場できません。50円も余計に払って,不便を強いられるのは我慢ならないですが,JRとしてはそうまでしてでもIC化を推進したいのでしょう。

新しい桜木町の駅ビル「CIAL桜木町ANNEX」
従来の改札へ廻って,新しい駅ビルの1階のエントランスホールの「旧横ギャラリー」を覗きます。ここは鉄道発祥の地,初代横浜駅にちなんで整備され,鉄道記念物の110形蒸気機関車に牽かれた鉄道開業時のマッチ箱客車2両が展示されています。奇遇というか,この機関車は先ほど行った青梅鉄道公園に展示されていたものを整備して移設したものです。1872(明治5)年の鉄道開業に際し鉄道院は5形式10両の機関車を輸入しましたが,そのうちの1両,最も小柄な機関車だったそうです。なお,後ろに連結されている客車はこの度の展示に合わせてしつらえたレプリカです。

「旧横ギャラリー」の110形+マッチ箱客車
ギャラリーには車両のほか実物大の信号機,鉄道開業当時の駅のジオラマ,鉄道開業にかかわった人々の解説,ちょっとした用品や制服などの展示があります。博物館のような品揃えはありませんが,待ち合わせのついでなどにちょっと見る程度なら,誰でも楽しめる内容です。鉄道友の会の情報誌でも取り上げていましたが,専門の人が見ても評価が高いようです。

CIAL桜木町ANNEX 1階の展示品など
朝から夕方まで今日も一日楽しみました。途中にも書いたようにアドベンチャーラインらしいことはしていませんが,十分に楽しめた一日でした。この後は梅雨本番で外出しても面白くない気候,その後は感染症再拡大で外出もままならぬ毎日です。次はいつどこへ行けるのやら,感染症の終息と次の旅行の成果を祈りつつの6月27日の報告を終わります。(2020.8.16記)
鉄道のイロハ(3)--JRの路線の名前,線路名称公告と線路の戸籍(追補)

以前,3年くらい前に「線路名称公告」について書きましたが,今日はその続きで現在の「線路名称」について書きます。
僕の勤める会社は製造業で,夏の一番暑い時期は屋外作業がきついので毎年1週間の夏休みがありますが,今年はオリンピック対策もあり超特大の11連休の日程が組まれていました。しかし,このコロナ禍でオリンピックは中止,旅行もできず巣ごもりの毎日です。以前から気になっていて,ちょっと時間のかかる仕事をしようと,最新の「線路名称」を集めることに取組みました。
JR各社はしっかりとしたwebの問合せページを持っているので,以前はここからリクエストしようと考えていました。今回は時間もあったので,他者にモノの送付を頼むのにwebでは失礼だろうと,敢えて文書での依頼にしました。コピー代だってかかるので,返信用封筒のほかコピー代相当の切手も入れて,自分なりにできる限りの準備をしたつもりです。ところが,自分の会社でも在宅勤務が増え会社に行くのは週に2回程度なので,JR各社の背広組も同様と思われ,この時期に文書でお願いをしたのは却って迷惑だったかもしれません。11連休中に回収など夢のまた夢,約1か月を要してしまいましたが,6つのJR旅客鉄道会社とも大変丁寧な回答が返ってきました。こんな場ではありますが,お礼いたします。
そういえば,添付した切手も6社ともそのまま返ってきました。JR程度の規模の会社になると,へんに手間賃として受け取っても,コンプライアンスや会計処理に困るのでしょう。ちょっと気遣い過剰だったと思われ,勉強になりました。
さて,各社の「線路名称」ですが,「線路名称」そのものを入手できたのは6社中3社でした。JR東日本を除く上場会社は,有価証券報告書(有報)や事業報告で開示しているので,これを参照くださいとの回答でした。厳密には「線路名称」ではないのですが,各社から正式に得た回答なので,実際は多少違っていても,この記事では「線路名称」と等価として扱います。「線路名称」と似た情報として,国土交通省鉄道局監修の「鉄道要覧」(電気車研究会 年次刊)という資料がありますが,起点と終点が逆のケースがあります。有報を参照しても「線路名称」と一致しているかは分からず,同一事業者でも有報と事業報告で不一致だった例もありました。
有報や事業報告は通常は決算期ごとに作られますが,「線路名称」は新線の開業や路線の廃止などにより変更されるものなので,その差の期間はどうするつもりなのでしょうか。「線路名称」を出したがらない理由は何なのか,今一つ理解できません。一方,「線路名称」は基本的には線路の名称と区間(起点と終点)の情報ですが,有報などでは営業キロ,駅数,電化方式などの情報も載っていて,「鉄道要覧」に近い情報も開示されています。出せば出したでヒマなマニアからここが不一致だと指摘されたり面倒なのがおちなので,消極的になるのも分からないではありません。

国鉄時代の「線路名称」の幹線
次に今の「線路名称」の特徴ですが,会社ごとに変えてきていることがあります。原スレッドで書いたとおり,国鉄時代の「線路名称」は全国の路線を34の幹線グループに分けていましたが,そのグループ分けを踏襲しているのは,JR北海道とJR東日本,JR四国のようです。他の3社は幹線と傘下の支線という区分をなくしてしまったようです。更に,JR西日本とJR四国は線路の名称自体でも本線をやめてしまって,単に山陽線とか予讃線という名称を使っています。残りのJR東海とJR九州は中間で,グループの考えはありませんが線路の名称には本線が残っていて,東海道本線,鹿児島本線という名称です。なお,JR四国は線路名称に「本」は付けませんが,一覧表は昔の幹線グループごとに区切られていて扱いはグレー,JR東海,JR西日本,JR九州は厳密には「線路名称」以外の文書なので,これらも正確なところは分かりません。

直近の「線路名称」の改訂のあった北海道医療大学駅 2019.12.30
以下は簡単に会社ごとの感想になります。先ずJR北海道ですが,ここは直近の「線路名称」の改訂があったばかりのせいか対応も早く,1番に3/25付の「北海道旅客鉄道株式会社線路名称の一部改正について」という文書を受け取りました。札沼線の末端区間を5/6付で廃止する計画をたてたが,4/17にコロナ禍の緊急事態宣言を受けての廃止繰上げ(4/18以降は運休扱い)となってしまったのは記憶に新しいです。また,JR北海道の「線路名称」を手にした時の実感は,随分寂しくなってしまったな...でした。僕が道内の国鉄線を完乗した時は確か3,900kmあったと思うので,今はその6割くらいになってしまいました。

代々木~新宿は誰のもの?「線路名称」上は山手線の区間 2017.11.3
JR東日本は回答の到着が最後で気を揉みましたが,「線路名称」自体の送付でした。それ以外の点も含めて,僕の依頼内容に一番忠実な回答内容で,さすがJR東日本というところでした。JTBの時刻表では趣味者のための情報か「営業キロと駅数データ」という情報がありますが,僕が「線路名称」から集計した会社合計と0.7km合いませんでした。「線路名称」では代々木~新宿(0.7㎞)を山手線と定義していますが,時刻表の集計はここを中央本線でもカウントしているのではと睨んでますが,正しいところは分かりません(時刻表の会社計は合計しか出ていないため)。

JR東海の身延線はなぜか甲府を起点側に書いている @甲府 2019.11.24
JR東海は2番目の回答到着でしたが,有報に記載しているのでこれを参照くださいとの案内でした。2番目の到着だったこともあり,やっぱりJR東海はドライだな...が感想でした。ドライでも何でも情報が得られれば問題はありません。有報の記述ではなぜか左側(起点側)が甲府で,おやっと思います。身延線は東海道線グループの線区だし,JR東海から見ても富士側が起点と考えられます。

おおさか東線は鴫野~放出間は片町線の扱いで「線路名称」上は切れている @放出 2019.3.23
JR西日本は,回答は電子でも構いません(むしろ歓迎)として依頼したのに対して,電子で回答をくれた唯一の会社です。別途,切手の返却の郵送もあり,早くの回答を意識してのことで好感度抜群です。この会社は有報のほかに「データで見るJR西日本」という事業報告も開示していて,これを案内されました。一方,有報にも線路ごとの区間や営業キロ,駅数,電化方式などの記載がありますが,これは五十音順の並びで,「データで見る...」と有報で微妙に内容が異なっています。

内子ルート開業直後の急行「うわじま」 1986.7~8月
JR四国は非上場なので有報はなく,「線路名称」での回答です。しかし,四国地区は動きが少ないので,随分古い資料のコピーを送ってくれたようです。ざらついたコピーと共に,送付案内状で「四国旅客鉄道株式会社公告第11号」と相違ないとのことで,念の入った対応です。四国では,土讃本線の末端部を土讃本線にせず中村線としていたばかりに収支係数が振るわず土佐くろしお鉄道に転換することになったこと,予讃線の内子ルートは実態として予讃線のメインルートであるにも拘わらず地方交通線の内子線のままであることなど,「線路名称」に翻弄された会社ともいえます。地方交通線に関する法律的な制約もあって簡単ではないそうですが,早くの整理が望まれます。

肥薩線の急行「えびの」 1987.7~8月
JR九州は回答の送り方がとても丁寧だったという印象です。有報にも記載はあるのですが,営業データ/線区別ご利用状況での案内でした。この情報は線路名称より細かい区間,例えば篠栗線ならば吉塚~篠栗,篠栗~桂川に分かれているので,線区計にあたる行を明示するなど手の込んだ回答でした。その他,文書の出し方などでも一番手がかかっているのがJR九州でした。「線路名称」自体に関してはとくにコメントする事項は見当たりませんでした。九州は今般の大雨被害が深刻で,球磨川の車窓が美しい肥薩線も大変なことになっていることと思います。随分古い写真ですが,早くの復旧をお祈りして在りし日の急行「えびの」の写真を載せておきます。
3年越しになってしまいましたが,ようやく現時点のJR6社の「線路名称」をまとめることができました。最近は「乗り鉄」も趣味として認知され,乗りつぶしのための消込み表やガイドブックも書店に多数並んでいます。今更ではありますが,6社分の情報を1表にまとめたので,その一覧もアップしておきます。本来,「線路名称」とは名称と区間だけのものですが,定量的なものがないと乗りつぶしの励みにならないので営業キロをつけてあります。

JR旅客鉄道会社6社の線路名称(全体はこちら。右クリックで「名前を付けてリンク先を保存」後,接尾辞を.PDFにリネームしてから開いてください)
新線の開業や路線の廃止はニュースになるし,時刻表にも載るのでフォローできますが,線形改良による営業キロの変更などは全てをフォローするのが大変です。どこまで続けられるか分かりませんが,今後も逐次更新したいと今は思っています。(2020.8.29記)
追補の追です。
身延線の起点(甲府)と終点(富士)について「おやっ」と書きましたが,その後の情報収集で以下が分かりました。JRの路線の名前の情報源として,鉄道院時代から脈々と続く「線路名称」のほか鉄道要覧について触れましたが,もう一つ大事なものがありました。鉄道事業法に基づいて,鉄道事業者が監督官庁たる国土交通省に提出する「鉄道事業基本計画」という文書があります。この文書では営業線区は単に五十音順に並び,盲腸線以外では東京に近いほうを起点,遠いほうを終点に書くそうです。中央官庁の霞が関至上主義が垣間見える気がします。そのルールによれば,甲府:東京起点134.1km,富士:同146.2kmなので,甲府が起点になるようです。似たような例は他にもあり,田沢湖線(盛岡:535.3km,大曲:奥羽本線経由で519.8km,ゆえに大曲が起点,有報は逆の表示)なども「事業基本計画」と「線路名称」で起終点がが逆転しているそうです。JR西日本は事業報告の「データで見る西日本」は「線路名称」を踏襲するJR西日本改良版,有報は「鉄道事業基本計画」の順のようで,きちんと使い分けているようです。逆に言えば,線路の名前ごときことで,こんな使い分けをしなければならないのは事業者には迷惑な話です。役所が何と言おうが,「線路名称」はコレとJR各社が積極的に開示すれば,徐々に馴染むようになると考えるのは自分だけでしょうか。(2020.9.10記)
更に追です。
JTBの大判時刻表には黄色のお知らせページの最後に「営業キロと駅数データ」という情報があり,僕が各社の線路名称等から集計した会社別合計とJR東日本で0.7km,JR西日本で1.6km一致しませんでした。とても気持ちが悪いので,勇気を出して版元のJTBパブリッシングに照会してみました。ご担当者はとても真摯に対応してくださり,JR東日本分は上に書いた代々木~新宿ではなく,他の線区での集計間違いであることが判りました。単純なミスがたまたま0.7kmだったのでとんだ勘違いをして,ご迷惑をおかけしてしまいました。
一方,JR西日本分は,僕はJR西日本の開示情報をもとに鴫野~放出間を片町線だけでカウントしているのに対し,JTB時刻表は鉄道要覧をもとに片町線,おおさか東線の二重戸籍としてカウントしている(注記にも明示)からです。差異の理由がハッキリしたのはよいのですが,ポリシーの違いなのでこの差の解消は難しいです。国土交通省が二重戸籍を容認しJR西日本が追随するか,鉄道要覧--これも国土交通省監修--がポリシーを改め二重戸籍を解消するか,面倒な話です。知れば知るほど線路名称の周囲には厄介も多いですが,興味も尽きません。
なお,ページの下の方にリンクをおいている一覧表はJTB時刻表とは1.6kmの差をもったままですが修正済です。(2020.9.17記)
もとの記事:鉄道のイロハ(3)--JRの路線の名前,線路名称公告と線路の戸籍