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2021-04

キハ40の思い出・その2

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札沼線末端区間を行くキハ40 @浦臼 2019.12.30

その1から

 (2021年)3月13日(土)のダイヤ改正でJR東日本のキハ40系(正しくはキハ40系という系列はなくキハ40,キハ47,キハ48の40番台形式の気動車を総称する俗称。以降,「系」は省略)が一般の営業列車から引退しました。これを契機にキハ40の思い出を書いていますが,今日はその2として各種の改造や,今の状況などについて書きます。今回も前回同様,網羅的な研究というよりは,そうだったよね~という思い出の共有ができればと思います。

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在りし日のキハ40 @会津川口 1991.8

 キハ40の泣き所は重い車体と低出力機関による加速性能の悪さとクーラーがないための夏場の暑さだったことはその1に書きました。1987年,国鉄がJRに移行するとさっそくキハ40の冷房改造が始まります。機関出力に余裕がないので,初期の冷房改造は発電用のサブエンジンを搭載する手法でした。下に書きますが機関の換装が行われるようになると出力に余裕ができるので,冷房化と抱合わせで改造されることも多かったようです。なお,鹿児島の指宿枕崎線用のキハ40は降灰対策もあって国鉄時代の1986~7年に冷房改造されたそうです。

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JR北海道のキハ400 @稚内 1989.8

 利用者の快適性に直結する冷房化の次はパワーアップです。パワーアップの嚆矢はJR北海道で,当時,客車で運転されていた宗谷線の急行「宗谷」,「利尻」,「天北」をキハ40に置換えるものでした。主機を特急用のキハ183-550台と同じDMF13HZ(330PS/2,000rpm)に換装し,車内の設備も回転式リクライニングシートにしたもので,形式もキハ400(両運転台),キハ480(片運転台)を名乗りました。札幌都市圏を711系電車と伍して力走する際の加速力は確かにキハ40とは別物の感がありました。一方,ボックスシート用の車体に回転式リクライニングシートをつけたので,窓と座席があっていなくて,景色のよい席を探すのに苦労しました。

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名寄で並ぶキハ40とキハ400 1990.3

 これ以降,JR各社で機関の換装が盛んに行なわれ,鈍重で暑いキハ40はそこそこ快適なローカル線用気動車に変わってきました。登場時の主機DMF15HSAは220PS/1,600rpmが定格でしたが,上に書いたDMF13HZのほか,カミンズDMF14HZ(350PS/2,000rpm),コマツSA6D125H-1A/HD1/HE-1(300・330・355・360PS/2,000rpm)などの機関への換装が盛んに行なわれました。主機のほか変速機も換装され,JR北海道,JR東海,JR西日本,JR九州では各社の事情でいろいろな変速機に換装されています。一方,JR東日本は変速機はオリジナルのDW10のままで,エンジン出力を300PSに下げて使っていたそうです。また,JR西日本では355PSのコマツSA6D系のエンジンに換装しましたが,在来の車両との併結を考慮し265PSに制限して使うケースもあるそうです(使用線区の他車の改造が済んだら355PSに戻すが,一部には265PSのままの車両もある)。

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九州ではキハ140や147を名乗る一党もいる @表木山 2014.2.23

 キハ40の主機のDMF15HSAは昭和40年代の設計で燃料噴射ポンプは機械式,副燃焼室を持つタイプでした。機関丸ごと交換しなくても,副燃焼室のない直噴式に改造することもあるようで,JR四国は専らこの手法でパワーアップを図っているようです。JR九州で施行された例では,直噴化のほか燃料ポンプを電子制御式にする改造と過給機の交換も行なって300PS/2,000rpmに増強できたそうです(DMF15HZA-P)。これらの改造をした際,JR東海などは番号区分を変えて識別しましたが,JR東日本などは番号を変えていないので,なかなか分かりずらいです。ところで,国鉄~JRの機関形式ですが似たような形式で分かりずらくて仕方ありません。ディーゼル機関を表すDMの次の英字はシリンダ数でFなら6気筒,次の数字は排気量で15は15リットルです。後ろの英字はHは横型,Sは過給機つき,Zはインタークーラー過給機つきなどで,数字が大きいものが後の設計ではありません。

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JR四国のキハ47 @徳島 2019.2.11

 走り系の改造として1軸駆動の台車を2軸駆動に改造する工事も一部の車両に施工されています。また,1軸駆動のまま機関,変速機を換装したため,軸重に比べ出力が勝ちすぎて空転し,機関出力を制限して使う例もあるようです。この辺のチューニングは機械技術としては面白そうですが,原設計がしょぼかったばかりに,後進の現場が苦労している訳で,バランスの取れた設計の大切さを感じます。そんなこんなでキハ40といってもいろいろな仕様の車両が全国にあり,1両1両が個性を持つかつての旧型国電のような様相です。

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JR北海道の2軸駆動のキハ40-400。萌黄色の扉で識別できる @浦臼~札的 2019.12.30

 キハ40の活躍場所は専らローカル線ですが,JR各社ともローカル線はワンマン化が進んでいます。キハ40も殆どの車両がワンマン化の改造を受けています。JR北海道はワンマン対応改造で700番台にしましたが,他社ではワンマン化による改番はないようです。キハ47はデッキがなく扉が運転席から離れた位置にありますが,無理やり運賃箱を置いたので,運転席後ろに妙に広いスペースがあります。この他,外観からは分かりませんが,混雑対策のために座席のロングシート化やボックスシートのまま2+1列配置とする改造も行われています。

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JR北海道のキハ40-700。777は朱色5号の1色塗装復元車 @富良野 2015.5.3

 JR北海道やJR西日本にはまだ大量のキハ40が残っており,今後も当分使うつもりです。JR北海道では延命改造としてワンマンの700台を1700台にしました。JR西日本は201系や115系電車などと同じ40N工事を施工していますが,こちらは番号は変わっていません。ところで,上に写真を載せたキハ40-777ですが,ラッキーナンバーであるばかりに朱色5号になったのはよいですが,延命改造は施行されていないそうで,どちらが幸せなのか分かりません。

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JR西日本の40N施工車 @地福 2017.9.2

 ここまで主にキハ40の改造を見てきましたが,次は車両まるまる改造した例です。ジョイフルトレインとかリゾート車両と言ったりしますが,キハ40も各社でいろいろな改造車ができています。自分が旅行で見たり乗ったりした範囲なので到底すべては網羅できませんが,いくつかを見てみたいと思います。

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びゅーコースター風っこ @白馬 2008.10.9

 JR東日本仙台支社のトロッコ風気動車で,上の写真は秋の大糸線を走ったときのものです。あちこちに貸し出されることも多いようで,2019年夏には北海道の宗谷本線を「風っこそうや」として走りました。

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瀬戸内マリンビュー @呉 2011.5.8

 JR西日本広島支社の呉線の観光列車でキハ47-7001,7002を名乗りました。上の写真は呉在勤時に乗ったときのものですが,現在は「etSETOra」に再改造され,キロです。キロといえばJR四国の「伊予灘ものがたり」用の車両は寒地向けの500番台が国鉄時代になぜか高松に転属していたもので,2011年に一旦は除籍された後,エアサスの台車を履いていたせいか(?)2014年に改造・車籍復活されたそうで,車両の変転を感じます。

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「リゾートうみねこ」が海霧のなかをやってきた @陸中八木 2019.7.14

 「リゾートうみねこ」はJR東日本盛岡支社のリゾート気動車でしたが,2020年の「リゾートうみねこ」の運転終了とともに廃車になりました。片運転台デッキ付のキハ48はエアサスの台車を履き(コイルバネの車両も10両だけいた)急行形のような車内見付で自分としては好きな車両でしたが,単行で運用できないため,殆どが改造されてしまったようです。

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只見線小出口にはキハ48が最後まで残っていた @小出 2018.7.22

 急行のようなといえば新潟のキハ47の2両は国鉄急行色に塗色が変更されていました。この他,一般形気動車の2色塗装になった車両もありました。また,今日のスレッドに配された各写真でもJR各社各地域の塗色でまさに百花繚乱です。最近はJR西日本は朱色5号に戻しているようで,少々残念です。

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急行色で走っていた新潟のキハ47 @坂町 2017.5.3

 さてキハ40のこれからですが,JR北海道は延命改造も施してまだまだ使う気です。一方,車両不足を理由にした減便やモーターで走る新形式H100形の登場,酷寒地ゆえの使用条件もあり100%安泰とは思っていません。JR西日本は40N延命工事を施行した車両も多く,老朽化を理由にした廃車はまだないと思われ,JR各社のなかで最後までキハ40を使うのではないかと思っています。

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JR西日本山陰(東)・播但地区で活躍するキハ47 @和田山(?) 2010.8.1

 JR四国はそもそも列車自体がそう多くなく,キハ32や1000,1200,1500形と後継の気動車をちょこちょこと導入していて,気が付けばキハ40が残るのは徳島地区だけになってしまいました。同様に,JR九州もキハ125,200系,220系の他ハイブリッドのYC1系などの後継の導入が進みますが,熊本や鹿児島などの南部地域には一定数が残っているようです。

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JR九州鹿児島地区のキハ47 @隼人 2014.2.23

 キハ40には民鉄や第3セクター鉄道への譲渡車も出始めており,東京から程近い小湊鐡道にも2両が渡っています。その他,錦川鉄道,道南いさりび鉄道,会津鉄道(トロッコ車)にも譲渡車があるそうです。また,JR東海,JR東日本の車両を中心にミャンマーに渡った気動車が数十両あるようです。ミャンマーに行っても塗装はJR時代のままで漢字の表記なども残っているようで,これらの気動車に会いに海外旅行に行くのも楽しそうです。海外の「乗り鉄」も大好きですが,東南アジアは得意でなく,まだ1度も行ったたことはありません。

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小湊鐡道に渡ったキハ40-2026。譲渡前に郡山で撮ったもの 2020.3.21

 こうしてみると,キハ40は登場時は国鉄の厳しい財政状況から重い,暑い気動車でしたが,使っているうちに改善されて,名車と呼べる気動車になったと思います。国鉄の分割は地域に根差した事業運営の基盤となり,キハ40も地域ごとの特色を持つ車両になりました。これからも各地で活躍を続けてほしいものです。

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JR北海道の延命工事施工車。再び列車が走る日を祈って @落合 2015.5.3

 この稿を書いている3月20日現在,関東1都3県の新型コロナ感染症対策の緊急事態宣言は発令中ですが,それが解けても暫くは不要不急の遠出は難しそうです。夏休みには多少の旅行が自由にできるようになるのを心待ちにしています。そのときは山陰の長時間鈍行,南九州の隼人~南宮崎間を4時間近くかけて走る肥薩線~吉都線の列車,それとも北海道で根室本線?キハ40にたっぷり乗れるところに行きたくなりました。(2021.3.20記)
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キハ40の思い出・その1

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標津線西春別と思われる 1989.1(?)

 (2021年)3月13日(土)はJRグループのダイヤ改正でしたが,この改正で秋田のキハ40系(正しくはキハ40系という系列はなくキハ40,キハ47,キハ48の40番台形式の気動車を総称する俗称。以降,「系」は省略)がGV-E400系に置換えられ,JR東日本の定期列車から引退しました。この改正の前にキハ40の最後の活躍と五能線の長時間鈍行に乗りに行く計画をたてましたが,自分の住む神奈川県に新型コロナ感染症対策の緊急事態宣言が出ているので旅行を諦めたことは前に書きました。こんなことを考えているうちに,キハ40についてのいろいろが思い出されて,ブログ記事にまとめたくなりました。自分は鉄道車両研究をする研究者ではないので,番台区分などを網羅的に調べる訳ではありません。ひたすら思い出ベースで書きますが,そうだったよね~と各位の思い出と重ね合わせて読んでいただければ幸甚です。なお,キハ40はJR東日本からは引退しましたが,JR東日本とJR東海を除く各社では健在で,残っている両数も多いのでまだ3年や5年は見られるものと思います。

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キハ12と手を組んで。登場初期の頃 @広尾線大樹(?) 1980.3.13

 キハ40は1977(昭和52)年から1982年に製作された国鉄の一般形気動車です。国鉄ローカル線の無煙化に貢献したキハ10系グループは登場から約25年となり更新時期を迎えていました。キハ10系は気動車が電車や客車より1段格下と見られていた頃の設計で,車体断面は1回り小さく,台車もゴムブロック製枕バネのチープなつくりでした。これらを置換えるものとして,車体は電車と同じ車両定規の広幅断面,台車も寒地向けは空気バネ台車となり,国鉄ローカル線の車両のアコモデーションの改善に寄与しました。ちなみに,キハ10系(キハ50なども含む)の製作総数は728両,キハ40は888両だそうです。

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秋田局管内の五能線は早くからキハ40が投入されていた @鯵ヶ沢 1984.3.6

 アコモデーションは格段に良くなったのですが,車両重量が重くなったのにエンジンが非力なのがこの気動車の泣き所でした。国鉄の気動車のエンジンはルーツをたどると戦前にまで遡るDMH17シリーズ(C形で180PS/1,500rpm)が量産され続けていましたが,この状況を打開すべく1966年にDML30HSA(500PS/1,600rpm)が開発されました。このエンジンは従来の2倍以上の大出力を持つ期待のエンジンで,キハ181系やキハ65に使われましたが,強馬力過ぎてトラブルが多発しました。このDML30HSAのシリンダ数を半減,更に出力に余裕を持たせて再設計したエンジンがDMF15HSA(ターボ過給機付,インタクーラーなし,220PS/1,600rpm)で,キハ40の登場時の主機はこのエンジンでした。キハ40といって思い出すのは,先ず発進時のトロさです。

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興浜南線雄武で休むキハ40 

 車内はボックスシート主体の構成でしたが,シートピッチが115系1000番台と同じ,少し広くなった1470㎜で,だらしなく座る高校生には嬉しかったです。編成の中間に運転台が入ると,左の運転席は締切られますが,右の助士席側は一種のフリースペースで,助士席の椅子に座ることもできました。キハ40の運転台は踏切事故対策でとても高い位置にあり,この席に座るのが楽しくて仕方ありませんでした。今は大抵はロープで仕切られて,客は立ち入るべからずですが,当時は車掌さんが通りかかっても特段咎められることもありませんでした。マニアには至福の席ですが,田舎の不良高校生が下校時にタバコを吸うには絶好の場所で,ちょっと憶えは不確かですが灰皿もあったと思います。

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キハ40の運転台窓は貫通路の窓よりずいぶん高い位置にある @白糠線北進 1980.3

 キハ40の暖房は,主機の暖気を利用した温風ヒーターで効きが悪かった印象です。電車では座席の下に電熱ヒータがあるので,お尻がポカポカ気持ちよいですが,キハ40の場合は温風ヒーターなので車内が暖まってくるまで時間がかかるのです。とくに,夜行列車から乗換えた始発列車などでは,寒かったな~という思い出が多いです。札幌~網走間夜行の「大雪」に接続して遠軽を3時台に出る名寄本線の列車があり,随分寒い思いをしたと思います。

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石北本線遠軽で

 冬場は温風ヒーターでも暖房があるからマシで,夏場の暑さはかなわなかったです。床下には熱を発するディーゼルエンジンがあり,クーラーはなしでした。当時のローカル線や国鉄の財政状況からは一般形気動車にクーラーは付けられなかったのでしょう。

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キハ40の製作当初のバリエーション

 キハ40は北海道は最果ての釧網本線から,九州の指宿枕崎線まで日本全国で活躍しました。そのため投入される地域ごとに仕様の違いがあり,3形式8区分(片運転台の2形式5区分にはそれぞれトイレなしもあり)が製作されました。その2でも触れますが,今では無数にと言ってよいほどの番台区分がありますが,製作当初はこの8区分でした。これらについて少し触れてみたいと思います。

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渚滑線北見滝の上で

 先ずキハ40ですが,この形式は両運転台で基本となる形式です。キハ40には1~という基本の番号区分がありません。キハ40という形式は実は2代目で,1960年から1963年に鋼体化改造の61系客車にエンジンを取付けて気動車としたものが初代キハ40で,番号の重複を避けているのです。キハ40には暖地型,寒地型,酷寒地型があり,酷寒地型は北海道用と同義です。

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初代キハ40。のちに改番されてキハ08になった @加悦SLの広場 1984.3

 寒地型の500番台はこの形式のために開発された枕バネは空気バネ,軸バネはエリゴバネ(コイルバネに雪等による凍結を防ぐためのゴムを巻いたバネ)のDT44/TR227系を履き,デッキ付きです。暖地型の2000番台は在来のキハ25や103系電車と似たDT22/TR51系を履き,扉は両端に寄っていますがデッキはありません。寒地型と暖地型でこうまで差別しないでもよいではないかと思ってしまいます。また,酷寒地型は100番台で区分され,窓は1段式で2重窓の北海道仕様,台車はエアサス,エリゴバネのDT44/TR227系です。また,素人目や外観からは分かりませんが,各種の耐寒耐雪装備も強化されているはずです。ところで,キハ40には製作当初は1000番台がありませんでした。キハ40シリーズ全体に1000番台はトイレなしとのお約束のようで,国鉄の末期に烏山線用の7両にトイレ撤去改造を行い1000番台としました。

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キハ40の暖地型2000番台 @新見(?) 1979.7

 次にキハ47ですが,この形式は片運転台,車両の中央に寄せて2つの両開き扉をもつ近郊仕様の気動車です。デッキがないので酷寒地型はなく,自分の憶えでは新潟地区の500番台が最北の配置で,これとても500番台22両,1500番台21両の少数派です。一方,中部地方以南ではこの形式が基本で,トイレ付・なし合わせて327両が作られました。

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新潟から四国へ移動した寒地型のキハ47-500番台。追いかけ,橋の陰でひどい写真ですが悪しからず @土讃線(?) 1986.夏休み

 最後にキハ48ですが,この形式は片運転台,デッキ付で急行型のような外観の気動車です。扉解放時の寒さ対策のためデッキ付で,主に東北地方や高山本線などで運用されました。そういう仕様なので暖地型はなさそうですが,トイレ付6両,トイレなし4両とごく少数が製作され,敦賀と美濃太田に配置されました。美濃太田には寒地型の500番台も多数配置され,どういう基準で暖地型,寒地型の配置を区分していたのかはっきりしません。酷寒地型は更に少なく,トイレ付4両,トイレなし3両のたった7両しか製作されませんでした。製造業に身を置く者としては,たった7両のために図面を起こして,えらくコスト高なことだと思います。

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たった3両の稀少車1300番台 @張碓

 番台の区分とは少し異なりますが,キハ40の初期ロットはざくざく量産された頃の車両と窓割りが異なっていました。ふつうのキハ40はトイレに近いほうのボックスシートの端は2人掛けの座席になっていて,他と違うサイズの窓があります(上の2000番台の写真参照)。一方,初期ロットの車両はこの2人掛けの座席がなく,窓の大きさが揃っています。大した違いではありませんが,初期車の方が均整がとれていて美しいと思います。

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キハ40-108 @名寄本線興部 19984.3

 今日はキハ40の昔話にお付き合いいただきました。次回は主機換装でパワーアップしたキハ40や最近の話題でキハ40について語りたいと思います。(2021.3.13記)

その2へつづく

20世紀の鉄道写真(19)--1983年(昭和58年)3月の九州旅行のスナップ

 20世紀の鉄道写真,今日は1983年(昭和58年)3月の九州旅行の写真をお届けします。僕はこの年,大学4年生で,5月の国鉄線全線完乗を前に春休みに四国,北海道,九州を精力的に旅行しました。九州は既に全線完乗していましたが,筑肥線の唐津市内の新ルート開業,福岡市営地下鉄との相互乗入れ開始のための訪問です。この時の往路は青春18きっぷで大垣夜行~ひたすら西下~寝台付き鈍行「ながさき」,復路も「ながさき」と「山陰」に連泊(もちろん座席車)という強行軍でした。青春18きっぷ利用の自由度を活かし,徳山,長崎の知人宅を泊まり歩いて,いろいろな所へ足を延ばしています。

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1.この日から運用を始めた103系1500番台車。103系のメカですがお顔は105系と同じ @西唐津 1983.3.22(下3枚も同じ)

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2.虹の松原で。景色がきれいかと思って降りたけど,写真はいまいちでした

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3.この日開業の和多田駅。「落成」という言い方が面白いです

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4.こちらは地下鉄の1000系。ワンマン運転も準備され,国鉄の103系が見劣りして見えました @姪浜

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5.筑肥線電化開業の記念入場券

 山口県の徳山市(現・周南市)に知人がいて,西日本の旅行ではいつも根城に使わせていただいていました。この旅も主目的の筑肥線の後は山口県でゆっくりしています。

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6.帰りに寄った美祢線。キユニやDD51+ホッパ車が健在でした @南大嶺 1983.3.22(下3枚も同じ)

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7.美祢線のヒゲの大嶺駅。低いホームに手製のステップが嬉しかったです

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8.大嶺駅の駅舎表側。山間のひっそりとした雰囲気がよかったです

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9.美祢線の石灰石列車。美祢線はこんな列車が頻繁に走っていました

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10.山陽本線でちょっと鉄ちゃんです。EF66が2軸の貨物を引いています @福川~防府あたり 1983.3.23頃(下2枚も同じ)

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11.115系3000番台が広島シティ電車としてデビューしたのはこの半年前の1982.11.15です

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12.一部の編成はクハのみ3000番台で冷房準備車,中間は丸ベンチの111系でした

 徳山でゆっくりした後は九州に戻って鹿児島交通を訪れています。この時すでに廃止説が囁かれていましたが,この年の6月の豪雨で一部区間が不通になり,復旧されることなく1984年3月に廃止されました。行っておいてよかったです。

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13.国鉄キハ07とよく似ているが1952年自社発注のキハ100形 @枕崎 1983.3.28(下3枚も同じ)

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14.南国情緒たっぷりの枕崎駅前の様子

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15.枕崎駅の構内。南国情緒というよりは時代がかった雰囲気でした

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16.構内には廃車になったSLがそのまま置いてありました

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17.この旅行の帰りにはSL「やまぐち」号にも乗っています 1983.3.31

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18.記録によれば米原(6:48)から富山(11:45)は339Mという1本の長距離鈍行でした 1983.4.1

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19.富山からはEF81牽引の客車列車で糸魚川へ。この機関車はのちにトワイライト塗色になりました 1983.4.1

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20.このときの青春18きっぷです。夜行列車から乗車の場合は車掌さんが使用日を手書きしていました
(2020.5.5記)

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